【日本三大妖怪】玉藻前(たまものまえ)とは?九尾の狐伝説と殺生石の謎を徹底解説

神話・歴史・伝承

美しく聡明な女性が、実は恐ろしい妖狐だった――。

平安時代の宮廷を舞台にしたこの伝説は、日本を代表する妖怪譚として今も語り継がれています。鳥羽上皇を惑わせ、最後は石になったという玉藻前。その物語は、中国やインドの伝説とも深く結びついているんです。

この記事では、玉藻前の正体や伝説のあらすじ、殺生石との関係、そして三国にまたがる壮大な妖狐伝説について分かりやすくご紹介します。


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概要

玉藻前(たまものまえ) は、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫(ちょうき=特別にかわいがられた女性)だったとされる伝説上の人物です。

その正体は 妖狐(ようこ) ――つまり、人を化かす狐の妖怪でした。陰陽師の安倍泰成(あべのやすなり)に正体を見破られた後、下野国(しもつけのくに)の那須野原(現在の栃木県那須郡周辺)に逃れ、最後は 「殺生石(せっしょうせき)」 という毒石に姿を変えたと伝えられています。

玉藻前の伝説が成立したのは室町時代前期以前とされ、御伽草子『玉藻の草子』や能の『殺生石』などの古典作品に登場します。江戸時代になると、中国の妲己(だっき)やインドの華陽夫人(かようふじん)と同一の存在として語られるようになり、「白面金毛九尾の狐」 という強大な妖怪として広く知られるようになりました。


玉藻前の姿と特徴

玉藻前は、人間の姿をしているときは 絶世の美女 として描かれています。

人間としての玉藻前

  • 容姿:たぐいまれな美貌を持ち、宮中随一の美しさ
  • 知性:博識で、どんな質問にも答えられる聡明さ
  • 教養:琴や和歌にも優れ、まさに完璧な女性

鳥羽上皇が彼女を深く寵愛したのも無理はありません。しかし、この完璧さこそが「人ではない」証拠だったのかもしれませんね。

正体である狐の姿

正体を見破られた玉藻前は、狐の姿を現して逃走します。

古い文献である『玉藻の草子』では 「二尾の狐」 として描かれていますが、江戸時代以降は 「九尾の狐(きゅうびのきつね)」 として語られるようになりました。九尾の狐は、千年以上生きた狐が持つとされる9本の尾と、黄金色の毛並みが特徴です。


玉藻前伝説のあらすじ

江戸時代の読本『絵本三国妖婦伝』などに記された伝説をもとに、物語の流れを見ていきましょう。

宮中での出会い

玉藻前は最初、藻女(みくずめ) と呼ばれていました。子に恵まれない夫婦に大切に育てられ、美しく成長した彼女は18歳で宮中に仕えることになります。

やがて鳥羽上皇のもとで女官となり、「玉藻前」 と呼ばれるようになりました。その美貌と博識ぶりから、上皇は彼女を深く寵愛するようになります。

正体の発覚

ところが、玉藻前が上皇のそばに仕えるようになってから、上皇は原因不明の病に苦しむようになってしまいます。朝廷の医師たちにも原因がわからない中、陰陽師の安倍泰成 が玉藻前の仕業であると見抜きました。

安倍泰成が真言を唱えると、玉藻前は変身を解かれ、狐の姿 で宮中から逃走してしまいます。

那須野での討伐

その後、那須野(栃木県那須郡周辺)で婦女子をさらうなどの被害が報告されるようになりました。鳥羽上皇は討伐軍を編成し、三浦介義明(みうらのすけよしあき)千葉介常胤(ちばのすけつねたね)上総介広常(かずさのすけひろつね) を将軍に、安倍泰成を軍師に任命して派兵します。

最初の戦いでは九尾の狐の妖術に苦しめられましたが、将兵たちは 犬追物(いぬおうもの) で騎射の訓練を積み、再度攻撃を仕掛けました。追い詰められた九尾の狐は、地元領主の須藤貞信の夢に娘の姿で現れて許しを願いますが、貞信はこれを狐が弱っている証拠と読み、最後の攻勢に出ます。

ついに三浦介が放った矢が脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけたことで、九尾の狐は息絶えたのでした。


三国を渡り歩いた妖狐の前世

江戸時代の『絵本三国妖婦伝』では、玉藻前は日本に来る前から 天竺(インド)・中国・日本 の三国で災いをもたらしてきたとされています。

殷の妲己(だっき)

玉藻前の最も古い前世は、古代中国・殷王朝の最後の王である紂王(ちゅうおう)の后・妲己 だったとされています。

九尾の狐が寿羊という娘の体を乗っ取り、妲己として紂王を惑わせました。紂王と妲己は 「酒池肉林」 にふけり、無実の人々を 炮烙(ほうらく)の刑 ――熱した銅の柱の上を歩かせる残虐な刑罰――にかけるなど暴政を敷いたといいます。

やがて周の武王が殷を討伐。妲己は処刑されそうになりますが、その妖術で処刑人を魅了して首を切らせません。そこで太公望(たいこうぼう)が照魔鏡をかざすと、妲己は九尾の狐の正体を現して逃亡しようとしました。太公望が宝剣を投げつけると、その体は三つに飛散したといわれています。

天竺の華陽夫人(かようふじん)

