不老不死の仙桃を持つ「西王母(せいおうぼ)」という女神をご存知でしょうか。
中国神話に登場する最も有名な女神の一人で、崑崙山に住む女仙たちの統率者として知られています。でも実は、彼女には対となる男神がいることをご存知ですか?
それが「東王公(とうおうこう)」です。
西の崑崙山に西王母がいるように、東の海に浮かぶ仙境には東王公が住んでいます。道教の世界観では、この二柱の神が陰と陽を司り、天地万物を創造したとされているんですね。
ところが不思議なことに、西王母が神話や小説に頻繁に登場するのに対し、東王公はあまり登場しません。これはなぜなのでしょうか。
この記事では、西王母の影に隠れがちな謎多き神「東王公」について、その起源から姿、伝承、そして西王母との関係まで詳しくご紹介します。
東王公の概要

東王公は、中国の道教における重要な男性神格です。
「東王父(とうおうふ)」とも呼ばれ、すべての男仙(男性の仙人)を統括する最高位の存在とされています。西王母が女仙を統率するのに対し、東王公は男仙を統率するという、まさに対をなす存在なんですね。
東王公の別名
東王公には驚くほど多くの別名があります。
主な別名
- 東王父(とうおうふ)
- 木公(ぼくこう)
- 東華帝君(とうかていくん)
- 扶桑大帝(ふそうたいてい)
- 青童君(せいどうくん)
- 元陽父(げんようふ)
- 東父、東君
道教の経典によって呼び名は異なりますが、これらはすべて同一の神を指しています。特に「木公」という名称は、五行思想で東方が「木」に対応することに由来しているんです。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 居住地 | 東海の方諸山(ほうしょさん)、蓬萊山 |
| 役割 | 男仙の統率者、陽気の根源 |
| 対となる神 | 西王母(女仙の統率者) |
| 象徴 | 東方、木、春、青色 |
| 誕辰 | 旧暦二月初六 |
東王公の起源と成立
「東王公」という言葉の最古の記録
「東王公」という言葉が最も古く確認できる出土文物は、2011年に発掘が始まった西漢の海昏侯劉賀(りゅうが)の墓から出土した衣鏡上の『衣鏡賦』です。
劉賀は漢の武帝の孫にあたる人物で、わずか27日間だけ皇帝の位についた「廃帝」として知られています。彼の墓からは1万点を超える貴重な文物が出土しましたが、その中に東王公に関する記述があったんですね。
この発見により、東王公信仰が少なくとも前漢時代(紀元前206年〜紀元8年)にはすでに存在していたことが考古学的に証明されました。
西王母より後に成立した神
興味深いことに、東王公は西王母より後に成立した神だと考えられています。
西王母は『山海経』や『荘子』といった古い文献にすでに登場しており、戦国時代(紀元前5世紀〜紀元前3世紀)にはすでに仙人として認識されていました。一方、東王公が文献に登場するのは漢代以降のことです。
これについては主に二つの説があります。
陰陽思想による創作説
漢代に陰陽思想が発展する中で、「陰」を司る西王母に対応する「陽」の神として東王公が創作されたという説です。東漢の趙曄が著した『呉越春秋』には「東郊に陽を祭り、名を東皇公という。西郊に陰を祭り、名を西王母という」という記述があります。
太陽神からの変化説
戦国時代の楚で信仰されていた「東皇太一(とうこうたいいつ)」という太陽神が、東王公の前身ではないかという説もあります。『楚辞』の「九歌」に登場する「東君」(太陽神)との関連性も指摘されていますね。
いずれにせよ、西王母が先に成立し、それに対応する形で東王公が生まれたという成立事情が、東王公があまり神話に登場しない理由の一つだと考えられています。
東王公の姿・見た目
『神異経』に描かれた異形の姿
東王公の外見について、最も詳しく記述しているのが『神異経』という古書です。
