死後の世界で、亡くなった人は何度も裁判を受けることをご存知でしょうか?
その中でも、死後一年目(一周忌)という節目に現れる特別な裁判官がいます。それが「都市王(としおう)」なんです。
この王様は、極楽浄土への道を示してくれる慈悲深い存在でありながら、悪人には恐ろしい業火で裁きを下す、二面性を持った不思議な審判者として知られています。
この記事では、十王信仰における都市王の役割や特徴、そして極楽浄土との深い関係について詳しく解説していきます。
概要

都市王は、仏教の十王信仰に登場する9番目の裁判官です。
十王というのは、人が亡くなってから生まれ変わるまでの間に、死者の罪を裁く10人の王様のこと。初七日から始まって、七日ごとに異なる王様が裁判を行うんですが、都市王は死後二年目(一周忌)の審理を担当しています。
十王信仰における位置づけ
実は、七七日(四十九日)までの7回の裁判で、普通は次の生まれ変わり先が決まってしまいます。でも、それ以降の裁判は「再審」という特別な救済措置なんです。
つまり、都市王の裁判は、地獄や餓鬼道に落ちてしまった人にとって、最後の救いのチャンスというわけですね。
都市王の特徴
本地仏は勢至菩薩
都市王の本地(ほんじ=本来の姿)は、勢至菩薩(せいしぼさつ)とされています。
勢至菩薩は阿弥陀如来の脇侍として、観音菩薩と一緒に極楽浄土にいる仏様。智慧の光で衆生を救うという、とても力強い菩薩なんです。
光明箱という不思議な道具
都市王は「光明箱」という特別な箱を持っています。
この箱の中身について、古い文献にはこう書かれています。
光明箱の特徴:
- 中にはありがたい経文が入っている
- 善人が開ければ光明に包まれる
- 悪業の深い者が開けると業火に焼かれる
まるで、その人の善悪を見分ける魔法の箱のような存在ですね。これは都市王が持つ、死者の本質を見極める力を象徴しているとも言えるでしょう。
極楽浄土への道
十万億土の彼方
都市王の裁きの場から極楽浄土に行くことは可能とされています。しかし、その距離がとんでもなく遠いんです。
極楽までの距離:
- 十万億土(じゅうまんおくど)
- 一説には三十光年とも
これは想像もつかないほどの距離ですよね。でも、都市王の慈悲と、遺族の供養があれば、この遠い道のりも越えられるということなんでしょう。
喪明けの意味
都市王の裁判が行われる一周忌は、「喪が明ける」という大切な節目でもあります。
これは単に形式的な区切りではなく、死者にとっても遺族にとっても、新しい段階に進むという深い意味があるんです。死者は次の世界への道筋が定まり、遺族は日常生活に戻っていく。そんな転換点を司るのが都市王なんですね。
伝承における都市王

二つの救いの道
古い経典によると、都市王は死者に対して二つの救いの道を説くとされています。
都市王が示す救済の道:
- 『法華経』を崇める道 – 仏法の教えを通じて悟りを開く
- 阿弥陀如来を崇める道 – 念仏によって極楽往生を願う
一年間の責め苦に耐えてきた死者に対して、都市王は諦めることなく救いの可能性を示してくれるんです。これは、どんな悪人でも最後まで救済のチャンスがあるという、仏教の慈悲深い教えを表しています。
遺族の供養の重要性
十王信仰では、遺族の供養がとても大切とされています。
都市王の裁判においても、現世の遺族側の回向(えこう)が十分に行われていれば、死者の運命が好転する可能性があるんです。つまり、一周忌の法要をきちんと行うことは、亡くなった人を救う最後のチャンスでもあるということですね。
他の十王との関係
平等王から都市王へ
都市王の前の裁判官は平等王(百日目の審理)です。
平等王は観音菩薩を本地とし、内に慈悲の心を持ちながらも恐ろしい形相をしているとされています。平等王の段階から、裁判は救済措置としての性格が強くなってきますが、都市王はさらにその傾向が強まります。
五道転輪王への橋渡し
都市王の次は、最後の裁判官である五道転輪王(三回忌)です。
もし都市王の段階でも結論が出なければ、最終的な判定は五道転輪王に委ねられます。しかし、多くの場合、都市王の段階で何らかの道筋は示されるとされているんです。
現代における意味

一周忌法要の大切さ
現代でも一周忌は重要な法要として行われていますが、これには都市王信仰が深く関わっています。
一周忌法要の意味:
- 故人の冥福を祈る最後の大きな節目
- 遺族にとっての心の区切り
- 故人と遺族の新たな関係性の始まり
単なる形式ではなく、死者の救済と遺族の心の整理という、深い意味があるんですね。
まとめ
都市王は、十王信仰における慈悲深い裁判官です。
重要なポイント
- 死後二年目(一周忌)の審理を担当する第9番目の王
- 本地は智慧の光で衆生を救う勢至菩薩
- 光明箱で善悪を見分ける神秘的な力を持つ
- 極楽浄土への道を示す慈悲深い存在
- 法華経と阿弥陀如来という二つの救いの道を説く
- 一周忌という喪明けの節目を司る重要な役割
都市王の存在は、どんな人でも最後まで救済の可能性があるという、仏教の深い慈悲の教えを体現しています。一周忌という節目に、故人の冥福を祈ることの大切さを、改めて教えてくれる存在なのかもしれませんね。


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