荘子(そうし)とは?戦国時代の思想家の生涯・思想・名言をわかりやすく解説

「蝶になった夢を見たのか、それとも蝶が自分になった夢を見ているのか」――この有名な問いかけを生み出したのが、中国・戦国時代の思想家、荘子です。
老子と並んで道家思想の代表的な人物とされ、その自由奔放な哲学は2300年以上たった現在でも多くの人を魅了し続けています。
この記事では、荘子の生涯から思想の核心、有名な寓話、そして後世への影響まで、わかりやすく解説します。

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概要

荘子(そうし、Zhuāngzǐ)は、紀元前4世紀の中国・戦国時代に活躍した道家の思想家です。
姓は荘、名は周(しゅう)で、「荘子」とは「荘先生」を意味する敬称にあたります。
彼の思想をまとめた書物も同じく『荘子』と呼ばれ、道家思想の根本文献として老子の『道徳経』と並び称されてきました。
寓話や比喩を駆使した独自の文学的スタイルは、中国文学史においても極めて高い評価を受けています。

荘子の生涯

出身と時代背景

荘子の伝記について詳しいことはほとんどわかっていません。
主な情報源は、前漢の歴史家・司馬遷(しばせん)が著した『史記』巻63の記述です。

『史記』によれば、荘子は宋(そう)の国の蒙(もう)という地で生まれました。
現在の河南省商丘市付近にあたる場所です。
生没年については諸説ありますが、Britannicaでは紀元前369年頃〜紀元前286年頃とされています。

荘子が生きた戦国時代は、周王朝の権威が失われ、各国が覇権を争う激動の時代でした。
この混乱の中から「諸子百家」と呼ばれる多くの思想家が現れ、それぞれが理想の社会のあり方を説いた時代でもあります。
儒家の孔子・孟子、墨家の墨子、法家の韓非子など、多彩な思想家が活躍した時代に、荘子は独自の道を歩みました。

漆園の小役人

『史記』によれば、荘子は蒙の「漆園」(しつえん)で下級の役人を務めていたとされています。
漆園とは漆を管理する施設のことで、決して高い地位ではありませんでした。
しかし荘子にとって、社会的な地位や富は重要なものではなかったようです。

楚王の招聘を断る

荘子の生き方を象徴する有名なエピソードがあります。
『史記』によれば、楚の威王(いおう)が荘子の賢さを聞きつけ、使者を送って宰相の地位を与えようとしました。
これに対して荘子は、次のような趣旨のことを述べたとされています。

祭りに捧げる犠牛は、数年間大切に飼われ、錦の衣をまとって廟に引き入れられる。
そのとき、たとえ野原を駆ける子豚に戻りたくとも、もはや叶わない。
いくら厚遇されようとも、生け贄になるくらいなら、泥の中であっても自由に生きるほうがよい。
死ぬまで誰にも仕えず、自分の志を全うする——。

荘子はそう言って使者を退けたと、『史記』巻63に記されています。
権力や富よりも自由を選ぶ姿勢は、荘子の思想の根幹を体現するものといえるでしょう。

孟子との同時代

荘子は儒家の孟子(もうし)と同時代の人物とされています。
しかし両者の間に直接的な思想的対話があった記録は残されていません。
荘子の文中には儒家への批判が多く見られることから、間接的には互いの思想を意識していた可能性はあります。

『荘子』の構成

全33篇の三部構成

荘子の思想を伝える書物『荘子』は、現在33篇で構成されています。
この33篇は以下の三部に分かれます。

区分篇数内容
内篇(ないへん)7篇(第1〜7篇)荘子本人の執筆とされる部分
外篇(がいへん)15篇(第8〜22篇)弟子や後学による著作
雑篇(ざっぺん)11篇(第23〜33篇)多様な著者による論考

郭象による編纂

現在伝わる33篇の『荘子』は、西晋の郭象(かくしょう、312年没)が注釈を加えた際に整理・編纂したものです。
Britannicaによれば、郭象は『荘子』の最初の、そしておそらく最も優れた注釈者とされています。

なお『漢書』の「芸文志」には、もともと52篇あったと記録されています。
また『史記』には「十余万字」とあり、現行の『荘子』よりも多くの内容が存在したことがうかがえます。
郭象が編纂する以前の篇は、現在では見ることができません。