『神異経』の「東荒経」によると、東王公の姿は以下のように描写されています。
『神異経』による描写
東荒山の中に大きな石室があり、東王公はそこに住んでいる。身長は一丈(約3メートル)、頭髪は白く輝き、人間の姿に鳥の顔、虎の尾を持つ。黒い熊に乗り、左右を見回している。
つまり東王公は、人間の体に鳥の顔と虎の尾を持つ異形の神として描かれているんです。白髪で巨大な体躯を持ち、黒い熊に乗っているという姿はかなり威厳に満ちていますね。
西王母との類似点
興味深いことに、この異形の姿は西王母の古い姿と共通点があります。
『山海経』に描かれた初期の西王母は「豹の尾、虎の牙を持ち、乱れた髪に玉の飾りをつけている」という半人半獣の姿でした。東王公の「鳥の顔、虎の尾」という描写も、この系統に属する表現だと言えるでしょう。
どちらも後世になると美しい仙人の姿に変化していきますが、古い文献には異形の姿で描かれているという点で共通しているんですね。
道教経典における姿
道教が発展するにつれ、東王公の姿はより威厳ある仙人像へと変化していきました。
『仙伝拾遺』という文献では、東王公を以下のように描写しています。
道教経典による描写
三維の冠をかぶり、九色の雲霞の衣を着る。雲房の中に住み、紫雲を蓋とし、青雲を城とする。仙童が侍立し、玉女が香を散らす。
このように、道教における東王公は荘厳な天上の帝王として描かれるようになりました。
東王公の特徴と性格
玉女との投壺遊び
東王公の性格を表す興味深いエピソードが『神異経』に記されています。
東王公は常に一人の玉女と投壺(とうこ)をしている。投壺は一回に千二百回投げる。もし矢が壺に入って出てこなければ、天はこれを嘆く。矢が出てきて受け止められなければ、天はこれを笑う。
投壺というのは、壺に向かって矢を投げ入れる中国の古い遊戯です。東王公と玉女がこの遊びをすると、その結果に応じて天が嘆いたり笑ったりするというんですね。
このエピソードは、東王公が天の運行に深く関わる存在であることを示唆しています。彼の遊戯の結果が天候や自然現象に影響を与えるという発想は、東王公が宇宙的な存在であることを表しているのでしょう。
陽気を司る神
道教の世界観において、東王公は「陽」の気を体現する神として位置づけられています。
『墉城集仙録(ようじょうしゅうせんろく)』には次のような記述があります。
昔、道気が凝り固まり、湛然として無為であった。玄功を啓き、万物を生化せんとして、まず東華の至真の気をもって木公を化生させた。木公は碧海の上、蒼霊の地に生まれ、陽和の気を主り、東方を治める。
つまり東王公は、宇宙の根源的な「陽」のエネルギーが神格化した存在だと考えられているんです。
東王公と西王母の関係

陰陽を司る二柱の神
東王公と西王母の関係は、道教の宇宙観において非常に重要な意味を持っています。
『墉城集仙録』によれば、この二柱の神は「二気を共に治め、天地を養育し、万物を陶鈞(とうきん=形作る)する」存在とされています。つまり、東王公と西王母が協力することで、宇宙の秩序が保たれ、万物が生まれるという考え方ですね。
東王公と西王母の対応関係
| 東王公 | 西王母 |
|---|---|
| 陽 | 陰 |
| 東方 | 西方 |
| 木(五行) | 金(五行) |
| 男仙を統率 | 女仙を統率 |
| 蓬萊・方諸山 | 崑崙山 |
兄妹説と夫婦説
東王公と西王母の関係については、文献によって異なる説が伝えられています。
兄妹説
東晋の葛洪が著した『枕中書』では、東王公と西王母は元始天王と太元聖母から生まれた双子の兄妹とされています。東王公は「扶桑大帝東王公」として生まれ、後に双子の妹である「九光玄女」が生まれ、これが西王母になったというんですね。
夫婦説
