ウィリアム・ハーヴェイとは?血液循環を発見した医師の生涯と功績

神話・歴史・文化

「心臓から血液が送り出されて、また心臓に戻ってくる」
今では小学生でも知っている常識ですよね。

でも17世紀までは、医学の世界でまったく違う考えが1500年近くも信じられていたんです。
それを覆したのが、イギリスの医師ウィリアム・ハーヴェイでした。

この記事では、医学史を変えた偉大な発見と、その発見者ハーヴェイの生涯を紹介します。

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ウィリアム・ハーヴェイとは?

ウィリアム・ハーヴェイは、1578年4月1日にイギリス・ケント州フォークストンで生まれた解剖学者・医師です。
1657年6月3日に79歳で亡くなりました。

彼の最大の功績は、血液循環のしくみを発見したこと
1628年に発表した著書『動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究』(通称『De Motu Cordis』)で、血液が体内を循環していることを実験と観察によって証明しました。

この発見は、医学界に衝撃を与えただけでなく、実験による科学的手法を医学に持ち込んだという点でも画期的でした。

ハーヴェイ以前の医学——1500年間信じられた”常識”

ガレノスの学説が支配していた

ハーヴェイが登場する前、ヨーロッパの医学界では古代ローマの医師ガレノス(2世紀)の学説が絶対的な権威でした。

ガレノスの考えはこうです:

  • 血液は肝臓で作られる
  • 血液は静脈を通って全身に運ばれる
  • 体の末端で消滅する(または”精気”になって消費される)
  • 血液は循環しない

つまり、血液は心臓から出て、二度と戻ってこないと考えられていたんですね。

なぜこんな間違いが1500年も続いたのか?

当時は解剖が禁止されていたり、実験よりも権威ある古典の記述が重視されたりしていました。
誰かが「おかしいな?」と思っても、ガレノスの権威に逆らうことは許されなかったんです。

でも16世紀になると、ヴェサリウスなどの解剖学者が実際に人体を解剖して詳しく調べるようになりました。
すると、ガレノスの説には明らかに矛盾があることが分かってきたんです。

運命の出会い——パドヴァ大学での学び

ハーヴェイは1597年にケンブリッジ大学を卒業した後、当時ヨーロッパ最高峰の医学校だったイタリアのパドヴァ大学に留学しました。

師匠ファブリキウスとの出会い

パドヴァ大学でハーヴェイが師事したのが、解剖学者ヒエロニムス・ファブリキウスです。
ファブリキウスは静脈弁を発見した人物でした。

静脈弁とは、静脈の中にある小さな弁で、血液が逆流しないようにする仕組みです。
ファブリキウスは「静脈弁は心臓の方向に向かって並んでいる」ことに気づいていました。

でも彼自身は、この発見の意味を完全には理解していなかったんです。
血液が心臓に戻っている証拠を目の前にしながら、まだガレノスの学説を信じていたんですね。

この静脈弁の発見が、後にハーヴェイの血液循環説の重要な根拠になります。

ガリレオも教えていたパドヴァ大学

ちなみに、ハーヴェイがパドヴァ大学で学んでいた頃、あの有名なガリレオ・ガリレイも数学や天文学を教えていました。
ガリレオの科学的思考法——観察と実験を重視する姿勢——は、ハーヴェイに大きな影響を与えたとされています。

イギリスに帰国、そして王室の侍医へ

1602年にパドヴァ大学で医学博士号を取得したハーヴェイは、イギリスに帰国しました。

帰国後は:

  • ロンドン王立内科医師会の会員に
  • セント・バーソロミュー病院の医師に
  • 1618年、ジェームズ1世の侍医に任命
  • 後にチャールズ1世にも仕える

侍医という地位は、当時の医師にとって最高の名誉でした。
ハーヴェイは優れた臨床医としても評価されていたんですね。

血液循環の発見——20年かけた慎重な研究

ハーヴェイが注目したポイント

ハーヴェイは動物を解剖しながら、いくつかの疑問を抱きました。

疑問1:心臓から送り出される血液の量が多すぎる
彼は心臓の左心室の容積を測り、心臓が1回の拍動で送り出す血液の量を計算しました。
すると、30分で心臓が送り出す血液の量は、人間の体全体に含まれる血液の量よりも多いことが分かったんです。

もしガレノスの説が正しいなら、肝臓は毎日とんでもない量の血液を作らなければならない——これは明らかにおかしいですよね。

疑問2:静脈弁はなぜ心臓の方向を向いている?
師匠ファブリキウスが発見した静脈弁。
もし血液が心臓から末端に向かって流れるだけなら、なぜ弁は心臓の方向を向いているのでしょうか?

