「眠れる森の美女」とは?童話の起源からバレエ・ディズニー映画まで徹底解説

「眠れる森の美女」と聞くと、ディズニーのオーロラ姫を思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、この物語の歴史は想像以上に古く、14世紀のフランスにまで遡ります。
しかも原型となった物語は、現代のイメージとはかけ離れた衝撃的な内容を含んでいたんです。

この記事では、「眠れる森の美女」の起源から主要バージョンの違い、チャイコフスキーのバレエ、そしてディズニー映画まで、この物語の全貌を徹底的に解説します。

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概要

「眠れる森の美女」(仏: La Belle au bois dormant)は、ヨーロッパに古くから伝わる民話・童話です。
アーネ=トンプソンの民話分類では「タイプ410」に分類されています。

物語の骨格はシンプルです。
王女が魔法の力によって深い眠りにつき、やがて目覚めるというもの。
しかし時代と語り手によって、その細部は大きく異なっています。

この物語の代表的なバージョンは、以下の3つです。

  • ジャンバティスタ・バジーレ(Giambattista Basile)の「太陽と月とターリア」(1634年刊行)
  • シャルル・ペロー(Charles Perrault)の「眠れる森の美女」(1697年刊行)
  • グリム兄弟の「いばら姫」(1812年刊行)

このほか、1890年にはチャイコフスキーがバレエ作品として音楽を手がけ、1959年にはディズニーがアニメ映画化しました。
現代において私たちが知る「眠れる森の美女」は、これら複数のバージョンが重なり合って形成されたものなのです。

物語の起源:14世紀フランスの「ペルスフォレ」

「眠れる森の美女」の原型として現在確認されている最古の物語は、14世紀のフランスで書かれた散文ロマンス『ペルスフォレ(Perceforest)』に含まれています。
この作品は1330年から1344年の間に執筆されたとされ、1528年に初めて印刷されました。

『ペルスフォレ』に登場するのは、ゼランディーヌ(Zellandine)という名の王女です。
彼女はトロイリュス(Troylus)という男性と恋に落ちますが、父王はトロイリュスに自分の価値を証明するための試練を課します。

トロイリュスが試練に出かけている間に、ゼランディーヌは魔法の眠りに陥ってしまいます。
彼女を見つけたトロイリュスは、眠っている王女との間に子をもうけます。
生まれた子どもが指から亜麻糸を吸い出したことで、ゼランディーヌはようやく目を覚ましました。

現代の感覚からすれば衝撃的な内容ですが、こうした展開はこの時代の物語ではさほど珍しいものではありませんでした。
この中世ロマンスが、後のバジーレやペローの作品に影響を与えたと考えられています。

なお、同時期のプロヴァンス語(またはカタルーニャ語)の詩「フレール・デ・ジョイとソール・デ・パゼール(Frayre de Joy e Sor de Paser)」にも類似の物語が確認されています。

バジーレ版「太陽と月とターリア」(1634年)

「眠れる森の美女」の最初の本格的な文学作品とされるのが、イタリアの詩人ジャンバティスタ・バジーレ(Giambattista Basile, 1575頃-1632)による「太陽と月とターリア(Sole, Luna, e Talia)」です。
バジーレの説話集『ペンタメローネ(Il Pentamerone)』に収録され、彼の死後の1634年に出版されました。

あらすじ

ある国の王に、ターリア(Talia)という王女が生まれます。
誕生の祝宴に招かれた占い師たちが、麻糸が王女に災いをもたらすと予言しました。

王は国中から紡ぎ道具を排除しますが、成長したターリアはある日、麻糸の破片が指に刺さり、深い眠りに落ちてしまいます。
悲嘆に暮れた父王は、娘を城に安置したまま去っていきました。

やがて、狩りの途中で偶然この城にたどり着いた別の国の王が、眠るターリアを見つけます。
王はターリアとの間に双子をもうけ、そのまま自分の国に帰ってしまいました。

ターリアは眠ったまま双子を出産します。
赤ん坊の一人が母の指から亜麻糸の破片を吸い出したことで、ターリアはついに目を覚ましました。

その後、王の正妻が嫉妬から双子を殺して料理にしようと企てます。
しかし料理人が密かに子どもたちを匿い、動物の肉を代わりに差し出しました。
最終的に王妃の企みは露見し、王妃は罰を受けることになります。

バジーレ版の特徴

この版は後のペロー版・グリム版と比べて、はるかに暗く生々しい内容を含んでいます。
「妖精の呪い」ではなく「占い師の予言」が災いの原因であること、王子ではなく既婚の王が登場すること、そして王妃による子ども殺害の企てなど、現代の童話のイメージとは大きくかけ離れた物語です。

