仏教の数字一覧|3から108まで、その数がどこで生まれ、どう変わったか

神話・歴史・文化

仏教には数で束ねた言葉が大量にあります。

四諦、六道、十二神将、二十八部衆、百八煩悩。

同じ数に別のものがぶら下がっていることも多く、「28」と言われても二十八部衆なのか二十八天なのか分かりません。

この記事では、数字から引ける一覧を用意したうえで、その数がインド・中国・日本のどこで生まれ、どこで形を変えたのかを追います。

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数字早見表

「どこで生まれたか」の列は、そのまとまりが最初に現れた場所を示します。確定していないものは「不明」としました。

数語読み何を数えたものどこで生まれたか
3三宝さんぼう仏・法・僧インド
3三毒さんどく貪・瞋・痴の三つの煩悩インド
3三界さんがい欲界・色界・無色界インド
4四諦したい苦・集・滅・道の四つの真理インド
4四苦しく生・老・病・死インド
4四法印しほういん仏教の根本命題不明
4四天王してんのう須弥山の四方を守る武神インド
5五蘊ごうん人間を構成する五つの要素インド
5五戒ごかい在家が守る五つの戒インド
5五智如来ごちにょらい密教の五仏不明
6六道ろくどう生まれ変わる六つの世界インド
6六波羅蜜ろくはらみつ菩薩が行う六つの実践インド
6六根ろっこん眼・耳・鼻・舌・身・意インド
7七宝しっぽう経典が挙げる七種の宝インド
7過去七仏かこしちぶつ釈迦までの七人の仏インド
7初七日など七日ごとなのかごと中有の期間の区切りインド
7七福神しちふくじん福をもたらす七柱日本
8八正道はっしょうどう苦を滅する八つの道インド
8八苦はっく四苦に四つを加えた八つインド
8八識はっしき唯識が説く八つの心の働きインド
8八大地獄はちだいじごく八つの熱地獄インド
8八部衆はちぶしゅう仏法を守る八種の存在インド
8八大竜王はちだいりゅうおう法華経に登場する八柱の竜王不明
9九品くほん極楽往生の九段階不明
10十悪じゅうあく身・口・意による十の悪行インド
10十大弟子じゅうだいでし釈迦の高弟十人インド
10十界じっかい六道に四聖を加えた十の世界不明
10十王じゅうおう死後に順番に裁く十人の王中国
12十二因縁じゅうにいんねん苦が生じる十二の連鎖インド
12十二処じゅうにしょ六根と六境の合計インド
12十二天じゅうにてん十二の方位を守る天部不明
12十二神将じゅうにしんしょう薬師如来を守る十二の武神インド
13十三仏じゅうさんぶつ追善供養の十三の仏日本
18十八界じゅうはっかい六根・六境・六識の合計インド
18十八羅漢じゅうはちらかん十六羅漢に二尊を加えたもの不明
25二十五有にじゅうごう迷いの世界を二十五に分けたものインド
28二十八天にじゅうはちてん三界にある二十八の天不明
28二十八部衆にじゅうはちぶしゅう千手観音に従う二十八の眷属不明
33三十三身さんじゅうさんしん観音が姿を変える三十三の形不明
33三十三回忌さんじゅうさんかいき弔い上げとされる年忌日本
48四十八願しじゅうはちがん阿弥陀仏が立てた四十八の誓い不明
49四十九日しじゅうくにち中有の期間インド
108百八煩悩ひゃくはちぼんのう煩悩の総数不明

