「もう一つの私」が別の宇宙に存在する可能性はあるのでしょうか?SFや哲学の世界だけの話に思えるこの問いに、現代物理学は真剣に取り組んでいます。
2003年、MIT(マサチューセッツ工科大学)の宇宙論研究者マックス・テグマークが、多元宇宙論(マルチバース理論)を体系的に分類した「4レベル分類」を発表しました。この分類は、並行宇宙の概念を科学的に整理し、議論するための重要な枠組みとなっています。
この記事では、テグマークの4レベル分類について、各レベルの特徴から科学的根拠、批判まで、物理学に興味がある方に向けて詳しく解説していきます。
マックス・テグマークとマルチバース分類の誕生
マルチバース(多元宇宙)の概念を理解するには、まずその分類を提唱したマックス・テグマークについて知る必要があります。
マックス・テグマークという研究者
マックス・テグマーク(Max Tegmark)は、スウェーデン出身の宇宙論研究者で、現在はマサチューセッツ工科大学(MIT)の物理学・天文学教授を務めています。
宇宙マイクロ波背景放射の分析や銀河団形成の研究を専門とし、宇宙の大規模構造の理解に大きく貢献してきました。
興味深いことに、テグマークは学生時代にコンピューターゲーム「テトリス」の4次元版を開発したことでも知られています。
別の宇宙では、彼はソフトウェア開発で高給を稼いでいるかもしれませんが、私たちの宇宙では物理学者の道を選んだわけですね。
2003年の論文発表
2003年、テグマークはScientific American誌に「Parallel Universes(並行宇宙は実在する)」という論文を発表しました。
この論文で、彼は並行宇宙の概念を4つのレベルに体系的に分類し、それぞれの科学的根拠と検証可能性について詳しく論じたんです。
テグマークの分類は、単なる思弁的な議論ではなく、インフレーション理論や量子力学といった確立された物理理論から自然に導かれるものとして提示されました。
彼は「並行宇宙の存在の可否が問題なのではなく、いくつのレベルが存在するかが問題だ」と主張しています。
レベルIのマルチバースは、すでに標準的な宇宙論モデル(宇宙論的コンコーダンスモデル)に含まれており、議論の余地がないというのが彼の立場なんですね。
著書『数学的な宇宙』
2014年、テグマークは『Our Mathematical Universe: My Quest for the Ultimate Nature of Reality』(邦訳『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』)を出版しました。
この本では、マルチバース理論をより一般読者向けに解説するとともに、彼独自の「数学的宇宙仮説」を展開しています。
宇宙の本質は数学的構造そのものであり、すべての数学的構造が物理的に実在するという大胆な主張は、多くの議論を呼びました。
マルチバースとは何か
4レベル分類を理解する前に、マルチバースという概念そのものについて整理しておきましょう。
マルチバースの定義
マルチバース(multiverse)または多元宇宙論とは、複数の宇宙の存在を仮定した理論物理学の説です。
「ユニバース(universe)」の「uni」が「唯一」を意味するのに対し、「マルチ(multi)」は「多数」を表します。
つまり、マルチバースは文字通り、宇宙がたくさん存在することを意味するんですね。
この用語自体は、1895年にアメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズによって造られました。
ただし、当時は現代物理学とは異なる文脈で使われていたんです。
なぜマルチバースが必要なのか
マルチバースの概念が物理学で真剣に議論されるようになった背景には、いくつかの理由があります。
私たちの宇宙の物理法則は、驚くほど生命の存在に都合よく調整されているように見えます。
微細構造定数や強い核力の結合定数など、基本的な物理定数がほんのわずかでも異なれば、原子も星も生命も存在できなかったでしょう。
この「微調整問題」を説明する一つの方法が、無数の宇宙が存在し、私たちはたまたま生命が存在可能な宇宙にいる、と考えることです。
これが人間原理(Anthropic Principle)と呼ばれる考え方ですね。
また、インフレーション理論や量子力学といった確立された物理理論が、自然にマルチバースの存在を予測することも重要な理由です。
