オーストラリア先住民の神話に登場するイー(Yhi)は、太陽と光を司る女神です。暗闇に包まれた世界に光をもたらし、すべての生命を創造したとされる彼女の物語は、6万年以上続くとされる世界最古の文化の一つを象徴しています。
イーの基本情報
イー(Yhi)は、オーストラリア先住民の中でも特にウィラジュリ族(Wiradjuri)、ユアライ族(Euahlayi)、ガミラライ族(Gamilaraay)の間で語り継がれてきた太陽神です。彼女の名前は各部族の言語で「太陽」を意味し、ヤーイ(Yaay)、ヤラーイ(Yaraay)、イライ(Yiray)など、部族によって発音が異なります。
イーは単なる太陽の擬人化ではなく、光そのもの、そして生命を生み出す力の化身とされています。彼女の神話は、オーストラリア先住民の精神世界の根幹をなすドリームタイム(Dreamtime)の時代に起きた出来事として語られます。
ドリームタイムとは
イーの物語を理解するには、ドリームタイム(Dreamtime)という概念を知る必要があります。ドリームタイムは、世界が創造された神話的な時代を指す言葉で、過去・現在・未来が同時に存在する精神的な次元とされています。
この時代に、祖霊たちが大地を旅し、山や川、動植物を創造しました。イーもまた、このドリームタイムに活躍した偉大な存在の一人なんです。
イーの創造神話:世界に光をもたらす
暗闇に包まれた世界
はるか昔、世界は完全な暗闇に包まれていました。音もなく、動きもなく、生命もない静寂の世界です。草木も、風も、生き物の鳴き声も、何一つ存在しませんでした。
この世界で、イーは深い眠りについていました。
バイアミの呼びかけ
偉大なる精霊バイアミ(Baiame)は、この世界に変化が必要だと感じ、眠っているイーに呼びかけました。
イーが目を開いた瞬間、彼女の瞳から光が溢れ出し、暗闇が消え去りました。彼女の体から放たれる光は、まるで無数の光の矢のように世界を照らし出したといいます。
大地を歩くイー
イーは地上へと降り立ち、東へ、西へ、北へ、南へと歩き始めました。彼女の足跡が触れた場所には次々と植物が芽吹き、草、低木、樹木、花が大地を覆い尽くしていきました。植物たちは光の源であるイーに向かって枝を伸ばし、世界は緑と色彩に満ちあふれました。
地下の洞窟へ
植物で覆われた世界を見たイーは、次に動くものを創りたいと考えました。彼女は地下深くの氷に覆われた洞窟へと入っていきます。
そこには悪霊たちが潜んでおり、イーを歌で殺そうとしました。「眠れ、眠れ」「帰れ、帰れ」と彼女を追い払おうとする悪霊たち。しかしイーの温かな光は悪霊を退散させ、洞窟の中で眠っていた生命の種を目覚めさせました。
光に触れた命の種は、蝶、蜂、無数の昆虫へと姿を変え、イーの周りを舞い始めました。昆虫たちは洞窟から飛び出し、外で待っていた植物たちと交わり始めます。
すべての生き物の誕生
イーはさらに山の中の氷の洞窟へと入っていきました。彼女の温もりが氷を溶かし、水となって流れ出します。氷の中に閉じ込められていた形なき存在たちは、魚、ヘビ、トカゲへと姿を変え、新たに生まれた湖や川、草むらへと飛び込んでいきました。
次々と洞窟を訪れるイー。その度に、鳥たちや哺乳類、両生類が溢れ出し、光に満ちた世界へと解き放たれました。
太陽となったイー
すべての生き物を創造し終えたイーは、自らの世界へと帰る時が来たと感じました。
彼女は創造物たちに祝福を与えます。「季節の移り変わりを授けよう。そして、あなたたちが死んだとき、その魂は私のもとへ来て、空の中で私と共にいるでしょう」
そう告げると、イーは光の球となって空へと昇り、西の地平線へと沈んでいきました。
最初の夜と最初の朝
イーが去ると、再び暗闇が世界を覆いました。生き物たちは悲しみに包まれ、「イーは戻ってこないのでは」と恐れました。
しかし、長い時間が経ち、生き物たちが眠りについた後、東の空が明るくなり始めます。そして再びイーの光が世界を照らしたのです。
こうして生き物たちは理解しました。イーは約束通り戻ってきた。そして夜の後には必ず朝が来ることを。
これが、昼と夜のサイクルの始まりとされています。
動物たちの変容
創造から長い年月が経ったある日、動物たちはイーに会いたくなり、彼女を呼びました。イーは再び地上に降り立ち、「どうしたのですか?」と尋ねます。
すると動物たちは、それぞれの願いを口にしました。
- カンガルーは「跳びたい」と言いました
- ウォンバットは「地面を這いたい」と言いました
- アザラシは「泳ぎたい」と言いました
- トカゲは「脚が欲しい」と言いました
- コウモリは「翼が欲しい」と言いました
- カモノハシは「すべてが少しずつ欲しい」と言いました
イーは優しく微笑み、それぞれの願いを叶えました。カンガルーには強力な後ろ脚を、コウモリには翼を、カモノハシにはくちばしと水かきと毛皮を与えたのです。
こうして、オーストラリア独特の動物たちが、今の姿になったとされています。
最初の女性の創造
神話の中には、イーが最初の女性を創造したという物語もあります。
バイアミ(Baiame)が創造した最初の男性は、他の生き物たちとは異なる存在でしたが、孤独でした。それを見たイーは、男性が眠っている間に、一輪の花にすべての力を注ぎ込みます。
