「交換法則が成り立たない」と聞くと、不思議な感じがするかもしれません。
普段私たちが使っている足し算や掛け算では、「3 + 5 = 5 + 3」や「2 × 4 = 4 × 2」のように、順番を入れ替えても結果は同じですよね。
しかし、数学の世界には「順番を入れ替えると結果が変わる」演算があります。そのような群を非可換群といいます。
今回は、抽象代数学の重要な概念である非可換群について、基礎からわかりやすく解説していきます。
群とは何か?
非可換群を理解するには、まず「群」という概念を知る必要があります。
群の定義
群(group)とは、ある集合と、その集合の要素に対して定義された「演算」の組み合わせで、次の4つの条件を満たすものです。
条件1:結合法則が成り立つ
どんな要素 a, b, c に対しても、(a ∗ b) ∗ c = a ∗ (b ∗ c) が成り立つ
条件2:単位元が存在する
どんな要素 a に対しても、e ∗ a = a ∗ e = a となる特別な要素 e が存在する
条件3:逆元が存在する
どんな要素 a に対しても、a ∗ a⁻¹ = a⁻¹ ∗ a = e となる要素 a⁻¹ が存在する
条件4(可換群の場合のみ):交換法則が成り立つ
どんな要素 a, b に対しても、a ∗ b = b ∗ a が成り立つ
身近な群の例
整数全体の集合と足し算の組み合わせ (ℤ, +) は群です。
- 結合法則:(1 + 2) + 3 = 1 + (2 + 3) = 6 ✓
- 単位元:0(どんな数に0を足しても変わらない)
- 逆元:5の逆元は-5(5 + (-5) = 0)
- 交換法則:3 + 5 = 5 + 3 ✓
この群は交換法則も成り立つので、可換群です。
可換群(アーベル群)とは?
交換法則を満たす群を可換群またはアーベル群といいます。
なぜ「アーベル群」?
この名前は、ノルウェーの数学者ニールス・ヘンリック・アーベル(Niels Henrik Abel、1802-1829)に由来します。
アーベルは5次方程式の一般解法が存在しないことを証明する過程で、群の概念を発展させました。当時、アーベルは可換群しか考えていませんでした。
後にフランスの数学者エヴァリスト・ガロア(Évariste Galois)が群論を体系化する際、非可換な群も含めて考えました。そこで、アーベルが考えた可換な群を「アーベル群」と呼ぶようになったんです。
可換群の例
整数と足し算 (ℤ, +)
3 + 5 = 5 + 3 = 8
実数(0を除く)と掛け算 (ℝ{0}, ×)
2 × 3 = 3 × 2 = 6
有理数(0を除く)と掛け算 (ℚ{0}, ×)
1/2 × 3/4 = 3/4 × 1/2 = 3/8
これらはすべて交換法則が成り立つので、可換群です。
非可換群とは?
非可換群(non-abelian group)とは、交換法則が成り立たない群のことです。
つまり、少なくとも一組の要素 a, b について、a ∗ b ≠ b ∗ a となる群です。
「非可換群」は「非交換群(noncommutative group)」とも呼ばれます。
非可換群の特徴
- 群の4つの基本条件(結合法則、単位元、逆元)は満たす
- しかし、交換法則は満たさない
- 演算の順序が結果に影響する
- 可換群よりも複雑で、研究対象として興味深い
非可換群の具体例

実際に非可換群の例を見ていきましょう。
例1:行列の掛け算
2×2行列の掛け算は、非可換群の代表的な例です。
具体的な例
A = [1 0] B = [0 1]
[0 -1] [-1 0]
この2つの行列の積を計算すると:
A × B の場合
[1 0] [0 1] [0 1]
[0 -1]×[-1 0] = [1 0]
B × A の場合
[0 1] [1 0] [0 -1]
[-1 0]×[0 -1] = [-1 0]
結果:A × B ≠ B × A
このように、行列の掛け算では順序が重要です!
