ギリシャ神話には、神々に逆らった者たちへの恐ろしい罰の物語があります。
その中でも特に有名なのが、タンタロスの物語です。
神々から愛された王が、なぜ永遠の苦しみを受けることになったのか、その真相に迫ります。
概要
タンタロス(Tantalus)は、ギリシャ神話に登場するリュディア王です。
ゼウスの子として神々に愛され、オリュンポスの饗宴に招かれる特別な存在でした。
しかし、神々への冒涜により、冥界の奈落タルタロスで永遠の飢えと渇きに苦しめられることになりました。
彼の罰は英語の「tantalize(じらす)」という言葉の語源となり、現代にまで語り継がれています。
タンタロスの出自と地位
タンタロスは、ゼウスとニュンペーのプルートー(Plouto)の息子として生まれました。
一説には、トモーロス山の神トモーロスが父とも言われていますが、ゼウスの子とする説が主流です。
彼はリュディアのシピュロス(Sipylus)からパフラゴニアにかけての地域を支配する王で、莫大な富を持っていました。
古代ギリシャでは「タンタロスの富」という表現があったほど、彼の財産は有名でした。
妻については諸説あり、河神パクトーロスの娘エウリュアナッサ、河神クサントスの娘エウリュテミスタ、アムピダマースの娘クリュティアー、あるいはプレイアデスの一人ディオーネーとされています。
タンタロスには、息子ペロプス(Pelops)、娘ニオベー(Niobe)、息子ブロテアス(Broteas)という三人の子がいました。
神々に愛された特別な存在
タンタロスは、人間でありながら神々から特別に愛された存在でした。
オリュンポス山の饗宴に招かれ、神々だけが口にできる神酒ネクタル(nectar)と神々の食物アムブロシアー(ambrosia)を食べることを許されていました。
これらを食べた結果、タンタロスは不死の身体を得ていたのです。
ゼウスをはじめとする神々との親交は深く、まさに神と人間の境界を越えた特別な地位にありました。
しかし、この特別な立場こそが、のちの悲劇の原因となります。
タンタロスの罪
タンタロスが神々の怒りを買った理由には、いくつかの説があります。
神の秘密を漏らした
オリュンポスの饗宴で聞いた神々の秘密を、人間に漏らしたとする説です。
神々の会話や計画を人間界に持ち帰り、話して回ったというものです。
神の食物を盗んだ
ピンダロスの『オリュンピア祝勝歌』第1歌によれば、タンタロスは神酒ネクタルと神の食物アムブロシアーを盗んで、人間の友人たちに分け与えたとされています。
これは神と人間の境界を侵す行為として、神々の怒りを買いました。
息子を料理して神々に供した
最も有名で、最も恐ろしい罪が、この第三の説です。
タンタロスは、神々の全知を試すために、息子ペロプスを殺害しました。
ペロプスの身体を切り刻んでシチュー料理にし、神々を招いた饗宴で供したのです。
神々はすぐに料理の正体を見抜き、誰も口をつけませんでした。
ただ一人、娘ペルセポネーを失って悲しみに沈んでいた豊穣の女神デメテル(Demeter)だけが、ペロプスの左肩の肉を誤って食べてしまいました。
怒ったゼウスは、モイライ(運命の三女神)に命じてペロプスを復活させました。
大釜で煮て呪術を施し、デメテルが食べてしまった左肩は象牙で作られた肩に置き換えられました。
こうしてペロプスは蘇りましたが、タンタロスには恐るべき罰が待っていました。
永遠の罰
タンタロスは、冥界のさらに下方にある奈落タルタロス(Tartarus)に送られました。
ホメロスの『オデュッセイア』第11巻では、オデュッセウスが冥界を訪れた際、タンタロスの罰の様子が描かれています。
タンタロスは沼の中に立たされ、水があごまで達していました。
しかし、タンタロスが水を飲もうと屈むと、水はたちまち引いてしまい、足元には黒い土が現れるのです。
頭上には果実のたわわに実った木々が枝を垂らしていました。
梨、ザクロ、リンゴ、イチジク、オリーブなど、様々な果実が手を伸ばせば届きそうなところにありました。
しかし、タンタロスが手を伸ばすと、風が吹いて枝は遠くへ運ばれてしまうのです。
不死の身体を得ていたことが仇となり、タンタロスは永遠に飢えと渇きに苦しめられることになりました。
死ぬことができないため、この苦しみは終わることがありません。
一部の資料では、タンタロスの頭上に巨大な岩が吊るされており、いつ落ちてくるかわからない恐怖にもさいなまれているとも伝えられています。
「tantalize」という言葉の由来
タンタロスの罰は、現代の言葉にも影響を与えています。
英語の動詞「tantalize」は「欲しいものを見せびらかしてじらす」という意味で、まさにタンタロスの罰に由来しています。
