夏の風物詩として親しまれている「ところてん」。
つるんとした食感が涼しげなこの食べ物ですが、漢字で「心太」と書くことをご存知でしょうか。
「心」という字が「ところ」と読めるはずもなく、「太」が「てん」になる理由もわかりません。
実は、この不思議な読み方には、千年以上の歴史と複数の説が存在するのです。
この記事では、「ところてん」の漢字表記と名前の由来について、歴史的変遷と語源説をわかりやすく解説します。
ところてんとは
ところてんは、テングサ(天草)やオゴノリなどの紅藻類を煮溶かし、冷まして固めた食品です。
全体の98〜99%が水分で、残りは寒天質(アガロース)で構成されています。
「天突き」と呼ばれる専用の器具で押し出しながら、細い糸状(麺状)に切った形態が一般的です。
関東では酢醤油で、関西では黒蜜をかけて食べることが多く、地域によって食べ方が異なります。
日本では千年以上前から食べられており、特に夏の食べ物として親しまれてきました。
漢字表記「心太」
ところてんの漢字表記には、以下の3種類が存在します。
- 心太(主流の表記)
- 心天(古い表記とされる)
- 瓊脂(別表記、あまり使われない)
現代では「心太」が最も一般的な表記です。
ただし、この漢字をそのまま読んでも「ところてん」とは読めません。
「心」の字には「とこ」や「ところ」という読み方はなく、「太」にも「てん」という読み方はありません。
これは「心太」という表記が、本来の読み方とは異なる経緯で定着したことを示しています。
読み方「ところてん」
音読みと訓読み
「心太」という漢字の通常の読み方は以下の通りです。
心:
- 音読み:シン
- 訓読み:こころ
太:
- 音読み:タイ、タ
- 訓読み:ふと(い)、ふと(る)
通常の読み方では「しんたい」「こころぶと」となり、「ところてん」とは全く異なります。
特別な読み方「熟字訓」
「心太」を「ところてん」と読むのは、「熟字訓」と呼ばれる特別な読み方です。
熟字訓とは、複数の漢字の組み合わせに対して、漢字本来の読み方とは異なる訓読みを当てたものです。
他の熟字訓の例:
- 大人(おとな)
- 今日(きょう)
- 梅雨(つゆ)
- 紅葉(もみじ)
これらも、個々の漢字の読み方を組み合わせても、本来の読み方にはなりません。
名前の由来
「ところてん」という名前の由来については、はっきりとしたことはわかっていません。
しかし、いくつかの有力な説が存在します。
説1:「凝る」から「心」へ
最も有力とされる説は、「凝る(こる)」という言葉が語源というものです。
テングサを煮て冷ますと、液体が凝固してゼリー状になります。
この「凝る(こる)」という様子を表す言葉として、「凝海藻(コルモハ、コルモ)」と呼ばれていました。
この「凝る」という意味を漢字で表現するために、「心」という字が当てられたとされています。
「太」は「太い海藻」という意味で使われたという説があります。
こうして「心太(ココロブト、ココロフト)」という表記が生まれました。
説2:「心天」から変化
別の説では、元々「心天」と書かれていたというものです。
「心天(ココロテン)」という表記が先にあり、これが「心太(ココロブト)」に変化したとする説です。
ただし、この説の根拠となる文献は明確ではありません。
説3:関西方言「とごる」+「てんぐさ」
もう一つの説は、関西地方の方言に由来するというものです。
関西方言で「固まる」を意味する「とごる」という言葉と、原料の「天草(てんぐさ)」を組み合わせたという説です。
これらが合わさって「ところてん」になったとされます。
ただし、この説も明確な証拠は見つかっていません。
説4:中国からの伝来時の俗称
中国から伝来した際の俗称が「心太(ココロブト)」だったという説もあります。
ただし、中国語で「心太」という表現が実際に使われていたかは確認されていません。
読み方の変遷
「ところてん」という読み方は、長い年月をかけて変化してきました。
奈良時代〜平安時代初期(8〜9世紀)
この時期、テングサを煮て固めた食品は「凝海藻(コルモハ、コルモ)」と呼ばれていたとされています。
ただし、この呼び名を記録した文献は現存していません。
平安時代中期(10世紀)