内篇の重要性

学術的には、内篇の7篇のみが荘子本人の手による原本に近いものとされています。
外篇と雑篇は弟子や後世の道家思想家による著作と見られており、内容や文体にも違いがあります。

内篇の各篇の名前は以下のとおりです。

篇名読み主な内容
逍遥遊しょうようゆう絶対的自由の境地
斉物論せいぶつろん万物の平等と相対性
養生主ようせいしゅ生を養う道
人間世じんかんせい人の世での処世
徳充符とくじゅうふ内面の徳の充実
大宗師だいそうし道を体得した師
応帝王おうていおう理想の統治

荘子の思想

万物斉同(ばんぶつせいどう)

荘子の思想の根幹にあるのが「万物斉同」という考え方です。
これは、あらゆるものの間にある区別や対立――善と悪、美と醜、生と死、是と非――は、人間が勝手に作り出した相対的なものにすぎないという思想です。

荘子は、ある立場から見れば正しいことも、別の立場から見れば間違っているかもしれないと説きました。
「道」の視点に立てば、すべてのものは本来「一」であり、区別する意味はないというのです。

この考え方は、特定の価値観や基準を絶対視することへの根本的な批判でもありました。
儒家が説く「仁義」のような固定的な道徳基準にも、荘子は疑いの目を向けています。

無為自然(むいしぜん)

老子と共通する概念として「無為自然」があります。
ただし荘子の「無為」は、老子の場合とはやや異なるニュアンスを持っています。

老子の思想には政治的な側面が色濃くあり、「無為」によって民を治めるという統治論の要素が含まれていました。
一方で荘子の「無為自然」は、あらゆる世俗の価値観や束縛から離れ、ものごとの自然な流れに身を任せて自由に生きることを意味しています。

荘子にとっての「無為」とは、人為的な価値判断や社会規範から離れ、ものごとの自然なあり方に身を任せることでした。
作為を捨てて自然のままに生きることこそが、本当の自由であり、本当の知恵だと荘子は考えたのです。

逍遥遊(しょうようゆう)

「逍遥遊」は『荘子』の冒頭を飾る篇の名前であり、荘子の思想を象徴する概念でもあります。
あらゆる束縛や条件から解き放たれ、完全に自由な精神で世界を遊ぶ——それが逍遥遊の境地です。

荘子によれば、世俗の価値観に囚われている限り、人は本当の自由を得ることができません。
名声や富、社会的地位といったものへの執着を手放し、「道」と一体になったとき、はじめて逍遥遊の境地に至ることができるとされています。

道(どう/タオ)

荘子における「道」は、万物を生み出す根源的な存在です。
「道はどこにあるのか?」と問われた荘子は、「あらゆるところにある」と答えたとBritannicaに記されています。
さらに具体的に問い詰められると、蟻の中にも、雑草の中にも、瓦の中にも、糞尿の中にさえも道は存在すると述べたとされています。

この「道の遍在」という考え方は、後の中国仏教、特に禅宗の思想に大きな影響を与えました。

荘子の有名な寓話

荘子の特徴は、抽象的な哲学を寓話(ぐうわ)や比喩で語る文学的なスタイルにあります。
以下は特に有名な寓話です。

胡蝶の夢(こちょうのゆめ)

荘子の思想を最もよく表す寓話として知られるのが「胡蝶の夢」です。
『荘子』斉物論篇に収められています。

荘周がある日、夢を見て蝶になりました。
蝶として花から花へと飛び回り、大いに楽しんでいたのです。
ところが目が覚めてみると、自分は荘周である――。
果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、それとも蝶が夢を見て荘周になっているのか、区別がつかない、というものです。

この寓話には、荘子の「万物斉同」の思想が凝縮されています。
自分と他者、夢と現実の境界は、じつは確実なものではないという深い洞察が込められているのです。

鯤鵬の変(こんほうのへん)

『荘子』の冒頭、逍遥遊篇に語られるのが「鯤鵬の変」です。
北の暗い海に鯤(こん)という巨大な魚がいました。
その大きさは何千里にも及ぶほどです。
この魚がある時、姿を変えて鵬(ほう)という巨大な鳥になり、翼を広げると空を覆い尽くすほどだったと語られています。