レベルI:観測可能な宇宙の向こう側
テグマークの分類で最も基本的なのが、レベルIマルチバースです。
無限に広がる宇宙
レベルIマルチバースは、宇宙が無限に広がっているという考えに基づいています。
カオス的インフレーション理論は、無限のエルゴード的宇宙の存在を一般的に予測します。
エルゴード的とは、十分に長い時間や広い空間を考えれば、あらゆる可能な状態が実現されるという性質のことですね。
無限の宇宙は、すべての初期条件を実現するハッブル体積(ハッブル球)を含むはずです。
ハッブル体積とは
ハッブル体積とは、光が宇宙の年齢の間に到達できる範囲、つまり観測可能な宇宙の大きさを指します。
私たちの観測可能な宇宙は、直径約930億光年のハッブル体積に相当します。
この体積の外側にも宇宙は広がっていますが、光がまだ私たちに届いていないため、観測することができません。
つまり、事象の地平線より向こうの空間とは因果関係を持つことができないんです。
もう一人の自分
無限の宇宙には、無限の数のハッブル体積が存在します。
これらすべては同じ物理法則と物理定数を持ちますが、物質の配置などの初期条件はほとんどが私たちのハッブル体積と異なります。
しかし、無限に多くのハッブル体積が存在するため、宇宙の地平線を越えて、私たちの宇宙と類似または完全に同じ配置のハッブル体積が存在しうるんですね。
テグマークは、私たちのハッブル体積と同じ配置のものは約10^10^29メートル(10の10の29乗メートル)離れたところにあると推定しています。
これは、グーゴルプレックス(10^10^100)よりも大きな数です。
つまり、理論上は「もう一人のあなた」が、遥か彼方のハッブル体積のどこかに存在する可能性があるということになります。
最も議論の余地が少ないレベル
レベルIマルチバースは、テグマークの分類の中で最も議論の余地が少ないとされています。
なぜなら、これは宇宙が無限に広がっているという、多くの宇宙論モデルで受け入れられている前提に基づいているからです。
観測可能な宇宙を超えた領域の存在は、現代宇宙論の理論を評価する際に日常的に利用されています。
ただし、その手続きが明示的に説明されることは少ないんですね。
レベルII:カオス的インフレーションとバブル宇宙
レベルIIマルチバースは、インフレーション理論の拡張から生まれます。
永久インフレーション
カオス的インフレーション理論では、宇宙全体としては拡張し続け、その拡張は永遠に続くとされます。
しかし、宇宙のある領域では拡張が止まり、それぞれ異なる「泡」の形態を取ります。
これらの泡は、未発達のレベルIマルチバースに相当するんですね。
アンドレイ・リンデとVitaly Vanchurinは、これらの宇宙の数が10^10^10^7のスケールであると計算しました。
異なる物理定数
レベルIIマルチバースの最も重要な特徴は、それぞれの泡宇宙で物理定数や素粒子の種類が異なりうることです。
基礎的な物理法則(例えば一般相対性理論や量子力学)は同じですが、実効的な物理法則は異なるんですね。
これは、対称性の自発的破れという過程によって説明されます。
インフレーションの過程で、宇宙の各領域が異なる方法で対称性を破ることで、異なる物理定数や次元数を持つようになると考えられています。
次元の多様性
興味深いことに、レベルIIマルチバースでは、空間の次元数すら異なる可能性があります。
テグマークは、私たちの宇宙が最初は9次元や10次元で生まれたが、3次元だけが膨張し、残りは膨張せずに丸まって、物体を3次元ブレーンに閉じ込めたのかもしれないと論じています。
他の泡宇宙では、異なる次元が膨張した可能性もあるわけですね。
理論物理学での重要性
理論物理学において「マルチバース」と言った場合、概ねこのレベルIIマルチバースを指すことが多いです。
なぜなら、このレベルが微調整問題を説明するのに最も適しているからです。
無数の泡宇宙が異なる物理定数を持つなら、私たちはたまたま生命が存在可能な物理定数を持つ宇宙に生まれたに過ぎない、という説明が可能になります。
永遠に観測不可能
レベルIIの泡宇宙は、私たちとは因果的に完全に切り離されているため、永遠に観測不可能です。
インフレーションの過程で生まれた別の泡は、空間的に私たちから無限に遠く離れているだけでなく、異なる時空構造を持つ可能性もあります。
したがって、レベルIIマルチバースの検証は、レベルIよりも困難になるんですね。
