映画やゲームで「オーディン」「トール」という名前を聞いたことはありませんか?
これらは北欧神話に登場するアース神族の神々です。
でも実は、北欧神話にはもうひとつの神々のグループが存在するんです。
それがヴァン神族(Vanir)。
「ヴァン神族って何?」「アース神族とはどう違うの?」と思った方も多いのではないでしょうか。
ヴァン神族は、豊穣や自然、そして魔法を司る神々の一族です。
戦いを好むアース神族とは対照的に、大地の恵みや生命の神秘を象徴する存在として信仰されてきました。
この記事では、北欧神話に登場するヴァン神族の神々を一覧形式で詳しくご紹介します。
ヴァン神族とは?

北欧神話における二大神族
北欧神話には、主に二つの神々のグループが登場します。
アース神族(Æsir)
- 戦争や秩序を司る神々
- オーディン、トール、テュールなどが所属
- 住処はアースガルズ
ヴァン神族(Vanir)
- 豊穣、自然、魔法を司る神々
- ニョルズ、フレイ、フレイヤなどが所属
- 住処はヴァナヘイム
ヴァン神族の「ヴァン」という名前は、古い言葉で「喜び」や「欲望」を意味するとされています。
ラテン語で愛の女神を意味する「Venus(ヴィーナス)」と語源が共通しているという説もあるんです。
アース神族との違いは?
両者の最も大きな違いは、その役割と性質にあります。
| 特徴 | アース神族 | ヴァン神族 |
|---|---|---|
| 主な役割 | 戦争・秩序・知恵 | 豊穣・自然・魔法 |
| 性質 | 武力と権威 | 平和と繁栄 |
| 住処 | アースガルズ | ヴァナヘイム |
| 戦い方 | 武器と力 | 魔法と呪術 |
アース神族が剣や槍で戦うのに対し、ヴァン神族はセイズ(seiðr)と呼ばれる魔法を得意としていました。
セイズは予言や運命を操る呪術で、特にフレイヤがこの魔法の名手として知られています。
神話の出典について
ヴァン神族に関する情報は、主に以下の文献に記されています。
- 古エッダ(詩のエッダ) ── 13世紀にアイスランドで編纂された神話詩集
- スノッリのエッダ(散文エッダ) ── 13世紀にスノッリ・ストゥルソンが著した神話解説書
- ヘイムスクリングラ ── スノッリ・ストゥルソンによるノルウェー王の年代記
これらの文献のみにヴァン神族は登場しており、他のゲルマン系の資料には記録がないという特徴があります。
アース・ヴァン戦争──神話史上初の戦い
戦争のきっかけ:グルヴェイグ事件
ヴァン神族とアース神族は、かつて激しい戦争を繰り広げました。
これは北欧神話における世界最初の戦争とされています。
きっかけは、ヴァン神族の魔女グルヴェイグ(Gullveig)がアースガルズに現れたことでした。
グルヴェイグという名前は「黄金の力」を意味し、彼女はセイズの魔法を使って神々を惑わせたと言われています。
アース神族は彼女を危険視し、槍で突き刺して火で焼き殺そうとしました。
でも、グルヴェイグは3度燃やされても3度蘇りました。
この行為に激怒したヴァン神族は、アース神族に対して宣戦布告。
こうして神々同士の戦争が始まったのです。
なお、一部の学者はグルヴェイグとフレイヤが同一人物ではないかと推測しています。
戦争の経過と和平
戦争は長期にわたって続きましたが、どちらの側も決定的な勝利を収めることはできませんでした。
アース神族は武器と力で戦いましたが、ヴァン神族の魔法は手強く、アースガルズの城壁は魔法によって破壊されてしまいます。
一方、アース神族もヴァナヘイムに大きな被害を与えました。
やがて両陣営は戦いに疲れ、和平を選びます。
古代ゲルマン人の慣習に従い、人質を交換することで和平が結ばれました。
人質交換の内容
ヴァン神族からアース神族へ
- ニョルズ(海と風の神)
- フレイ(豊穣の神)
- フレイヤ(愛と美の女神)
アース神族からヴァン神族へ
- ヘーニル(オーディンの兄弟)
- ミーミル(知恵の神)
しかし、この交換には問題がありました。
ヘーニルは一見賢そうに見えましたが、実際はミーミルの助言なしには何も決められない神だったのです。
これを知ったヴァン神族は騙されたと感じ、ミーミルの首を切り落としてアースガルズに送り返しました。
オーディンはミーミルの首に魔法をかけて保存し、その後も知恵を授けてもらったと言われています。
クヴァシルの誕生
和平を確固たるものにするため、両神族は独特の儀式を行いました。
全員が大きな壺に唾を吐き入れ、その唾液からクヴァシル(Kvasir)という存在が生まれたのです。
クヴァシルはどんな質問にも答えられる知恵者となり、世界中を旅して人々に知識を授けました。
後に彼の血から「詩の蜜酒」が作られ、これを飲んだ者は詩人になれると伝えられています。
主要なヴァン神族の神々
ニョルズ(Njörðr)──海と風と富の神
基本情報
- 古ノルド語表記:Njǫrðr
- 別名:ニヨルド、ニエルド
- 司る分野:海、風、漁業、航海、富
- 住処:ノーアトゥーン(「港」の意)
どんな神?