仏教が数でまとめる理由

こうして数でまとめられた教えを、法数(ほっすう)と呼びます。

仏典では理解に便利なように分類が行われており、数はその枠組みとして経典が編まれた段階から使われていました。

経典そのものが数の順に並んでいる

パーリ語で伝わった初期経典に、増支部(アングッタラ・ニカーヤ)という部門があります。

この部門は、11の集まりに分かれています。

分け方は主題でも時代でもなく、その経典が扱う項目の数です。

一つを説く経は第一集、二つを説く経は第二集、という具合に、1から11まで並んでいます。

同じ数に別のものがぶら下がる理由

数が枠組みとして使われた以上、同じ数が何度も再利用されます。

「6」には六道も六波羅蜜も六根も入ります。

これらは互いに関係がありません。

世界の数と、実践の数と、感覚器官の数が、たまたま同じ6になっただけです。

混乱しやすいのは、分類が重なっているのではなく、数という入れ物を共有しているだけだからです。

インドで生まれた数

まず、インドで生まれた数から見ていきます。

六・八・十二が描く世界と道すじ

六道は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つで、生まれ変わる先を示します。

詳しくはちょげぶろぐ「死んだら私たちはどこへ行く?仏教が説く「六道」の世界をやさしく解説」で扱っています。

八正道は正見から正定までの八つで、四諦の「道」を具体化したものです。

八大地獄は等活から無間までの八つの熱地獄で、ちょげぶろぐ「仏教の「地獄」とは?その全体像をやさしく解説!」に詳しくまとめています。

八のつく語は、性格がばらばらです。

八苦は四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を加えたもので、苦しみの分類です。

八識は、六識に末那識と阿頼耶識を加えた八つで、唯識が説く心の層を指します。

八部衆は天・竜・夜叉など仏法を守る八種の存在で、こちらは尊格の数です。

八大竜王は法華経に登場する八柱の竜王です。

同じ8でも、苦の分類・心の分析・守護者の編成と、指すものがまったく違います。

十二因縁は無明から老死まで、苦が生じる連鎖を十二段階に分けたものです。

四天王は須弥山の四方を守る武神で、数はそのまま方位の数です。

東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多聞天が配されます。

個別の解説はちょげぶろぐ「仏教の四天王とは?東西南北を守る最強ガードマン」をご覧ください。

十八・二十五・二十八が指すもの

数字だけでは中身がわかりにくい三つを、まとめて整理します。

十八界は、認識に関わる十八の領域です。

六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)と六境(色・声・香・味・触・法)を合わせると十二処になり、さらに六識(眼識から意識まで)を加えて十八界となります。

12と18が入れ子になっている例で、数どうしが独立していないことが分かります。

二十五有は、迷いの世界を二十五に分けたものです。

「有」はサンスクリットのbhava、つまり存在を意味する語の訳です。

内訳は欲界が十四、色界が七、無色界が四で、合計して二十五になります。

欲界の十四は、地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪趣に、四つの大陸と六つの天を足した数です。