938年頃に成立した『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』という辞書に、「心太」という表記が初めて登場します。
この時期の読み方は「ココロブト」または「ココロフト」でした。
「心太」という漢字表記は、この頃には既に定着していたことがわかります。
『和名類聚抄』は、源順(みなもとのしたごう)が醍醐天皇の皇女である勤子内親王のために編纂した、現存最古の分類体漢和辞書です。
室町時代(14〜16世紀)
室町時代には、「ココロテイ」という読み方に変化しました。
さらに、この「ココロテイ」が「ココロテン」へと変化していきます。
この変化は、日本語の音韻変化によるものと考えられています。
江戸時代(17〜19世紀)
江戸時代の寛永期(1624〜1644年頃)には、「トコロテン」という読み方が一般化しました。
この時期には、ところてんが庶民の食べ物として広く普及し、夏の風物詩として親しまれるようになります。
江戸では、ところてん売りの行商人が街中を歩き回り、「テーンツクテーンツク、トーコーロテン」という掛け声で売り歩いていました。
読み方の変遷まとめ
読み方の変遷を整理すると、以下のようになります。
- コルモハ、コルモ(推定、奈良〜平安初期)
- ココロブト、ココロフト(平安中期、10世紀)
- ココロテイ(室町時代)
- ココロテン(室町時代後期)
- トコロテン(江戸時代、現代)
音韻変化の法則:
- ココロブト → ココロフト(濁音の清音化)
- ココロフト → ココロテイ(語尾の変化)
- ココロテイ → ココロテン(母音の変化)
- ココロテン → トコロテン(子音の変化)
歴史的背景
中国からの伝来
ところてんの原料であるテングサは、奈良時代(710〜794年)に中国から日本に伝わったとされています。
仏教の伝来とともに、精進料理の食材として日本に入ってきた可能性があります。
8世紀初頭に制定された大宝律令では、テングサが租税の対象とされており、この頃には既に食用として利用されていたことがわかります。
平安時代:貴族の食べ物
平安時代には、ところてんは貴族階級の食べ物でした。
一般庶民が食べることはできず、宮中や貴族の館で食べられていました。
江戸時代:庶民の食べ物へ
江戸時代になると、ところてんは庶民の食べ物として広く普及します。
特に夏の暑い時期に、涼を取るための食べ物として人気を集めました。
江戸では、ところてん売りの行商人が街を歩き回り、その場で天突きを使ってところてんを作って売っていました。
寒天の発見
17世紀(江戸時代初期)には、ところてんを凍結乾燥させることで「寒天」が作られるようになりました。
京都の旅館主または薩摩藩主の島津氏が、余ったところてんを冬の寒い庭に放置したところ、凍結と融解を繰り返して乾燥した状態になったことから発見されたとされています。
寒天は保存や輸送が容易なため、広く利用されるようになりました。
用例
「ところてん」という言葉は、食品名以外にも比喩的な表現として使われることがあります。
食品としての用例
「夏の暑い日には、ところてんが食べたくなる」
「ところてんに酢醤油をかけて食べる」
「関西では、ところてんを黒蜜で食べる」
比喩的な用例
「ところてん方式」という表現があります。
これは、新しいものが入ると古いものが押し出される仕組みを指します。
ところてんを天突きで押し出すと、新しく入れたところてんが古いところてんを押し出す様子から生まれた表現です。
例:
「この会社は、新入社員が入ると古株が辞めていくところてん方式だ」
「駐車場がところてん方式で、奥から順に出ていく」
まとめ
「ところてん」は「心太」と書き、熟字訓という特別な読み方をする言葉です。
名前の由来は完全には解明されていませんが、「凝る(こる)」という言葉から「心」という字が当てられたという説が有力です。
読み方は長い年月をかけて「ココロブト」→「ココロテイ」→「ココロテン」→「トコロテン」と変化してきました。
日本では千年以上前から食べられており、平安時代には貴族の食べ物、江戸時代には庶民の食べ物として親しまれてきました。
「心太」という一見不思議な漢字表記には、日本語の歴史と食文化の変遷が詰まっています。

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