古代の人々は、なぜ王を殺したのでしょうか?
信じられないかもしれませんが、ヨーロッパの一部の地域では、王が老いたり弱ったりすると、新しい王に殺されるという風習があったんです。
この衝撃的な事実を世界に知らしめたのが、今回ご紹介する『金枝篇』という本なんですね。
この記事では、世界中の神話や伝承を集めた人類学の古典『金枝篇』について、その内容や影響を分かりやすくご紹介します。
概要

『金枝篇』(The Golden Bough)は、スコットランドの人類学者ジェームズ・ジョージ・フレイザーが著した、比較神話学・宗教人類学の古典的名著です。
1890年に上下巻として最初に出版され、その後増補を重ね、1911年から1915年にかけて全12巻の完全版として完成しました。
この本の中心テーマは、人類の思考が呪術から宗教へ、そして科学へと進化してきた過程を明らかにすることなんです。
世界中の神話、伝承、儀式を集め、それらを比較分析することで、人間の精神史を描き出そうとした壮大な試みでした。
タイトルの「金枝」は、イタリアのネミ湖畔に伝わる王殺しの伝説と、そこに生えるヤドリギの枝に由来しています。
著者ジェームズ・ジョージ・フレイザー
フレイザーは1854年、スコットランドのグラスゴーで生まれました。
地元のグラスゴー大学を卒業した後、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで社会人類学を学びます。
『金枝篇』を出版したのは1890年、36歳のときでした。当時、彼はケンブリッジ大学の特別研究員という地位にありました。
興味深いのは、フレイザーが一度も実地調査(フィールドワーク)を行わなかったことなんです。彼は図書館で膨大な文献を読み、そこから情報を集めて『金枝篇』を書き上げました。そのため、後の世代からは「安楽椅子の人類学者」と呼ばれることになります。
栄光のキャリア
『金枝篇』の成功により、フレイザーは学界で高い評価を受けました。
主な経歴
- 1907年:リバプール大学の社会人類学教授に就任
- 1914年:ナイト爵に叙任(「サー」の称号を得る)
- 1921年:母校ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの教授に就任
- 1925年:メリット勲位を受章(日本の文化勲章に相当)
しかし、彼の最期は悲劇的でした。1941年5月7日、第二次世界大戦中のドイツ軍の空襲により、夫人とともに亡くなったのです。
主な内容とテーマ
『金枝篇』が扱うテーマは、実に多岐にわたります。
王殺しの儀式
本書の出発点となったのが、イタリアのネミ湖畔に伝わる王殺しの伝説です。
古代ローマ以前、この地には「森の王」(Rex Nemorensis)と呼ばれる神官がいました。この神官は、挑戦者によって殺されることで、その地位を譲り渡さなければならなかったんです。
フレイザーは、この奇妙な風習が、実は世界中に共通する古代の信仰に基づいていると考えました。
死と再生の神
フレイザーの中心的な主張はこうです。
古代の宗教では、王は植物の神の化身であり、季節のサイクルに合わせて死と再生を繰り返す存在だった
つまり:
- 王は豊穣の神と一体化している
- 収穫の時期に王は儀式的に殺される
- 春になると新しい王として「再生」する
- このサイクルが農作物の成長と結びついている
この考え方は、エジプトのオシリス神話、ギリシャのアドニス伝説、北欧のバルドル神話など、世界中の神話に共通して見られるとフレイザーは主張しました。
呪術・宗教・科学の進化
フレイザーは、人類の知的発展を三段階に分けて説明しています。
人類の思考の進化
- 呪術の時代:自然を直接コントロールしようとする
- 宗教の時代:神や超自然的存在を通じて自然をコントロールしようとする
- 科学の時代:自然法則を理解して予測・制御する
この進化論的な見方は、当時としては画期的でしたが、後に批判も受けることになります。
扱われる主なトピック
『金枝篇』では、以下のような多様なテーマが論じられています。
- 豊穣儀礼と収穫祭
- 人身御供と生贄の風習
- タブーと禁忌の起源
- トーテミズムとアニミズム
- 火の祭りと太陽崇拝
- スケープゴート(贖罪の山羊)の概念
- 死と再生の神話
影響と評価
『金枝篇』が出版されたとき、イギリス社会は大きな衝撃を受けました。
出版当初の反響
最大の論争となったのが、キリスト教の扱いでした。
フレイザーは、イエス・キリストの死と復活の物語を、他の古代神話と同列に扱ったんです。これは当時のキリスト教社会にとって、受け入れがたいものでした。
批判者たちは、この扱いが「神の子羊」の物語を、単なる異教の遺物として扱うことを意味すると考えました。
フレイザーは第3版で、キリスト教に関する分析を推測的な付録として分離し、簡約版からはキリスト教の議論を除外することで対応しています。
学術的評価の変遷
面白いことに、フレイザー自身は自分の理論を確定的なものとは考えていませんでした。
彼はこう述べています。
「私のような本は、単なる推測に過ぎず、遅かれ早かれ(真実のためには早い方が良い)、より完全な知識に基づいたより良い帰納法によって取って代わられるだろう」
実際、1920年代以降、人類学の主流はフィールドワーク(現地調査)重視へと移行していきました。そのため、図書館で文献を集めただけのフレイザーの手法は、「安楽椅子の人類学」として軽視されるようになります。
現代の評価