可逆な行列全体の集合と行列の掛け算の組み合わせは、一般線形群(General Linear Group)と呼ばれる重要な非可換群です。
例2:対称群(置換群)
対称群(symmetric group)Sₙは、n個の要素の並べ替え(置換)全体の集合です。
3つの要素 {1, 2, 3} の置換で考えてみましょう
σ:(1, 2, 3) → (2, 1, 3) (1と2を入れ替える)
τ:(1, 2, 3) → (3, 2, 1) (1と3を入れ替える)
σを先に、次にτを適用すると:
(1, 2, 3) → σ → (2, 1, 3) → τ → (3, 1, 2)
τを先に、次にσを適用すると:
(1, 2, 3) → τ → (3, 2, 1) → σ → (3, 1, 2)
あれ?同じ結果になりましたね。では別の例を見てみましょう。
σ:(1, 2, 3) → (2, 3, 1) (123を右に回転)
τ:(1, 2, 3) → (2, 1, 3) (1と2を入れ替える)
τ ∘ σ(σを先に適用):
(1, 2, 3) → σ → (2, 3, 1) → τ → (1, 3, 2)
σ ∘ τ(τを先に適用):
(1, 2, 3) → τ → (2, 1, 3) → σ → (3, 1, 2)
結果が違います! τ ∘ σ ≠ σ ∘ τ
対称群S₃(3次対称群)は、最も小さい非可換群として知られています。その位数(要素の個数)は6です。
一般に、n ≥ 3 のとき、対称群Sₙは非可換群になります。
例3:二面体群
二面体群(dihedral group)Dₙは、正n角形の対称性を表す群です。
正三角形の対称性で考えてみましょう(D₃)
正三角形には、以下の対称操作があります:
- 回転(R):中心周りに120度回転(R₁₂₀)、240度回転(R₂₄₀)
- 鏡映(F):各頂点を通る軸に関する反転(F₁、F₂、F₃)
R₁₂₀とF₁を組み合わせると:
R₁₂₀を先に、次にF₁ → ある結果
F₁を先に、次にR₁₂₀ → 別の結果
このように、回転と鏡映の順序を入れ替えると、結果が変わります。
二面体群D₃は、実は対称群S₃と同型(本質的に同じ構造)です。
例4:3次元空間の回転群
3次元空間での回転も、非可換群の例です。
具体的な体験
スマートフォンや本を使って実験してみましょう。
- 本を水平に置く(初期位置)
- 実験A:x軸周りに90度回転 → y軸周りに90度回転
- 本を初期位置に戻す
- 実験B:y軸周りに90度回転 → x軸周りに90度回転
実験AとBで、本の最終的な向きが違うはずです!
これが「3次元空間の回転は非可換」ということの意味です。
物理学では、この性質が重要な役割を果たします。例えば、ジャイロスコープの動きなどがこれに関係しています。
可換群と非可換群の違い
両者の違いを整理してみましょう。
演算の性質
可換群
- a ∗ b = b ∗ a(常に成り立つ)
- 演算の順序は関係ない
- 計算が比較的簡単
非可換群
- a ∗ b ≠ b ∗ a(少なくとも一部の要素で)
- 演算の順序が重要
- 計算がより複雑
記法の違い
可換群(特に加法群)
- 演算を「+」で表す
- 単位元を「0」で表す
- aの逆元を「-a」で表す
一般の群(非可換群を含む)
- 演算を「∗」や「·」で表す
- 単位元を「e」や「1」で表す
- aの逆元を「a⁻¹」で表す
構造の複雑さ
可換群
- 構造が比較的単純
- 有限可換群は完全に分類されている
- 理論が発展している
非可換群
- 構造がより複雑で多様
- 完全な分類は困難
- 研究が盛んに行われている
非可換群の重要性

非可換群は、数学や物理学で非常に重要な役割を果たしています。
数学での重要性
ガロア理論
5次以上の代数方程式に一般的な解の公式が存在しないことの証明に、非可換群が本質的な役割を果たします。
群論の発展
非可換群の研究は、現代代数学の中心的なテーマの一つです。
物理学での応用
量子力学
量子力学では、物理量を表す演算子が非可換です。
有名なハイゼンベルクの不確定性原理は、位置と運動量の演算子が非可換であることから導かれます。
相対性理論
時空の対称性を記述する際に、非可換なリー群(Lie group)が使われます。
素粒子物理学
ゲージ理論では、非可換群(特にSU(2)やSU(3)など)が基本的な役割を果たします。
暗号理論への応用
近年、非可換群を用いた暗号方式の研究も進んでいます。
従来の暗号方式が可換群(整数の加法など)に基づいているのに対し、非可換群を使うことで、より複雑で解読困難な暗号を作れる可能性があります。
群の中心と非可換性
非可換群には「中心」という興味深い概念があります。
群の中心とは?
