星を読み、暦を作り、災いを祓う——日本の歴史に深く刻まれた「陰陽師」という存在。
安倍晴明の名前を聞いたことがある方は多いでしょうが、実は陰陽師は飛鳥時代から明治時代まで、約1000年にわたって日本の政治や文化に大きな影響を与えてきました。
この記事では、歴史上に実在した著名な陰陽師たちを時代順に紹介します。
天皇や貴族に仕え、時には歴史の影で暗躍した彼らの姿を、一緒に見ていきましょう。
陰陽師とは
陰陽師は、古代日本の律令制下で中務省の「陰陽寮」に属していた官職です。
中国から伝わった陰陽五行思想に基づき、占い・天文観測・暦の作成・時刻の測定などを担当していました。
つまり、現代で言えば天文台の職員、気象観測員、暦の専門家、占い師を兼ねた公務員といったところです。
ただし平安時代以降は、式神を使った呪術や厄払いなど、より神秘的な活動でも知られるようになりました。
陰陽道は日本独自の発展を遂げた思想体系で、中国の陰陽五行説に仏教・神道・道教が融合したものです。
7世紀後半に天武天皇が陰陽寮を設置して以来、明治3年(1870年)に陰陽寮が廃止されるまで、国家の重要な機関として機能し続けました。
飛鳥時代の陰陽師(6〜7世紀)
恵慈(えじ)
高句麗から595年(推古天皇3年)に来日した僧です。
聖徳太子の仏法の師となったことで知られていますが、仏教だけでなく陰陽五行思想も日本に伝えました。
飛鳥寺の建立に携わり、日本における陰陽思想の黎明期を支えた人物と言えます。
615年に聖徳太子が著した『三経義疏』を携えて高句麗へ帰国しました。
観勒(かんろく)
602年(推古天皇10年)に百済から来日した学僧です。
日本における初代僧正であり、天文地理書・暦本・陰陽五行思想に基づく遁甲方術を伝えました。
聖徳太子をはじめ、選ばれた34名の弟子に陰陽五行説を講じ、日本の陰陽道のルーツを築いた人物です。
639年(舒明天皇11年)に百済大寺を開創し、日本の陰陽道発展の基礎を作りました。
陽胡玉陳(やこのたまふる)
後漢出身で推古朝に活躍した人物です。
602年に観勒に師事して暦法を修め、日本における暦道の祖となりました。
後の陽胡史(やこのふみびと)の祖でもあり、日本の暦制度の確立に貢献しました。
役行者(えんのぎょうじゃ / 役小角)
修験道の開祖とされる伝説的な呪術者です。
山で修行をして呪術を使えるようになったと伝えられ、陰陽師に準じた活動を行いました。
賀茂氏の出身とされ、形代や呪具を用いて呪術・祈願を行った人物です。
後の陰陽師・賀茂忠行の遠い祖先にあたるとも言われています。
奈良時代の陰陽師(8世紀)
吉備真備(きびのまきび)
698年(文武天皇2年)生まれ、775年(宝亀6年)没。
奈良時代の公卿・学者で、遣唐使として唐から陰陽五行思想を学び、多数の文献を持ち帰りました。
聖武天皇のもとで陰陽道を朝廷に採用させ、陰陽道に基づいた大衍暦を導入しました。
藤原仲麻呂の乱を鎮圧した功により右大臣まで出世し、藤原広嗣の怨霊を鎮めた話も残されています。
阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)
698年(文武天皇2年)生まれ、770年(宝亀元年)没。
遣唐使に留学生として随行し、唐の科挙に合格して高官になりましたが、日本への帰国は果たせませんでした。
中国名「朝衡」として知られ、後に安倍晴明が自らの祖であると自称しましたが、史実では異なります。
大津連首(おおつのむらじおびと)
出家して僧「義法」として活動していましたが、統一新羅へ大使として派遣されました。
帰国後は朝廷に出仕するため還俗し、大津連首の名を賜りました。
後の大津宿禰大浦まで、代々陰陽師として重用されることとなった大津氏の祖です。
津守連通(つもりのむらじとおる)
721年(養老5年)に従五位上、730年頃に陰陽頭兼皇后宮亮。
持統天皇・草壁皇子に重用された渡来人系の陰陽師です。
大津皇子と石川郎女の密会を占いで暴露したことで知られています。
大津皇子が詠んだ『万葉集』巻2・第108首の和歌にその名が登場します。
高金蔵(信成)(こうきんぞう / しんぜい)
701年(大宝元年)から727年(神亀4年)頃まで陰陽博士を務めました。
721年(養老5年)に正六位上に叙せられています。
王中文(おうちゅうぶん)
奈良時代に活躍した陰陽師の一人です。
