プライバシー保護が重要視される現代のインターネットにおいて、ウェブブラウザの選択は重要な意味を持ちます。
VPNだけではオンラインプライバシーを完全に守ることはできません。
ブラウザフィンガープリントやトラッキング技術により、多くの個人情報が収集されているのが現状です。
そこで注目されているのが、Mullvad VPNとTor Projectが共同開発した「Mullvad Browser」です。
この記事では、Mullvad Browserの特徴、仕組み、使い方について詳しく解説します。
Mullvad Browserとは

Mullvad Browserは、2023年4月3日にリリースされたプライバシー重視のウェブブラウザです。
スウェーデンのVPNサービス企業Mullvad VPNと、匿名通信技術Torを開発する非営利団体Tor Projectが共同で開発しました。
このブラウザは、Tor Browserと同等のプライバシー保護機能を持ちながら、Torネットワークを使わずに動作する点が特徴です。
VPNと組み合わせて使用することを前提に設計されていますが、VPNなしでも利用可能です。
ただし、最大限のプライバシー保護を得るには、信頼できるVPNとの併用が推奨されています。
開発の背景
Mullvad VPNのCEOであるJan Jonsson氏は、リリース時の声明で次のように述べています。
「現代の大規模監視は不条理です。VPNだけではプライバシーを実現できません。Tor Projectのような優れたプライバシー重視ブラウザを、Torネットワークの代わりにVPNで使いたいという市場のニーズがありました」
Tor ProjectのエグゼクティブディレクターIsabela Fernandes氏も、「このブラウザは、日常的なブラウジングのためのプライバシーオプションを提供し、人々の行動データを搾取する現在のビジネスモデルに挑戦するものです」とコメントしています。
主な特徴
1. Torネットワークなしで使えるTor Browser
Mullvad Browserは、「TorネットワークのないTor Browser」と表現されます。
Tor Browserが長年培ってきたプライバシー保護技術をすべて継承していますが、Torネットワークを経由せず、通常のインターネット接続(VPN経由を推奨)で動作します。
これにより、Torネットワーク特有の接続速度の低下を避けながら、高度なプライバシー保護を実現しています。
2. ブラウザフィンガープリント対策
ブラウザフィンガープリントは、ブラウザの設定、インストールされているフォント、画面解像度、GPUの情報など、様々なパラメータを組み合わせてユーザーを一意に識別する追跡技術です。
Cookieを削除したり、プライベートブラウジングモードを使用しても、フィンガープリントによる追跡は防げません。
Mullvad Browserは、「群衆に紛れる(hide in the crowd)」という古典的なプライバシー保護の原則に基づいて設計されています。
すべてのMullvad Browserユーザーが同一の存在に見えるよう、各種パラメータを標準化しています。
具体的には、以下の対策が施されています。
Firefox Resist Fingerprinting機能
Firefoxの「Resist Fingerprinting」モードが有効化されており、フィンガープリントに使用される多くのパラメータが偽装されます。
これにより、OSの種類、ハードウェア情報、タイムゾーンなどが標準化されます。
Canvas Fingerprinting保護
Canvas FingerprintingはHTML5のcanvas要素を使い、ブラウザにテキストや画像を描画させ、そのレンダリング結果からGPUやグラフィックドライバの情報を取得する技術です。
Mullvad Browserは、WebGLのreadPixel関数をブロックすることで、レンダリング結果へのアクセスを防ぎます。
レターボクシング(Letterboxing)
ブラウザのウィンドウサイズも、フィンガープリントに利用される情報の一つです。
レターボクシングは、ウィンドウの周囲にグレーの余白を追加し、実際のウィンドウサイズを隠す機能です。
ウィンドウをリサイズしても、トラッキングスクリプトには標準化されたサイズしか見えないようになっています。
フォントとハードウェアAPIの制限
利用可能なフォントを特定のセットに制限し、ハードウェアの並列処理能力(hardware concurrency)などのAPIへのアクセスをブロックしています。
これにより、デバイスの特定を困難にしています。
3. プライベートモードがデフォルト
Mullvad Browserは、起動時から常にプライベートモードで動作します。
セッション終了時には、Cookie、キャッシュ、閲覧履歴が自動的に削除されます。
さらに、同一セッション中でも、ワンクリックでCookieをリセットできる「リセットボタン」が備わっています。
これにより、ページ移動時にトラッキングをリセットすることが可能です。
