【天下に害をなした4柱の悪神】中国神話「四罪」とは?その正体と伝承をわかりやすく解説

神話・歴史・伝承

古代中国の神話には、天下を乱した恐ろしい悪神たちが登場します。

その中でも特に有名なのが「四罪(しざい)」と呼ばれる4柱の神々です。

洪水を引き起こしたり、天子に反乱を企てたり、天地を傾けたり…彼らの悪行は中国神話の中でも際立っています。

この記事では、四罪に数えられる4柱の悪神について、それぞれの正体や伝承を詳しくご紹介します。


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概要

四罪(しざい) とは、中国神話に登場する天下に害をなした 4柱の悪神の総称 です。

該当するのは、以下の4神となります。

  • 共工(きょうこう):洪水を起こす水神
  • 驩兜(かんとう):堯に反乱を企てた悪神
  • 鯀(こん):治水に失敗した禹の父
  • 三苗(さんびょう):堯に反乱を起こした部族の首領

よく似た名前の「四凶(しきょう)」と混同されることがありますが、四罪とは別の存在です。四凶は渾敦(こんとん)・窮奇(きゅうき)・檮杌(とうこつ)・饕餮(とうてつ)を指します。

四罪は、伝説上の聖帝である 舜(しゅん) によって裁かれたことから「舜四凶」とも呼ばれています。


共工(きょうこう)

共工 は、四罪の中でも特に強大な力を持つ水神です。「龔工」とも表記されることがあります。

姿・見た目

共工の姿は、人面蛇身(じんめんじゃしん) とされています。つまり、顔は人間で体は蛇という姿なんですね。『管子』という書物には、朱色の髪 を持つとも記されています。また、黒い龍の姿をしているという説もあります。

系譜

共工の出自については、『路史』などの記述によれば、火神である 祝融(しゅくゆう) の子供であり、炎帝(えんてい) の一族にあたるとされています。

「洪水」という言葉の「洪」の字は、この共工の名前から取られたとも言われるほど、水と深い関わりを持つ神です。

伝承

共工の悪行として最も有名なのが、不周山(ふしゅうざん)の破壊 です。

不周山というのは、天を支える柱の一つでした。共工は 顓頊(せんぎょく) という帝と天子の座をめぐって争い、敗北します。

その時、怒りにまかせて不周山に頭をぶつけて破壊してしまいました。この結果、天を支える柱が折れて天は西北に傾き、大地は東南に沈み込んでしまったのです。中国の河川がすべて東南方向に流れるのは、このためだと伝えられています。

共工の伝承は時代によって異なり、女媧(じょか)の時代、顓頊の時代、堯(ぎょう)・舜(しゅん)の時代、禹(う)の時代など、様々な時期に反乱を起こしたとされています。どの時代においても、最終的には敗北して追放されるという結末を迎えています。

共工には 相柳(そうりゅう) という恐ろしい家来がいました。九つの頭を持つ人面蛇身の大怪物で、通った場所をすべて泥沼に変えてしまうという厄介な存在だったそうです。治水の英雄・禹は、まずこの相柳を倒してから共工の勢力を削いだと伝えられています。

『史記』舜本紀によると、共工の子孫は北方に住む「北狄(ほくてき)」になったとされています。


驩兜(かんとう)

驩兜 は、讙兜・讙頭・驩頭・鴅吺(かんとう)・鴅兜・讙朱などとも表記される悪神です。堯の時代の悪人とも言われています。

驩兜の正体

驩兜の正体については、複数の説があります。

一つは、堯の息子である 丹朱(たんしゅ) と同一人物だとする説です。『読書偶識』や郭璞(かくはく)による『山海経』の注釈には、古くからこの考察が存在します。

一方で、『山海経』には驩頭は 鯀の孫 であるという記述も見られます。鯀の妻・士敬(しけい)が炎融(えんゆう)を生み、その子が驩頭だとされているのです。

伝承

驩兜は、三苗人の論戚誼(ろんせきぎ)と組んで 堯に対して反乱を企てた とされています。これが四罪として数えられる由来となりました。

丹水(現在の丹江)で行われた堯との戦いに敗れた後、驩兜は 崇山(現在の湖南省張家界市付近)に流されたと伝えられています。

その子孫たちは南方に落ちのびて「讙頭国」を建てたとされ、その国の様子や位置は『山海経』などに記されています。

『山海経』の「大荒南経」には、驩頭人たちの姿についての記述もあります。それによると、人面鳥喙(じんめんちょうかい)、つまり人の顔に鳥のくちばしを持ち、翼を持って海の魚を捕まえて食べる存在だったそうです。

『史記』舜本紀によると、驩兜の子孫は南方に住む「南蛮(なんばん)」になったとされています。

丹朱と囲碁の伝説

驩兜と同一視される丹朱には、囲碁にまつわる興味深い伝説があります。

発明の伝説を記した『世本』によると、囲碁は堯が丹朱のためにつくった のが始まりだとされています。丹朱に与えられた囲碁は、犀角や象牙などとても贅沢な素材で作られていたそうです。


鯀(こん)