現代の人類学者たちは、フレイザーの具体的な理論の多くを否定しています。
批判の要点
- 進化論的思考の単純化:呪術→宗教→科学という直線的な進化モデルは現実に合わない
- 証拠の恣意的な扱い:自分の理論に合わない証拠を無視したり、改変したりした
- ヴィクトリア朝の偏見:19世紀ヨーロッパの合理主義的価値観で「未開社会」を解釈した
しかし、文学界や芸術界における影響は今も大きいんです。
文学・芸術への影響
『金枝篇』は、20世紀の多くの作家や芸術家に影響を与えました。
影響を受けた主な作家・作品
- T・S・エリオット:詩『荒地』で『金枝篇』への影響を明記
- ロバート・グレイヴズ:『白い女神』で死と再生の王の概念を詩論に応用
- ジェイムズ・ジョイス:小説技法に取り入れた
- D・H・ロレンス:作品のテーマとして活用
- H・P・ラヴクラフト:クトゥルフ神話の宗教観に影響
映画『地獄の黙示録』では、カーツ大佐の隠れ家に『金枝篇』が置かれ、彼の死が儀式的な生贄として描かれています。
クトゥルフ神話との関連
『金枝篇』は、怪奇小説の巨匠H・P・ラヴクラフトにも大きな影響を与えました。
ラヴクラフトは『金枝篇』を読み、宗教を原始的な恐怖と未知への畏敬の産物として理解するようになります。
『クトゥルフの呼び声』での言及
ラヴクラフトの代表作『クトゥルフの呼び声』(1928年)では、『金枝篇』が直接言及されています。
物語の中で、主人公が古代の邪教を調査する際、『金枝篇』を参考文献として使用するんですね。
神話観への影響
フレイザーの『金枝篇』から、ラヴクラフトは以下のような着想を得たと考えられています。
- 古代の神々の普遍性:世界中の神話に共通するパターンがある
- 儀式と生贄の重要性:神を呼び起こすための儀式の描写
- 古代の知識の断片:失われた古代文明の知識という設定
- 宗教の根源的恐怖:理性では理解できない畏怖の対象としての神
クトゥルフ神話に登場する架空の魔道書『ネクロノミコン』も、『金枝篇』のような古代の知識を集めた書物というコンセプトから影響を受けている可能性があります。
ラヴクラフトの友人たちも『金枝篇』を読んでおり、ロバート・E・ハワードやクラーク・アシュトン・スミスといったクトゥルフ神話の作家たちの間で、共通の知識基盤となっていました。
まとめ
『金枝篇』は、世界中の神話と儀式を集めた人類学の記念碑的著作です。
重要なポイント
- ジェームズ・ジョージ・フレイザーが1890年に出版し、最終的に全12巻となった
- 王殺しの儀式と死と再生の神をテーマとする
- 人類の思考が呪術→宗教→科学へと進化したという理論を提示
- 現代の人類学では理論的に否定されているが、文学・芸術界への影響は大きい
- H・P・ラヴクラフトのクトゥルフ神話にも影響を与えた
- 「安楽椅子の人類学」として批判されたが、比較神話学の先駆的業績
学術的には古くなった部分も多いですが、神話や伝承に興味がある人にとって、今でも読む価値のある古典です。世界中の不思議な風習や儀式について知りたいなら、『金枝篇』は最高の入門書と言えるでしょう。
参考文献
『金枝篇』(The Golden Bough)
著者:ジェームズ・ジョージ・フレイザー(James George Frazer, 1854-1941)
概要:原始的な呪術が宗教となり、やがて科学にとって代わられる過程にメスを入れたアニミズム、トーテミズム研究の古典的名著。
出版履歴:
- 初版:1890年(全2巻)
- 第2版:1900年(全3巻)
- 第3版:1906-1915年(全12巻)
- 簡約版:1922年(1巻本、キリスト教に関する記述を除外)
主な版:
- 第3版全12巻(1906-1915)が完全版
- 第1-2巻:魔術と王の進化
- 第3巻:魂のタブーと危険
- 第4巻:死にゆく神
- 第5-6巻:アドニス、アッティス、オシリス
- 第7-8巻:穀物と野生の精霊
- 第9巻:贖罪の山羊
- 第10-11巻:美しきバルドル
- 第12巻:文献目録と索引
- 1922年簡約版(最も読まれている版)
- 1936年『余波』(補遺)
著者について:
- スコットランドのグラスゴー生まれ
- ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで社会人類学を専攻
- 1907年リバプール大学教授、1914年ナイト爵叙任
- 1921年ケンブリッジ大学教授、1925年メリット勲位受章
- 1941年、第二次世界大戦のドイツ軍空襲により死去
クトゥルフ神話との関連:
H・P・ラヴクラフトの短編『クトゥルフの呼び声』に言及されており、クトゥルフ神話の研究者の書架に並ぶ参考文献として設定されている。ヨーロッパの神話や地域信仰の世界に深く踏み込んでいるため、併読書として多くの神話研究者に読まれている。
影響:
文学界では、T・S・エリオット、ロバート・グレイヴズ、ジェイムズ・ジョイス、D・H・ロレンス、H・P・ラヴクラフトなど多数の作家に影響を与えた。心理学ではフロイトの『トーテムとタブー』(1913)や、ユングの研究にも影響している。
現代の評価:
1920年代以降、フィールドワークが主流になった現代の人類学では、フレイザーは「安楽椅子の人類学者」と揶揄され、理論的には否定されている。しかし、比較神話学の先駆的業績として、また文学・芸術への影響力において、今なお重要な位置を占めている。

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