「楠木正成」「足利尊氏」「後醍醐天皇」——歴史の授業で一度は聞いたことがある名前ではないでしょうか。
彼らが活躍した南北朝時代という激動の時代を、生き生きと描いた作品があります。それが『太平記』です。
『平家物語』と並ぶ日本を代表する軍記物語であり、全40巻という日本文学史上最長の作品でもあります。でも、「名前は知っているけど、実際にどんな話なの?」「登場人物が多すぎてよくわからない」という方も多いのではないでしょうか。
この記事では、『太平記』の概要から名場面、主要な登場人物まで、わかりやすく解説していきます。
太平記の概要

日本最長の軍記物語
『太平記』は、室町時代に成立した軍記物語です。
軍記物語とは、合戦や武士の活躍を描いた物語のジャンルのこと。『平家物語』や『保元物語』『平治物語』などと同じ系統に属する作品なんですね。
作品の基本情報を整理してみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 巻数 | 全40巻 |
| 成立時期 | 14世紀後半(1370年頃) |
| 作者 | 不明(複数人による編纂と推定) |
| 時代設定 | 1318年~1368年の約50年間 |
| ジャンル | 軍記物語 |
なぜ「太平記」という名前なの?
「太平」という言葉は「平和」を意味します。
しかし、作品の内容は戦乱と混乱の連続。
タイトルと内容が正反対に思えますよね。
これについては、主に二つの説が考えられています。
平和祈願説が最も有力で、戦乱で命を落とした人々の魂を鎮め、太平の世が訪れることを願って付けられたとする考え方です。
軍記物語には怨霊鎮魂の意味合いがあることが多く、『太平記』もその伝統に沿っているのでしょう。
一方で、往来物(教科書)としての名付け説もあります。
室町時代の武士たちが百科事典的に使う目的で作られたため、縁起の良い名前を付けたという見解です。
描かれている時代
『太平記』が描くのは、後醍醐天皇が即位した1318年から、細川頼之が管領に就任する1368年までの約50年間。
この時代は、日本史の中でも特に激動の時期でした。
- 鎌倉幕府の滅亡(1333年)
- 建武の新政の開始と崩壊(1333年~1336年)
- 南北朝の分裂(1336年~)
- 足利幕府(室町幕府)の成立
二人の天皇が並び立ち、武士たちが離合集散を繰り返す——まさに「天下大乱」と呼ぶにふさわしい時代だったのです。
成立と作者の謎
誰が書いたのか
『太平記』の作者は、実は現在も確定していません。
ただし、いくつかの同時代史料から、成立に関わった人物の名前が浮かび上がってきます。
小島法師という人物が最も有力視されています。貴族の洞院公定(とういんきんさだ)が記した日記には、1374年に亡くなった「小島法師」が『太平記』の作者として名高かったと記録されているんです。
また、今川了俊(いまがわりょうしゅん)が1402年に著した『難太平記』には、法勝寺の僧侶・恵鎮(えちん)が30余巻を編纂し、足利直義に見せたという記述があります。
その際、学僧の玄恵(げんえ)が内容を監修したとも。
つまり、『太平記』は一人の作家が書き上げた作品ではなく、複数の知識人が20年以上にわたって書き継ぎ、修正を重ねて完成した「共同制作」の産物だと考えられているのです。
室町幕府との関係
興味深いのは、室町幕府の中枢人物が作品の成立に深く関わっていた可能性が高いこと。
足利直義が内容を確認して修正を命じたり、3代将軍・足利義満や管領・細川頼之が校閲に関係していたという説もあります。
これは、幕府側が自らの正当性を記録に残そうとしたためかもしれません。あるいは、戦乱の時代を振り返り、教訓として後世に伝える意図があったのでしょう。
太平記の三部構成

『太平記』は内容によって、大きく三つの部分に分けて考えられています。
第一部(巻1~巻11):倒幕への道