ニョルズはヴァン神族の長的存在であり、海と風を司る神です。
漁業や航海の守護者として崇められ、彼に祈れば豊漁や安全な航海が約束されると信じられていました。
北欧は厳しい冬が長く、夏の間しか漁ができなかったため、ニョルズは夏の神としての側面も持っています。
また、フィヨルド周辺の農地と関係が深いことから、農業における豊穣神としても信仰されました。
北欧各地には「ニョルズの神殿」「ニョルズの森」「ニョルズの耕地」を意味する地名が多く残っており、非常に崇拝されていたことがわかります。
家族関係
- 息子:フレイ(豊穣の神)
- 娘:フレイヤ(愛の女神)
- 妻:ニョルズの姉妹(名前不明)、後にスカジ
注目すべきは、フレイとフレイヤの母親はニョルズの実の妹だということ。
ヴァン神族では近親婚が普通に行われていたのです。
有名なエピソード:スカジとの結婚
アース神族に人質として移った後、ニョルズは巨人族の娘スカジと結婚します。
スカジの父スィアチは神々に殺されており、彼女は復讐のためにアースガルズにやってきました。
神々は和解の条件として、スカジにアース神族の夫を与えることにしました。
ただし、スカジは男神の足だけを見て夫を選ぶという条件を課されます。
スカジは美男子バルドルを狙っていましたが、最も美しい足を持っていたのはニョルズでした。
彼の足は常に海の波に洗われて美しかったのです。
結婚はしたものの、この夫婦はうまくいきませんでした。
海を愛するニョルズは海辺の館ノーアトゥーンに住みたがり、山とスキーを愛するスカジは山の館スリュムヘイムに住みたがったのです。
2人は9夜ずつ交互に相手の館に泊まることにしましたが、ニョルズは狼の遠吠えを嫌がり、スカジは海鳥の鳴き声で眠れませんでした。
結局、この夫婦は別れてしまいます。
ラグナロクでの運命
多くの神々がラグナロク(終末の戦い)で死ぬ様子が描かれていますが、ニョルズの最期は不明です。
「世界が終わるとき、ヴァン神族のもとへ帰るだろう」とだけ記されています。
フレイ(Freyr)──豊穣と平和の神
基本情報
- 古ノルド語表記:Freyr
- 別名:ユングヴィ(本名)、フローディ、イングナ・フレイ
- 司る分野:豊穣、平和、繁栄、雨、太陽
- 住処:アルフヘイム(妖精の国)
どんな神?
フレイは「主」を意味する名を持つ豊穣の神です。
神々の中で最も美しい容姿を持つとされ、雨と太陽を司り、大地に実りをもたらす存在として非常に崇拝されました。
彼が北欧を支配した時代は「フローディの平和」と呼ばれ、争いのない豊かな時代だったと言われています。
スウェーデン最初の王家ユングリング家は、フレイの子孫を名乗っています。
アース神族とヴァン神族の和平後、フレイは妖精の国アルフヘイムの支配者となりました。
家族関係
- 父:ニョルズ
- 母:ニョルズの姉妹(名前不明)
- 妹:フレイヤ(双子)
- 妻:ゲルズ(巨人族の娘)
- 息子:フィヨルニル
- 従者:スキールニル
所持品
- グルリンブルスティ ── 黄金の毛を持つ猪。暗闘を明るく照らす
- スキーズブラズニル ── 折りたたみ可能な魔法の船。広げると神々全員を乗せられる
- 魔法の剣 ── ひとりでに巨人を倒す剣。しかし後に手放してしまう
有名なエピソード:ゲルズへの求婚
フレイは巨人族の娘ゲルズを見て一目惚れし、恋煩いで衰弱してしまいます。
従者のスキールニルがフレイの代わりに求婚に向かいましたが、その代償として魔法の剣を譲らなければなりませんでした。
スキールニルは魔法と呪いを駆使してゲルズを説得し、フレイは無事に彼女を妻に迎えます。
しかし、この時失った剣が後に大きな問題となるのです。
ラグナロクでの運命
終末の戦いラグナロクで、フレイは炎の巨人スルトと戦います。
しかし、魔法の剣を手放していたため、鹿の角で戦わざるを得ませんでした。
結果、フレイはスルトに敗れて命を落とします。
もし剣を持っていれば勝てたかもしれない、という悲劇的な運命です。
聖獣と信仰
フレイの聖獣は猪と馬でした。
猪は多産の象徴であり、北欧のユール祭(冬至の祭り)ではフレイへの生贄として豚が捧げられました。
この習慣は現代のクリスマスにも受け継がれ、豚の形のお菓子が作られています。
フレイヤ(Freyja)──愛と美と魔法の女神
基本情報
- 古ノルド語表記:Freyja
- 別名:ヴァナディース(「ヴァン神族の女神」の意)、マルデル、ヘルン、ゲヴン
- 司る分野:愛、美、豊穣、魔法(セイズ)、戦、死
- 住処:フォールクヴァング
どんな女神?