男性が目覚めると、そこには花から生まれた美しい女性が立っていました。すべての動物たちが見守る中、最初の人間の夫婦が誕生したのです。
イーが表すもの
イーの神話は、単なる太陽の擬人化ではありません。彼女は以下のような深い意味を持つ存在とされています。
光と生命の象徴
イーは光そのものであり、光がなければ生命は存在しないという真理を体現しています。植物の光合成、動物の活動、すべては太陽の光があってこそです。
創造と変容の力
眠っていた命を目覚めさせ、形なきものに形を与える。イーは創造の力、そして変化を受け入れる柔軟性の象徴でもあります。
約束と循環
毎朝必ず戻ってくるイーは、約束を守ることの大切さ、そして自然の循環を表しています。夜の後には必ず朝が来る。冬の後には必ず春が来る。この確かさは、先住民の世界観の核心です。
すべてのつながり
イーの物語は、太陽と大地、植物と昆虫、動物と人間、すべてが互いに結びついているという思想を表現しています。これはオーストラリア先住民の精神性の根幹をなす考え方です。
現代における意義
イーの神話は、現代のオーストラリアにおいても大きな意味を持ち続けています。
先住民アーティストたちは、イーをテーマにした絵画や彫刻を制作し、彼女の物語を視覚的に表現しています。太陽の光を象徴する金色や、生命を表す鮮やかな色彩が用いられ、伝統的なドットペインティングの技法で描かれることも多いです。
また、イーは女性の力、創造性、そして自然との調和を象徴する存在として、現代のスピリチュアルな文脈でも注目されています。オラクルカードなどにも登場し、光をもたらす存在、暗闇を照らす希望の象徴として描かれているんです。
他の太陽神との比較
世界中の神話に太陽神は登場しますが、イーには独特の特徴があります。
多くの文化では太陽神は男性(ギリシャのヘーリオス、エジプトのラー、日本の天照大御神は例外)ですが、イーは女性の太陽神です。これは、オーストラリア南東部の神話に特徴的な要素で、北欧神話のソール、バルト神話のサウレなどと共通しています。
また、イーは単に太陽を動かすだけでなく、自ら太陽になるという点も独特です。彼女は光の球となって空へ昇り、太陽そのものとなりました。これは、神と自然現象が一体化するという、先住民神話ならではの世界観を表しています。
伝承を記録した人々
イーの物語が現代まで伝わったのは、19世紀末から20世紀にかけて先住民の伝承を記録した人々の功績によるものです。
特に重要なのが、K・ラングロー・パーカー(Katie Langloh Parker、1856-1940)です。彼女はオーストラリアの奥地で生活し、Euahlayi族の人々と親しく交流しました。1896年に出版された『Australian Legendary Tales』(オーストラリア伝説集)は、先住民から直接聞いた物語を英語で記録した最初期の貴重な資料となっています。
パーカーの記録方法は当時としては非常に丁寧なもので、まず年配の先住民に母語で物語を語ってもらい、若い先住民にそれを復唱させて間違いがないか確認し、その上で英語に翻訳するという手順を踏んでいました。
また、A・W・リード(A.W. Reed)の『Aboriginal Myths, Legends and Fables』(1982)も、イーの神話を詳しく記録した重要な文献です。
これらの記録がなければ、イーの物語は失われていたかもしれません。先住民の口承文化と、それを記録した人々の努力が、この美しい神話を今日まで伝えてくれたのです。
先住民文化への敬意
イーの神話を知る上で忘れてはならないのは、これがオーストラリア先住民の神聖な物語であるということです。
先住民の文化には、部族外の者には明かされない「秘密」の知識や儀式が存在します。ここで紹介したのは、公開されている範囲の物語であり、先住民の精神世界のほんの一部に過ぎません。
また、オーストラリア先住民は500以上の部族に分かれ、200以上の言語を持つ多様な文化集団です。イーの物語は主に南東部の部族に伝わるもので、他の地域には異なる太陽神の物語が存在します。
たとえば、中央オーストラリアのArrernte族ではイーはNyiruやGnoweeと呼ばれ、北部のYolngu族ではBila(太陽女)として知られています。同じ太陽神でも、部族によって名前や物語の詳細が異なるのです。
これらの物語は、6万年以上にわたって大地と共に生きてきた人々の知恵と精神性が凝縮されたものであり、深い敬意を持って接するべきものといえるでしょう。
まとめ
イー(Yhi)は、オーストラリア先住民神話における太陽と光の女神です。
- ドリームタイムの時代、バイアミ(Baiame)に目覚めさせられ世界に光をもたらした
- 歩いた場所に植物を、洞窟から昆虫や動物を創造した
- 動物たちに現在の姿を与えた
- 自ら光の球となって太陽になった
- 毎日昇って沈むことで、昼と夜のサイクルを作った
イーの物語は、光と生命、創造と変容、約束と循環という普遍的なテーマを、美しい詩的な形で表現しています。世界最古の文化の一つから生まれたこの神話は、今日でも多くの人々に感動を与え続けているんです。


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