後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府が滅亡するまでを描きます。
この部分は作品全体の中で最もまとまりが良く、物語としての完成度が高いと評価されています。
主な出来事
- 後醍醐天皇の倒幕計画
- 楠木正成の挙兵と千早城の戦い
- 足利高氏(のちの尊氏)の寝返り
- 新田義貞の鎌倉攻め
- 北条氏の滅亡
特に楠木正成が巧みな戦術で幕府の大軍を翻弄する場面は、口承文芸(語り継がれた物語)の影響を感じさせる生き生きとした描写が特徴的です。
第二部(巻12~巻21):建武の新政と崩壊
鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による建武の新政が始まります。しかし、この政権は長続きしませんでした。
主な出来事
- 建武の新政の開始
- 公家と武士の対立
- 足利尊氏と新田義貞の抗争
- 湊川の戦いと楠木正成の最期
- 南北朝の分裂
- 後醍醐天皇の吉野での崩御
後醍醐天皇が徳を欠いた君主として批判的に描かれているのも、この部分の特徴です。
寵臣の万里小路藤房が天皇を諫め、最終的に出家する場面などに、作者たちの新政への批判が込められています。
第三部(巻22~巻40):果てしなき争い
後醍醐天皇の死後も、争いは終わりません。むしろ、より複雑な様相を呈していきます。
主な出来事
- 観応の擾乱(足利家内部の分裂)
- 足利尊氏と弟・直義の対立
- 守護大名たちの権力闘争
- 南朝方の怨霊の出現
- 足利義詮の死と細川頼之の管領就任
この部分では「ばさら」(派手で型破りな振る舞い)を好む佐々木道誉や、横暴な高師直の姿が描かれ、社会や政治への批判がより強くなっていきます。
また、怨霊となった南朝方の人々が登場するなど、怪異譚的な要素も増えていくのが特徴的です。
主要な登場人物

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
『太平記』の第一部・第二部で中心となる人物です。
第96代天皇として1318年に即位し、武家政権を打倒して天皇親政を復活させようと奮闘しました。その意志の強さは「稀代の帝王」と呼ばれるほど。
しかし、建武の新政では公家を重用し武士を軽視したため、多くの武士の反感を買うことに。最終的には吉野に逃れ、南朝を開いて1339年に崩御しました。
『太平記』では、積極的で意志的な人物として描かれる一方、我意を通すあまり狭量さや驕慢さも垣間見えます。死後は怨霊となって登場する場面もあり、作品全体を通じて主役的な存在といえるでしょう。
足利尊氏(あしかがたかうじ)
室町幕府の初代将軍となった人物です。
もともとは鎌倉幕府に仕える有力御家人でしたが、後醍醐天皇の挙兵を機に幕府を裏切り、京都の六波羅探題を攻め落としました。倒幕の最大の功労者の一人です。
しかし、建武の新政に不満を抱き、後醍醐天皇と対立。各地で激戦を繰り広げた末に、北朝を擁立して室町幕府を開きました。
武勇に優れ、戦場では圧倒的な強さを誇った一方、政治的には世渡り下手な面も。弟・直義との対立(観応の擾乱)など、身内との争いに苦しめられた生涯でした。
楠木正成(くすのきまさしげ)
『太平記』で最も美化され、英雄として描かれる武将です。
出自は河内国の土豪とされていますが、詳しい素性は不明。しかし、その軍事的才能は群を抜いていました。
千早城の戦いでは、わずか1000人ほどの兵で幕府の大軍を何度も撃退。ゲリラ戦術や奇策を駆使した戦いぶりは、後世の武将たちにも大きな影響を与えています。
後醍醐天皇への忠義を貫き、最期は湊川の戦いで壮絶な討ち死にを遂げました。『太平記』では「智仁勇の三徳を兼ねた」人物として絶賛されています。
新田義貞(にったよしさだ)
鎌倉幕府を滅ぼした立役者の一人です。
足利氏と同じ源氏の名門でしたが、家格では足利氏に劣っていました。そのコンプレックスが、尊氏との対立の一因になったともいわれています。