一方、多くの文献では東王公と西王母は夫婦として描かれています。『神異経』の「中荒経」には、崑崙山の銅柱の上に「希有」という名の大鳥がおり、左の翼で東王公を、右の翼で西王母を覆っているという記述があります。そして「西王母は毎年翼に登り、東王公のもとへ行く」とされているんです。
この「年に一度の逢瀬」というモチーフは、牛郎織女(七夕伝説)の原型ではないかという説もあります。
東王公の住処と仙界
東海の仙境
古代中国の神仙思想では、はるか西方に西王母の司る崑崙山があり、東海には東王公の司る仙境があると考えられていました。
東王公が住むとされる場所には、いくつかの伝承があります。
方諸山(ほうしょさん)
『塵外記』によれば、東王公は方諸山に住んでいるとされます。この山には三十五の司命(人間の寿命を管理する役所)があり、東王公は「大司命」としてこれを統括しています。
蓬萊山(ほうらいさん)
『道蔵三洞経』では、東王公は東方の蓬萊山を治めるとされています。蓬萊山は、方丈山・瀛州山とともに「三神山」と呼ばれる東海に浮かぶ仙境です。
東荒山の石室
『神異経』では、東王公は東荒山の大きな石室に住んでいると描写されています。
いずれにせよ、東王公の住処は東の海の彼方にある神秘的な仙境として語られています。
仙人の位階と登仙の道
道教では、人が仙人になる(登仙する)際には、一定の手順を踏む必要があるとされています。
『塵外記』には次のような記述があります。
凡そ仙には九品あり。一に九天真皇、二に三天真皇、三に太上真人、四に飛天真人、五に霊仙、六に真人、七に霊人、八に飛仙、九に仙人。この品次により、升仙して道を得るとき、まず木公(東王公)を拝し、後に金母(西王母)に謁え、しかる後に三清に参入し、太上老君・元始天尊・霊宝道君を拝す。
つまり、仙人になりたい者は、まず東王公を拝み、次に西王母に会い、最後に道教の最高神である三清(元始天尊・太上老君・霊宝道君)に拝謁するという順序があったんですね。
東王公は、人が仙人になるための「門」のような役割を担っていたと言えるでしょう。
東王公の神格と役割
男仙の名籍を管理する
東王公の最も重要な役割は、すべての男性の仙人を統率し、その名籍(名簿)を管理することです。
『仙伝拾遺』には以下のように記されています。
真の僚、仙官は巨億万を数え、各々職を持ち、皆その命を奉じて朝し、翼衛する。故に男女の道を得る者は、名籍をこれに隷属する。
つまり、道を得て仙人になった男性は、すべて東王公の管轄下に入るということです。西王母が女仙の名籍を管理するのと対になっていますね。
太陽神としての側面
道教の文献の中には、東王公を太陽神と結びつける記述もあります。
『道蔵三洞経』には「その精気は上りて日となり、名を伏羲という」という記述があり、東王公の精気が太陽になったとされています。また、伏羲(中国神話の創世神の一人)との同一視も見られます。
道教に取り入れられた後、東王公には「扶桑大帝」という道号が与えられました。扶桑は太陽が昇る東の果ての神木とされており、この道号からも太陽神としての性格がうかがえます。
海神・水神としての側面
東王公は「碧海の上に化生した」とされることから、海神としての属性も持っています。
一部の道教文献では、東王公を「水官」(三官大帝の一柱)と同一視し、水中のすべての神を統括する存在としています。東の海に住むという設定からも、海との深い関わりがうかがえますね。
漢代画像石に見る東王公
西王母・東王公図像の特徴
漢代の墓から出土する画像石(がぞうせき)には、西王母と東王公が対になって描かれているものが多く見られます。
画像石における典型的な構図では、墓の上部に西王母または東王公を中心に配置し、その周囲に以下のような象徴的な図像を配しています。
よく描かれるモチーフ
- 搗薬兎(不死の薬を搗くウサギ)
- 羽人(翼を持つ仙人)
- 蟾蜍(ヒキガエル、月の象徴)
- 九尾狐
- 三足烏(太陽の中に住む烏)
