アリンナの太陽女神とは?ヒッタイト神話の最高神とその信仰

紀元前2千年紀、現在のトルコ中央部を支配した古代帝国・ヒッタイト。

この強大な帝国の守護神として君臨したのが「アリンナの太陽女神」です。

太陽を司る神といえば男性神をイメージしがちですが、ヒッタイトでは女性の太陽神が最高位に君臨していました。

王権を正統化し、国家の存亡を左右する力を持つとされたこの女神は、一体どのような存在だったのでしょうか。

この記事では、ヒッタイト神話の中心的存在である「アリンナの太陽女神」について、その起源から信仰の実態まで詳しく解説します。

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アリンナの太陽女神の基本情報

名前と呼称

アリンナの太陽女神は、実は固有の神名が現代まで明確に伝わっていません。

一般的には「アリンナの太陽女神」(Sun goddess of Arinna)と呼ばれますが、これは信仰の中心地であった都市「アリンナ」の名を冠した呼び名なんです。

ヒッタイトの楔形文字では「dUTU URUArinna」と表記されました。

複数の名前

民族や時代によって、この女神は異なる名前で呼ばれていました。

  1. ハッティ語
    文字を表にまとめる
名前意味・解釈
エスタン(Eštan)ハッティ族の原初の名称
ウルンセム(Wurunšemu)「大地の母」の意味か
  1. ヒッタイト語
名前意味・解釈
イシュタヌ(Ištanu)ハッティ語エスタンのヒッタイト語形
ウルンジム(Urunzimu)ウルンセムのヒッタイト語形
アリニッティ(Arinniti)「アリンナの(女神)」の意
  1. フルリ語での同一視

ヒッタイト新王国時代(紀元前14世紀以降)には、シリア系フルリ人の女神ヘパト(Ḫepat)と同一視されるようになりました。

アリンナの太陽女神の起源

ハッティ族からヒッタイトへ

アリンナの太陽女神は、もともとヒッタイト固有の神ではありませんでした。

ヒッタイト人がアナトリア(現在のトルコ)に移住する以前から、この地に住んでいたハッティ族が信仰していた女神「エスタン」がそのルーツです。

ハッティ族は紀元前3千年紀からアナトリア中央部に居住していた先住民族で、独自の言語と文化を持っていました。

ヒッタイト人はこの地に到来した後、ハッティ族の宗教的伝統を尊重し、多くの神々を自らのパンテオンに組み入れたんです。

「大地の母」から「太陽女神」へ

ハッティ語の呼称「ウルンセム」は「大地の母」を意味すると解釈されています。

これは、この女神がもともと大地や豊穣を司る母神的な性格を持っていたことを示唆しているんです。

しかし、ヒッタイト国家が成立すると、この女神は太陽の属性を強調されるようになり、「太陽女神」として再定義されました。

太陽は天空を照らし、万物に光と生命を与える存在ですから、国家の最高神にふさわしい権威を象徴できたわけですね。

ヒッタイト古王国時代からの主神

ヒッタイト古王国時代(紀元前17世紀頃)から、アリンナの太陽女神はすでに国家の主神として確立していました。

「神々の都市」と呼ばれたアリンナは、ヒッタイト王の戴冠式が行われる聖地であり、帝国の三大聖都の一つに数えられていたんです。

アリンナの太陽女神の役割と権能

国家と王権の守護者

アリンナの太陽女神の最も重要な役割は、ヒッタイト国家と王権を守護することでした。

ヒッタイトの王は、この女神を「母」と呼び、女神の代理人として統治する権限を与えられていると考えられていたんです。

王ハットゥシリ1世は、太陽女神の像を膝の上に抱くという特権を持っていたと記録されています。

これは王と女神の密接な関係を象徴する儀式でした。

天候神タルフンナとの神聖な夫婦

アリンナの太陽女神は、天候神タルフンナ(Tarḫunna)と対をなす配偶神として崇拝されました。

フルリ人の影響下では、タルフンナはテシュブ(Teshub)とも呼ばれます。

この二神はヒッタイトのパンテオンの頂点に君臨し、国土は二神に属するものとされていました。

興味深いのは、多くの古代文明では男性の天候神や雷神が最高神となるのに対し、ヒッタイトでは女性の太陽女神がしばしば配偶神である天候神よりも上位に位置づけられていた点です。

これは、ハッティ族の母権的な伝統の名残と考えられています。

神々の家族

アリンナの太陽女神とタルフンナの間には、複数の子神がいたとされます。

神名役割・特徴
メズラ(Mezulla)娘神
ジンツヒ(Zintuḫi)メズラの娘(孫神)
テリピヌ(Telipinu)穀物神、息子神
ネリクの天候神息子神、都市ネリクの守護神
ジプランダの天候神息子神、都市ジプランダの守護神

