ワイルドバンチ強盗団|西部開拓時代最後の無法者たち

神話・歴史・文化

荒野を駆け、列車を襲い、銀行から大金を奪う——。
そんな西部劇のヒーローのようなアウトローたちが、19世紀末のアメリカに実在しました。
その名も「ワイルドバンチ強盗団」。

約5年間にわたってアメリカ西部を荒らし回り、伝説となった無法者集団です。
リーダーのブッチ・キャシディは「不殺の強盗」を標榜し、人々から義賊のように慕われたとか。
でも実際のところ、その評判は本当だったのでしょうか?

この記事では、ワイルドバンチ強盗団の活動実態から最期まで、史実に基づいて解説します。

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ワイルドバンチ強盗団とは

ワイルドバンチ強盗団は、1896年から1901年にかけてアメリカ西部で活動した強盗団です。
正式には「ブッチ・キャシディのワイルドバンチ」と呼ばれ、リーダーのブッチ・キャシディが率いていました。

活動範囲は広大で、ワイオミング、ユタ、コロラド、ネバダ、モンタナ、アイダホの各州を股にかけていたんです。
銀行強盗、列車強盗、給料輸送の襲撃など、当時の「金のあるところ」を狙いました。

面白いのは、この強盗団が「組織」というより「緩やかな連合体」だった点。
メンバーは固定されておらず、強盗の度に集まっては散り散りになる流動的なスタイルでした。

ちなみに「ワイルドバンチ」という名前は、1893年にウィリアム・ドゥーリンが率いた別の強盗団から拝借したもの。
先輩アウトローへのリスペクトってやつですね。

「壁の穴強盗団」「壁の穴ギャング」という別名もあります。
これは彼らの根城があった場所の名前からきています。

リーダー:ブッチ・キャシディ

ブッチ・キャシディの本名はロバート・ルロイ・パーカー。
1866年4月13日、ユタ州ビーバーでモルモン教徒の家庭に生まれました。

13人兄弟の長男として育ちましたが、10代前半で家を出て酪農場で働き始めます。
そこで出会ったのが、馬泥棒で牛泥棒のマイク・キャシディという男。
若きパーカーはこの「師匠」を尊敬し、その指導を受けました。

後にワイオミング州ロックスプリングスで屠殺業(butcher)として働いた際、「ブッチ」というあだ名がつきます。
そして尊敬する師匠の苗字「キャシディ」を拝借して、「ブッチ・キャシディ」を名乗るようになったんです。

彼の最初の「犯罪」は、ちょっとユーモラスなエピソード。
1880年頃、日曜日に町の服屋で買い物をしようとしたところ、店が閉まっていました。
困ったブッチは店に侵入してジーンズ1着を持ち出しますが、「次に来た時に払います」という借用証書を残したんです。

店主は怒って告訴しましたが、陪審裁判で無罪放免。
なんとも西部らしいエピソードですよね。

1894年、ブッチは馬泥棒の罪でワイオミング州の刑務所に2年の刑で収監されます。
しかし18ヶ月で釈放され、1896年1月に仮釈放されました。
このとき、ワイオミング州内で二度と犯罪を犯さないという条件が付けられていました。

出所後、ブッチはワイルドバンチ強盗団を結成。
彼は「人を殺したことがない」と豪語し、強盗中も極力暴力を避けようとしたと言われています。

実際のところ、ブッチ自身は確かに殺人を犯していないとされていますが、彼の仲間たちは別でした。
血の気の多いメンバーが追跡中に多くの法執行官を殺害しており、「不殺の強盗団」という評判は半分神話だったんです。

それでも、当時の基準からすれば「紳士的な強盗」だったのは確か。
個人の乗客からは盗まず、あくまで鉄道会社や銀行といった「富裕層」を標的にしました。

相棒:サンダンス・キッド

ブッチの相棒として有名なのが、サンダンス・キッド。
本名はハリー・アロンゾ・ロングボー、1867年生まれです。

「サンダンス」というあだ名は、彼が1887年に馬泥棒で収監されたワイオミング州サンダンスの刑務所に由来しています。
1年半の服役を終えて出所したとき、この新しいニックネームとともに「アウトロー人生」が始まりました。