渡来系の技術官として陰陽寮で活動しました。
平安時代の陰陽師(9〜12世紀)
平安時代は陰陽師が最も活躍した時代です。
貴族たちは日常生活のあらゆる場面で陰陽師に相談し、吉凶を占ってもらいました。
賀茂忠行(かものただゆき)
生年不詳、960年頃没。
平安時代前期から中期にかけて活躍した陰陽師で、安倍晴明の師匠として知られています。
陰陽道・天文道・暦道の三部門すべてを掌握した初めての人物です。
本来は各部門に専門家がいたのですが、遣唐使の廃止により人材が不足したため、忠行が三部門を統括することになりました。
射覆(せきふ)という透視の技に優れ、醍醐天皇の前で八角形の箱の中身を正確に言い当てたという逸話が残っています。
幼い安倍晴明が百鬼夜行を見抜いた才能を見抜き、「瓶に水を注ぐように」丁寧に教えたと伝えられています。
賀茂保憲(かものやすのり)
917年(延喜17年)生まれ、977年(貞元2年)没。
賀茂忠行の長男で、父と同じく陰陽道の達人でした。
安倍晴明の師とも、また兄弟子とも言われています。
暦道を子の光栄に、天文道を安倍晴明に継がせて、陰陽道宗家を二分しました。
幼少時に父の祓いに付いていった際、供物に群がる無数の鬼が見えたため父に告げたところ、忠行は息子の見鬼の才能に驚いて陰陽道を指南したという逸話があります。
著書『暦林』10巻は後世の暦法発展に大きく貢献しました。
賀茂光栄(かものみつよし)
939年(天慶2年)生まれ、1015年(長和4年)没。
賀茂保憲の子で、父から暦道を継承しました。
安倍晴明とともに宮廷に呼ばれることが多く、晴明のライバル的存在でもありました。
『続古事談』によれば、晴明と光栄の間で「どちらが師匠の保憲に気に入られていたか」の論争があったとされています。
安倍晴明(あべのせいめい)
921年(延喜21年)生まれ、1005年(寛弘2年)没。
日本史上最も有名な陰陽師です。
賀茂忠行・保憲に師事し、57歳で頭角を現し始めました。
式神を使った呪術や厄払いなど、陰陽師の仕事を超えた活動で知られています。
藤原道長をはじめとする権力者に重用され、私的なアドバイスも行いました。
これにより陰陽師の役割が「公」から「私」へと変化したと指摘されています。
著書『占事略決』を残し、現代まで陰陽道の象徴的存在として語り継がれています。
京都の晴明神社には今も多くの参拝者が訪れます。
安倍吉平(あべのよしひら)
安倍晴明の長男です。
父の跡を継いで陰陽寮に勤め、陰陽博士として陰陽道の発展に力を尽くしました。
安倍吉昌(あべのよしまさ)
安倍晴明の次男です。
兄の吉平とともに陰陽寮で活躍し、天文博士になりました。
蘆屋道満(あしやどうまん)
生没年不詳。
安倍晴明のライバルとして知られる陰陽師ですが、史実での詳細は不明です。
後世の物語では晴明との呪術合戦が描かれ、悪役として登場することが多い人物です。
播磨国を拠点にしていたとされています。
安倍泰親(あべのやすちか)
平安後期に活躍した陰陽師です。
源平合戦の時代に平家の運命を占い、「さすの神子(みこ)」(予言者)と呼ばれました。
安倍泰忠(あべのやすただ)
平安時代後期の陰陽師です。
日記『養和二年記』を残しており、当時の陰陽師の仕事内容や日常が記録されています。
飢饉の様子や行事、人間関係まで詳しく書かれており、平安時代の貴重な史料となっています。
鎌倉・室町時代の陰陽師(12〜16世紀)
安倍有世(あべのありよ)
室町時代に活躍した陰陽師です。
将軍・足利義満に重用されました。
賀茂在方(かもありかた)
室町時代の陰陽師です。
著書『暦林問答集』を残し、暦法の発展に貢献しました。
戦国時代末期に賀茂家嫡流が途絶えかけた際の重要な人物です。
賀茂在貞・賀茂在長
室町時代に賀茂在方の子として活躍した陰陽師です。
勘解由小路(かでのこうじ)を称しました。
安土桃山・江戸時代の陰陽師(16〜19世紀)
賀茂在昌(かもありまさ)
安土桃山時代の陰陽師です。
キリシタンとなって豊後府内に留学していましたが、帰洛して陰陽頭を継ぎました。
この時代、賀茂家は衰退の一途をたどっていました。
土御門家(つちみかどけ)の陰陽師たち
安倍晴明の子孫である土御門家は、鎌倉時代から明治時代まで陰陽道を統括しました。
江戸時代には全国の陰陽師を管理する権限を持ち、陰陽道の総本山として君臨しました。
幸徳井家(こうとくいけ)の陰陽師たち
