超弦理論における結合定数は、通常の場の量子論とは全く異なる性質を持っています。
それは単なる定数ではなく、ディラトン場と呼ばれる動的なスカラー場によって決まる時空の位置に依存する量です。
この特殊な性質により、超弦理論は強結合と弱結合を結びつけるS双対性という驚くべき対称性を持ちます。
この記事では、超弦理論における結合定数の本質、ディラトン場との関係、そしてS双対性がもたらす理論的帰結について解説します。
物理学における結合定数とは
結合定数(coupling constant)とは、物理学において相互作用の強さを表す物理量です。
力学系を記述する作用や方程式の中で、相互作用項の係数として現れます。
たとえば、電磁相互作用の結合定数は電荷の2乗に比例し、微細構造定数α ≈ 1/137として知られています。
重力相互作用の結合定数はニュートン定数Gです。
結合定数の大きさは、その相互作用がどれだけ強いかを直接示します。
結合定数が小さければ相互作用は弱く、大きければ相互作用は強くなります。
場の量子論における結合定数
場の量子論(quantum field theory)では、結合定数は通常、理論に含まれる固定されたパラメータです。
理論を構築する際に外から与えられる定数であり、理論の内部で動的に変化することはありません。
弱結合と強結合
場の量子論において、無次元の結合定数gが1と比べて十分小さい場合(g ≪ 1)、その理論は弱結合(weak coupling)であると言われます。
弱結合の場合、摂動論(perturbation theory)による計算が有効です。
一方、結合定数が1と同等かそれ以上の場合(g ≳ 1)、その理論は強結合(strong coupling)です。
強結合の場合、摂動論は破綻し、非摂動的な方法が必要になります。
たとえば、量子色力学(QCD)では、高エネルギー領域で漸近的自由性により弱結合となり、低エネルギー領域でクォークの閉じ込めが起こる強結合となります。
走る結合定数
場の量子論では、繰り込みによって結合定数がエネルギースケールに依存して変化します。
この現象は「走る結合定数(running coupling constant)」と呼ばれ、繰り込み群によって記述されます。
しかし、これは結合定数がエネルギースケールという外部パラメータに依存して変化するのであって、結合定数自体が力学的な場になるわけではありません。
超弦理論における結合定数の特殊性
超弦理論における結合定数は、場の量子論とは根本的に異なる性質を持っています。
ディラトン場による決定
超弦理論では、結合定数gは予め決定されている定数ではなく、ディラトン場(dilaton field)φと呼ばれる動的なスカラー場によって決まります。
具体的には、結合定数gはディラトン場の真空期待値⟨φ⟩の指数関数として表されます。
g = exp(⟨φ⟩)
この関係式は、超弦理論の第一量子化されたアプローチでは古くから知られていました。
1987年、東京大学の米谷民明によって、弦の場の理論の枠組みでもこの性質が明示的に示されました。
ディラトン場とは
ディラトン場は、超弦理論において必然的に現れるスカラー場です。
弦のスペクトルを解析すると、このスカラー場の存在が理論から自動的に導かれます。
ディラトン場は時空の各点で異なる値を取ることができる力学的な場であり、その値が結合定数の強さを決定します。
つまり、超弦理論の結合定数は時空の位置に依存する動的な量なのです。
これは、場の量子論における固定された結合定数とは全く対照的な特徴です。
理論の自由パラメータ
この性質により、超弦理論は原理的には連続的に変化する自由パラメータを持たない「唯一の理論」となります。
結合定数はディラトン場の真空期待値として動的に決まるため、外から与える必要がないのです。
ただし、超対称性が破れていない場合、ディラトン場のようなスカラー場(モジュライ場)は任意の値を取ることができます。
超対称性が破れると、スカラー場にポテンシャルエネルギーが生じ、場は極小点付近に局在化します。
その極小点の位置は、原理的には超弦理論から計算できるはずです。
弱結合と強結合の領域
超弦理論においても、結合定数の大きさによって弱結合と強結合の領域が存在します。
弱結合領域
ディラトン場の真空期待値が負で十分大きな絶対値を持つ場合(⟨φ⟩ ≪ 0)、結合定数は g = exp(⟨φ⟩) ≪ 1 となり、弱結合です。
この領域では、摂動論的な弦理論の記述が有効です。
5つの超弦理論(タイプI、タイプIIA、タイプIIB、ヘテロティックSO(32)、ヘテロティックE8×E8)は、いずれも弱結合領域での摂動論的な記述として定式化されています。
強結合領域
ディラトン場の真空期待値が0に近いか正の値を持つ場合(⟨φ⟩ ≳ 0)、結合定数は g = exp(⟨φ⟩) ≳ 1 となり、強結合です。
この領域では、摂動論は破綻し、非摂動的な方法が必要になります。
S双対性:強結合と弱結合を結ぶ対称性
1990年代半ばに発見された最も重要な洞察の一つが、S双対性(S-duality)です。
S双対性は、強結合-弱結合双対性(strong-weak duality)とも呼ばれます。
S双対性とは
S双対性は、ある超弦理論の強結合極限が、別の超弦理論の弱結合極限に対応するという対称性です。
超弦理論では、ディラトン場φを−φに置き換えると、結合定数gは1/gに変換されます。
g = exp(⟨φ⟩) → exp(−⟨φ⟩) = 1/g
つまり、非常に大きな結合定数は非常に小さな結合定数と交換されます。
もし2つの弦理論がS双対性で関係しているなら、一方の理論の強結合は他方の理論の弱結合と同じ物理を記述することになります。
S双対性の具体例
10次元超弦理論におけるS双対性の関係は以下の通りです。
- タイプI弦理論とヘテロティックSO(32)弦理論