六道の六を、住む場所の単位まで細かく割り直したものと考えると見通しがよくなります。

二十八天は、三界に含まれる天を数えたものです。

六道でひとまとめにされている「天」が、実際にはいくつもの階層に分かれていることを示します。

中国で加わった意味と数

インドから伝わった数に、中国で別の意味づけが重なる例があります。

数そのものが中国で作られた例もあります。

七日ごとと四十九日

四十九日は、死んでから次に生まれるまでの期間を指します。

この中間の状態を中有、または中陰と呼びます。

この考え方は北西インドの説一切有部で説かれ、シルクロードを通って東へ伝わりました。

七日ごとに区切るのは、説一切有部に伝わる複数の説のうち、最短で七日、駄目なら次の七日、最長で四十九日以内に生まれ変わるという理解に基づくものです。

ここから意味づけが二つに割れました。

一つは、いま述べた中有の期間という理解です。

もう一つは、七日ごとに閻魔をはじめとする王の裁きがあり、遺族の供養がそれを助けるという理解です。

後者は、中国で成立した十王信仰から来ています。

臨済宗妙心寺派 長寿寺「誤解だらけの四十九日。本当の意味を僧侶が解説」は、これを後世に生まれた説明とし、それだけで四十九日を語るのは言葉足らずだとしています。

数の出どころそのものは、インドの中有です。

十王と偽経

十王は、死後に順番に裁く十人の王です。

閻魔についてはちょげぶろぐ「閻魔大王とは?死後の裁きを司る冥界の王を徹底解説!」で扱っています。

この体系を説いたのが『預修十王生七経』で、新纂浄土宗大辞典「十王」はこれを中国で作られた偽経としています。

偽経とは、インドから伝わったものではなく、後に現地で作られた経典のことです。

この経典では、初七日から七日ごと、百箇日、一周忌、三回忌に、それぞれ別の王が裁くとされています。

五七日、つまり三十五日を担当するのが閻魔です。

日本で組み替えられた数

中国から来たものが、日本でさらに別のものになる例があります。

十王から十三仏へ

十三仏は、追善供養の各回に対応する十三の仏です。

これは日本で成立したもので、中国の十王思想の影響を受けて形を整えました。

十王が扱うのは初七日から三回忌までです。

日本ではここに七回忌・十三回忌・三十三回忌が加わり、仏の数が十三になりました。

それぞれの回に対応する仏が決まっており、初七日は不動明王、百箇日は観音菩薩、三回忌は阿弥陀如来が当てられます。

十四世紀にはこの形が定まり、室町時代には各地に供養塔が作られました。

十二神将に十二支が乗る

十二神将は薬師如来を守る十二の武神で、出典は薬師経です。

干支の動物を頭に乗せた像を見たことがある方も多いはずです。

ところがコトバンク「十二神将」によれば、薬師経に十二支の記述はありません。

12という数は、中国で十二支と結びついたと推定されています。

日本では平安時代以降、頭上に干支を戴く像が現れます。

奈良時代の新薬師寺の像には、この干支がありません。

干支のない古い形と、干支の付いた新しい形が並存している状態です。

十二神将そのものはインド由来ですが、干支との対応は経典になく、後から乗ったものでした。

各尊の詳細はちょげぶろぐ「十二神将とは?薬師如来を守護する12の武神を徹底解説」にあります。

七福神は日本で組み上がった

七福神は、恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人の七柱です。

出身はばらばらで、インド由来の天部、中国の禅僧や道教系の神、日本の神が混在しています。

布袋は後梁に実在した禅僧の契此、福禄寿と寿老人は道教の南極星の精とされます。

天部の全体像はちょげぶろぐ「天部一覧|仏教の守護神たちを総まとめ」をご覧ください。

七福神として信仰される形ができあがったのは、室町初期です。

1420年には、京都で七福神の行列が行われています。

数だけ合っている説明を見分ける

ここまで見てきたように、数の由来には確かなものと曖昧なものがあります。

そして数の説明には、もう一つ別の落とし穴があります。

計算は合うのに、中身が合っていない説明です。

108の数え方と、出回っている説明

煩悩を108とする一般的な数え方は、煩悩を98種類に分けた分類に、別の10種類を足した合計です。

98種類のほうは、貪り・怒り・無知・慢心・疑いと、五つの誤った見方という10の根本的な煩悩を、三つの世界に振り分け、断ち切り方で分け直した数にあたります。

新纂浄土宗大辞典「百八煩悩」は、定義に諸説があるとしたうえで、この数え方を一般的なものとしています。

一方で、世に出回っている説明は一つではありません。

ニッセイ基礎研究所「数字の『108』に関わる各種の話題」は、煩悩が108である説明として三つを挙げています。

  1. 六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)に、好・悪・平の三つ、染・浄の二つ、三世(過去・現在・未来)を掛け合わせ、6×3×2×3とするもの
  2. 見惑88・思惑10・十纏10を足すもの
  3. 四苦八苦を使い、4×9+8×9=36+72とするもの

同報告は、三つめについて、単なる言葉遊びだという批判もあると記しています。

四苦八苦の掛け算が壊しているもの

この説には、言葉遊びであること以外にも問題があります。

八苦とは四苦(生老病死)に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四つを加えたものです。

つまり八苦の中に四苦が含まれており、合計は八であって十二ではありません。

ところが4×9+8×9という式は、四苦を独立した4として一度数え、八苦の中でもう一度数えています。

同じ四つを二重に数えて108を作っているわけです。

この説を覚えると、四苦と八苦が別々の集まりだと思い込むことになります。

数は合いますが、元の言葉の意味が壊れます。

一つめの六根の説と比べると、違いは明らかです。

掛け合わせることにも、感覚器官ごとに受け取り方と時間の幅があるという意味が残っています。

同じ108を導く説でも、中身に根ざしたものと、数だけ合わせたものがあります。

数の説明を確かめる三つの問い

数の説明に出会ったとき、次の三点を見ると判断しやすくなります。

一つめは、掛け合わされている要素が実在する区分かどうかです。

六根も三世も、それぞれ単独で使われている用語でした。

二つめは、同じものを二度数えていないかどうかです。

四苦八苦の式が引っかかるのは、まさにここでした。

三つめは、その説明が経典に書かれているのか、後から付けられたのかです。

十二神将の干支のように、定着していても経典にない結びつきがあります。

後から付いたこと自体は問題ではありません。

信仰として根づいた以上、それも歴史の一部です。

問題になるのは、後から付いたものを経典の記述だと思い込み、元の意味を取り違えることのほうです。

まとめ

仏教の数は、経典が数で編まれた段階から始まっています。

増支部が1から11で並んでいるように、数は経典の枠組みでした。

同じ数に無関係なものが並ぶのは、分類が重なっているのではなく、入れ物を共有しているからです。

そして数は移動しながら変わります。

四十九日はインドの中有が中国で十王と結びつき、その十王が日本で十三仏に組み替えられました。

十二神将の干支のように、経典にないものが後から乗った例もあります。

数字を見かけたら、まずどこで生まれたものかを確かめてみてください。

そのうえで、説明が中身に根ざしているかを見れば、意味を取り違えずに済みます。

参考情報源

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