フランス語の「supplice de Tantale(タンタロスの責め)」は「欲しいものが目の前にあるのに手が届かない苦しみ」を意味します。
目の前に欲しいものがあるのに決して手に入らないじれったさや苦しみを表す言葉として、今なおタンタロスの名が使われ続けているのです。
タンタロスの子孫と呪い
タンタロスの罪は、彼の子孫にも影響を及ぼしました。
息子ペロプスは復活後、リュディアからギリシャ本土のペロポネソス半島に移り、その地を支配しました(ペロポネソスは「ペロプスの島」を意味します)。
ペロプスの子孫は「タンタリダイ(Tantalidai)」と呼ばれ、ミュケナイを拠点とするアトレウス家となりました。
ペロプスの孫がアトレウス(Atreus)で、その子がアガメムノン(Agamemnon)とメネラオス(Menelaus)です。
アトレウス家は、肉親間での謀殺、姦通、復讐といった悲劇が繰り返される「呪われた一族」として知られています。
トロイア戦争でギリシャ軍の総大将となったアガメムノンも、帰国後に妻クリュタイムネーストラー(Clytemnestra)に殺されました。
古代ギリシャの劇作家たちは、この一族の悲劇を題材に多くの作品を残しています。
アイスキュロスの三部作『オレステイア』は、アトレウス家の呪いをテーマにした傑作として知られています。
タンタロス神話の意味
タンタロスの物語は、単なる罰の話ではありません。
この神話は、神と人間の境界を越えることの危険性を警告しています。
タンタロスは神々に愛され、特別な地位を与えられました。
しかし、その特別な立場に慢心し、神の領域を侵そうとしたのです。
神々の秘密を盗み、神の食物を人間に与え、最終的には神々を試そうとして息子を料理して供しました。
これらはすべて、神と人間の境界を踏み越える行為でした。
永遠の罰は、欲望が満たされない苦しみを象徴しています。
目の前に水と食物がありながら、決してそれを手にすることができない。
これは、満たされない欲望に苦しむ人間の姿を映し出しているとも言えます。
古代ギリシャ人にとって、この物語は「神への敬意を忘れてはならない」「人間の分をわきまえよ」という教訓でした。
どれほど富や権力を持っていても、神々への敬意を失えば恐ろしい結果が待っているのです。
芸術作品におけるタンタロス
タンタロスの物語は、古代から現代まで、多くの芸術作品に描かれてきました。
古代ギリシャの陶器画には、タンタロスが水と果実に手を伸ばす場面が描かれています。
ローマ時代の壁画やモザイクにも、タンタロスの罰を題材とした作品が残されています。
ルネサンス期以降のヨーロッパ絵画でも、タンタロスは人気のモチーフでした。
17世紀のフランスの画家ベルナール・ピカールは、タンタロスが水を飲もうとする場面を描いています。
文学作品では、ダンテの『神曲』をはじめ、多くの作家がタンタロスの物語を引用し、再解釈してきました。
まとめ
タンタロス(Tantalus)は、ギリシャ神話における永遠の罰の象徴です。
神々に愛された王でありながら、神の領域を侵したことで、冥界で永遠の飢えと渇きに苦しめられることになりました。
目の前に水と果実がありながら決して手が届かないという罰は、「tantalize(じらす)」という英語の語源となり、現代にまで語り継がれています。
この物語は、神と人間の境界を越えることの危険性、そして謙虚さの重要性を教えてくれる、古代ギリシャの教訓に満ちた神話なのです。
参考情報
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この記事で参照した情報源
一次資料(原典)
- ホメロス『オデュッセイア』第11巻(582-593行) – Perseus Digital Libraryで参照可能
- ピンダロス『オリュンピア祝勝歌』第1歌 – タンタロスがネクタルとアムブロシアーを盗んだという記述
学術資料・百科事典
- Britannica – Tantalus – タンタロスの基本情報と罪の諸説
- World History Encyclopedia – Tantalus – タンタロスの歴史的背景
参考になる外部サイト
- Wikipedia「タンタロス」 – 基本情報の確認
- Wikipedia “Tantalus”(英語版) – 詳細な学術的情報と出典
- Theoi.com – Homer Odyssey Book 11 – 古代ギリシャ文献の英訳


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