意外なことに、ブッチとサンダンスが実際に一緒に強盗をしたのは、アメリカ国内ではたった2〜3回。
二人が「伝説の相棒コンビ」になったのは、南米へ一緒に逃亡し、そして一緒に最期を迎えたからなんです。

もし南米行きがなければ、1969年の映画『明日に向って撃て!』も作られなかったでしょうし、今日これほど有名なデュオにはなっていなかったはず。

サンダンスには謎の恋人、エッタ・プレースがいました。
彼女の本名や出自は今でも謎に包まれています。
1901年、ブッチとサンダンスが南米へ逃亡する際、エッタも同行しました。

主要メンバー

ワイルドバンチ強盗団には約20人のメンバーがいましたが、全員が常に行動を共にしていたわけではありません。
強盗ごとに数人ずつ集まって実行し、終われば散り散りになるスタイルでした。

エルジー・レイ
ブッチの親友で、ワイルドバンチ共同創設者の一人。
1899年7月11日、ニューメキシコ州フォルサム近郊の列車強盗で2人の法執行官を殺害し、自らも負傷して逮捕されました。
終身刑を宣告されましたが、模範囚として1906年に釈放され、1934年まで生きました。

ハービー・ローガン(キッド・カーリー)
ワイルドバンチの中で最も恐れられたメンバー。
保安官と警察官を計9人殺害し、銃撃戦で2人の一般市民も巻き添えにしました。
1901年に逮捕され20年の刑を宣告されましたが、1903年に脱獄。
1904年、コロラド州パラシュート近郊の列車強盗後に自殺したとされています。

ベン・キルパトリック(トール・テキサン)
1901年に逮捕され、強盗罪で15年の刑を宣告されました。
1911年に釈放されましたが、翌1912年、テキサス州サンダーソンで列車強盗を試みた際、車掌に撃ち殺されました。

ウィリアム・カーヴァー(ニュース)
1901年4月1日、テキサス州ソノラで保安官エライジャ・ブライアントと保安官代理に待ち伏せされ、銃撃されて3時間後に死亡しました。

ジョージ・カーリー(フラットノーズ)
少なくとも2人の法執行官を殺害。
1900年4月17日、ユタ州グランドカントリーで保安官ジェシー・タイラーに射殺されました。

ローラ・ブリオン(ローズ・オブ・ザ・ワイルドバンチ)
1876年頃、テキサス州ニッカーボッカー生まれの女性メンバー。
盗品の換金や情報提供で強盗団を支えました。
ベン・キルパトリックの恋人でもあり、1901年に彼とともに逮捕されて服役。
1905年に釈放され、その後は裁縫師として静かに暮らし、1961年にメンフィスで亡くなりました。
ワイルドバンチ最後の生き残りです。

根城と活動範囲

ワイルドバンチ強盗団には、いくつかの秘密基地がありました。

ホール・イン・ザ・ウォール(壁の穴)
ワイオミング州ジョンソン郡にある天然の要塞。
岩山に囲まれた草原で、入口が狭く常に見張りを置いていたため、追手から逃れるのに最適でした。
「壁の穴強盗団」という別名はここから来ています。

ロバーズ・ルースト(泥棒の止まり木)
ユタ州東中部にある、ほとんど侵入不可能な険しい峡谷地帯。
盗んだ馬や牛を隠しておける牧草地もありました。

ブラウンズ・ホール(現ブラウンズ・パーク)
ワイオミング、コロラド、ユタの州境が交わるグリーン川沿いの隠れ谷。
1896年8月18日、ここに200人以上のアウトローが集まり、ブッチが「列車強盗シンジケート」の結成を提案したという伝説があります。

これらの隠れ家には小屋や囲い場があり、強盗の準備や休息の場として機能していました。
また、地元の牧場主たちとも協力関係にあり、新鮮な馬や食料の補給を受けていたんです。

主な強盗事件

ワイルドバンチ強盗団の5年間の「輝かしいキャリア」を、時系列で見ていきましょう。

1896年8月13日:モントピリア銀行強盗(アイダホ州)
ブッチ、エルジー・レイ、ハービー・ローガン、ボブ・ミークスがアイダホ州モントピリアの銀行を襲撃。
約7,000ドル(現在の価値で約50万ドル)を奪いました。
これがワイルドバンチとしての最初の大仕事です。

