夜の山道を歩いていたら、突然どこからともなく石が飛んでくる。
でも周りを見渡しても、誰もいない…。
そんな不思議な現象が、江戸時代の日本では本当に起きていたと信じられていました。
人々はこれを「天狗礫(てんぐつぶて)」と呼び、天狗の仕業だと恐れたんです。
この記事では、空から降ってくる謎の石「天狗礫」について、実際に記録された事例や伝承を詳しくご紹介します。
概要

天狗礫(てんぐつぶて)は、石が空から突然降ってくるという不思議な現象です。
まるでどこかから投げられたようなのに、投げた人の姿が見えない。石が飛んでくる方向を見ても誰もいないため、人々は山に住む天狗が投げた石つぶてではないかと考えました。
この現象は江戸時代を中心に日本各地で目撃されており、古文書にも数多くの記録が残されています。単なる迷信ではなく、当時の人々が実際に体験した謎の出来事として、真剣に語り継がれてきたんですね。
天狗礫の特徴
天狗礫には、いくつかの共通した特徴があります。
石が見えない不思議
最も不思議なのは、石が当たった感触はあるのに、実際の石が見つからないことです。
石川県の記録によると、空から石が降ってきて足元に落ちたはずなのに、地面を見ても石はどこにもない。川に落ちたような波紋は見えるのに、肝心の石そのものは見えないという奇妙な現象が報告されています。
人を傷つけない石
江戸時代の麹町で起きた事例では、石が人に当たっても体には一切傷が残らなかったそうです。確かに当たった感触はあるのに、後で見ると傷一つない。まるで幽霊のような石だったんですね。
追いかけてくる石
振り向くと反対側から飛んでくるという、不思議な性質もありました。
屋根に登って石を投げる者を見つけようとすると、石は背後から飛んでくる。後ろを振り向くと、今度は反対側から飛んでくるという具合です。まるで石が意思を持っているかのようですね。
天狗礫の言い伝え
人々は、この不思議な現象にさまざまな意味を見出していました。
天狗の警告
天狗が人々の素行の悪さを悔い改めさせようとして、石を投げているのだという説があります。つまり、道徳的な警告だったんですね。
狐狸の仕業
天狗ではなく、狐や狸などの妖怪の仕業だとする伝承もありました。山の動物たちが人間をからかっているという考え方です。
不吉な前兆
天狗礫に関する恐ろしい言い伝えもあります。
- この石に当たったものは病気になる
- この怪異に遭遇すると狩りで獲物が捕れなくなる
山で暮らす人々にとって、天狗礫は避けるべき不吉な現象だったんです。
実際の目撃事例