レベルIII:量子多世界解釈
レベルIIIマルチバースは、量子力学の解釈に関わる最も議論を呼ぶレベルです。
量子力学の多世界解釈
1957年、ヒュー・エヴェレット3世は、量子力学の「多世界解釈」を提唱しました。
従来の解釈では、量子状態は観測によって「波動関数の収縮」を起こし、一つの状態に確定すると考えられていました。
有名な「シュレーディンガーの猫」の思考実験では、箱の中の猫は観測するまで生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせにあるとされます。
エヴェレットは、波動関数は決して収縮せず、すべての可能性が実際に実現すると考えました。
観測によって宇宙が分岐し、それぞれの分岐した世界で異なる結果が実現するというわけです。
ヒルベルト空間での実在
テグマークは、エヴェレットの多世界解釈において、分かれた世界はすべて「現実」であり「実在」だと考えます。
波動関数は、数学者が「ヒルベルト空間」と呼ぶ無限次元の空間に存在します。
この抽象的空間の中では、私たちと離れたところに別の世界があります。
しかし、私たちが認識できる3次元空間内の位置について言うなら、それらの世界はすぐここにあるとテグマークは説明するんですね。
つまり、量子的に分岐した並行宇宙は、遠い場所にあるのではなく、同じ場所に重なって存在しているということです。
レベルIとの関係
興味深いことに、テグマークはレベルIIIマルチバースがレベルIやレベルIIよりも多くの可能性を含むわけではないと論じています。
レベルIとレベルIIIの唯一の違いは、ドッペルゲンガー(あなたの分身)がどこに住んでいるかの違いだけだというんです。
レベルIでは、それらは3次元空間内のあらゆるところに住んでいます。
レベルIIIでは、それらは無限次元ヒルベルト空間における他の量子的に分岐した世界に住んでいます。
同様に、異なる物理定数を持つすべてのレベルIIの泡宇宙は、レベルIIIマルチバースにおける自発的対称性の破れの瞬間に分岐によって創られた世界として見出すことができます。
野村泰紀、ラファエル・ブッソ、レオナルド・サスキンドらによれば、これは時空の概念が冗長であることを意味し、レベルIからレベルIIIまでのマルチバースは実際には等価であるという「マルチバース=量子的多世界」仮説につながります。
歴史的に最も議論を呼んだレベル
皮肉なことに、レベルIIIは質的に新しいものを何も加えないにもかかわらず、歴史的に最も議論を呼んできたレベルです。
多世界解釈は、量子力学の誕生以来続く解釈問題の中心にあり、今でも物理学者の間で激しい議論が交わされています。
しかし、テグマークは多世界解釈が実験的に検証可能だと主張しているんですね。
レベルIV:究極集合仮説
レベルIVマルチバースは、テグマークの分類の中で最も哲学的で野心的なレベルです。
数学的宇宙仮説
レベルIVマルチバースは、テグマーク自身が提唱した「究極集合仮説」または「数学的宇宙仮説」に基づいています。
この仮説は、異なる数学的構造によって記述可能な宇宙はすべて等しく実在すると考えます。
つまり、数学的に可能なあらゆる宇宙が物理的にも存在するというわけですね。
これには、私たちの観測可能な宇宙のものとは異なる低エネルギー有効理論を持つ宇宙も含まれます。
物理法則の多様性
レベルI、II、IIIでは、基本的な物理法則(一般相対性理論、量子力学など)は共通していました。
異なるのは初期条件(レベルI)、物理定数や次元(レベルII)、量子的分岐(レベルIII)でした。
しかし、レベルIVでは、物理法則そのものが宇宙によって異なります。
アインシュタイン方程式が成り立たない宇宙、量子力学が異なる形を取る宇宙、私たちには想像もできない物理法則を持つ宇宙が存在しうるんです。
数学的構造としての宇宙
テグマークは、「完全な数学的民主主義」が成り立つと主張します。
数学的存在と物理的存在は等価であり、すべての数学的構造が物理的にも存在するというわけです。
これは、プラトンの「イデア界」における数学的構造が、物理的な意味で「外部に」存在すると主張する一種の過激なプラトン主義だと言えますね。
もしこの理論が正しければ、自由パラメータが全くないため、すべての並行宇宙の性質(そこに住む自己認識システムの主観的知覚も含めて)は、原理的には無限に賢い数学者によって導出できることになります。
最も単純な理論?