4. テレメトリの完全除去
多くのブラウザは、パフォーマンス改善のためにユーザーの使用状況データ(テレメトリ)を収集しています。
Mullvad Browserは、このテレメトリ機能を完全に削除しており、ユーザーデータの収集は一切行いません。
5. 最小限の拡張機能
プライバシー保護のために多くのブラウザ拡張機能をインストールすると、逆にそれがユーザーを識別する手がかりになる可能性があります。
この矛盾は「フィンガープリント可能なプライバシーのパラドックス」と呼ばれています。
Mullvad Browserは、この問題を避けるため、標準で以下の拡張機能のみを搭載しています。
- uBlock Origin: サードパーティトラッカーとCookieをブロック
- NoScript: JavaScript実行を制御(必要に応じて有効化)
- Mullvad Browser Extension: Mullvad VPN接続時にSOCKS5プロキシを利用可能
これら以外の拡張機能の追加は、フィンガープリントの一意性を高めるため推奨されていません。
6. オープンソースで無料
Mullvad Browserは完全にオープンソースで、誰でも無料で利用できます。
Mullvad VPNのユーザーである必要はなく、他社のVPNサービスと組み合わせることも可能です。
Mullvad VPNはこのブラウザから収益を得ておらず、VPNサービスが収益源です。
ブラウザは、VPNサービスの補完製品として提供されています。
ブラウザフィンガープリントとは
Mullvad Browserの主要な保護対象であるブラウザフィンガープリントについて、もう少し詳しく説明します。
フィンガープリントの仕組み
ウェブサイトを訪問すると、サイト側のスクリプトはブラウザから様々な情報を取得できます。
- ユーザーエージェント(ブラウザの種類とバージョン、OS)
- 画面解像度と色深度
- インストールされているフォントのリスト
- タイムゾーン
- 言語設定
- インストールされているプラグイン
- Canvas/WebGLレンダリング結果
- オーディオ処理の特性
- ネットワーク情報(IPアドレス、DNSサーバー)
これらの情報を組み合わせると、ほぼ一意の「フィンガープリント」が生成されます。
Electronic Frontier Foundation(EFF)の研究によると、ブラウザの83.6%が一意のフィンガープリントを持つとされています。
Cookieとの違い
従来のCookieによる追跡は、ユーザーがCookieを削除したり、ブラウザのプライベートモードを使用すれば回避できました。
しかし、フィンガープリントはブラウザとデバイスの設定に基づいて生成されるため、Cookieを削除しても追跡が継続します。
さらに、Cookieは保存されるデータなので、GDPR(EU一般データ保護規則)やCCPA(カリフォルニア州消費者プライバシー法)などの規制対象となります。
しかし、フィンガープリントはデータを「保存」せず「観察」するだけなので、これらの規制を回避する手段として利用される側面もあります。
フィンガープリントの用途
フィンガープリントは、必ずしも悪意のある目的だけに使われるわけではありません。
正当な用途としては、以下のようなものがあります。
- 不正アクセスの検知
- ボット攻撃の防止
- アカウント乗っ取りの検知
- DDoS攻撃の特定
しかし、広告企業やデータブローカーによって、ユーザーの行動を長期間追跡し、詳細なプロファイルを作成する目的で使用されることも多いのが現状です。
Mullvad BrowserとTor Browserの違い
Mullvad BrowserとTor Browserは共通点が多いですが、重要な違いがあります。
共通点
- 同じフィンガープリント保護技術
- 同じプライバシー設定
- 同じ基盤技術(Firefox ESR)
- uBlock Origin、NoScriptなどの拡張機能
相違点
| 項目 | Mullvad Browser | Tor Browser |
|---|---|---|
| 接続方法 | 通常のインターネット接続(VPN推奨) | Torネットワーク経由 |
| 匿名性 | VPN経由でのプライバシー保護 | 高度な匿名性 |
| 速度 | 高速(通常のインターネット速度) | 低速(複数のリレー経由) |
| 検閲回避 | VPNに依存 | Torネットワークで検閲回避 |
| .onionサイト | アクセス不可 | アクセス可能 |
| 用途 | 日常的なブラウジング | 高い匿名性が必要な場合 |
Tor Browserは、ジャーナリスト、人権活動家、検閲下の国のユーザーなど、高度な匿名性が必要な人に適しています。
一方、Mullvad Browserは、日常的なブラウジングで高いプライバシー保護を求める一般ユーザーに適しています。
インストール方法
Windows
- Mullvad公式サイトのダウンロードページにアクセス
- 「ダウンロード」ボタンをクリックし、.exeファイルをダウンロード