これらの図像は、不老不死や仙界への上昇を願う漢代の人々の信仰を反映しています。
漢代における信仰の意味
漢代の人々にとって、西王母と東王公は死後の世界への案内者でした。
墓に西王母・東王公の図像を描くことで、死者が無事に仙界へ到達し、永遠の命を得られることを願ったのです。特に西王母は不死の薬を持つ神として、漢代に絶大な信仰を集めました。
興味深いことに、東王公が画像石に登場するようになるのは、西王母より後のことです。学者の研究によれば、東王公の図像が現れるのは東漢の章帝・和帝の頃(紀元76年〜105年頃)とされています。このことからも、東王公が西王母に対応する形で後から創作された神であることがうかがえます。
道教における東王公の位置づけ
神仙体系における地位
道教が体系化される中で、東王公は重要な位置を占めるようになりました。
『真霊位業図』という道教の神仙の位階を記した文献では、東王公は「上清左位」に配置され、「太微東霞扶桑丹林大帝上道君」という尊号で呼ばれています。これは道教の神仙体系において、非常に高い位階に位置することを示しています。
また、『道蔵三洞経』では、東王公は「青陽の元気にして、万神の先」とされ、太上老君や元始天尊に次ぐ三番目の神仙に列せられています。
上清派との関係
道教の一派である上清派では、東王公は「上相青童道君」として特に重視されました。
上清派は、霊宝派と並ぶ道教の主要な派閥の一つで、六朝時代(3世紀〜6世紀)に発展しました。この派では、東王公を重要な経典の伝授者として位置づけています。
元代の尊号
元の時代になると、東王公はさらに高い地位を与えられました。
至元六年(1269年)正月、東王公に「東華紫府少陽帝君」という尊号が奉られました。これは国家レベルで東王公信仰が認められたことを示しています。
現代文化における東王公
創作作品での登場
西王母に比べると登場頻度は少ないものの、東王公も現代の創作作品に登場することがあります。
中国の小説やドラマでは、西王母とともに天界の重要な神として描かれることがあります。特に仙侠(せんきょう)と呼ばれる中国ファンタジーのジャンルでは、神仙の階層や仙界の描写において東王公が言及されることがあります。
日本でも、道教に関する作品や中国神話を題材にしたゲームなどで、東王公の名前を見かけることがあるでしょう。
現代の信仰
中国や台湾の道教寺院では、現在も東王公を祀っているところがあります。
特に男性の修道者や、道を求める人々にとって、東王公は重要な神格とされています。旧暦二月初六の誕辰には、祭祀が行われることもあります。
まとめ
東王公は、西王母と対をなす道教の重要な男神です。
重要なポイント
- 東王父、木公、東華帝君など多くの別名を持つ
- 西王母が女仙を統率するのに対し、東王公は男仙を統率する
- 最古の「東王公」の記録は、西漢の海昏侯墓から出土した衣鏡の銘文
- 西王母より後に、陰陽思想に基づいて創作されたと考えられる
- 『神異経』では「身長一丈、白髪、鳥の顔に虎の尾、黒い熊に乗る」異形の姿で描写される
- 玉女と投壺遊びをし、その結果が天の運行に影響するとされる
- 東王公と西王母が協力して陰陽二気を司り、天地万物を創造する
- 仙人になるにはまず東王公を拝し、次に西王母に謁えるという順序がある
- 東海の方諸山や蓬萊山に住むとされる
西王母の華やかさに比べると、東王公は神話や伝説にあまり登場しない「影の存在」かもしれません。しかし、道教の宇宙観においては、西王母と対をなす不可欠な存在として、重要な役割を担っています。
陰があれば陽があり、西があれば東がある。東王公は、中国の人々が宇宙を陰陽の調和として捉えてきたことを象徴する神なのです。
もし道教や中国神話に興味を持ったなら、西王母だけでなく、その対となる東王公についても目を向けてみてください。きっと中国の神仙世界の奥深さを、より深く理解できるはずです。