しかし、この衝撃的な原型があったからこそ、後世のペローやグリム兄弟が内容を洗練させ、子どもにも親しまれる物語へと進化させることができたともいえるでしょう。

ペロー版「眠れる森の美女」(1697年)

フランスの詩人シャルル・ペロー(Charles Perrault, 1628-1703)は、1697年に『昔話ないしは寓意のある過ぎし世の物語(Histoires ou contes du temps passé)』を発表しました。
「眠れる森の美女(La Belle au bois dormant)」はこの童話集の巻頭に収められた作品で、バジーレ版を下敷きにしつつも大幅に改変しています。

あらすじ(前半)

長く子どもに恵まれなかった王と王妃に、ようやく待望の王女が誕生します。
洗礼式には7人の妖精(仙女)が名付け親として招かれました。
最初の6人が順番に王女へ美しさ・才知・優美さ・舞踏・歌声・音楽の才能を贈りましたが、7人目の妖精がまだ贈り物をする前に、招かれなかった老妖精が突然現れます。

この8人目の老妖精は激怒しました。
この妖精は50年以上も塔に引きこもっていたため、すでに死んだものと思われていたのです。
老妖精は王女に呪いをかけました。

「王女は紡錘(つむ)に指を刺して死ぬであろう」

まだ贈り物をしていなかった7人目の若い妖精が、呪いを完全に解くことはできないものの、力を弱めることに成功します。
死の代わりに100年間の深い眠りにつき、王子が目覚めさせるという形に変えたのです。

王は国中の紡錘を禁じますが、15歳か16歳になった王女は城の塔で糸を紡ぐ老婆に出会い、紡錘に指を刺して深い眠りに落ちました。

若い妖精はこの知らせを聞いて駆けつけ、王女が目覚めたとき一人で心細くないよう、城中の人々や動物を全員眠らせます。
城の周囲には茨と木々が生い茂り、100年の間、誰も近づけない森に包まれました。

100年後、別の王家の王子が狩りの途中でこの城を発見し、茨をかき分けて中に入ります。
ちょうど呪いの100年が終わる時を迎え、王女は自然に目を覚ましました。

注目すべき点として、ペロー版では王子のキスで目覚めるのではなく、100年の呪いの期限が来て自然に目覚めるという設定になっています。

あらすじ(後半)——人食い鬼の王太后

ペロー版には、現代ではあまり語られることのない恐ろしい後半があります。

王女と王子は密かに結婚し、二人の子ども——娘のオロール(l’Aurore、「暁」の意)と息子のジュール(le Jour、「昼」の意)——をもうけます。
しかし王子の母親は、実は人食い鬼(ogresse)の血を引いていたのです。

王子が戦争で留守の間、王太后は料理長に対して、まず孫のオロール、次にジュール、そして嫁である王女を料理するよう命じました。
心優しい料理長は密かに三人を匿い、代わりに子羊や鹿の肉を差し出して王太后を欺きます。

しかし企みが露見した王太后は、自ら毒蛇やガマガエルを入れた大釜の中に身を投じて命を絶ちました。

この後半部分は、バジーレ版の影響を色濃く残しています。
一部の民話研究者は、前半と後半はもともと別々の物語であったと考えています。

グリム兄弟版「いばら姫」(1812年)

グリム兄弟(兄ヤーコプ・弟ヴィルヘルム)は、1812年に刊行した『子供と家庭のメルヒェン集(Kinder- und Hausmärchen)』第1巻にて、「いばら姫(Dornröschen)」(KHM 50)を収録しました。

ペロー版との主な違い

グリム版には、いくつかの重要な変更点があります。

まず、妖精ではなく「賢い女(weise Frauen)」が登場します。
王国には13人の賢い女がいましたが、金の皿が12枚しかなかったため、1人が招待されませんでした。
招かれなかった13人目の女が、王女に呪いをかけます。

呪いの内容は「15歳になったとき紡錘に指を刺して死ぬ」というもの。
12人目の賢い女がこれを「死ではなく100年の眠り」に和らげました。

そしてグリム版の最大の特徴は、ペロー版の恐ろしい後半(人食い鬼の王太后)が完全に省略されていることです。
王子が茨の城にたどり着いて王女にキスをすると、王女と城中の人々が一斉に目覚め、二人は幸せに暮らしました——という結末で物語は終わります。

