岐阜県の山あいに、親孝行の息子と不思議な水の伝説が残る滝があります。
その名は「養老の滝」。
奈良時代には天皇が行幸し、元号まで変えたという由緒ある場所です。
この記事では、養老の滝にまつわる孝子伝説の内容から、歴史書に残る記録、そして現代に至るまでの文化的な広がりまで、一次資料をもとにわかりやすく紹介します。
概要
養老の滝は、岐阜県養老郡養老町の養老公園内にある滝です。
落差約30メートル、幅約4メートルの規模を誇り、「日本の滝百選」にも選ばれています。
また、養老神社境内にある菊水泉とあわせて、1985年(昭和60年)に環境庁(現・環境省)の「名水百選」にも選定されました。
古くから文人墨客に親しまれ、江戸時代には葛飾北斎が浮世絵に描いたことでも知られています。
養老の滝の孝子伝説
養老の滝を語るうえで欠かせないのが、「孝子伝説」と呼ばれる物語です。
鎌倉時代の説話集『十訓抄』(1252年)や『古今著聞集』(1254年、橘成季編)に収められたこの話は、日本人なら一度は耳にしたことがあるかもしれません。
伝説のあらすじ
むかし、美濃国(現在の岐阜県)の山里に、貧しい木こりの若者が年老いた父と暮らしていました。
父は大の酒好きでしたが、家が貧しいため、十分に酒を飲ませてやることができません。
若者は「せめて一度でいいから、父に存分に酒を飲ませてやりたい」と願っていたといいます。
ある日、若者が山で薪を拾っていると、足を滑らせて谷底へ転がり落ちてしまいました。
気がつくと、どこからともなく酒の香りが漂ってきます。
あたりを見回すと、岩の間から山吹色の水が湧き出ていて、なめてみると、それはまぎれもない酒の味でした。
喜んだ若者がその水を汲んで帰り、父に飲ませたところ、父は大変喜び、すっかり若々しくなったと伝えられています。
養老寺縁起に残る名前
養老の滝のふもとにある養老寺の縁起(寺の由来を記した文書)では、この孝子の名前が「源丞内(げんじょうない)」と記されています。
『十訓抄』や『古今著聞集』では名前が明記されていないため、「源丞内」の名は養老寺独自の伝承と考えられています。
歴史書に残る養老の記録
孝子伝説はあくまで説話ですが、養老の地が特別な場所であったことは、正式な歴史書にも記されています。
『続日本紀』の記録
奈良時代に編纂された歴史書『続日本紀』(797年成立)には、霊亀3年(717年)に第44代・元正天皇が美濃国に行幸したことが記されています。
元正天皇は女帝で、当時の美濃国で「美泉(うるわしきいずみ)」を発見したとされています。
この美泉の水は、老いを養い、若返りの力があるとされました。
天皇はこれを瑞祥(めでたいしるし)として、年号を「霊亀」から「養老」に改めています。
「養老」という年号は717年から724年まで使われ、「老いを養う」という意味が込められていました。
さらに、天皇はこの地方の人々の税を免除したと『続日本紀』は伝えています。
養老の地名や年号の由来がこの出来事にあることは、一次資料で裏付けられた歴史的事実です。
「美泉」はどこにあったのか?
