毎年7月7日の夜、夜空を見上げて「願いが叶いますように」と祈ったことはありませんか?
短冊に願い事を書いて笹の葉に飾る七夕は、日本の夏を彩る美しい年中行事です。でも、なぜ年に一度だけ会える恋人たちの物語が、願い事をする行事になったのでしょうか。
この記事では、七夕の由来から織姫と彦星の物語、日本や世界各地での祝い方まで、詳しくご紹介します。
概要

七夕(たなばた)は、中国の乞巧節(きっこうせつ)に由来する東アジアの伝統的な祭りです。
中国の旧暦7月7日に行われる行事で、天の川を挟んで離れ離れになった織姫(織女)と彦星(牽牛)が、年に一度だけ再会できる日とされています。日本では五節句の一つ「七夕の節句」として、古くから親しまれてきました。
この祭りは恋愛を祝う行事としてしばしば「中国版バレンタインデー」とも呼ばれますが、本来は女性が機織りや裁縫の上達を願う「乞巧(きっこう)」の風習から生まれたものなんです。
現在では日本をはじめ、韓国(칠석/チルソク)、台湾、ベトナム(Thất Tịch)など東アジア各地で祝われており、それぞれの文化に合わせて独自の発展を遂げています。
織姫と彦星の物語
七夕といえば、やっぱり織姫と彦星の恋物語ですよね。
この美しくも切ない物語は、2600年以上前の中国の詩集『詩経』にまで遡ることができます。時代とともに様々なバリエーションが生まれましたが、ここでは最も広く知られている物語をご紹介しましょう。
二人の出会い
昔々、天の川のほとりに天帝が住んでいました。天帝には織姫という一人娘がおり、機を織って神々の美しい着物を作る仕事をしていました。
織姫は毎日一生懸命に機を織り、とても働き者でした。やがて年頃になった織姫のために、天帝は婿を探すことにします。天の川の対岸で天の牛を飼っている彦星という若者を見つけ、二人を引き合わせました。
織姫と彦星は一目で惹かれ合い、めでたく結婚することになったのです。
仲睦まじい日々と天帝の怒り
ところが、結婚後の二人はあまりにも仲が良すぎました。
一緒にいることが楽しくて、織姫は機織りを、彦星は牛の世話をすっかり怠けるようになってしまったのです。すると天帝のもとに苦情が殺到します。
「織姫が機を織らないので、新しい着物が手に入らない」
「彦星が世話をしないので、牛たちが病気になっている」
すっかり怒った天帝は、二人を天の川の東と西に引き離してしまいました。
カササギの橋と年に一度の再会
離れ離れになった織姫はあまりにも悲しそうでした。その姿を見た天帝は、少し心を痛めて言いました。
「一年に一度だけ、七月七日の夜だけは会ってもよい」
それから織姫は毎日一生懸命に機を織り、彦星も天の牛を飼う仕事に精を出すようになりました。そして待ちに待った七月七日の夜、カササギの群れが天の川に橋を架けて、織姫は彦星のもとへ会いに行くのです。
ちなみに、七夕の日に降る雨は「洒涙雨(さいるいう)」と呼ばれます。これは織姫と彦星が流す涙だという、なんともロマンチックな言い伝えなんですよ。
七夕の由来と歴史
七夕の歴史は意外と複雑で、いくつかの異なる要素が組み合わさって今の形になったんです。
中国での起源
最も古い記録は、2600年以上前の『詩経』に登場する「織女」と「牽牛」という星の名前です。ただし、この時点ではまだ七月七日との関連は明らかではありませんでした。
後漢時代(25-220年)の『風俗通義』には、織姫が牽牛のもとへカササギの橋を渡って会いに行くという描写が初めて登場します。
南北朝時代(420-589年)の『荊楚歳時記』になると、七月七日に牽牛と織女が会う夜であることが明記され、女性たちが針仕事の上達を祈る「乞巧奠(きっこうでん)」という儀式を行ったことが記録されています。
日本への伝来
日本には奈良時代に伝わり、宮中行事として取り入れられました。
『雑令』によって7月7日が節日と定められ、相撲や詩歌の会、乞巧奠などが行われるようになったのです。平安時代には貴族の邸宅で、カジ(梶)の葉に願い事を書いて飾る風習が生まれました。
江戸時代になると、五節句の一つとして民間にも広まり、手習い事の上達を願う行事として庶民の間でも親しまれるようになります。
ただし、1873年(明治6年)に太政官布告によって五節句は廃止されることになりました。それでも七夕の風習は民間行事として今日まで受け継がれているんですね。
日本での七夕の風習