は、古代中国の伝説上の人物であり神でもあります。中国語では「クェン(Gun)」と読みます。姓は姒(じ)、諱(いみな)は鯀で、爵位は崇伯(すうはく)と呼ばれていました。

系譜

鯀の系譜については、文献によって異なる記述が見られます。

  • 『漢書』律暦志:五世の祖は五帝の一人・顓頊(せんぎょく)
  • 『史記』夏本紀・『世本』:顓頊の子
  • 『山海経』海内経:黄帝の孫にあたる 白馬(はくば) という神

系譜にはばらつきがありますが、禹(う)の父である という点では共通しています。禹は後に夏王朝の帝となる人物です。

伝承

鯀が四罪に数えられるようになった経緯は、治水の失敗 にあります。

堯の治世において、大河の氾濫が止まなかったため、堯は誰かに治水を任せようと考えました。臣下たちは口をそろえて鯀を推薦しましたが、堯は乗り気ではありませんでした。それでも臣下たちが「鯀より賢い者はいない」と言うので、堯は渋々ながら鯀に治水を命じたのです。

鯀は堤防を築いて水を防ぐ「湮(いん)」という手法を採りましたが、うまくいきませんでした。9年かけても氾濫は収まらず、むしろ以前よりも水害が増えてしまいます。

結果、堯は鯀に罪を着せ、舜を後任として登用しました。

鯀の死については、複数の説があります。

  • 『韓非子』外儲説:堯が舜へ天下を譲ることに反対したため、羽山で誅された
  • 『山海経』海内経:天帝の許しを得ずに 息壌(そくじょう) という魔法の土を盗んで治水を進めていたため、刺客の祝融に殺された

息壌とは、自然に育って増える魔法の土のことです。鯀はこれを使って堤防を作りましたが、堤防が高くなりすぎて崩壊し、大洪水を引き起こしてしまったとも伝えられています。

『史記』舜本紀によると、鯀の子孫は東方に住む「東夷(とうい)」になったとされています。


三苗(さんびょう)

三苗 は、有苗・有苗氏・苗民とも呼ばれる存在です。四罪の中では唯一、特定の個人ではなく、部族の首領 を指すとも考えられています。

居住地

三苗が領していた土地は、主に 長江周辺、洞庭湖と鄱陽湖(はようこ)の間 であったと見られています。この地域は現在の湖南省や江西省にあたります。

伝承

三苗は非常に長い歴史を持つ部族でした。黄帝の時代から、九黎(きゅうれい)の部落連盟に参加していたとされています。

三苗が四罪に数えられるようになったのは、堯に対して反乱を起こしたためです。堯が舜に帝位を禅譲(ぜんじょう)しようとした際、三苗はこれに反対して乱を起こしました。

丹水で行われた堯との戦いに敗れた後、三苗の一部は西北の 三危山 に流され、首領の驩兜は崇山に流されたとされています。

舜が部落連盟の首領になった後も、三苗は勢力を拡大して再び不服従の態度を示しました。舜は軍を整えましたが、戦争なしに三苗を服従させることに成功したと伝えられています。

さらに後の禹の時代にも、三苗との70日間に及ぶ大戦が行われました。禹が勝利した後、三苗は衰退していき、以後の歴史書にはほとんど登場しなくなります。

敗れた子孫たちは南方に落ちのびて「三苗国」を建てたとされ、その国の様子は『山海経』などに記されています。

『史記』舜本紀によると、三苗の子孫は西方に住む「西戎(せいじゅう)」になったとされています。

別説

三苗の正体については別の説もあります。

「三苗」という名前は「三つの氏の苗裔(びょうえい=子孫)」を意味するとして、帝鴻氏の渾敦・少昊氏の窮奇・縉雲氏の饕餮 を指すという解釈もあります。面白いことに、この三人は「四凶」として名が挙げられている存在でもあるのです。

近現代では、三苗人たちは現在の ミャオ族 の祖先になった一族であるとも言われていますが、詳しい関連性は不明のままです。


四方位と子孫の伝説

『史記』舜本紀には、四罪のそれぞれが四方位に住む異民族の祖先になったという興味深い記述があります。

  • 共工北狄(ほくてき):北方の異民族
  • 驩兜南蛮(なんばん):南方の異民族
  • 三苗西戎(せいじゅう):西方の異民族
  • 東夷(とうい):東方の異民族

このように、四罪は中華世界の四方に住む異民族の起源として位置づけられています。これは単なる悪神の話にとどまらず、古代中国の世界観や民族観を反映した重要な神話でもあるのです。


まとめ

四罪は、古代中国神話において天下に害をなした4柱の悪神の総称です。

重要なポイント

  • 四罪とは共工・驩兜・鯀・三苗の4神を指す
  • 四凶とは別の存在(混同されやすい)
  • 共工は不周山を破壊し、天地を傾けた水神
  • 驩兜は堯の息子・丹朱と同一視されることもある
  • 鯀は禹の父で、治水に失敗して罪を負った
  • 三苗は長江流域に住んでいた部族の首領
  • 四罪それぞれが四方位の異民族の祖先になったとされる

四罪の伝承は、古代中国の宇宙観や民族観、そして支配権をめぐる争いを反映した重要な神話として、現代まで語り継がれています。

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