鷲は太陽女神の神聖な使者とされていました。

正義と裁きの権能

アリンナの太陽女神は、正義と裁きの権能も持っていました。

太陽は世界のあらゆる場所を照らし、隠された真実を明らかにする存在として、裁判や審判の象徴となったんです。

この属性は、後にメソポタミアの太陽神シャマシュ(ウトゥ)と同一視されることで、さらに強化されました。

アリンナの都市と信仰の中心地

聖都アリンナ

アリンナは、ヒッタイトの首都ハットゥシャ(現在のボアズキョイ)から徒歩で1日ほどの距離にあった都市です。

現代の研究では、アリンナは現在のアラジャホユック(Alacahöyük)遺跡に比定されることが多いです。

アラジャホユックからは、初期青銅器時代からの金製の鹿の小像が発見されており、これらはハッティ時代の太陽女神信仰と関連していると考えられています。

太陽女神の神殿

アリンナには太陽女神の主要な神殿がありました。

また、首都ハットゥシャの城塞にも別の神殿が存在し、王室との密接な関係を示しています。

都市タルフルパ(Taḫurpa)では、王妃たちが奉納した複数の太陽円盤が祀られていました。

タルフンタッサのウルミ・テシュプ王は、毎年金・銀・銅の太陽円盤を女神に奉納し、さらに牡牛1頭と羊3頭を捧げたと記録されています。

太陽女神の象徴と聖獣

太陽円盤

アリンナの太陽女神は、太陽円盤として表現されることが最も一般的でした。

これは女神の太陽としての本質を直接的に象徴するものです。

王妃たちは、太陽円盤を神殿に奉納することで女神への敬意を示しました。

女性の姿

太陽円盤だけでなく、女神は女性の姿でも表現されました。

光輪(ハロー)を持つ座った女神の小像が、アリンナの太陽女神を表していると考えられています。

鹿 – 聖なる動物

鹿は、アリンナの太陽女神の聖獣とされていました。

王妃プドゥヘパは、祈祷文の中で女神に多くの鹿を奉納すると誓っています。

鹿の形をした祭祀用の器が、太陽女神の儀式に使用されたと推測されています。

王家による崇拝

王と王妃の役割

ヒッタイト王は太陽女神の祭司として、王妃は女神の女祭司として機能していました。

王は毎日日没時に太陽女神に祈りを捧げるのが日課だったんです。

プドゥヘパ王妃の祈り

最もよく知られているのは、ハットゥシリ3世の王妃プドゥヘパによる祈りです。

彼女はフルリ人の出身で、この祈りの中でアリンナの太陽女神とフルリの女神ヘパトを同一視しています。

祈りの一節にはこうあります。

「おおアリンナの太陽女神よ、わが女主人よ、あなたはすべての土地の女王です。ハッティの土地ではあなたはアリンナの太陽女神と名乗っておられますが、あなたが造った杉の国(シリア)では、ヘパトと名乗っておられます」

この祈りは、ヒッタイト新王国時代の宗教的統合政策を如実に示すものです。

ムルシリ2世の疫病の祈り

王ムルシリ2世の時代、ヒッタイト全土に疫病が蔓延し、多くの人々が命を落としました。

この疫病は、父王スッピルリウマ1世がエジプト領を侵攻した際に捕虜たちから持ち込まれたものでした。

ムルシリ2世は、神々の怒りを鎮め疫病を終わらせるため、アリンナの太陽女神に熱心な祈りを捧げました。

この祈祷文は現代まで残されており、古代の王がいかに女神に頼っていたかを物語っています。

他の太陽神との関係

三つの太陽神

ヒッタイトのパンテオンには、アリンナの太陽女神以外にも太陽に関連する神々が存在していました。

  1. アリンナの太陽女神(dUTU URUArinna) – 最も重要な太陽神、女性神
  2. 天の太陽神(dUTU nepiša) – 男性の太陽神、後にフルリ人から取り入れられた
  3. 大地の太陽女神(dUTU taknaš) – 冥界の太陽女神

興味深いのは、初期のヒッタイト文化圏では男性の太陽神は存在していなかったと考えられている点です。

「天の太陽神」は、ヒッタイト中王国時代にフルリ人との交流を通じて導入されたもので、アリンナの太陽女神と区別するために「アリンナの」という限定詞が使われるようになりました。