ハーヴェィは「血液は末端から心臓に向かって流れているからだ」と考えました。

疑問3:心室の壁には穴がない
ガレノスは「血液は右心室から左心室に、心室の壁にある目に見えない小さな穴を通って移動する」と主張していました。
でもハーヴェイが実際に解剖してみると、心室の壁は厚くて、そんな穴はどこにもなかったんです。

実験で証明した

ハーヴェイは腕に帯を巻いて締め上げる実験を行いました。

実験1:帯をきつく締めた場合
動脈も静脈も完全に圧迫されると、腕全体が真っ白になって血液が入ってこなくなります。

実験2:帯を緩めに締めた場合
静脈だけが圧迫されて、動脈は血液が流れ続けます。
すると、静脈が膨れ上がって弁がくっきり見えるようになりました。

静脈弁の位置を押さえて血液を末端側に押し戻そうとしても、血液は動きません。
でも心臓側に押すと、スムーズに流れていきました。

これは血液が静脈を通って心臓に戻っている決定的な証拠でした。

肺循環も証明

ハーヴェイは、右心室から肺動脈を通って肺に送られた血液が、肺静脈を通って左心室に戻ることも実験で示しました。
死体の肺動脈に水を注入すると、その水が左心室に流れ出てきたんです。

こうして彼は次のことを証明しました:

  • 心臓は血液を送り出すポンプである
  • 血液は動脈を通って全身に運ばれる
  • 静脈を通って心臓に戻ってくる
  • 血液は体内を循環している

1628年——72ページの小さな本が世界を変えた

『De Motu Cordis』の出版

ハーヴェイが血液循環の着想を得たのは1618年頃とされています。
でも彼が研究成果を発表したのは、それから10年後の1628年でした。

著書のタイトルは『動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究』(ラテン語でExercitatio Anatomica de Motu Cordis et Sanguinis in Animalibus)。
わずか72ページの小さな本です。

なぜ発表まで10年もかかったのか?

ハーヴェイは本の冒頭でこう書いています:

「以下に述べることは前代未聞のことであることから、私自身に危害が及ぶこと、人類が私の敵となることを恐れる」

1500年間信じられてきた権威を覆すわけですから、激しい反発が予想されたんです。
実際、当時はガリレオが地動説を唱えて幽閉されたり、ブルーノが火あぶりにされたりした時代。
慎重にならざるを得なかったんですね。

だから彼は10年かけて実験を繰り返し、誰も反論できないほど確実な証拠を揃えたんです。

激しい批判、そして受け入れ

予想通り、ハーヴェイの説は激しい批判にさらされました。
保守的な医師たちの中には「ガレノスと共に誤るほうが、ハーヴェイと共に真実を述べるよりましだ」と言った人もいたそうです。

でも実験と観察に基づいた彼の理論は、徐々に支持を集めていきました。
20年後には、ヨーロッパの多くの医学部で血液循環説が教えられるようになったんです。

唯一の謎——毛細血管はどこに?

ハーヴェイの理論には一つだけ、証明できない部分がありました。

動脈と静脈はどこでつながっているのか?

ハーヴェイは「血液は肉の中の小さな孔を通って動脈から静脈に移動する」と推測しました。
でも当時の技術では、それを直接見ることはできなかったんです。

この謎が解けたのは、ハーヴェイの死後4年経った1661年。
イタリアの学者マルチェロ・マルピーギが顕微鏡を使ってカエルの肺を観察し、毛細血管を発見しました。

動脈と静脈をつなぐ網の目のような細い血管——これがハーヴェイの理論の最後のピースでした。

ハーヴェイが遺したもの

医学に実験を持ち込んだパイオニア

ハーヴェイの功績は、血液循環を発見しただけではありません。
観察と実験によって仮説を証明するという科学的手法を医学に導入したことも、同じくらい重要です。

それまでの医学は、古い文献に書かれたことを信じるだけでした。
でもハーヴェイは「自分の目で見て、自分の手で確かめる」ことを重視したんです。

これが現代の実験医学の出発点になりました。

新しい医療への道

血液循環が明らかになったことで、その後の医学は大きく進歩しました:

  • 輸血の開発
  • 注射による薬の投与
  • 血圧の測定
  • 循環器疾患の理解

どれも血液循環の発見がなければ、実現しなかったものばかりです。

まとめ

ウィリアム・ハーヴェイの主な功績

  • 血液循環のしくみを発見(1628年)
  • 実験と観察による科学的手法を医学に導入
  • 1500年続いたガレノスの学説を覆した

血液循環説の要点

  • 心臓はポンプとして血液を送り出す
  • 血液は動脈を通って全身に運ばれる
  • 静脈を通って心臓に戻ってくる
  • 血液は体内を循環している

ハーヴェイの生涯

  • 1578年:イギリス・フォークストン生まれ
  • 1597年:ケンブリッジ大学卒業
  • 1602年:パドヴァ大学で医学博士取得
  • 1618年:ジェームズ1世の侍医に
  • 1628年:『De Motu Cordis』出版
  • 1657年:79歳で死去

ハーヴェイは、権威に盲従せず、自分の目で真実を見極めた科学者でした。
彼の発見は医学史における最大級の功績の一つとされ、現代医学の礎となっています。

「血液が体の中をぐるぐる回っている」——この当たり前の事実の裏には、ハーヴェイの勇気ある挑戦と、地道な研究の積み重ねがあったんですね。

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