1897年4月21日:キャッスルゲート給料強奪(ユタ州)
ユタ州キャッスルゲートの炭鉱町で、プリーザント・バレー石炭会社の給料を輸送中の男たちを襲撃。
金貨の入った袋から9,860ドル(現在の価値で約30万ドル)を奪いました。

1899年6月2日:ウィルコックス列車強盗(ワイオミング州)
午前1時、ワイオミング州ウィルコックス近郊でユニオン・パシフィック鉄道の急行列車を襲撃。
白いナプキンで作った覆面をかぶり、車両を切り離してダイナマイトで金庫を爆破。
30,000〜60,000ドル(現在の価値で約150万〜180万ドル)を奪いました。

この事件は大規模な追跡劇を引き起こし、多くの保安官が捜査に参加しましたが、犯人は見つかりませんでした。
ブッチ自身はこの強盗には参加していなかった可能性が高いとされています。
なぜなら、彼は1896年の仮釈放時に「ワイオミング州内で犯罪を犯さない」という条件を受け入れていたからです。

1900年8月29日:ティプトン列車強盗(ワイオミング州)
ブッチ、サンダンス、ハービー・ローガン、ウィリアム・カーヴァーがワイオミング州ティプトン近郊でユニオン・パシフィック鉄道の列車を襲撃。
約55,000ドル(現在の価値で約170万ドル)を奪いました。

この強盗でブッチは仮釈放の約束を破ってしまい、恩赦の可能性は完全に消えました。

1900年9月19日:ワイネマッカ銀行強盗(ネバダ州)
ティプトンの強盗から1ヶ月も経たないうちに、今度はネバダ州ワイネマッカのファースト・ナショナル・バンクを襲撃。
32,640ドル(現在の価値で約100万ドル)を奪いました。

1900年12月:フォートワースでの集合写真
この頃、ブッチ、サンダンス、ハービー・ローガン、ウィル・カーヴァー、ベン・キルパトリックの5人が、テキサス州フォートワースで写真撮影。
まるで実業家のような正装姿で写ったこの「フォートワース・ファイブ」の写真は、後にピンカートン探偵社の手配書に使われることになります。

1901年7月3日:ワグナー列車強盗(モンタナ州)
ハービー・ローガンらがモンタナ州ワグナー近郊でグレート・ノーザン鉄道の列車を襲撃。
40,000〜60,000ドル(現在の価値で約173万ドル)を奪いました。

この強盗には4〜6人の強盗が参加しましたが、ブッチとサンダンスはすでにアルゼンチンへ向かう準備をしていました。
これがワイルドバンチ強盗団の、アメリカ国内での最後の大仕事となりました。

5年間の活動で、強盗団が奪った総額は20万ドル以上(現在の価値で約600万ドル以上)とされています。

追跡と逃亡

ワイルドバンチ強盗団の宿敵が、ピンカートン探偵社でした。

ピンカートン探偵社は1850年に設立された民間の探偵会社で、銀行や鉄道会社から依頼を受けて犯罪者を追跡していました。
後にアメリカのシークレットサービスの母体となる組織です。

ウィルコックス列車強盗の24時間以内に、ピンカートン探偵社の探偵たちは現場に到着。
執拗な追跡が始まりました。

ユニオン・パシフィック鉄道は、ブッチに対して恩赦を提案したこともあります。
「強盗をやめて、うちの会社で護衛として働かないか」という条件でした。
しかしブッチはこの申し出を断りました。

1899年、ブッチはユタ州知事に恩赦を申請しようとしました。
知事は「ユニオン・パシフィック鉄道に告訴を取り下げてもらえ」とアドバイス。
交渉が行われた可能性はありますが、1900年のティプトン強盗で全ては終わりました。

追跡は激しさを増し、メンバーは次々と捕まるか殺されていきました。
1901年2月、ブッチとサンダンスは決断します。
「アメリカにはもういられない」と。

二人はニューヨークへ向かい、サンダンスの恋人エッタ・プレースも合流。
1901年、3人はアルゼンチン行きの船に乗り込みました。

南米では、アルゼンチンやボリビアで牧場を経営しながら、時折強盗も続けていたようです。

メンバーの最期

ワイルドバンチのメンバーたちの末路は、どれも西部劇さながらのドラマチックなものでした。

ジョージ・カーリーは1900年4月、ユタ州で保安官に射殺。
ウィリアム・カーヴァーは1901年4月、テキサス州で待ち伏せされて死亡。
ハービー・ローガンは1901年に逮捕され、1903年に脱獄後、1904年に死亡。
ベン・キルパトリックは1911年に釈放されるも、翌年の列車強盗で射殺されました。

