めんたいこ(明太子)は、今や全国で愛される食材ですが、その名前の由来や歴史をご存知でしょうか。 実は、めんたいこという名前は韓国語に由来し、日本で独自に発展した食文化なのです。
この記事では、めんたいこの語源、歴史的背景、そして福岡の名物になるまでの経緯を詳しく解説します。
めんたいこの語源
めんたいこという名前は、韓国語の「明太(ミョンテ、명태)」に由来します。
明太とはスケトウダラを指す韓国語で、その子(卵)という意味で「明太子」と呼ばれるようになりました。
スケトウダラの卵巣を塩漬けにした食品は、朝鮮半島で古くから「明卵漬(ミョンランジョッ、명란젓)」として食べられていました。
この伝統的な食品が、日本に渡って「明太子」として独自に発展したのです。
「明太」という言葉の歴史
「明太」という言葉の最も古い記録は、朝鮮時代の『承政院日記』の1652年の条に見られます。 ここに「明太卵」という記載があり、これが現存する史料における「明太」という語の初出とされています。
「明太」の語源については、李氏朝鮮時代末期の学者・李裕元が記した『林下筆記』によると、明川郡でスケトウダラを釣り上げた「太」を氏とする漁師に由来するという説があります。
たらこと明太子の違い
たらこと明太子は、どちらもスケトウダラの卵巣を使った食品ですが、調理法に違いがあります。
たらこは、スケトウダラの卵巣を塩漬けにしたもので、辛味は加えません。
一方、辛子明太子は、塩漬けにした卵巣をさらに唐辛子などの調味液に漬け込んで熟成させたものです。
この調味液に漬け込む製法こそが、日本で開発された独自の技法なのです。
日本における明太子の発展
釜山から福岡へ
日本における辛子明太子の歴史は、一人の実業家から始まります。 それが、ふくやの創業者・川原俊夫です。
川原俊夫は1913年(大正2年)1月25日、当時日本領だった釜山で誕生しました。 釜山で育った川原は、現地の市場で売られていた明卵漬を日常的に食べており、その味に親しんでいました。
戦後の帰国とふくやの創業
太平洋戦争で沖縄の宮古島に配属されていた川原は、1945年に終戦を迎えます。 引き揚げ後、家族とともに福岡に戻った川原一家は、1948年(昭和23年)に福岡市博多区の中洲市場で「ふくや」を開業しました。
当時のふくやは、主に店舗向けに食料品を販売する卸商店でした。
日本人の味覚に合わせた改良
釜山で食べていた明卵漬の味が忘れられなかった川原は、日本人の口に合う明太子の開発に取り組みます。 韓国の明卵漬は、塩をまぶして半日置き、刻みニンニクと粉唐辛子で味付けして熟成させる製法でした。
川原は、この製法を基本としながらも、調味液に漬け込むという新しい手法を考案します。 昆布や鰹節の出汁を加えてうま味を出し、辛さを抑えるなど、約10年間にわたる試行錯誤の末、1949年(昭和24年)に現在の辛子明太子が完成しました。
博多名物への道のり
製法の公開と産業の発展
川原俊夫の最大の功績は、完成した明太子の製法を独占しなかったことです。 特許も商標登録も取らず、希望する同業者には製法を無償で教えました。
この決断の背景には、川原の戦争体験がありました。 沖縄戦から生還できたことを、「拾った命」と考えた川原は、社会貢献を何よりも重視していたのです。
製法が公開されたことで、福岡には多くの明太子業者が誕生し、現在の明太子産業が発展しました。 現在、明太子業界の市場規模は約1,200億円にまで成長しています。
全国区への拡大
1965年(昭和40年)には大阪の政財界で評判となり、大量注文を受けるようになります。 そして1975年(昭和50年)、山陽新幹線の岡山-博多間が開通すると、明太子は一気に全国へ広がりました。
新幹線の開通により、博多の明太子は全国の人々に知られる名物となったのです。
現代の明太子
現代の明太子は、様々な形で楽しまれています。
ご飯のお供としてはもちろん、おにぎりの具材、明太子パスタ、明太子フランスパンなど、多彩な料理に使われています。 また、日本だけでなく韓国でも人気があり、世界の明太子消費量の約90%を日本が占めるといわれています。
味付けも、創業当時は保存のために塩分が12〜13%と高めでしたが、現在は3〜5%程度に抑えられ、食べやすくなっています。 これは、「味は守るな」という川原俊夫の教えに基づき、時代のニーズに合わせて進化を続けてきた結果です。
まとめ
めんたいこ(明太子)は、韓国の「明太(ミョンテ)」に由来する名前で、朝鮮半島の伝統食「明卵漬」がルーツです。
戦後、釜山から福岡に戻った川原俊夫が、日本人の味覚に合わせて調味液に漬け込む製法を開発し、1949年に現在の辛子明太子が誕生しました。
川原は製法を惜しみなく公開し、その結果、福岡には多くの明太子業者が生まれ、博多の名物として定着しました。 新幹線開通とともに全国へ広がり、今では日本の食文化に欠かせない存在となっています。
めんたいこの由来を知ると、一つの食べ物がたどった国際的な歴史と、それを支えた人々の想いが見えてきます。

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