鵬は大風に乗って九万里の高さまで飛び上がり、南の海を目指します。
地上の小さな鳥たちはそれを見て笑いますが、鵬の世界は小鳥たちには理解できません。

この寓話は、スケールの異なる存在同士が互いを理解することの難しさと、世俗的な価値観にとらわれない壮大な自由の境地を象徴しています。

庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)

養生主篇に登場する「庖丁解牛」も、荘子の思想を鮮やかに伝える寓話です。
庖丁(ほうてい)という料理人が、牛を見事に解体する様子を文恵君(ぶんけいくん)が感嘆して見ていました。

庖丁は19年間も同じ刃物を使い続けていますが、刃はまるで研ぎ立てのように鋭いままです。
その秘訣は、骨と肉の間にある自然な隙間に刃を入れ、無理に力を加えないことだと庖丁は語ります。

この寓話は、自然の理に従い、無理をせず物事に対処することの大切さを説いています。
「無為自然」の思想を、技術の熟練という身近な例で表現した名篇です。

老子との違い

荘子の思想は老子の思想を継承・発展させたものとされ、両者をあわせて「老荘思想」と呼ばれることが一般的です。
しかし両者の思想は必ずしも一致しているわけではありません。

比較項目老子荘子
関心の中心政治・統治個人の精神的自由
「無為」の意味民を治める統治の原理俗世を離れた自由の境地
「有」と「無」有は無から生ずる有でも無でもない根源
主な表現方法格言・箴言(簡潔)寓話・比喩(文学的)
社会との関わり理想的な統治者像を語る社会的地位や権力を拒む

老子が為政者に向けた実践的な「道」を説いたのに対し、荘子はあらゆる束縛から解放された個人の自由を追究しました。
この違いは、両者の思想の深さと広がりを物語っています。

荘子の後世への影響

道教における神格化

荘子は後に道教において神格化され、唐の玄宗皇帝の時代に「南華真人」(なんかしんじん)という称号を贈られました。
『荘子』も『南華真経』(なんかしんきょう)と呼ばれるようになり、道教の重要な経典として位置づけられています。

禅宗への影響

荘子の思想は中国に伝来した仏教、とりわけ禅宗(中国では「禅/チャン」)に深い影響を与えました。
Britannicaによれば、禅の学者たちは荘子の著作から多くを引用しています。
道の遍在性を説く荘子の表現は、どこにでも仏性があるとする禅の思想と深い親和性を持っていたのです。

宋代の新儒学(朱子学)

荘子の影響は道教や仏教にとどまらず、宋代の新儒学(朱子学)にまで及んでいます。
Britannicaの記述では、『荘子』は道教・仏教だけでなく宋代の新儒学の発展にも大きな影響を与えたとされています。

日本文化への影響

荘子の思想は日本にも伝わり、特に禅宗を通じて日本人の精神文化に深い影響を与えてきました。
「胡蝶の夢」は日本の文学や芸術にも繰り返し引用され、広く知られています。

まとめ

  • 荘子は紀元前4世紀の中国・戦国時代に活躍した道家の思想家で、姓は荘、名は周
  • 宋の国の蒙(現在の河南省商丘市付近)の出身で、漆園の小役人を務めていた
  • 「万物斉同」「無為自然」「逍遥遊」を核とする独自の哲学を展開した
  • 「胡蝶の夢」「鯤鵬の変」「庖丁解牛」など、文学的な寓話で哲学を語った
  • 書物『荘子』は全33篇で、内篇7篇のみが荘子本人の著作とされている
  • 老子と並ぶ道家思想の代表者だが、個人の精神的自由を重視した点に独自性がある
  • 道教・禅宗・新儒学・日本文化など、東アジアの思想と文化に幅広い影響を与えた

権力や地位を求めず、自由な精神で「道」と一体になることを追求した荘子。
その思想は、何かと忙しい現代社会を生きる私たちにとっても、立ち止まって考えるヒントを与えてくれるのではないでしょうか。

参考情報

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この記事で参照した情報源

一次資料(原典)

  • 司馬遷『史記』巻63「老子韓非列伝」- 荘子の伝記の主要な一次資料
  • 『荘子』内篇(逍遥遊、斉物論、養生主ほか)- 荘子本人の著作とされる原典

学術資料・百科事典

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