古代中国の青銅器に刻まれた、恐ろしい獣の顔をご存知でしょうか?
大きく見開いた目、鋭い牙、そして体のない不気味な顔面——それこそが「饕餮(とうてつ)」という怪物の姿なんです。
饕餮は、何でも食べ尽くし、どれだけ財を蓄えても満足しない「貪欲」そのものを体現した存在として、古くから恐れられてきました。
この記事では、中国神話に登場する四凶の一角「饕餮」について、その恐ろしい姿や伝承、そして現代まで残る「饕餮文」の謎まで詳しくご紹介します。
概要

饕餮(とうてつ) は、中国神話に登場する怪物・霊獣の一つです。中国語では「タオティエ(Tāotiè)」と発音されます。
古典『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』では、渾沌(こんとん)・窮奇(きゅうき)・檮杌(とうこつ) とともに「四凶(しきょう)」と呼ばれる邪悪な存在の一角として紹介されています。
四凶とは、人々に災いをもたらす4体の怪物のこと。饕餮はその中でも特に「貪欲さ」を象徴する存在として知られているんですね。
また、明代以降には「竜生九子(りゅうせいきゅうし)」——竜の9匹の子供たちの5番目としても数えられるようになりました。飲食を好むため、鼎(かなえ)という青銅器の装飾に用いられたとされています。
姿・見た目
饕餮の姿は、複数の動物が合体したような奇怪な外見をしています。
文献によって描写が異なりますが、代表的な特徴をまとめると次のようになります。
饕餮の身体構成
- 体: 牛か羊のような胴体
- 顔: 人間に似た顔つき
- 角: 曲がった角を持つ
- 牙: 虎のような鋭い牙
- 爪: 人間のような爪先(蹄ではない)
『神異経(しんいきょう)』という古書では、「体毛が多く、頭の上に猪を載せた人間の姿」とも記されています。文献によって描写がバラバラなのは、饕餮が長い歴史の中で様々なイメージを与えられてきた証拠かもしれません。
さらに興味深いのは、『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』の記述。周の時代の鼎に描かれた饕餮は「首だけで体がない」姿だったというんです。この「顔だけの饕餮」こそ、青銅器に刻まれた饕餮文のイメージとして広く知られていますね。
名前の意味と由来
「饕餮」という名前には、その本質がストレートに表れています。
饕餮の名前の意味
- 「饕(とう)」: 財産を貪る
- 「餮(てつ)」: 食物を貪る
つまり「饕餮」とは、「金も食べ物も、何でも際限なく欲しがる存在」という意味なんですね。まさに貪欲の化身そのものを表した名前といえるでしょう。
現代中国語でも「老饕(ラオタオ)」という言葉は「美食家・大食漢」を意味し、「饕餮之徒(とうてつのと)」は「大食いの人」を指す四字熟語として使われています。怪物の名前が日常語になった珍しい例ですね。
四凶としての饕餮
饕餮は「四凶」の一角として、他の3体の怪物とともに人々を恐怖に陥れた存在です。
四凶とは何なのか、簡単に説明しましょう。中国神話には、世界を守護する「四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)」がいる一方で、災いをもたらす「四凶」も存在します。四凶はそれぞれが大罪や不道徳を体現しており、人間界にいるだけで人々を堕落させたと伝えられています。
四凶の特徴
- 渾沌(こんとん): 目・耳・鼻・口がなく、のっぺらぼうの姿
- 窮奇(きゅうき): 人を食らい、翼を持つ虎のような姿
- 檮杌(とうこつ): 人の顔に虎の足、豚の歯を持つ獣
- 饕餮(とうてつ): 貪欲を象徴し、すべてを食らい尽くす怪物
『春秋左氏伝』によると、饕餮の正体は「縉雲氏(しんうんし)」という氏族の不肖の子孫だったとされています。縉雲氏は三皇の一人・炎帝(神農)の末裔にあたる一族でした。
この子孫は飲食や財を貪り、欲望が強くて贅沢三昧。民から税を多く取り立てて自分の富を蓄え、貧しい者には何も分け与えなかったといいます。人々はこの悪行を見て、他の三凶と並べて「饕餮」と呼ぶようになったそうです。
舜帝による追放の伝承
四凶たちを退治したのは、古代中国の伝説的な聖帝・舜(しゅん) でした。
『春秋左氏伝』には、舜が堯帝に仕えていた時代、四凶を「四裔(辺境の地)」に追放したと記されています。追放の目的は「魑魅(ちみ)」——山や沼に潜む妖怪たちの侵入を防がせるためだったとか。
饕餮は西方に追い払われたとされています。『神異経』でも饕餮は「西南方に住む」と記されており、辺境の地で暮らす存在として描かれていますね。
また、一説では饕餮は戦神・蚩尤(しゆう) と同一視されることもあります。蚩尤は黄帝と戦った軍神で、同じく炎帝の子孫とされているためです。宋代の学者・羅泌(らひつ)は「黄帝が蚩尤の首を斬り、後の人々が戒めとして青銅器にその姿を刻んだのが饕餮文である」という説を唱えました。
饕餮文と魔除けへの変化

饕餮の姿は、殷・周時代(紀元前1600年~紀元前256年頃)の青銅器に「饕餮文(とうてつもん)」として刻まれました。
饕餮文の特徴は、正面を向いた獣の顔が左右対称に描かれていること。大きな目、曲がった角、そして下顎がないという独特のデザインです。主に祭祀用の鼎(かなえ)や尊(そん)といった器に施されていました。
当時の王は神と人間をつなぐ存在として君臨しており、この恐ろしい文様には「神の威厳を示し、民を畏敬させる」という目的があったと考えられています。
ただし注意が必要なのは、殷・周時代に本当に「饕餮」と呼ばれていたかどうかは不明だということ。「饕餮文」という名称は後世につけられたもので、現代の考古学者・林巳奈夫氏は「獣面紋(じゅうめんもん)」と呼ぶべきだと主張しています。
興味深いのは、時代が下るにつれて饕餮のイメージが変化したこと。恐ろしい怪物だった饕餮は、「何でも食べる」という特性から「魔物すら食べてしまう」という発想が生まれ、やがて 魔除けの守り神 として扱われるようになったんです。まさかの縁起物デビューですね。
まとめ
饕餮は、中国神話において「貪欲」を象徴する恐ろしい怪物です。
重要なポイント
- 四凶の一角として、渾沌・窮奇・檮杌とともに恐れられた存在
- 牛や羊の体に人間の顔、虎の牙を持つ奇怪な姿
- 「饕」は財を貪る、「餮」は食を貪るという意味
- 聖帝・舜によって西方に追放されたと伝わる
- 殷周時代の青銅器に「饕餮文」として刻まれた
- 後に「魔除けの守り神」へと変化した
現代でも、映画や漫画などで饕餮をモチーフにした作品が数多く制作されています。2016年の映画『グレートウォール』では、大群で中国を襲う怪物として饕餮が登場し、話題となりました。
数千年の時を経て、恐ろしい邪神から魔除けの守護者へ、そしてエンターテインメントのキャラクターへ。饕餮は今もなお、人々の想像力を刺激し続ける存在なのです。


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