1333年、わずか150騎で挙兵した義貞は、各地から兵を集めながら鎌倉を目指しました。伝説によれば、稲村ヶ崎で龍神に祈り、潮が引いた海岸から鎌倉に攻め入ったといいます。
足利尊氏との戦いでは連敗を重ね、最期は越前で戦死。武勇に優れながらも、時流を読む力に欠けた悲劇の武将として描かれています。
足利直義(あしかがただよし)
足利尊氏の弟で、室町幕府の創業期を支えた人物です。
兄が軍事を担当し、弟が政務を担当する「二頭政治」で幕府を運営しました。『建武式目』の制定など、幕府の制度づくりに尽力した政治家タイプの人物です。
しかし、尊氏の執事・高師直との対立が深まり、やがて兄弟間でも亀裂が。観応の擾乱と呼ばれる内戦に発展し、最終的には毒殺されたとも伝えられています。
名場面・名エピソード
桜井の別れ
『太平記』で最も有名な場面の一つが「桜井の別れ」です。
1336年、九州から大軍を率いて攻め上ってきた足利尊氏を迎え撃つため、楠木正成は兵庫へ向かいました。しかし、勝ち目がないことは明らかでした。
途中、桜井の宿(現在の大阪府島本町)で、正成は11歳の息子・正行(まさつら)を呼び寄せます。
「今度の合戦で自分が討ち死にすれば、天下は足利の代となるだろう。しかし、長年の忠義を捨てて降参するようなことがあってはならない。一族が一人でも生き残っている限り、金剛山に籠もって戦い続けよ。それが父への孝行だと思え」
そう諭すと、帝から賜った菊水の紋入りの短刀を形見として渡し、今生の別れを告げたのです。
この場面は戦前の教科書に必ず載っていた逸話であり、唱歌『桜井の訣別』としても歌い継がれました。
「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと……」
ただし、この「桜井の別れ」が実際にあったかどうかは不明です。『太平記』以外の史料には記録がなく、作者による創作である可能性も指摘されています。
七生報国(しちしょうほうこく)
湊川の戦いでの楠木正成の最期も、名場面として知られています。
6時間に及ぶ激戦の末、正成と弟・正季(まさすえ)は次第に追い詰められていきました。最後は73騎にまで減り、誰もが切り傷だらけの満身創痍。
民家に駆け込んだ正成は、弟にこう尋ねました。
「お前は来世で何に生まれ変わりたい?」
正季は笑って答えます。
「七たび人間に生まれ変わって、朝敵を滅ぼしたい」
正成も嬉しそうにうなずきました。
「罪深い願いだが、私もそう思う。さらば、共に生まれ変わってこの本懐を遂げよう」
そして二人は刺し違えて果てたのです。
この言葉は「七生滅賊」として知られ、後に「七生報国」という四字熟語に変化しました。国のために七度生まれ変わっても尽くすという意味で、戦前は忠君愛国の精神を象徴する言葉として広く知られていました。
ただし、仏教的には「生まれ変わって復讐したい」という願いは罪業深い執着とされます。『太平記』でも、正成が後に怨霊として登場するのは、この「七生滅賊」の呪いの力によるものと解釈されています。
新田義貞の稲村ヶ崎
鎌倉幕府を滅ぼす際、新田義貞は鎌倉に攻め入るルートに悩みました。
鎌倉は三方を山に囲まれ、一方は海という天然の要塞。どの道も狭い切通しになっていて、大軍を一気に通すことができません。
そこで義貞は稲村ヶ崎の海岸から攻め入ることを決意。海に向かって黄金の太刀を投げ入れ、龍神に祈りを捧げました。
すると不思議なことに、潮がさっと引いて干潟が現れたのです。義貞軍はこの干潟を渡って鎌倉に突入し、北条氏を滅ぼしました。
この奇跡的な出来事については、実際に珍しい気象条件が重なった、極楽寺の裏山から攻めた、など様々な説があります。
平家物語との比較
『太平記』は『平家物語』の影響を強く受けています。
両者を比較すると、その共通点と相違点がよくわかります。
| 項目 | 平家物語 | 太平記 |
|---|---|---|
| 成立時期 | 鎌倉時代(13世紀) | 室町時代(14世紀) |