ところで、元正天皇が見つけたとされる「美泉」が、現在の養老の滝そのものなのか、それとも近くにある菊水泉なのかは、実は決着がついていません。
江戸時代には、国学者の田中大秀(たなかおおひで)と儒学者の秦鼎(はたかなえ)の間で論争が起きました。
田中は「美泉は菊水泉である」と主張し、秦は「養老の滝である」と反論したとされています。
この論争は現在でも結論が出ておらず、養老の滝と菊水泉は「養老の滝・菊水泉」としてセットで名水百選に選定されています。
能楽『養老』としての展開
養老の孝子伝説は、能楽(謡曲)『養老』としても演じられてきました。
能の『養老』では、帝の勅使が美濃国に遣わされ、樵夫の老人とその息子に出会います。
老人は、息子が山仕事の折に不思議な泉を見つけ、その水で疲れが癒えたこと、年老いた父母がこの水を飲んで若返ったことを語ります。
後半では、山の神が登場して泉の霊力を讃え、舞を舞うという構成です。
能の専門サイト「the能.com」によれば、この作品は「脇能」に分類され、めでたい演目として現在も上演されています。
養老の滝と日本文化
養老の伝説は、能楽だけでなく、日本文化のさまざまな場面に影響を与えてきました。
葛飾北斎の浮世絵
江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎は、「諸国滝廻り」シリーズの中で養老の滝を描いています。
大胆な構図と迫力ある水流の表現で、養老の滝の壮麗さを伝える名作として知られる作品です。
「子は清水」型の伝承
養老の孝子伝説は、実は全国に類似の伝承が存在する「子は清水(こはしみず)」型の物語に属します。
親が飲むと酒になり、子が飲むとただの水になるという不思議な泉の話は、日本各地に残っているのです。
養老の滝はその中でも特に有名な例として、広く語り継がれてきました。
居酒屋チェーン「養老乃瀧」の由来
身近なところでは、全国展開する居酒屋チェーン「養老乃瀧」の店名も、この養老の滝伝説に由来しています。
「水が酒になった」という伝説にちなんで名付けられたもので、養老の滝の知名度の高さがうかがえるエピソードです。
現在の養老の滝
養老の滝は、現在も養老公園の奥深くに位置し、多くの観光客が訪れています。
基本情報
養老公園は明治13年(1880年)に開設された歴史ある公園です。
滝までは養老鉄道「養老駅」から徒歩約50分、または公園管理駐車場から遊歩道を歩いて約30分で到着します。
滝のすぐ近くにはベンチが設置されており、間近からその雄大な姿を眺めることができます。
四季折々の魅力
春は桜、夏は新緑、秋は紅葉と、養老の滝は季節ごとに異なる表情を見せてくれます。
特に秋の紅葉は「飛騨・美濃紅葉33選」にも選ばれており、赤や黄色に染まった山々と白い水流のコントラストは絶景です。
冬には雪化粧をまとった幻想的な姿も見られることがあります。
周辺スポット
養老公園内には、現代芸術家・荒川修作とマドリン・ギンズが手がけた体験型芸術庭園「養老天命反転地」もあります。
また、養老の滝のふもとにある養老神社や養老寺も、孝子伝説ゆかりの場所として訪れる価値があるでしょう。
まとめ
養老の滝は、美しい自然と深い歴史が重なり合う場所です。
鎌倉時代の説話集に残る孝子伝説は、親を思う子の孝行心が奇跡を呼ぶという、日本人の心に響く物語として語り継がれてきました。
そして、その背景には『続日本紀』に記された元正天皇の行幸と「養老」への改元という歴史的事実があります。
能楽や浮世絵にも描かれ、現代では居酒屋チェーンの名前にまでなった養老の滝。
岐阜県を訪れる際には、1300年以上の歴史を持つこの名瀑に足を運んでみてはいかがでしょうか。
古事記・日本書紀に登場する主な神様一覧も、日本の神話や歴史に興味がある方にはおすすめです。
参考情報
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この記事で参照した情報源
一次資料
- 『続日本紀』(797年成立) – 霊亀3年(717年)の元正天皇行幸と養老改元の記録を含む、奈良時代の正史
- 『十訓抄』(1252年) – 鎌倉時代の説話集。養老の孝子伝説を収録
- 『古今著聞集』(橘成季、1254年) – 鎌倉時代の説話集。養老の孝子伝説の別バージョンを収録
信頼できる二次資料・公式情報
- 養老公園公式サイト – 養老の滝・養老公園の基本情報とアクセス
- 岐阜県公式サイト「名水百選 養老の滝・菊水泉」 – 環境庁名水百選の選定情報と孝子伝説の紹介
- 養老町公式サイト – 養老の滝と養老寺縁起に関する情報
- the能.com「養老」演目事典 – 能楽『養老』のあらすじと参考文献
- 能楽協会「養老」 – 能楽『養老』の解説
参考になる外部サイト
- Wikipedia「養老の滝」 – 養老の滝の基本情報と歴史的背景の概要


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