大地の太陽女神との関係

大地の太陽女神は、夜間に地下世界を旅する太陽を表す冥界の女神です。

この女神は、冥界の神レルワニ(Lelwani)とも関連付けられ、治癒の力も持つとされました。

アリンナの太陽女神が昼の太陽を、大地の太陽女神が夜の太陽を司るという、相補的な関係にあったんですね。

ヘパトとの同一視

フルリ人の影響

ヒッタイト新王国時代(紀元前14~12世紀)、フルリ人の文化的影響が強まりました。

フルリ人の主神はテシュブ(嵐の神)とヘパト(大女神)の夫婦神でした。

ヘパトは「天の女王」と呼ばれ、豹に乗った姿で描かれる母神的存在です。

宗教的統合

ヒッタイトの王室は、支配地域の宗教的統合を図るため、アリンナの太陽女神とヘパトを同一神として扱うようになりました。

これは異なる民族を統治する上での政治的配慮でもあったんです。

プドゥヘパ王妃の祈りに見られるように、「ハッティの地ではアリンナの太陽女神、シリアではヘパト」という二つの名前を持つ一つの女神という認識が広まりました。

ヤズルカヤの岩窟神殿

ハットゥシャ近郊のヤズルカヤ岩窟神殿には、ヒッタイトのパンテオンを描いた壮大なレリーフが残されています。

ここでは、フルリ様式で描かれた神々の行列が刻まれており、ヘパトは豹の背に立つ姿で表現されています。

このレリーフは、フルリ化したヒッタイトのパンテオンを視覚化した貴重な資料となっているんです。

祭祀と儀式

年中行事と祭り

アリンナの太陽女神を祀る祭りは、ヒッタイトの宗教カレンダーにおいて重要な位置を占めていました。

KI.LAM祭は秋の収穫期に3日間行われる祭りで、3日目がアリンナの太陽女神に捧げられました。

この祭りでは、まずハットゥシャで儀式が行われ、その後アリンナへと場所を移して祝祭が続きました。

ヌンタリヤシャハシュ祭は、王が遠征から帰還した後の秋に行われる巡礼祭でした。

王は首都ハットゥシャとその周辺の聖地を巡り、第5日目にアリンナを訪れて太陽女神に奉仕したと記録されています。

巡礼と聖なる旅

ヒッタイトの王は、定期的にアリンナへの巡礼を行いました。

王はハットゥシャの太陽女神神殿から出発し、決められた経路を通ってアリンナの神殿に至る聖なる旅をしたんです。

途中、いくつかの聖所で儀式を執り行いながら進む、数日から1ヶ月に及ぶこともある長大な宗教行事でした。

この巡礼は、太陽の運行と季節の巡りに合わせて行われ、王が神々への義務を果たすことで国の繁栄が保証されると信じられていました。

ヒッタイト滅亡後の影響

後継文化への継承

ヒッタイト帝国は紀元前12世紀初頭、「海の民」の侵攻と飢饉、近隣国からの攻撃が重なって崩壊しました。

しかし、アリンナの太陽女神への信仰は完全には失われませんでした。

フリギア人の母神キュベレー(Cybele)には、アリンナの太陽女神の伝統が受け継がれているとする説もあります。

どちらも母神的性格を持ち、ライオンや山と関連付けられる点で共通しているんです。

ギリシャ神話への影響

一部の研究者は、ギリシャ神話の冥界の女神ヘカテー(Hecate)が、アリンナの太陽女神に起源を持つ可能性を指摘しています。

ヘカテーは元々アナトリア起源の女神で、太陽と冥界の両方の側面を持つ点が、アリンナの太陽女神と大地の太陽女神の統合された形態と類似しているんです。

Mary Bachvarovaの論文「Hecate: An Anatolian Sun-Goddess of the Underworld」(2010年)では、この可能性が詳しく論じられています。

現代の研究

遺跡の発掘

アリンナと推定されるアラジャホユック遺跡では、20世紀から継続的に発掘調査が行われています。

ここからは、青銅器時代の王墓や、金製の鹿の小像、太陽円盤のレリーフなど、太陽女神信仰を物語る多くの遺物が出土しているんです。

楔形文字文書の解読

ヒッタイトの首都ハットゥシャ(ボアズキョイ)から発見された大量の楔形文字文書には、アリンナの太陽女神への祈祷文、儀式の手順書、王の記録などが含まれています。

これらの文書の解読により、ヒッタイトの宗教実践の詳細が明らかになってきました。

まとめ

アリンナの太陽女神は、ヒッタイト神話において比類ない地位を占めた最高神でした。

その特徴をまとめると以下のようになります。

  • ハッティ族の母神から発展した太陽女神
  • ヒッタイト国家と王権の守護者として機能
  • 天候神タルフンナと共にパンテオンの頂点に君臨
  • 複数の名前を持ち、時代と共にヘパトと同一視された
  • 太陽円盤と女性の姿で表現され、鹿を聖獣とした
  • 王と王妃が直接祭祀を執り行う国家的崇拝の対象
  • ヒッタイト滅亡後も周辺文化に影響を与えた

女性の太陽神が最高神となるのは、古代世界でも珍しい例です。

アリンナの太陽女神の信仰は、ヒッタイト文明の独自性を示す重要な要素であり、古代アナトリアの豊かな宗教文化を現代に伝える貴重な遺産なんですね。

参考情報

関連記事

この記事で参照した情報源

一次資料・古代文献

  • ヒッタイトの楔形文字文書(ハットゥシャ出土)
  • プドゥヘパ王妃の祈祷文(CTH 384)
  • ムルシリ2世の疫病の祈り
  • エジプト・ヒッタイト平和条約(紀元前1259年頃)

学術資料

  • Encyclopaedia Britannica「Arinnitti」 – 百科事典による基本情報
  • Mary Bachvarova「Hecate: An Anatolian Sun-Goddess of the Underworld」(2010) – アナトリアの太陽女神とギリシャ神話の関連性に関する研究
  • トルコの学術論文「Hitit Krallığında Arinna’nın Güneş Tanrıçası Kültü」 – ヒッタイト王国におけるアリンナの太陽女神崇拝に関する研究

参考になる外部サイト

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