フレイヤは「女主人」を意味する名を持つ、愛と美の女神です。
「女性の中で最も美しい存在」と称され、北欧神話で最も人気のある女神の一人でした。
豊穣神としての性格と共に、セイズと呼ばれる魔法の名手でもありました。
セイズは予言や運命を操る呪術で、フレイヤはこの魔法をオーディンに教えたとされています。
また、フレイヤは戦死者を選ぶ役割も持っていました。
戦場で死んだ勇者の半分はオーディンのヴァルハラに、残り半分はフレイヤのフォールクヴァングに迎えられたのです。
家族関係
- 父:ニョルズ
- 母:ニョルズの姉妹(名前不明)
- 兄:フレイ(双子)
- 夫:オーズ
- 娘:フノス、ゲルセミ
所持品
- ブリーシンガメン ── ドワーフが作った黄金(または琥珀)の首飾り。神々をも魅了する
- 鷹の羽衣 ── 着ると鷹に変身できるマント。ロキに貸すこともあった
- 二頭の猫が引く戦車 ── フレイヤの移動手段
有名なエピソード:ブリーシンガメンを手に入れる
フレイヤは4人のドワーフが作った美しい首飾りブリーシンガメンを見て、どうしても欲しくなりました。
ドワーフたちは代金として、フレイヤと一夜ずつ過ごすことを要求。
フレイヤはこれを受け入れ、4夜を彼らと過ごして首飾りを手に入れました。
この話は彼女の奔放さを示すエピソードとして知られています。
有名なエピソード:巨人スリュムの求婚
雷神トールの槌ミョルニルを盗んだ巨人スリュムは、返還の条件としてフレイヤとの結婚を要求しました。
フレイヤは激怒し、首飾りブリーシンガメンが砕けるほど怒りました。
結局、トールがフレイヤに変装して巨人のもとへ向かい、ミョルニルを取り戻すという結末になります。
行方不明の夫オーズ
フレイヤの夫オーズはある日突然姿を消し、行方不明になってしまいます。
フレイヤは世界中を駆け巡って夫を探し、涙を流して悲しみました。
このとき、彼女の涙が地面に落ちると黄金になったと言われています。
また、海に落ちた涙は琥珀になったという説もあります。
なお、オーズはオーディンの若い頃の姿ではないかという説もあります。
英語との関係
英語で金曜日を意味する「Friday」は、フレイヤ(またはフリッグ)に由来すると言われています。
また、元素のバナジウム(Vanadium)は、フレイヤの別名ヴァナディースから名付けられました。
その他のヴァン神族と関連する神々
確認されているヴァン神族
グルヴェイグ(Gullveig)
- 司る分野:魔法、黄金
- 別名:ヘイズ(「輝く者」の意)
アース・ヴァン戦争のきっかけとなった魔女。
3度燃やされても3度蘇ったという不死身の存在で、フレイヤと同一人物ではないかとも言われています。
彼女の存在はヴァン神族の魔法の力を象徴しています。
ニョルズの姉妹妻(名前不明)
フレイとフレイヤの母親とされる女神。
ヴァン神族では近親婚が普通だったため、ニョルズの実の姉妹が妻となりました。
アース神族に人質として移る際、ニョルズは彼女と離縁してヴァナヘイムに残したとされています。
ヴァン神族と関連する神々
オーズ(Óðr)
- フレイヤの夫
- 行方不明になり、フレイヤを悲しませた
オーズという名前は「神聖な狂気」を意味し、オーディンの別名または若い頃の姿ではないかとする説があります。
フノス(Hnoss)とゲルセミ(Gersemi)
- フレイヤとオーズの二人の娘
- どちらも「宝」を意味する名前を持つ
- フノスは神々の中で最も若く、訪問を歓迎しない者はいなかったとされる
クヴァシル(Kvasir)
- 司る分野:知恵、雄弁
- アース神族とヴァン神族の唾液から生まれた
- どんな質問にも答えられる知恵者
クヴァシルは両神族の和平の象徴として誕生しました。
世界中を旅して知識を授けましたが、後にドワーフに殺され、その血から「詩の蜜酒」が作られました。
ヴァン神族と推測される神々
