死んでしまった妻を取り戻そうと、イザナギが黄泉の国へ向かった話を聞いたことはありますか?
その帰り道、イザナギは恐ろしい追手に命からがら逃げることになりました。
その追手こそが「ヨモツシコメ」という、黄泉の国に住む不気味な存在だったのです。
この記事では、日本神話最古の文献『古事記』に登場する「ヨモツシコメ」について、その正体や役割、イザナギとの追跡劇を分かりやすくご紹介します。
概要

ヨモツシコメは、日本神話に登場する黄泉の国の住人です。
『古事記』では予母都志許売(豫母都志許賣)、『日本書紀』では泉津醜女と表記されます。別名を泉津日狭女(ヨモツヒサメ)ともいいます。
黄泉の国とは、死者が行く地下の世界のこと。イザナミが火の神カグツチを産んで亡くなった後、この世界の支配者となりました。
ヨモツシコメは、そのイザナミに仕える存在として『古事記』と『日本書紀』の「黄泉国訪問」の場面に登場します。神なのか怪物なのかは文献によって解釈が分かれますが、いずれにしても恐ろしい力を持った黄泉の国の住人なんですね。
姿・見た目
実は、ヨモツシコメの具体的な姿については、『古事記』にも『日本書紀』にも詳しい描写がありません。
ただし、シコメ(醜女)という名前から、次のようなことが分かります。
名前から読み取れる特徴
- 「シコ」:醜い、という意味
- 「メ」:女性を表す言葉
- 「ヨモツ」:黄泉の国の、という意味
つまり、文字通り解釈すれば「黄泉の国の醜い女」ということになります。
人数について
『古事記』では単に「予母都志許売」としか書かれておらず、人数は不明です。
一方、『日本書紀』の一書第六には八人の泉津醜女、または泉津日狭女と記されています。複数いたと考えられているんですね。
死と汚れに満ちた黄泉の国の住人ですから、きっと恐ろしい姿をしていたのでしょう。
特徴

ヨモツシコメの最大の特徴は、その執拗な追跡能力です。
主な役割
- イザナミの命令で動く:主人であるイザナミの指示に従う
- 追跡者としての役割:黄泉の国から逃げる者を追いかける
- 食べ物に弱い:食べ物が現れるとそれに夢中になってしまう
イザナミに「私に恥をかかせた」と怒られたイザナギを捕まえるため、ヨモツシコメは執拗に追いかけました。
しかし、不思議なことに、イザナギが投げた物から生えた食べ物を見つけると、追跡を中断してそれを食べてしまうんです。この特徴が、イザナギが逃げ切るための重要な鍵となりました。
伝承
ヨモツシコメが登場する最も有名な物語が、イザナギの黄泉国訪問の場面です。
物語の背景
火の神を産んで亡くなったイザナミ。夫のイザナギは妻に会いたくて、死者の世界である黄泉の国まで追いかけていきました。
イザナミは「私を見ないでください」と言いましたが、待ちきれなくなったイザナギは火を灯して中を覗いてしまいます。そこには、ウジ虫がわき、体中に雷神が生じた、変わり果てたイザナミの姿がありました。
追跡劇の始まり
驚いて逃げ出したイザナギ。これに怒ったイザナミは、ヨモツシコメに追わせました。
第一の妨害:黒御縵(クロミカズラ)
イザナギは髪飾りの黒御縵を取って投げつけました。すると、そこから山葡萄が生えてきたのです。
ヨモツシコメはこれを見つけると、追跡をやめて葡萄を食べ始めました。その間にイザナギは距離を稼いで逃げます。
第二の妨害:湯津々間櫛(ユツツマグシ)
食べ終わったヨモツシコメが再び追いかけてきました。今度はイザナギは右の角髪(みずら)に刺していた湯津々間櫛を引っ掻いて投げました。
すると今度は筍(たけのこ)が生えてきたのです。またしてもヨモツシコメはこれを食べ始め、イザナギはさらに逃げることができました。
その後の展開
『日本書紀』の別伝では、イザナギが大樹に向かって放尿すると巨大な川となり、ヨモツシコメたちが川を渡っている間に逃げ切ったという記述もあります。
最終的にイザナギは黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)という、黄泉の国とこの世の境界にある坂まで辿り着き、千引の岩という巨大な岩で道を塞いで脱出に成功しました。
名前の意味

ヨモツシコメの「シコ」という言葉には、実は深い意味があります。
シコの解釈
単純に「醜い」という意味だけではないんですね。研究者の間では、次のような説があります。
他界・死と関係する存在説
黄泉の国が死と深く関わっている点に注目した説です。同じく「シコ」を名に持つ葦原色許男(アシハラシコヲ)という神も、根の国(死に関わる世界)での試練を経験しています。
このことから、シコメ・シコヲは他界や死と密接な関係を持つ存在だと考えられているんです。
外部者・よそ者説
黄泉の国は葦原中国(地上の世界)から見て外部の世界です。そこに住むヨモツシコメは、規範から逸脱した「よそ者」という意味を持つという説もあります。
霊魂の具現化説
「シコ」と「モノ」(霊的な存在)を互換性のある言葉と見る説です。決まった形を持たない霊魂(モノ)が具体的な形を取るとシコになる、という考え方なんですね。
この説では、ヨモツシコメは死の穢れという黄泉国の持つ負の力を具現化させた存在として登場していると解釈されています。
鬼女ではない?
現代ではヨモツシコメを「鬼女」と解釈することがありますが、実は『古事記』にも『日本書紀』にも、シコメを鬼とする記述はありません。
性別が明記される鬼は仏教の影響を受けた特徴なので、ヨモツシコメは仏教説話の鬼とは別の存在として考えるべきだという意見もあります。
まとめ
ヨモツシコメは、日本神話における黄泉の国の恐ろしい追跡者です。
重要なポイント
- 黄泉の国の支配者イザナミに仕える存在
- 「黄泉の国の醜い女」という意味の名前
- イザナギを執拗に追いかけたが、食べ物に弱かった
- 黒御縵から生えた山葡萄と、湯津々間櫛から生えた筍を食べて足止めされた
- 「シコ」は単に「醜い」だけでなく、死や他界と関係する深い意味を持つ
- 『古事記』と『日本書紀』の黄泉国訪問の場面に登場
- 日本最古の「追跡劇」を演じた重要な存在
イザナギとイザナミの別離という、日本神話の重要な場面を演出したヨモツシコメ。単なる脇役のように見えて、実は生と死の境界を象徴する、とても意味深い存在なんですね。


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