賀茂氏の庶流である幸徳井家は、江戸時代に賀茂家を復興させました。
土御門家とともに陰陽道の管理を任されましたが、土御門家との争いに負けて再び衰退しました。
天海(てんかい)
1536年(天文5年)生まれ、1643年(寛永20年)没。
徳川家康に仕えた天台宗の僧ですが、陰陽道にも通じていました。
江戸の町づくりに陰陽道の思想を取り入れ、風水に基づいた都市計画を行ったとされています。
法師陰陽師
江戸時代になると、僧侶でありながら生活のために陰陽の術を行う「法師陰陽師」が各地に登場しました。
民間陰陽師として、庶民の暦や占いに関する需要に応えていました。
渋川春海(しぶかわはるみ)
1639年(寛永16年)生まれ、1715年(正徳5年)没。
江戸時代の天文学者・陰陽師で、日本独自の暦「貞享暦」を作成しました。
それまで中国の暦に依存していた日本が、初めて自国で作った暦を採用した画期的な出来事です。
小説・映画『天地明察』の主人公としても知られています。
明治時代以降
陰陽寮の廃止
明治3年(1870年)、明治政府は陰陽寮を廃止しました。
同時に陰陽師という職業も違法とされ、約1000年続いた陰陽師の公的な歴史は幕を閉じました。
西洋の科学技術を取り入れる近代化の中で、陰陽道は「迷信」として排除されたのです。
暦の作成は海軍水路局や天文台に引き継がれ、天文観測や気象観測は科学的な機関が担うようになりました。
現代の陰陽師
第二次世界大戦後の1945年、信教の自由が認められると、陰陽道も再び活動が許可されました。
1954年には「天社土御門神道」という組織が設立され、現代の陰陽道を継承しています。
また、安倍晴明の子孫を名乗る人物が陰陽道の伝統を守り続けているとされています。
陰陽師一覧表
| 時代 | 名前 | 読み方 | 主な活躍 | 特記事項 |
|---|---|---|---|---|
| 飛鳥時代 | 恵慈 | えじ | 595年来日 | 聖徳太子の師、陰陽五行思想を伝える |
| 飛鳥時代 | 観勒 | かんろく | 602年来日 | 初代僧正、陰陽道の祖 |
| 飛鳥時代 | 陽胡玉陳 | やこのたまふる | 602年 | 暦道の祖 |
| 飛鳥時代 | 役行者 | えんのぎょうじゃ | 7世紀 | 修験道の開祖 |
| 奈良時代 | 吉備真備 | きびのまきび | 698-775年 | 大衍暦を導入、右大臣 |
| 奈良時代 | 阿倍仲麻呂 | あべのなかまろ | 698-770年 | 唐の科挙合格、朝衡 |
| 奈良時代 | 大津連首 | おおつのむらじおびと | 8世紀 | 大津氏の祖 |
| 奈良時代 | 津守連通 | つもりのむらじとおる | 8世紀 | 大津皇子の密会を暴露 |
| 奈良時代 | 高金蔵 | こうきんぞう | 701-727年頃 | 陰陽博士 |
| 奈良時代 | 王中文 | おうちゅうぶん | 8世紀 | 渡来系陰陽師 |
| 平安時代 | 賀茂忠行 | かものただゆき | 〜960年頃 | 三部門統括、晴明の師 |
| 平安時代 | 賀茂保憲 | かものやすのり | 917-977年 | 忠行の子、暦道を光栄へ継承 |
| 平安時代 | 賀茂光栄 | かものみつよし | 939-1015年 | 保憲の子、暦道の専門家 |
| 平安時代 | 安倍晴明 | あべのせいめい | 921-1005年 | 最も有名な陰陽師 |
| 平安時代 | 安倍吉平 | あべのよしひら | 10-11世紀 | 晴明の長男 |
| 平安時代 | 安倍吉昌 | あべのよしまさ | 10-11世紀 | 晴明の次男 |
| 平安時代 | 蘆屋道満 | あしやどうまん | 生没年不詳 | 晴明のライバル |
| 平安時代 | 安倍泰親 | あべのやすちか | 12世紀 | 「さすの神子」と呼ばれる |
| 平安時代 | 安倍泰忠 | あべのやすただ | 12世紀 | 日記『養和二年記』を残す |
| 室町時代 | 安倍有世 | あべのありよ | 14-15世紀 | 足利義満に重用 |
| 室町時代 | 賀茂在方 | かもありかた | 15世紀 | 『暦林問答集』著者 |
| 室町時代 | 賀茂在貞 | かもありさだ | 15世紀 | 在方の子、勘解由小路を称す |
| 室町時代 | 賀茂在長 | かもありなが | 15世紀 | 在方の子、勘解由小路を称す |