グリム兄弟のジレンマ

興味深いのは、グリム兄弟がこの物語を収録するかどうか迷っていたことです。
明らかにペロー版の影響を受けた物語であり、「フランス由来」として排除すべきではないかと考えたのです。

しかし、北欧神話のブリュンヒルド(Brynhild)の物語との類似が彼らを説得しました。
『ヴォルスンガ・サガ(Völsunga saga)』に登場するブリュンヒルドもまた、遠い城で炎の壁に囲まれて眠りにつき、勇者シグルドによって目覚めさせられる存在です。
この北欧の伝承との繋がりが、「本来ドイツに根を持つ物語」として収録する根拠となりました。

ただし、北欧の伝承においてキスで眠りから覚めるという要素はなく、ペローの影響はほぼ確実と考えられています。

主要バージョンの比較

項目バジーレ版(1634年)ペロー版(1697年)グリム版(1812年)
作品名太陽と月とターリア眠れる森の美女いばら姫
王女の名前ターリア名前なし(娘はオロール)名前なし(一部翻訳でロザモンド)
眠りの原因麻糸の破片が刺さる紡錘に指を刺す紡錘に指を刺す
予言者/呪いの主占い師招かれなかった8人目の妖精招かれなかった13人目の賢い女
目覚めの方法赤ん坊が糸を吸い出す100年の期限で自然に目覚める王子のキスで目覚める
後半の展開王の正妻が子どもを料理しようとする王太后(人食い鬼)が嫁と孫を食べようとする後半なし(目覚めで完結)
結末王妃が罰される王太后が自ら命を絶つ二人は末永く幸せに暮らす

チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」(1890年)

「眠れる森の美女」は、クラシック・バレエの世界でも最高峰の演目として上演され続けています。

誕生の経緯

バレエ版の構想は、帝室劇場総裁イワン・フセヴォロジスキー(Ivan Vsevolozhsky)から始まりました。
フセヴォロジスキーはルイ14世時代のフランス宮廷に憧れており、その華やかさを舞台上に再現する豪華なバレエを作りたいと考えたのです。

台本はフセヴォロジスキー自身がペローの童話をもとに書き、振付には帝室バレエのマリウス・プティパ(Marius Petipa)が、音楽にはピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky)が起用されました。

チャイコフスキーにとって『眠れる森の美女』は、『白鳥の湖』に続く2作目のバレエ作品です。
彼は台本を読んで深く感動し、引き受けることを即座に決めたとされています。

リハーサル用のスコアを約40日で完成させ(1889年5月26日)、総譜は同年8月20日に書き上げられました。
全30曲、約3時間に及ぶ大作であり、チャイコフスキー自身が自作の中で最も優れた作品の一つと評していたと伝えられています。

初演

世界初演は1890年1月15日(旧暦1月3日)、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場(Mariinsky Theatre)にて行われました。
指揮はリカルド・ドリゴ(Riccardo Drigo)が務めています。

主な初演キャストは以下の通りです。

  • オーロラ姫:カルロッタ・ブリアンツァ(Carlotta Brianza)
  • デジレ王子:パーヴェル・ゲルト(Pavel Gerdt)
  • リラの精:マリー・プティパ(Marie Petipa)
  • カラボス(悪の妖精):エンリコ・チェケッティ(Enrico Cecchetti)

皇帝アレクサンドル3世はゲネプロ(資料によっては初演後)にチャイコフスキーを御前に招きましたが、発した言葉は「大変結構(Very nice)」の一言だけでした。
より熱烈な反応を期待していたチャイコフスキーは、失望したと伝えられています。

しかし観客には大いに支持され、1903年までに帝室バレエの上演回数は200回を超えました。
西欧では1896年にミラノのスカラ座で初めて上演され、1921年のロンドン公演で本格的な国際的評価を確立しています。

バレエ版の特徴

バレエ版はペロー童話の前半のみを採用し、人食い鬼の後半は含まれていません。
プロローグと3幕で構成され、第3幕の結婚式ではペローの他の童話の登場人物(長靴をはいた猫、青い鳥とフロリナ王女、赤ずきんと狼など)がディヴェルティスマン(余興の踊り)を披露するという華やかな演出が施されています。

チャイコフスキーの音楽は『白鳥の湖』『くるみ割り人形』と並んで「三大バレエ」と称され、バレエ音楽の最高峰として今も世界中で上演されています。

ディズニーのアニメ映画「眠れる森の美女」(1959年)