- ダウンロードしたファイルをダブルクリックして実行
- インストールウィザードが起動
- 「Standard」または「Standalone」のインストールタイプを選択
- Standard: デスクトップとスタートメニューにショートカットが作成される
- Standalone: デスクトップのフォルダ内にインストールされる(ポータブル版)
- インストール完了
対応OS: Windows 10以降
macOS
- Mullvad公式サイトのダウンロードページにアクセス
- macOS用の.dmgファイルをダウンロード
- .dmgファイルをダブルクリックして開く
- 表示されたウィンドウで、Mullvad BrowserをApplicationsフォルダにドラッグ
- LaunchpadまたはApplicationsフォルダからMullvad Browserを起動
対応OS: macOS 10.15以降
Linux
Ubuntu、Debian、Fedoraでは、リポジトリサーバーからインストールできます。
Ubuntu/Debian
# リポジトリの追加
curl -fsSLo /usr/share/keyrings/mullvad-keyring.asc https://repository.mullvad.net/deb/mullvad-keyring.asc
echo "deb [signed-by=/usr/share/keyrings/mullvad-keyring.asc arch=$( dpkg --print-architecture )] https://repository.mullvad.net/deb/stable $(lsb_release -cs) main" | sudo tee /etc/apt/sources.list.d/mullvad.list
# パッケージリストの更新
sudo apt update
# インストール
sudo apt install mullvad-browser
Fedora
# リポジトリの追加
sudo dnf config-manager addrepo --from-repofile=https://repository.mullvad.net/rpm/stable/mullvad.repo
# インストール
sudo dnf install mullvad-browser
その他のLinuxディストリビューションでは、公式サイトから.tar.xzファイルをダウンロードして手動でインストールします。
使い方

基本的な使い方
Mullvad Browserの基本操作は、Firefoxと同じです。
新しいタブを開くと空白ページが表示され、アドレスバーにURLを入力してブラウジングできます。
セキュリティレベルの設定
ブラウザ右上のシールドアイコンをクリックすると、セキュリティレベルを設定できます。
- 既定の保護: すべてのブラウザ機能とウェブサイト機能が有効(推奨)
- 強力な保護: 一部のウェブサイト機能を無効化し、トラッキングをより厳格にブロック
- 最大限の保護: 静的サイトと基本サービスに必要な機能のみ許可。画像、メディア、スクリプトに影響
日常的な使用では「既定の保護」で十分ですが、より高いプライバシーが必要な場合は「強力な保護」を選択できます。
ただし、一部のウェブサイトが正常に動作しなくなる可能性があります。
リセット機能の使用
同一セッション中にCookieをクリアしたい場合、ツールバーの「リセット」ボタン(箒アイコン)をクリックします。
これにより、現在のセッションのCookieが削除され、新しいクリーンなセッションが開始されます。
VPNとの併用
最大限のプライバシー保護を得るには、Mullvad Browserを信頼できるVPNと組み合わせて使用します。
- VPN接続を確立する(Mullvad VPNまたは他社VPN)
- VPN接続が確立されたことを確認
- Mullvad Browserを起動してブラウジング
この構成により、IPアドレスがVPNサーバーのアドレスに置き換えられ、フィンガープリント対策と組み合わせて高度なプライバシー保護が実現されます。
Mullvad Browser Extensionの使用
Mullvad VPNユーザーは、Mullvad Browser Extension(ブラウザに標準搭載)を使用して、さらに高度な機能を利用できます。
- 接続状態の確認: VPN接続状態を表示
- プロキシ経由の接続: VPN接続中に、ブラウザのみ別のMullvad VPNサーバー経由で接続(マルチホップ)
- DNS漏洩の検知: DNS設定の問題を検出し、推奨事項を表示
ツールバーのMullvadアイコンをクリックすると、これらの機能にアクセスできます。
使用上の注意点
設定のカスタマイズは推奨されない
Mullvad Browserの最大の特徴は、「すべてのユーザーが同一に見える」ことです。
設定をカスタマイズしたり、拡張機能を追加したりすると、他のユーザーとの違いが生まれ、逆に追跡されやすくなります。