古文書には、具体的な天狗礫の事例が数多く記録されています。
石川県・大聖寺神社の怪異
江戸時代の怪談集『聖城怪談録』には、大聖寺町(現在の加賀市)で神主が体験した天狗礫の記録があります。
空から石が降ってくるのに、足元を見ると落ちたはずの石はない。川に石が落ちたような波紋はできるけれど、やはり石自体は見えないという不思議な現象でした。
金沢市の繁華街に現れた天狗礫
宝暦5年(1755年)3月、金沢市の市中繁華街である尾張町や今町に天狗礫が現れました。
昼夜を問わず礫を打つことが激しく、それが止まらないために天狗の仕業と言われたそうです。その後も頻繁に続いたという記録が、郷土史家・森田平次の著書『金沢古蹟志』に残されています。
江戸・麹町の卵商人の家
嘉永7年(1854年)、江戸の麹町にある卵商人の家で盛んに天狗礫が起きました。
この事例は特に詳しく記録されています。
現象の詳細
- 少ないときでも20~30個、多いときは50~60個もの小石が飛んでくる
- 屋根に登って犯人を見極めようとすると、石は背後から飛んでくる
- 後ろを振り向くと、今度は反対側から飛んでくる
- 石が人に当たっても、確かに当たった感触があるのに体には傷が残らない
不思議な家として見物人が増え、町方同心(今でいう警察)が見回りを強化すると、次第に飛んでくる石の数は減っていきました。そしてある日を境に、この現象は完全に消え失せたそうです。
明治時代の屋内での天狗礫
錦絵新聞『東京絵入新聞』明治9年(1876年)3月14日の記事には、家の中に天狗礫が起きたという珍しい事例があります。
中村繁次郎という男の家で、正午頃から急に石が降り始め、1時間ほど降り続けました。繁次郎は病床の父を心配させたくない思いと、世間に知られたくないとの思いから、このことを話題にせず、降ってきた石を神棚に上げて酒や食べ物を供えて祈りました。
すると神棚の石はいつの間にか消え、さらに激しく石が降り始めたんです。
繁次郎が刀を振るって見えない敵を威嚇しても効果はなく、この日を境に毎日同時刻に石が降るようになりました。やむを得ず警察に届け出たところ、巡査の目の前でも石の降る怪異は起きたそうです。
噂が広まって見物人が押し寄せる中、小林長永という人力車夫が現れ、狐狸を追い払う祈祷を行うと申し出ました。その祈祷の効果がどうだったかは、記録には残されていません。
遠野物語の大狐
『遠野物語』には、2本の尾を持った大狐が石を夜な夜な降らせた話が記述されています。この狐は後に捕らえられたそうです。
つまり、天狗礫の正体が動物だった事例もあったんですね。
古代の記録
『三代実録』という古い歴史書には、9世紀末頃の秋田城に石鏃(石の矢じり)が降ってきた話が記述されています。
当時は人の手によるものとは考えられず、天神が雷と共に落としたものと見られていました。天狗礫のような現象は、平安時代からすでに記録されていたんです。
天狗礫への対処法
山で天狗礫に遭遇したとき、人々はどう対処していたのでしょうか。
すぐに座る
ある若者が夜の山道を歩いていたとき、左右から石が落ちてきました。仲間の中に天狗礫を知っている者がおり、「おい、みなはやく座れ」と言って全員座ったそうです。
座ることで天狗の道を避けるという知恵があったんですね。石の上を飛び交う音はすさまじかったそうですが、座っていれば当たらないと信じられていました。
鉄砲を三発撃つ
群馬県などでは、天狗倒し(大木を切り倒すような山中の怪音)が聞こえたとき、鉄砲を三発撃てば怪音が止むという説もありました。
松明丸という妖怪
天狗礫に関連して、「松明丸(たいまつまる)」という妖怪も語られています。
鳥山石燕の『百器徒然袋』によれば、松明丸は天狗礫が発する光で、深い山の森の中に現れるとされます。火を携えた猛禽類のような鳥として描かれており、暗闇を照らす火ではなく、仏道修行を妨げる妖怪とされました。
つまり、天狗礫には石だけでなく、光の現象も伴うことがあったんですね。
海外の類似現象
天狗礫のような現象は、実は日本だけではありません。
不思議な現象を紹介するサイトX51.ORGには、南アフリカで石の雨に降られた女性の話が紹介されています。世界各地で似たような謎の石の現象が報告されているんです。
まとめ
天狗礫は、江戸時代の日本で広く信じられていた不思議な現象です。
重要なポイント
- 空から突然石が降ってくるが、投げた者の姿が見えない
- 石が当たっても傷が残らないことが多い
- 落ちたはずの石が見つからないという不思議な性質
- 天狗の警告、または狐狸の仕業と考えられた
- 石に当たると病気になる、不猟になるという言い伝え
- 江戸時代を中心に日本各地で目撃記録がある
- 座ることで避けられると信じられていた
- 世界各地にも類似の現象がある
現代の視点から見ると、実際に誰かが石を投げていたいたずらや、自然現象(落石など)の誤認、集団心理による錯覚など、さまざまな可能性が考えられます。しかし、警察官の目の前でも起きたという記録や、多数の目撃証言を考えると、単純に片付けられない謎も残されています。
もしかしたら、今でも深い山の中では、天狗が石を投げているかもしれませんね。

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