死んだはずの九尾の狐は、今度は天竺(インド)の摩竭陀国(まがだこく)に現れます。斑足太子(はんぞくたいし)の妃・華陽夫人 として、王子に千人の首をはねるようそそのかすなど暴虐の限りを尽くしました。

しかし、耆婆(きば)という人物が夫人の正体を見破ります。薬王樹で作った杖で夫人を打つと、たちまち九尾の狐の姿を現し、北の空へ飛び去っていきました。

周の褒姒(ほうじ)

続いて九尾の狐は、中国・周の第12代の王である幽王の后・褒姒 になったとされています。

褒姒はなかなか笑わない女性で、幽王は彼女を笑わせようとさまざまな手を尽くしました。ある日、何事もないのに 烽火(のろし) を上げると、諸侯が慌てて駆けつけた様子を見て、褒姒はようやく笑ったといいます。

これに味をしめた幽王は何度も偽の烽火を上げるようになり、やがて諸侯は烽火を見ても出動しなくなりました。後に敵が攻めてきて幽王が烽火を上げても誰も来ず、幽王は殺されてしまいます。褒姒は捕虜となりましたが、いつの間にか姿を消していたそうです。

その後、若藻(わかも)という16歳ほどの少女に化けて、吉備真備(きびのまきび)の乗る遣唐使船に同乗し、日本へ渡ったとされています。


殺生石の伝説

討伐された九尾の狐は、ただ死んだだけではありませんでした。その体は 巨大な毒石 に変化し、近づく人間や動物の命を奪うようになったのです。

殺生石とは

村人たちはこの恐ろしい石を 「殺生石(せっしょうせき)」 と名付けました。「殺生」とは仏教用語で「生き物の命を奪う」という意味があります。

殺生石は栃木県那須町の那須湯本温泉付近に実在し、現在は国指定名勝となっています。周辺では硫化水素や亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスが噴出しており、古くから鳥や獣が近づくと命を落とすことで知られていました。

俳人・松尾芭蕉も『おくのほそ道』でこの地を訪れ、「石の香や 夏草赤く 露暑し」 と詠んでいます。

玄翁和尚による殺生石の破壊

殺生石は鳥羽上皇の死後も毒気を発し続け、鎮魂のためにやって来た高僧たちも次々と倒れたといいます。

しかし南北朝時代、会津の元現寺を開いた 玄翁和尚(げんのうおしょう) が殺生石を打ち砕くことに成功しました。破壊された殺生石は日本各地へと飛散したと伝えられています。

ちなみに、玄翁和尚が石を叩いたことから、大工道具の 「玄能(げんのう)」 という金槌の名前の由来になったという説もあるんですよ。

2022年の出来事

2022年3月5日、殺生石が二つに割れているのが確認されました。数年前からひびが入っていたため、那須町は「自然に割れた可能性が高い」との見解を示しています。SNS上では「封印が解けた」と話題になりましたが、実際には自然現象によるものと考えられています。


玉藻前を祀る神社

玉藻前(殺生石)を祀る神社は、日本各地に存在します。

主な神社

  • 玉藻稲荷神社(栃木県大田原市)
  • 九尾稲荷神社(那須町・那須温泉神社境内)
  • 解石神社(栃木県那須烏山市)
  • 椿稲荷神社(栃木県那須塩原市)
  • 殺生石稲荷神社(福島県大沼郡・伊佐須美神社境内)
  • 法石稲荷社(福島県白河市・常在院境内)
  • 玉雲宮(岡山県真庭市・化生寺鎮守社)
  • 内山神社(宮崎県宮崎市)

殺生石の破片が飛散したとされる土地には、その破片を祀る神社や寺院が建てられていることが多いですね。


玉藻前を扱った文学・芸能作品

玉藻前の物語は、室町時代から現代まで多くの作品で取り上げられてきました。

古典作品

  • 御伽草子『玉藻の草紙』(室町時代)
  • 能『殺生石』(室町時代)
  • 人形浄瑠璃『玉藻前曦袂』(1751年、寛延4年)
  • 読本『絵本三国妖婦伝』(1803〜1805年、高井蘭山著)
  • 読本『絵本玉藻譚』(1805年、岡田玉山著)
  • 歌舞伎『三国妖婦伝』(1807年、鶴屋南北作)

特に江戸時代の文化文政期には玉藻前ブームが起こり、歌舞伎や浄瑠璃、読本など数多くの作品が生まれました。


まとめ

玉藻前は、日本を代表する妖怪伝説の一つです。

重要なポイント

  • 平安時代末期、鳥羽上皇の寵姫だった伝説上の人物
  • 正体は 妖狐(九尾の狐) で、陰陽師・安倍泰成に見破られた
  • 那須野で討伐された後、毒石 「殺生石」 に変化した
  • 江戸時代以降、中国の 妲己、天竺の 華陽夫人、周の 褒姒 と同一視されるようになった
  • 三国にまたがる壮大な 「白面金毛九尾の狐」 伝説として知られる
  • 殺生石は栃木県那須町に実在し、国指定名勝となっている
  • 南北朝時代に 玄翁和尚 によって破壊されたと伝えられる

美しさと恐ろしさを併せ持つ玉藻前の物語は、人間の欲望や権力への警鐘として、今なお私たちに語りかけてきます。那須を訪れる機会があれば、ぜひ殺生石にも足を運んでみてはいかがでしょうか。

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