群Gの中心Z(G)とは、「Gのすべての要素と可換な要素の集合」です。
つまり、Z(G) = {z ∈ G | zg = gz すべてのg ∈ G に対して}
中心の性質
可換群の場合
すべての要素が互いに可換なので、中心は群全体:Z(G) = G
非可換群の場合
中心は群全体より小さい:Z(G) ⊂ G(真の部分集合)
実は、非可換な有限群Gについて、次の定理が成り立ちます:
|Z(G)| ≤ |G|/4
つまり、非可換群の中心の大きさは、群全体の最大でも1/4以下なんです!
最小の非可換群
非可換群の中で最も小さいものはどれでしょうか?
位数6の群
位数(要素の個数)が6の群には、本質的に2種類しかありません:
巡回群C₆(可換群)
6個の要素が円形に並んでいるイメージ
対称群S₃(非可換群)
3つの要素の置換全体
S₃は、最小の非可換群として知られています。
なぜ位数6未満に非可換群がないのか?
位数が素数pの群は、すべて可換な巡回群です。
位数2, 3, 5の群は、すべて可換です。
位数4の群も、すべて可換です(C₄またはクラインの四元群)。
したがって、位数6のS₃が、最小の非可換群となります。
非可換群の例をもっと
他にも重要な非可換群があります。
四元数群
四元数群Q₈は、位数8の非可換群です。
要素:{1, -1, i, -i, j, -j, k, -k}
演算規則:
- i² = j² = k² = -1
- ij = k, jk = i, ki = j
- ji = -k, kj = -i, ik = -j
この群は、3次元グラフィックスやロボット工学で、回転を表現するのに使われます。
特殊線形群
SL(n, ℝ)は、行列式が1の n×n 実行列全体の群です。
n ≥ 2 のとき、これは非可換群です。
物理学、特に相対性理論で重要な役割を果たします。
よくある誤解と注意点
非可換群について、よくある誤解を解消しておきましょう。
誤解1:「非可換=交換できない」
正しくは:「すべての要素が交換できるわけではない」
非可換群でも、一部の要素同士は可換かもしれません。群の中心に属する要素は、すべての要素と可換です。
誤解2:「非可換群は複雑すぎて理解不可能」
確かに可換群より複雑ですが、具体例(行列、置換、回転など)を通じて理解できます。
誤解3:「非可換群は特殊な例」
実は、非可換群の方が一般的です。
ランダムに群を選んだとき、それが可換群である確率は非常に低いんです。
可換化:非可換群から可換群を作る
非可換群から、可換な構造を取り出すこともできます。
可換化(アーベル化)
非可換群Gに対して、「交換子」と呼ばれる要素を考えます。
交換子:[a, b] = aba⁻¹b⁻¹
これらの交換子で生成される部分群をGの「交換子群」といい、[G, G]と表します。
剰余群 G/[G, G] は、常に可換群になります!
これをGの可換化またはアーベル化といいます。
まとめ:非可換群の世界
非可換群について、重要なポイントをまとめましょう。
非可換群の定義
- 群の基本条件(結合法則、単位元、逆元)を満たす
- しかし交換法則は成り立たない
- 少なくとも一組の要素で a ∗ b ≠ b ∗ a
主な例
- 行列の掛け算(一般線形群)
- 置換の合成(対称群)
- 正多角形の対称性(二面体群)
- 3次元空間の回転(回転群)
- 四元数群
可換群との違い
- 演算の順序が重要
- 構造がより複雑
- しかし数学や物理学で重要な役割
応用分野
- ガロア理論(代数方程式)
- 量子力学(演算子の非可換性)
- 相対性理論(時空の対称性)
- 暗号理論(新しい暗号方式)

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