| 巻数 | 12巻 | 40巻 |
| 主な題材 | 源平合戦 | 南北朝の動乱 |
| 語られ方 | 琵琶法師による語り物 | 読み物・講釈 |
| 基調となる思想 | 諸行無常・盛者必衰 | 因果応報・大義名分 |
『平家物語』の有名なエピソードを模倣した場面も多くあります。
例えば、『太平記』巻16の「本間孫四郎遠矢事」は、『平家物語』の那須与一が扇の的を射る場面をモデルにしています。ただし、那須与一が神々に祈りながら決死の覚悟で矢を放ったのに対し、本間は観客を意識した派手なパフォーマンスとして描かれるなど、時代の違いを反映した描写になっているんです。
また、『平家物語』が「諸行無常」を基調とした叙情的な作品であるのに対し、『太平記』はより政治批判的で、教訓的な内容が強いという違いもあります。
後世への影響
江戸時代の人気
『太平記』は成立当初から人々に愛読されました。特に江戸時代には、最も人気のある軍記物語だったといわれています。
「太平記読み」と呼ばれる講釈師たちが、各地で物語を語り聞かせました。これが後の講談の原型になったのです。
また、浄瑠璃や歌舞伎の題材としても数多く取り上げられ、「忠臣蔵」のモデルとなった『仮名手本忠臣蔵』も、『太平記』の登場人物の名前を借りています。
近代における影響
明治以降、楠木正成は忠君愛国の象徴として大きく取り上げられるようになりました。
水戸藩の徳川光圀(水戸黄門)が湊川に建てた「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑は有名です。また、明治天皇の勅命により湊川神社が創建され、正成は神として祀られるようになりました。
戦前の教育では、「桜井の別れ」や「七生報国」の精神が修身の教科書で繰り返し教えられました。
一方で、足利尊氏は天皇に背いた「逆臣」とされ、長らく否定的に評価されてきました。戦後になってようやく、時代を読む力を持った政治家として再評価されるようになっています。
現代文化への影響
現代でも『太平記』は様々な形で親しまれています。
テレビドラマでは、1991年にNHK大河ドラマ『太平記』が放送されました。真田広之演じる足利尊氏を主人公に、鎌倉幕府滅亡から室町幕府成立までを描いた作品です。武田鉄矢演じる楠木正成も印象的でした。
漫画・アニメでは、2021年から連載の『逃げ上手の若君』(松井優征)が、北条時行を主人公に南北朝時代を描いて話題になっています。2024年にはアニメ化もされました。
小説では、吉川英治の『私本太平記』が古典的名作として知られています。戦前に固定化されていた足利尊氏や楠木正成のイメージを一新し、現代の作家たちにも大きな影響を与えている作品です。
まとめ
『太平記』は、日本史上最も激動の時代を描いた壮大な軍記物語です。
重要なポイント
- 全40巻、約50年間の歴史を描く日本最長の軍記物語
- 作者は不明だが、複数の知識人が20年以上かけて編纂
- 鎌倉幕府滅亡、建武の新政、南北朝分裂という激動の時代を描く
- 三部構成で、それぞれ異なる特色を持つ
- 楠木正成の「桜井の別れ」「七生報国」は日本史上屈指の名場面
- 『平家物語』の影響を受けつつ、より政治批判的な内容
- 江戸時代から現代まで、講談・歌舞伎・小説・ドラマなど様々な形で親しまれている
戦乱の世を生きた人々の姿を通して、『太平記』は私たちに多くのことを問いかけてきます。
忠義とは何か。正義とは何か。勝者と敗者を分けるものは何か。
時代を超えて読み継がれてきた理由は、単なる戦記としてだけでなく、人間の生き方そのものを深く描いているからなのかもしれません。
興味を持った方は、ぜひ角川ソフィア文庫の『太平記 ビギナーズ・クラシックス』など、現代語訳や入門書から読み始めてみてください。700年前の日本人たちの息吹が、きっと感じられるはずです。


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