土俵の上に刻まれた日本の歴史
力士が激しくぶつかり合う土俵。
塩をまき、四股を踏む厳かな儀式。
相撲は単なるスポーツではなく、1500年以上の歴史を持つ日本の伝統文化なんです。
神々の力比べから始まり、天皇や将軍を魅了し、庶民の娯楽として愛され、時には存亡の危機を乗り越えながら、現代まで受け継がれてきました。
この記事では、相撲がどのように誕生し、どんな変遷を経て今の姿になったのか、わかりやすく紹介します。
神話に描かれた相撲の起源
相撲の起源は、なんと神話の時代まで遡ります。
『古事記』(712年)には、建御雷神(たけみかずちのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)が力比べをした「国譲り」の神話が記されています。
建御雷神が勝利したことで、日本の統治権が決まったとされているんですね。
また『日本書紀』(720年)には、垂仁天皇の前で野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)が戦った天覧相撲の記録があります。
野見宿禰が勝利し、「相撲の祖」と称えられるようになりました。
これらは神話や伝説ではありますが、古墳時代(3〜7世紀)の埴輪や須恵器には相撲を取る人の姿が描かれており、古くから相撲が行われていたことは確かなようです。
もともと相撲は、豊作を祈願する神事として行われていました。
力比べを神々に捧げることで、その年の収穫を占っていたんです。
宮中行事となった相撲節会
奈良時代になると、相撲は宮中の年中行事として発展していきます。
養老3年(719年)には、相撲人(すまいびと、力士のこと)を選抜する「抜出司(ぬきでのつかさ)」という官職が設置されました。
そして天平6年(734年)、聖武天皇が七夕祭りの余興として相撲を観覧したのが、記録に残る最古の天覧相撲とされています。
平安時代に入ると、「相撲節会(すまいのせちえ)」という独立した儀式に発展しました。
弘仁年間(810〜824年)には宮中の重要な行事となり、延喜5年(905年)には射礼・騎射と並ぶ「三度節」の一つに定められます。
相撲節会では、全国から選抜された約40人の力士が左右に分かれて取り組みました。
紫宸殿の南庭で行われ、300人を超える隊列が入場し、音楽が演奏される豪華絢爛な儀式だったそうです。
当時の相撲は土俵がなく、相手を倒すか手や膝を地面につかせれば勝ち。
勝つたびに勝利の雄叫びを上げ、矢を立てて勝敗を記録していました。
しかし平安時代後期になると、律令制の衰退とともに相撲節会も衰退。
承安4年(1174年)を最後に廃絶してしまいます。
武士の鍛錬としての相撲
宮中行事としての相撲が途絶えた後、相撲は武士の鍛錬として受け継がれていきます。
鎌倉時代、源頼朝は相撲を奨励し、鶴岡八幡宮でたびたび上覧相撲を開催しました。
武士にとって相撲は、実戦での組み討ちに必要な武術だったんですね。
室町時代には、足利将軍家や諸国の大名たちが相撲見物を楽しむようになります。
また、応仁の乱以降、京都から地方へ避難した貴族とともに相撲文化が各地に広がり、民衆の間にも相撲が定着していきました。
戦国時代になると、織田信長が大の相撲好きとして知られています。
元亀・天正年間(1570〜1592年)、信長は安土城などで各地から力士を集めて上覧相撲を催し、勝ち抜いた者を家臣として召し抱えました。
この信長の上覧相撲は、相撲史上画期的な出来事でした。
なぜなら、勝敗を裁決し相撲大会を進行させる「行司(ぎょうじ)」が初めて出現したからです。
また、土俵の原型を考案したのも信長だったという説があります。
江戸時代に花開いた大相撲
江戸時代に入ると、相撲は大きく変貌します。
浪人や力自慢の中から、相撲を職業とする人々が現れました。
寺社の建立や修復の資金を集めるため、「勧進相撲(かんじんすもう)」と呼ばれる興行が各地で行われるようになります。
江戸では、貞享元年(1684年)に深川八幡宮(富岡八幡宮)で勧進相撲が許可され、これが江戸勧進相撲の再興とされています。
当初は興行場所が一定していませんでしたが、寛政年間(1789〜1801年)以降は回向院(えこういん)で行われることが増え、天保4年(1833年)に定場所となりました。
江戸時代の相撲は、年2回、晴天10日間の興行でした。
雨が降れば延期されるため、実際には1ヶ月以上かかることもあったそうです。
このことから「一年を二十日で暮らすいい男」という川柳が生まれました。
この時代には、現在の大相撲の基礎が確立されていきます。
- 決まり手48手の制定
- 土俵を俵で丸く仕切る
- 番付表の作成
- 力士を養成する部屋制度
- 化粧廻し、髷(まげ)などの様式
天明〜寛政期(1780年代〜1800年代初頭)には、谷風(たにかぜ)、小野川(おのがわ)、雷電(らいでん)という3大強豪力士が活躍し、将軍上覧相撲も行われて相撲人気は急速に高まりました。
相撲は歌舞伎と並んで、一般庶民の娯楽として大きな要素を占めるようになったのです。
明治時代の危機と復活
明治維新によって新しい時代を迎えると、相撲は思わぬ危機に直面します。