そして1908年11月7日。
ボリビアのサン・ビセンテという村で、ブッチとサンダンスは軍に包囲されました。
激しい銃撃戦の末、二人は死亡したとされています。

しかし、遺体は確認されていません。
そのため「実は生き延びて、アメリカに戻ってきた」という説が今でも語り継がれています。

ブッチの妹ルラ・パーカー=ベテンソンは、1960年のインタビューで「兄は1920年代に南米から戻ってきて、私たちに会いに来た」と証言。
「兄は1937年頃にネバダ州ジョニーで亡くなった」と語りました。

ワイオミング州バッグスの住民たちも、1924年にブッチがフォードのモデルTを運転して訪れたと主張しています。

真相は今も謎のままです。
ただ一つ確かなのは、ブッチとサンダンスの伝説が、彼らの死後も生き続けているということ。

ちなみに、2008年にボリビアのサン・ビセンテに、二人の手配書や遺骨などを展示する記念館が開館しました。
死から100年後のことです。

現代への影響

ワイルドバンチ強盗団は、アメリカのポップカルチャーに計り知れない影響を与えました。

映画
最も有名なのは、1969年の『明日に向って撃て!』。
ポール・ニューマンがブッチ、ロバート・レッドフォードがサンダンスを演じ、アカデミー賞4部門を受賞。
挿入歌「雨にぬれても」とともに大ヒットしました。

ちなみにロバート・レッドフォードは、この映画に因んで「サンダンス映画祭」を命名しています。

同じ1969年には、サム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』も公開されました。
こちらはワイルドバンチをモチーフにしていますが、史実を元にした物語ではありません。

ゲーム
ロックスター・ゲームスの『レッド・デッド・リデンプション2』に登場する「ヴァン・デア・リンデ・ギャング」は、ワイルドバンチから着想を得ています。
1899年、ギャングが列車の車両をダイナマイトで爆破して強盗を働き、ピンカートン探偵社に追われるという設定は、完全にワイルドバンチへのオマージュです。

マンガ・アニメ
平野耕太のマンガ『ドリフターズ』では、ブッチとサンダンスが「生死不明のまま異世界に漂着した」という設定で登場。
主要キャラクターとして活躍しています。

その他
イーグルスの楽曲には、ワイルドバンチの前身「ドゥーリン・ダルトン・ギャング」を題材にした「Doolin Dalton」があります。
西部開拓時代への郷愁と、アウトローたちへの哀愁が込められた名曲です。

ビリー・ザ・キッド、ジェシー・ジェームズと並んで、ブッチ・キャシディとワイルドバンチは今でもアメリカ西部の象徴として愛され続けています。

参考情報

この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。

英語資料

日本語資料

さらに詳しく知りたい方へ

  • Charles Leerhsen『Butch Cassidy: The True Story of an American Outlaw』(Simon & Schuster, 2020) – 最新の伝記
  • Richard Patterson『Butch Cassidy: A Biography』(1998) – 詳細な伝記
  • Anne Meadows『Digging Up Butch & Sundance』(1996) – 南米での足跡を追った研究書

まとめ

ワイルドバンチ強盗団は、アメリカ西部開拓時代の終焉を象徴する存在です。

約5年間の活動で20万ドル以上を奪い、伝説となりました。
「不殺の紳士的な強盗」という評判は誇張されていたものの、当時の基準では確かに「マシな」アウトローだったのでしょう。

メンバーの多くは追跡の末に命を落としましたが、リーダーのブッチ・キャシディと相棒のサンダンス・キッドは南米へ逃亡。
1908年にボリビアで死亡したとされていますが、生存説も根強く残っています。

1969年の映画『明日に向って撃て!』によって現代に蘇ったワイルドバンチ。
彼らの物語は、自由と冒険、そして逃れられない運命を描いた、アメリカン・ドリームの裏側なのかもしれません。

荒野を駆け抜けた無法者たちの伝説は、これからも語り継がれていくことでしょう。

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