制作の経緯

ウォルト・ディズニーは1930年代後半から「眠れる森の美女」の映画化を構想していました。
1950年に正式にプロジェクトが始動し、制作には約10年の歳月がかかっています。

1953年7月から本格的な制作が始まりましたが、ディズニーランドの建設やテレビ番組の立ち上げなど他のプロジェクトが並行していたため、制作は幾度も中断しました。
最終的な制作費は600万ドル(当時)に達し、ディズニー・アニメーション史上最も高額な作品となりました。

映画の特徴

1959年1月29日にロサンゼルスで公開されたこの作品は、ペローの童話を原作としつつも、独自の要素を数多く加えています。

王女の名前はオーロラ(Aurora)——これはペロー版の王女の「娘」の名前であり、チャイコフスキーのバレエ版で王女自身の名前として使われたものを採用しています。
隠れて暮らす間の名前はブライアー・ローズ(Briar Rose)で、こちらはグリム版の「いばら姫」に由来します。

王子にはフィリップ(Phillip)という名が与えられました。
英国のフィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh)にちなんだものとも言われていますが、ディズニーの公式確認はなく諸説あります。

悪役マレフィセント(Maleficent)は、ディズニーが独自に創造したキャラクターです。
ラテン語で「害をなす・悪をはたらく」を意味する名前を持ち、ペロー版の「招かれなかった妖精」をベースに、圧倒的な存在感を持つヴィランとして造形されました。

美術面では、アイヴィンド・アール(Eyvind Earle)がプロダクション・デザイナーを務め、中世のタペストリーやフランスの装飾写本に着想を得た、極めて様式化された独特のビジュアルスタイルを確立しています。

音楽はジョージ・ブランズ(George Bruns)が担当し、チャイコフスキーのバレエ音楽を編曲・アレンジする形で制作されました。
劇中歌「いつか夢で(Once Upon a Dream)」は、バレエ版の第1幕のワルツを原曲としています。

公開時の評価と後世への影響

初公開時の興行成績は振るわず、制作費600万ドルに対して配給収入は約530万ドルにとどまりました。
ディズニーの配給部門は約90万ドルの損失を計上し、1960年度にはディズニー社が10年ぶりの赤字を記録しています。
アニメーション部門では大規模なレイオフが行われ、ウォルト・ディズニー自身もアニメーション制作への関心を一時的に失ったとされています。

しかし、その後のリバイバル上映を重ねるごとに評価は高まっていきました。
アールの革新的なビジュアルスタイル、チャイコフスキーの壮大な音楽、そしてマレフィセントの圧倒的な存在感が再評価され、現在ではディズニー・アニメーションの傑作として広く認められています。

2014年にはマレフィセントを主人公とした実写映画『マレフィセント(Maleficent)』が公開され、悪役の視点から物語を再解釈する試みがなされました。

物語の象徴と解釈

「眠れる森の美女」には、さまざまな象徴的解釈が試みられてきました。

一部の民俗学者は、この物語を太陽暦と太陰暦の交代を表すものと解釈しています。
13人の妖精(または賢い女)は太陰暦の13か月を、招待された12人は太陽暦の12か月を象徴しているという見方です。

また自然のアレゴリーとして読む解釈も存在します。
王女は自然そのものを、悪い妖精は冬を、茨は霜を、そして王子は春を象徴しているというものです。
王子の剣(太陽の光)が茨(冬の凍結)を切り裂き、眠れる自然(王女)を目覚めさせるという構造は、確かに季節の循環と重なります。

さらに、この物語は「通過儀礼」の物語として読むこともできます。
少女が思春期に達したとき(紡錘に指を刺す=成長の象徴)、社会から隔離された状態(眠り)を経て、やがて成熟した女性として目覚める——という解釈です。

いずれの解釈も決定的なものではありませんが、700年近くにわたってこの物語が語り継がれてきた理由を考えるヒントにはなるでしょう。

まとめ

「眠れる森の美女」は、14世紀のフランスの散文ロマンス『ペルスフォレ』に始まり、バジーレ、ペロー、グリム兄弟と受け継がれてきた壮大な物語の系譜を持っています。

バジーレ版の衝撃的な暗さから、ペローの巧みな文学的洗練、グリムの簡潔なハッピーエンド、チャイコフスキーの壮麗なバレエ、そしてディズニーの華やかなアニメーションへ——この物語は時代ごとに形を変えながら、常に人々を魅了し続けてきました。

「呪い」「眠り」「目覚め」という普遍的なテーマが、どの時代のどの文化にも響くからこそ、700年近い歳月を経た今も、世界中で愛され続けているのでしょう。

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