- タイプI弦理論の強結合極限は、ヘテロティックSO(32)弦理論の弱結合極限に対応します。
- 逆に、ヘテロティックSO(32)弦理論の強結合極限は、タイプI弦理論の弱結合極限に対応します。
- タイプIIB弦理論の自己双対性
- タイプIIB弦理論は自分自身とS双対の関係にあります。
- タイプIIB理論の強結合極限は、別の弱結合タイプIIB理論になります。
S双対性の物理的意味
S双対性の発見は、物理学において革命的な意味を持ちました。
強結合の理論は摂動論では計算できませんが、もしその理論がS双対性で弱結合の理論と関係していれば、弱結合の理論を調べることで強結合の理論を理解できます。
つまり、計算が困難な強結合領域の物理を、計算が容易な弱結合領域の計算に置き換えることができるのです。
ただし、T双対性(T-duality)とは異なり、S双対性は物理学のレベルでの厳密性でさえ証明されていません。
多くの間接的な証拠があり、物理学者の間では広く受け入れられていますが、数学的に厳密な証明は今後の課題です。
M理論と11次元への拡張
S双対性のもう一つの重要な帰結は、タイプIIA弦理論の強結合極限です。
タイプIIA理論の強結合極限
タイプIIA弦理論の強結合極限では、ディラトン場が11番目の次元の役割を果たし、理論は11次元の様相を呈します。
この11次元理論がM理論(M-theory)です。
M理論は、1995年にエドワード・ウィッテンによって提唱されました。
M理論は、5つの超弦理論すべてを統合する11次元の理論として注目されています。
双対性のネットワーク
1990年代半ばに明らかになったのは、5つの超弦理論とM理論が様々な双対性(S双対性、T双対性など)によって互いに結びついているということです。
これらの理論は一見異なるように見えますが、実は同じ根源的な理論の異なる側面を記述しているに過ぎません。
各理論には固有の有効性の範囲があり、ある極限で一つの記述が破綻すると、ちょうどそこで別の記述が引き継ぎます。
超弦理論の結合定数の現代的理解
現代の超弦理論研究では、結合定数の性質についてより深い理解が得られています。
非摂動的効果
S双対性の発見により、超弦理論の非摂動的な性質の理解が大きく進展しました。
それまで摂動論の範囲でしか定義されていなかった超弦理論に、非摂動的な構造が見えてきたのです。
たとえば、1995年にジョセフ・ポルチンスキーによってDブレーン(D-brane)が超弦理論のソリトン解であることが示されました。
Dブレーンは、弱結合では重い状態ですが、強結合では軽い状態になります。
AdS/CFT対応
1997年にフアン・マルダセナによって提唱されたAdS/CFT対応(Anti-de Sitter/Conformal Field Theory correspondence)は、超弦理論と場の量子論の間の驚くべき等価性を予想しています。
この対応関係により、重力理論(超弦理論)とゲージ理論が、ある極限のもとで等価となることが示唆されました。
これは、結合定数に関する理解を深める上でも重要な知見をもたらしています。
まとめ
超弦理論における結合定数は、通常の場の量子論とは根本的に異なる性質を持っています。
主要なポイント:
- 超弦理論の結合定数は、固定された定数ではなく、ディラトン場という動的なスカラー場によって決まります。
- 結合定数gはディラトン場の真空期待値⟨φ⟩の指数関数として表されます(g = exp(⟨φ⟩))。
- S双対性により、ある理論の強結合極限が別の理論の弱結合極限に対応します。
- タイプI弦理論とヘテロティックSO(32)弦理論、タイプIIB弦理論と自分自身がS双対の関係にあります。
- タイプIIA弦理論の強結合極限は11次元のM理論として現れます。
- 5つの超弦理論とM理論は、様々な双対性によって互いに結びついており、同じ根源的な理論の異なる側面を記述しています。
超弦理論における結合定数のこの特殊な性質は、理論の数学的構造の深さを示すとともに、強結合領域の物理を理解する新しい道を開きました。
ディラトン場と結合定数の関係、そしてS双対性の発見は、超弦理論が万物の理論の候補として注目される理由の一つです。
超弦理論はまだ完全には完成しておらず、実験的検証も行われていませんが、その数理的構造の精巧さと、重力を含む統一理論の可能性から、現代物理学の最先端で活発に研究されています。
参考情報
学術資料
- Yoneya, T. (1987). “String-coupling constant and dilaton vacuum expectation value in string field theory.” Physics Letters B, 197(1-2), 76-80.
- Font, A., Ibáñez, L. E., Lüst, D., & Quevedo, F. (1990). Strong-weak coupling duality and non-perturbative effects in string theory. Physics Letters B, 249(1), 35-43.
- Witten, E. (1995). String theory dynamics in various dimensions. Nuclear Physics B, 443(1-2), 85-126.
- Sen, A. (2013). S-duality improved superstring perturbation theory. Journal of High Energy Physics, 2013(11), 1-40.
解説資料
- リクルートワークス研究所「21世紀の宇宙の数学、超弦理論」
- 計算基礎科学連携拠点「目指すは究極の理論 -スパコンを使って超弦理論とゲージ理論の等価性を検証する」
最終更新日:2025年2月13日

コメント