文明開化を唱え、西欧化・近代化が推し進められる中、「裸にまわし、ちょんまげ」という古風なスタイルは「蛮風」として排撃されました。
相撲不要論・廃止論が巻き起こり、相撲は存亡の危機に陥ったのです。
また、明治2年(1869年)の版籍奉還、明治4年(1871年)の廃藩置県により、藩主の抱えを解かれて扶持を失う力士が増えたことも、相撲界にとって大きな打撃でした。
この危機を救ったのが、明治17年(1884年)の明治天皇による天覧相撲でした。
天皇が相撲を観覧したことで、相撲の社会的地位が一気に回復。
相撲は「国技」として認識されるようになり、人気を取り戻していきます。
そして明治42年(1909年)、両国の回向院境内に相撲専用の常設館が建設されました。
これが初代「国技館」です。
設計は東京駅を手がけた辰野金吾。
日本初のドーム型鉄骨板張の洋風建築で、約13,000人を収容できました。
鉄柱308本と鉄材538トンで造られた大屋根が巨大な傘に見えたため、「大鉄傘(だいてっさん)」という愛称で呼ばれます。
開館当初は仮称でしたが、設立委員会の委員長を務めた板垣退助が「国技館」と命名しました。
常設館の完成により、雨天に左右されず安定した興行が可能になりました。
これを機に諸制度の改革も進み、現在に至る大相撲の姿が形作られていったのです。
激動の昭和時代を経て
初代国技館はその後、波乱の歴史を歩みます。
大正6年(1917年)に火災で焼失。
大正9年(1920年)に再建されたものの、大正12年(1923年)の関東大震災で一部を残して焼失してしまいます。
それでも翌年には再建。
しかし昭和19年(1944年)、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍に接収され、風船爆弾の工場として使用されます。
そして昭和20年(1945年)の空襲で再び焼失しました。
戦後、国技館はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、メモリアルホールとして使われます。
相撲興行は明治神宮外苑相撲場や浜町仮設国技館など、場所を転々としました。
昭和27年(1952年)に接収が解除されましたが、すでに蔵前に新国技館の建設が進められており、旧国技館の跡地は民間の複合施設(両国シティコア)となりました。
昭和29年(1954年)に蔵前国技館が完成し、30年にわたって大相撲の舞台となります。
そして昭和60年(1985年)、現在の両国国技館が完成しました。
旧両国貨物駅跡地に建てられた新国技館は、最新の設備を備えた相撲の殿堂として、今も年6場所のうち3場所(1月・5月・9月)を開催しています。
現代の大相撲
現代の大相撲は、伝統を守りながらも進化を続けています。
年6場所制が確立され、各場所15日間の開催となっています(昭和24年(1949年)に10日から15日に延長)。
外国人力士の活躍も目覚ましく、モンゴル出身の白鵬をはじめ、多くの外国人力士が活躍。
相撲は国際的なスポーツへと発展しています。
テレビ中継やインターネット配信により、世界中で相撲を楽しめるようになりました。
一方で、土俵入り、番付表、化粧廻し、髷、着物など、江戸時代から変わらぬ姿を今も守り続けています。
相撲は単なるスポーツではなく、日本の伝統文化そのもの。
神事としての起源を持ち、1500年以上の歴史を経て、今もなお多くの人々を魅了し続けているのです。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の信頼できる情報源を参照しました:
- 日本相撲協会公式サイト「相撲の歴史」
- Wikipedia「相撲」「相撲節会」「勧進相撲」「両国国技館」
- 国立国会図書館デジタルコレクション「江戸っ子の娯楽・相撲」
- Kids Web Japan「相撲の歴史」
- 国立国会図書館「第153回常設展示『国技・相撲』-近代以降の事件と名力士-」(PDF)
- 『古事記』(712年)
- 『日本書紀』(720年)
- 『続日本紀』
さらに詳しく知りたい方へ:
- 日本相撲協会の相撲博物館(両国国技館内、無料見学可能)
- 高埜利彦 著『相撲』(山川出版社)
- 大分県立歴史博物館 編集『大相撲力士群像:相撲の歴史と時代のヒーローたち』
- 日本相撲協会ホームページ
まとめ
相撲の歴史を振り返ってみました。
- 神話時代から続く1500年以上の歴史
- 豊作祈願の神事として始まった
- 奈良・平安時代には宮中行事「相撲節会」に
- 鎌倉〜戦国時代は武士の鍛錬として発展
- 江戸時代に職業力士が誕生し、大相撲の基礎が確立
- 明治時代に存亡の危機を乗り越え「国技」に
- 初代国技館の完成(1909年)で近代化
- 戦災を経て現在の両国国技館へ(1985年)
土俵の上で繰り広げられる取り組みは、単なる力比べではありません。
神々の力比べから始まり、天皇や将軍を魅了し、何度も存亡の危機を乗り越えてきた、日本の歴史そのものなんです。
次に相撲を観る機会があったら、ぜひこの長い歴史に思いを馳せてみてください。
土俵の上の一瞬一瞬が、より深く感じられるはずですよ。


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