日本の七夕には、中国から伝わった風習に独自のアレンジが加わっています。
短冊に願い事を書く
最も有名なのが、短冊に願い事を書いて笹竹に飾る風習です。
実はこれ、日本以外では見られない独特の習慣なんですよ。江戸時代から始まったとされ、夏越の大祓(なごしのおおはらえ)に設置される茅の輪の両脇の笹竹から影響を受けたと考えられています。
短冊の色にも意味があります。「たなばたさま」の歌にある五色の短冊は、中国の五行説に基づく緑・紅・黄・白・黒(または青・赤・黄・白・紫)を指しているんです。
地域ごとの特色
日本各地には、ユニークな七夕の風習があります。
北海道の「ローソクもらい」
北海道では、七夕の日に子供たちが提灯を持って「ローソク出せ!」と声をかけながら各家を回り、お菓子をもらう風習があります。ハロウィンに似た楽しい習慣ですね。
仙台七夕まつり
8月6日から8日に開催される仙台七夕まつりは、日本三大七夕祭りの一つ。色とりどりの豪華な吹き流しが商店街を彩り、毎年200万人以上の観光客が訪れます。
富山県黒部市の七夕流し
子供たちが満艦舟や行燈を作り、「姉さま人形」を流す伝統行事で、江戸時代から続く貴重な無形民俗文化財です。
開催時期の違い
現在の日本では、七夕の開催時期が地域によって異なります。
- 新暦7月7日:多くの地域で採用されているが、梅雨の時期で晴れる確率は約26%(東京)と低い
- 月遅れの8月7日:仙台や秋田などで採用
- 旧暦7月7日:沖縄などで採用(毎年日付が変わる)
旧暦の七夕は必ず上弦の月になるため、月が早く沈んで天の川が見やすいという利点があるんですよ。
世界各地の七夕
七夕は東アジア全体に広がる文化です。それぞれの国で独自の発展を遂げているのが興味深いところですね。
韓国の칠석(チルソク)
韓国では「七月七夕(칠월칠석)」と呼ばれ、この日は必ず雨が降ると信じられています。
牽牛と織女が再会して流す嬉し涙が雨になるという考え方で、2日続けて雨が降れば「別れを惜しむ涙」だと言われるんです。伝統的には、各家庭で小麦粉のお菓子や季節の果物を供え、女性たちは針仕事の上達を、少年たちは学問の向上を祈りました。
台湾の七夕
台湾では、7月7日は七娘媽(織女)の誕生日とされています。
七娘媽は子供の守護神として崇められ、幼児を持つ家庭ではこの日に祭りを行います。台南や鹿港では「做十六歲」という成人式を行う習慣があり、16歳になった若者を祝福するんです。
近年では、バレンタインデーと同様に男女がプレゼントを交換する日としても定着しています。
ベトナムのThất Tịch
ベトナムでは「Thất Tịch(タッティック)」と呼ばれ、中国の牛郎織女の物語が伝わっています。
ブラジル・アメリカでの七夕
日系移民の影響で、海外でも七夕祭りが開催されています。
サンパウロ仙台七夕祭り(1979年開始)
南半球のブラジルでは7月は冬。冬の風物詩として7月の週末に開催され、仙台市の協力のもと、リベルダージ地区で行われています。
ロサンゼルス七夕祭り(2009年開始)
8月中旬にリトルトーキョーで開催され、二世週日本祭(二世ウイーク)に合わせて行われています。
まとめ
七夕は、天の川を挟んで離れ離れになった織姫と彦星が年に一度だけ再会できる、ロマンチックな伝説に基づく東アジアの伝統行事です。
重要なポイント
- 中国の乞巧節に由来し、2600年以上の歴史を持つ
- 織姫と彦星の恋物語が中心テーマ
- もともとは女性が裁縫や機織りの上達を願う行事だった
- 日本独自の「短冊に願い事を書く」風習がある
- 韓国、台湾、ベトナムなど東アジア各地で祝われている
- 新暦7月7日、月遅れ8月7日、旧暦7月7日と開催時期が異なる
- 仙台七夕まつりなど各地で盛大な祭りが開催される
夜空を見上げて天の川を探し、織姫星(ベガ)と彦星(アルタイル)を見つけてみてください。二人の年に一度の再会に思いを馳せながら、あなたも願い事をしてみてはいかがでしょうか。


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