一見すると、レベルIVマルチバースは極めて複雑に思えます。
しかし、テグマークは逆に、これが最も単純な理論だと論じるんです。
彼は、アルゴリズム情報理論の概念を用いてこれを説明します。
すべての整数の集合と、ただ一つの数を比べた場合、どちらが単純でしょうか。
素朴には、単一の数の方が単純だと思うかもしれません。
しかし、全集合は非常に短いコンピュータプログラムで生成できるのに対し、単一の数は非常に長いプログラムを必要とする場合があります。
それゆえ、全集合の方が実質的により単純なんですね。
同様に、アインシュタイン方程式のすべての解の集合は、特定の解よりも単純です。
前者は少数の方程式で記述されますが、後者は超曲面上の膨大な初期データの詳細情報を必要とします。
この意味で、より高次のレベルのマルチバースはより単純なんです。
レベルIマルチバースに進むと、特定の初期条件を必要としなくなります。
レベルIIに上がると、特定の物理定数を必要としなくなります。
レベルIVでは、特定の数学的構造すら必要としません。
すべてが含まれているため、何も指定する必要がないわけですね。
マルチバース理論の検証可能性
マルチバース理論の最大の問題は、その検証可能性です。
観測できない宇宙をどう検証するか
レベルIIからレベルIVの他の宇宙は、定義上、直接観測することができません。
では、どうやってこれらの理論を検証するのでしょうか。
テグマークは、マルチバース理論が経験主義科学の基本的な2つの特徴を備えていると主張します。
一つは、理論に基づいて何かを予測できること。
もう一つは、理論自体が誤りだと立証される余地も残していることです。
間接的な検証
マルチバース理論は、直接的には観測できなくても、間接的に検証できる可能性があります。
例えば、インフレーション理論は宇宙マイクロ波背景放射の非等方性を予測し、これは実際に観測されました。
インフレーション理論が正しければ、それはレベルIIマルチバースの存在を示唆します。
また、量子力学の実験でデコヒーレンス(量子状態の環境との相互作用による干渉性の喪失)を研究することで、多世界解釈の妥当性を検証できるかもしれません。
測度問題
しかし、マルチバース理論には深刻な「測度問題」があるとテグマークは認めています。
無限に多くの宇宙が存在する場合、どの宇宙がどれだけ「ありふれている」かを定義することが困難なんです。
この問題を解決しなければ、レベルII-IVで検証可能な予測を行うことはできません。
測度問題は、マルチバース理論が科学として成立するための最大の障壁の一つとなっています。
マルチバース理論への批判
マルチバース理論、特にテグマークの分類には、多くの批判も存在します。
科学的検証可能性の問題
最も基本的な批判は、観測できない他の宇宙の存在を仮定することは科学ではなく形而上学だというものです。
2003年、宇宙論学者ポール・デイヴィスはニューヨーク・タイムズ紙に「マルチバースの簡単な歴史」という論説を寄稿し、マルチバース仮説が科学的でない理由を述べました。
「そもそも、他の宇宙の存在をどうやって検証するのか?」という問いは、マルチバース理論への最も根本的な批判です。
オッカムの剃刀との矛盾
オッカムの剃刀(必要以上に多くのものを仮定すべきではない)の原則から、無数の宇宙を仮定するマルチバース理論は過剰に複雑だという批判もあります。
ただし、テグマークは前述のように、アルゴリズム情報理論の観点からはマルチバースの方がむしろ単純だと反論しています。
レベルIVへの特別な批判
特にレベルIVマルチバースは、常識に反するという批判を受けています。
数学的構造のすべてが並行世界として存在し、それぞれが別々の4次元ブロック宇宙を持つという考えは、極めて直観に反します。
また、異なる基本法則、初期条件、物理定数を許容する点で、レベルI-IIIよりも存在論的に過激です。
さらに、レベルIVの並行世界は完全に切り離され、因果的に接続されていません。
これは、そのようなシステムの存在を示す証拠が存在しえないことを意味します。
ストイガー、エリス、キルヒナーは「私たちはもちろん、形而上学的仮定としてそのようなマルチバースの存在を仮定することはできるが、それは検証も反証もできない形而上学的仮定となるだろう」と述べています。
懐疑的な科学者たち
マルチバース概念に一般的に懐疑的な科学者には、サビーネ・ホッセンフェルダー、デヴィッド・グロス、ポール・スタインハート、ロジャー・ペンローズ、ジョージ・エリスなどがいます。
一方、支持者にはブライアン・グリーン、アラン・グース、アンドレイ・リンデ、レナード・サスキンド、ショーン・キャロル、故スティーヴン・ホーキングなどがいます。
マルチバース理論は、現代宇宙論における最も議論を呼ぶトピックの一つであり続けているんですね。
まとめ
テグマークの4レベル分類は、多元宇宙論(マルチバース理論)を体系的に整理した重要な枠組みです。
レベルI(無限に広がる宇宙)は最も議論の余地が少なく、標準的な宇宙論モデルに含まれています。
レベルII(カオス的インフレーション)は物理定数や次元が異なる泡宇宙を含み、微調整問題を説明できます。
レベルIII(量子多世界解釈)は、量子力学の解釈から生まれる並行世界を扱います。
レベルIV(究極集合仮説)は、すべての数学的構造が物理的に実在するという最も過激な提案です。
これらの理論は、直接観測できない宇宙を扱うため、科学的検証可能性に関する深刻な問題を抱えています。
しかし、マルチバース理論は単なる荒唐無稽な思弁ではなく、インフレーション理論や量子力学といった確立された理論から自然に導かれる予測でもあります。
時間の本質、私たちが物理的世界をなぜ理解可能なのかといった根本的な問題に迫る手がかりとなる可能性もあるんですね。
マルチバース理論が最終的に科学として受け入れられるかどうかは、今後の観測技術の進歩と理論的発展にかかっています。
私たちが唯一の宇宙に住んでいるのか、それとも無数の宇宙の一つに過ぎないのか。
この問いへの答えは、21世紀の物理学が解明すべき最大の謎の一つと言えるでしょう。

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