三才図会とは?明代中国の「絵で見る百科事典」をわかりやすく解説

神話・歴史・文化

「三才図会」という本をご存知でしょうか?
今から400年以上前の中国で作られた、いわば「絵で見る百科事典」です。

天文学から動植物、歴史上の人物まで、ありとあらゆるものを絵付きで解説したこの本は、中国だけでなく日本の文化にも大きな影響を与えました。
この記事では、三才図会の魅力と歴史的な意義をわかりやすく紹介します。

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三才図会の基本情報

三才図会(さんさいずえ)は、明王朝の時代に編纂された類書(百科事典のようなもの)です。
1607年に完成し、1609年に出版されました。

編纂したのは王圻(おうき、1530年〜1615年)という学者と、その次男の王思義。
親子二代がかりで完成させた、まさに一大プロジェクトでした。

全106巻という膨大なボリュームで、当時の知識を網羅しようとした野心作です。

「三才」ってどういう意味?

書名にある「三才」とは、天・地・人の三つを指します。
これは中国の伝統的な世界観で、「この世のすべて」を意味する言葉なんですね。

つまり「三才図会」という書名には、「天地人=この世のあらゆるものを絵で集めた本」という意味が込められています。
なかなか壮大なネーミングです。

14部門に分かれた知識の宝庫

三才図会は、世界のあらゆる事物を14の部門に分類して解説しています。

部門内容
天文星座、天体、暦など
地理各地の地形、名所など
人物歴史上の人物、伝説の人物
時令季節の行事、農作業の時期
宮室宮殿、建築物
器用道具、器具
身体人体の構造
衣服服装、装飾品
人事人間関係、社会制度
儀制儀式、礼法
珍宝宝石、貴重品
文史書物、歴史
鳥獣動物
草木植物

天体から植物まで、本当に「この世のすべて」を網羅しようとしていたことがわかります。

最大の特徴は「絵」

三才図会が他の類書と一線を画しているのは、すべての項目に絵が付いているという点です。

当時の類書は文字による説明が中心でしたが、王圻はあえて絵を主体にしました。
文字だけではわかりにくい道具の形状や、見たこともない異国の動物なども、絵があれば一目瞭然。
「百聞は一見にしかず」を地でいく編集方針だったんですね。

ただし、すべての絵が正確だったわけではありません。
たとえばカブトガニの絵は、文献の記述をもとに想像で描いたため、実物とはかけ離れた姿になっています。
実際に見たことがない生き物を描くのは、当時の画工にとって難題だったのでしょう。

西洋の世界地図も収録

三才図会には、驚くべきものが収録されています。
イタリア人宣教師マテオ・リッチが作成した世界地図「山海輿地全図」です。

マテオ・リッチは16世紀末に中国で布教活動を行っていたイエズス会の宣教師。
彼が持ち込んだヨーロッパの地理知識が、三才図会を通じて中国全土に広まりました。

当時の中国人にとって、自国が世界の中心ではないという事実は衝撃的だったはず。
三才図会は、東西の知識が交わる接点でもあったんですね。

清朝からの批判

三才図会は広く読まれましたが、批判もありました。
特に清朝の『四庫全書総目提要』では、歴史人物の肖像画について厳しく指摘されています。

三才図会には歴代皇帝や英雄たちの絵が多数収録されていますが、これらは歴史的根拠のない想像図でした。
古代の人物の本当の顔など誰も知らないのに、あたかも実際の姿であるかのように描いてしまったわけです。

現代の感覚で言えば、歴史教科書に「イメージ図」の注釈なしで想像画を載せるようなもの。
学術的な正確さよりも、ビジュアルのインパクトを優先した結果とも言えるでしょう。

日本への影響:『和漢三才図会』

三才図会は海を越えて日本にも伝わり、大きな影響を与えました。

江戸時代の医師・寺島良安は、三才図会に触発されて『和漢三才図会』(1712年)を編纂。
師匠から「医者たる者は宇宙百般の事を明らむ必要あり」と諭されたことがきっかけだったそうです。

30年以上の歳月をかけて完成させたこの書物は、中国の知識に日本独自の情報を加えた「和漢」の百科事典。
明治時代まで約200年にわたって広く実用され、江戸時代の生活や文化を知る上で欠かせない資料となっています。

面白いのは、三才図会で不正確だったカブトガニの絵が、和漢三才図会では正確に描かれていること。
日本では実物を観察できたからでしょう。
原典を鵜呑みにせず、自分の目で確かめた寺島良安の姿勢がうかがえます。

編纂者・王圻とは

三才図会を編んだ王圻は、蘇州府嘉定県(現在の上海市嘉定区付近)の出身。
1565年に科挙の最高位である進士に合格したエリート官僚でした。

三才図会のほかにも『続文献通考』という政治制度の百科事典や、『稗史彙編』といった書物を編纂しています。
とにかく膨大な資料を集めて整理するのが得意な人だったようです。

ただし、詩人としての評価は芳しくなく、『四庫全書総目提要』でも「漢詩は余事であり、評価すべきものではない」とバッサリ切り捨てられています。
本人も詩より編纂の方が性に合っていたのかもしれません。

現代に残る三才図会

三才図会は現在でも中国史や文化史の研究で重要な資料として活用されています。

特に歴史人物の肖像画は、学術的な正確さはさておき、「明代の人々が古代の英雄をどうイメージしていたか」を知る貴重な手がかり。
日本の中国史関連書籍でも、三才図会の図版が引用されることが多いです。

また、東京大学東洋文化研究所などではデータベース化も進んでおり、オンラインで閲覧できるようになっています。
400年前の百科事典が、インターネット時代にも生き続けているのは感慨深いですね。

まとめ

三才図会について、ポイントを整理しておきましょう。

  • 明代(1607年完成、1609年出版)に王圻・王思義親子が編纂した絵入り百科事典
  • 「三才」は天・地・人を意味し、「この世のすべて」を表す
  • 全106巻、14部門に分類された膨大な内容
  • すべての項目に絵が付いているのが最大の特徴
  • マテオ・リッチの世界地図も収録され、東西の知識が交わる場となった
  • 日本の『和漢三才図会』に大きな影響を与えた
  • 歴史人物の肖像画は想像図であり、学術的正確さには欠ける面も

400年以上前に作られた百科事典でありながら、今なお研究者に参照され続ける三才図会。
「絵で知識を伝える」というコンセプトは、現代のビジュアル図鑑やインフォグラフィックにも通じるものがあります。

知識をわかりやすく伝えたいという人類の願いは、時代を超えて変わらないのかもしれません。

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