デフォルト設定のまま使用することが、最も効果的なプライバシー保護につながります。
ログインするサイトには向いていない
Gmail、SNS、オンラインバンキングなど、ログインが必要なサイトを頻繁に利用する場合、Mullvad Browserは最適な選択肢ではありません。
ログインした時点で、ユーザーが誰であるかが特定されるため、フィンガープリント対策の効果が大幅に減少します。
ログインサイトの日常利用には、Brave、Librewolf、Firefox(Arkenfox設定)など、他のプライバシー重視ブラウザの方が適しています。
起動時間がやや長い
一部のユーザーレビューによると、Mullvad Browserの起動には20〜30秒程度かかることがあります。
これは、プライバシー保護機能の初期化に時間がかかるためです。
起動後の動作は通常のブラウザと同等の速度です。
スマートフォン版は提供されていない
現時点では、Mullvad BrowserはWindows、macOS、Linuxのデスクトップ版のみで、iOS・Android版は提供されていません。
一部のウェブサイトで互換性の問題
フィンガープリント対策として多くの機能が制限されているため、一部のウェブサイトが正常に動作しない場合があります。
特に、Canvas要素やWebGLを多用するサイト(オンラインゲーム、3Dモデリングツールなど)では問題が発生する可能性があります。
他のプライバシー重視ブラウザとの比較
Tor Browser
- 匿名性: Tor Browser > Mullvad Browser
- 速度: Mullvad Browser > Tor Browser
- 使いやすさ: Mullvad Browser ≈ Tor Browser
- 検閲回避: Tor Browser > Mullvad Browser
Tor Browserは最高レベルの匿名性を提供しますが、Torネットワーク経由のため速度が遅くなります。
高い匿名性が必要な場合はTor Browser、日常的なブラウジングにはMullvad Browserが適しています。
Brave Browser
- フィンガープリント対策: Mullvad Browser > Brave
- 広告ブロック: Brave(より積極的) ≈ Mullvad Browser
- 暗号通貨機能: Braveのみ
- 検索エンジン: Brave(Brave Search) / Mullvad(DuckDuckGo)
Braveは独自の広告ブロックと暗号通貨ウォレットを備えていますが、フィンガープリント対策ではMullvad Browserに劣ります。
Firefox(標準)
- プライバシー保護: Mullvad Browser > Firefox
- カスタマイズ性: Firefox > Mullvad Browser
- 拡張機能: Firefox(豊富) / Mullvad Browser(最小限)
標準のFirefoxはカスタマイズ性が高いですが、プライバシー保護はMullvad Browserに及びません。
ただし、Firefoxに「Arkenfox user.js」などの設定を適用すれば、プライバシー保護を大幅に強化できます。
Mullvad Browserが適している人
Mullvad Browserは、以下のような用途や人に適しています。
- 日常的なウェブサーフィンでプライバシーを重視したい人
- 広告追跡やデータ収集を避けたい人
- ログインが不要なウェブサイトの閲覧が中心の人
- 調べ物や情報収集を匿名で行いたい人
- VPNを既に使用している、または使用予定の人
- 設定をカスタマイズせず、デフォルト設定で使いたい人
逆に、以下のような場合は、他のブラウザの方が適しているかもしれません。
- Gmail、SNSなど、ログインサイトを頻繁に利用する
- ブラウザをカスタマイズしたい
- 多数の拡張機能を使いたい
- モバイル端末で使いたい
- 最高レベルの匿名性が必要(→ Tor Browser推奨)
まとめ
Mullvad Browserは、日常的なブラウジングで高いプライバシー保護を実現する優れた選択肢です。
Tor Projectの長年の経験に基づくフィンガープリント対策技術により、ユーザーを追跡から守ります。
VPNだけでは不十分だったプライバシー保護を、ブラウザレベルで補完することで、より包括的な保護を実現しています。
無料でオープンソース、誰でも利用できる点も大きな魅力です。
ただし、すべての人に最適なブラウザというわけではありません。
ログインサイトを頻繁に利用する場合や、ブラウザのカスタマイズを重視する場合は、他の選択肢も検討する価値があります。
重要なのは、自分の使用目的とプライバシーへの要求レベルに合わせて、適切なブラウザを選択することです。
Mullvad Browserは、その選択肢の一つとして、非常に有力な候補と言えるでしょう。

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