学者によって、以下の神々もヴァン神族ではないかと議論されています。
ヘイムダル(Heimdall)
アースガルズの門番として有名な神ですが、9人の母から生まれたという謎めいた出自を持ちます。
父親は不明で、ヴァン神族的な特徴を持つことから、ヴァン神族出身ではないかという説があります。
ウル(Ullr)
狩猟と弓術、スキーの神。
父親が不明で、ヴァン神族と共通する特徴(狩猟、自然との結びつき)を持つことから、ヴァン神族ではないかと推測されています。
ネルトゥス(Nerthus)
ローマの歴史家タキトゥスが『ゲルマニア』で記録した大地の女神。
言語学的にニョルズと深い関連があるとされ、ニョルズの女性形または妻ではないかと考えられています。
ニョルズの最初の妻(フレイとフレイヤの母)と同一視されることもあります。
ヴァン神族の一覧表

| 神名 | 読み方 | 司る分野 | 備考 |
|---|---|---|---|
| ニョルズ | Njörðr | 海、風、富、航海 | ヴァン神族の長的存在。スカジと結婚するも別れる |
| フレイ | Freyr | 豊穣、平和、雨、太陽 | ニョルズの息子。ラグナロクでスルトに敗れる |
| フレイヤ | Freyja | 愛、美、魔法、戦、死 | ニョルズの娘。セイズの名手 |
| グルヴェイグ | Gullveig | 魔法、黄金 | アース・ヴァン戦争の原因。フレイヤと同一視も |
| ニョルズの姉妹 | 不明 | 不明 | フレイとフレイヤの母 |
| オーズ | Óðr | 不明 | フレイヤの夫。行方不明に |
| フノス | Hnoss | 欲望の象徴 | フレイヤとオーズの娘 |
| ゲルセミ | Gersemi | 宝の象徴 | フレイヤとオーズの娘 |
| クヴァシル | Kvasir | 知恵、雄弁 | 両神族の唾液から誕生。一説ではヴァン神族出身 |
ヴァン神族が現代文化に与えた影響
ゲーム・アニメでの登場
ヴァン神族の神々は、現代のエンターテインメントでも人気を集めています。
- ゴッド・オブ・ウォー シリーズ ── フレイヤが重要キャラクターとして登場
- ファイナルファンタジーシリーズ ── フレイヤという名前のキャラクターが複数登場
- ペルソナシリーズ ── フレイ、フレイヤがペルソナとして登場
- Fate/Grand Order ── ヴァルキリーやスカジなど北欧神話関連のキャラクターが登場
- 遊戯王 ── 「極星」シリーズで北欧神話がモチーフに
言葉への影響
現代語にもヴァン神族の影響が残っています。
- Friday(金曜日) ── フレイヤ(またはフリッグ)に由来
- バナジウム(Vanadium) ── フレイヤの別名ヴァナディースから
- ヴァン(Van) ── 一部の北欧系の人名に残る
まとめ
ヴァン神族は、戦いを好むアース神族とは対照的に、豊穣と魔法を司る神々でした。
ヴァン神族の特徴
- 自然と豊穣を象徴する平和的な神々
- セイズと呼ばれる魔法に長けていた
- 近親婚が普通に行われていた
- アース・ヴァン戦争後、主要な神々はアース神族に合流
主要なヴァン神族
- ニョルズ ── 海と風の神。フレイとフレイヤの父
- フレイ ── 豊穣と平和の神。最も美しい男神
- フレイヤ ── 愛と美と魔法の女神。最も人気のある女神の一人
ヴァン神族は、アース神族との戦争と和平を経て、北欧神話の中心的な存在となりました。
彼らの物語は、力と魔法、戦争と平和、そして異なる価値観を持つ者同士の和解という普遍的なテーマを私たちに伝えています。
興味を持った神がいたら、ぜひ北欧神話の原典にも触れてみてください。
『古エッダ』や『スノッリのエッダ』は日本語訳も出版されており、より深く神々の物語を楽しめますよ。





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