| 安土桃山時代 | 賀茂在昌 | かもありまさ | 16-17世紀 | キリシタン、陰陽頭 |
| 江戸時代 | 土御門家 | つちみかどけ | 鎌倉-明治時代 | 安倍晴明の子孫、陰陽道統括 |
| 江戸時代 | 幸徳井家 | こうとくいけ | 江戸時代 | 賀茂氏の庶流、賀茂家復興 |
| 江戸時代 | 天海 | てんかい | 1536-1643年 | 天台宗僧侶、徳川家康に仕える |
| 江戸時代 | 渋川春海 | しぶかわはるみ | 1639-1715年 | 貞享暦作成 |
| 江戸時代 | 法師陰陽師 | ほうしおんみょうじ | 江戸時代 | 民間陰陽師 |
| 現代 | 天社土御門神道 | てんしゃつちみかどしんとう | 1954年設立 | 現代の陰陽道組織 |
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。
主要情報源
- Wikipedia「陰陽師の一覧」 – 歴史上の陰陽師の網羅的な一覧
- Wikipedia「陰陽師」 – 陰陽師の基本情報と歴史
- Wikipedia「賀茂忠行」 – 賀茂忠行の詳細情報
- Wikipedia「賀茂保憲」 – 賀茂保憲の詳細情報
- Wikipedia「勘解由小路家(賀茂氏)」 – 賀茂家の歴史
- Wikipedia (English) “Onmyōdō” – 陰陽道の英語版情報
- Wikipedia (English) “Onmyōji” – 陰陽師の英語版情報
専門サイト・解説記事
- THE GATE「陰陽師は何者?安倍晴明はどんな人物?」 – 陰陽師の基本解説
- 歴代で有名な陰陽師といえば? – 時代別の陰陽師紹介
- 国立歴史民俗博物館「陰陽師とは何者か」展覧会レビュー – 陰陽師の実像
- Discover Japan「陰陽師とは?」 – 陰陽師と暦の関係
- 『陰陽師たちの日本史』書評 – 陰陽師の千年の軌跡
- 刀剣ワールド「陰陽師とは」 – 大河ドラマ関連の解説
安倍晴明・賀茂氏関連
- 安倍晴明の師匠・賀茂忠行に関する逸話 – 賀茂忠行の詳細
- 親魏倭王(元学芸員)「賀茂忠行について」 – 専門家による解説
- 晴明神社関連サイト – 安倍晴明の伝承
- 現在も活動する陰陽師・安倍成道氏インタビュー – 東洋経済オンライン
英語情報源
- Ancient Origins “The Oriental Magical Practice of Onmyōdō” – 陰陽道の歴史
- Your Secret Japan “Onmyoji: Japan’s Masters of Magic” – 陰陽師の包括的解説
- Manekineko GAMES “Onmyoji: Japan’s Ancient Masters” – ゲーム文化と陰陽師
- Japanese Mythology & Folklore – 平安時代の陰陽師
- What is an Onmyōji? – 陰陽師の概要
- Shikigami and onmyōdō through history – 式神と陰陽道の歴史
さらに詳しく知りたい方へ
- 国立歴史民俗博物館 – 陰陽師に関する展示や研究成果
- 晴明神社(京都) – 安倍晴明を祀る神社
- 村山修一『日本陰陽道史話』(平凡社) – 陰陽道研究の基本文献
- 繁田信一『陰陽師 安倍晴明と蘆屋道満』(中央公論新社) – 陰陽師の詳細研究
- 夢枕獏『陰陽師』シリーズ – 小説作品(史実ベースのフィクション)
まとめ
陰陽師は飛鳥時代から明治時代まで、約1000年にわたって日本の歴史を支えてきました。
天文観測や暦の作成という科学的な仕事から、式神を使った呪術まで、その活動は多岐にわたります。
特に平安時代の安倍晴明は、現代でも多くの人々に知られる象徴的存在です。
明治時代に公的な職業としての陰陽師は消滅しましたが、その思想や文化は神社や民間信仰、そして現代のポップカルチャーの中に生き続けています。
小説・映画・ゲームなどで描かれる陰陽師の姿は、史実とフィクションが入り混じったものですが、それもまた陰陽師という存在の魅力と言えるでしょう。
神秘的でありながら、確かに歴史に存在した彼らの足跡を、この一覧を通じて感じていただければ幸いです。

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