昔話「三枚のお札」とは?あらすじ・バリエーション・文化的背景をやさしく解説

「山姥が追いかけてくる!」「お札を投げて逃げろ!」——子どもの頃、この昔話にハラハラドキドキした人も多いのではないでしょうか。

「三枚のお札」は、日本の昔話の中でもトップクラスの知名度を誇る物語です。
和尚さんからもらった3枚のお札を使って山姥から逃げる小僧の冒険は、スリリングな展開と意外な結末で、世代を超えて愛され続けています。

この記事では、「三枚のお札」のあらすじから地域ごとのバリエーション、さらには『古事記』にまでさかのぼる文化的背景まで、詳しくご紹介します。

スポンサーリンク

概要

「三枚のお札」(さんまいのおふだ)は、日本各地に伝わる昔話です。
「鬼婆と小僧」「たべられたやまんば」とも呼ばれ、民俗学では「呪的逃走譚(じゅてきとうそうたん)」の代表的な物語として知られています。

物語の骨格はシンプルで、山で山姥(やまんば)に捕まった小僧が、和尚さんからもらったお札の力を借りて逃走し、最後は和尚さんの知恵で山姥が退治されるというものです。
青森県、秋田県、岩手県、山形県、長野県、愛知県、新潟県、埼玉県など、東北地方を中心に全国各地で語り継がれてきました。

昔話研究家の水沢謙一によれば、昭和30年代(1955年〜1965年)頃までは新潟県の全土でこの話を聞くことができたとされています。

あらすじ

小僧、山へ行く

むかしむかし、ある山寺に和尚さんとやんちゃな小僧が暮らしていました。

ある日、小僧は「山へ栗拾いに行きたい」と和尚さんにせがみます。
和尚さんは「山には山姥がいるから駄目だ」と反対しますが、小僧が何度もお願いするので、ついに根負けしてしまいました。

和尚さんは小僧に三枚のお札を渡し、「山姥が出たら、このお札に願い事を言って使うがいい」と言い聞かせて送り出します。

山姥の正体

山に着いた小僧は、夢中で栗を拾っているうちに、すっかり日が暮れてしまいました。
途方に暮れていると、一人の老婆が現れて「うちに泊まっていきなさい」と声をかけてきます。

小僧はお婆さんの家で、美味しいご飯をごちそうになって寝入ってしまいました。
ところが夜中にふと目を覚ますと、あの優しかったお婆さんが恐ろしい山姥の姿に変わり、包丁を研いでいたんです。

お札を使った逃走

恐怖に震えた小僧は、「便所に行きたい」と山姥に頼みます。
山姥は逃げられないよう小僧の腰に縄を結びつけて、便所に行かせました。

小僧は便所の中で1枚目のお札を柱に括りつけ、「山姥に呼ばれたら代わりに返事をしてくれ」と頼んで窓から逃げ出します。

山姥が「もういいか?」と聞くたびに、お札が「もうちっと」と返事を繰り返しました。
しかし何度聞いても同じ返事ばかりで、さすがに怪しんだ山姥が便所の壁を壊すと、そこには破れたお札があるだけ。
だまされたと気づいた山姥は、ものすごい勢いで小僧を追いかけ始めます。

追いつかれそうになった小僧が2枚目のお札を後ろに投げると、「大きな川、出ろ!」の願いどおり、目の前に大河が出現しました。
しかし山姥は、その川をぐびぐびと飲み干して追いかけてきます。

最後の3枚目のお札を投げて「火の海、出ろ!」と叫ぶと、一面の火の海が広がりました。
ところが山姥は、先ほど飲み込んだ川の水を吐き出して火を消してしまったのです。

和尚さんの知恵

命からがらお寺に逃げ帰った小僧は、和尚さんに助けを求めます。
和尚さんは小僧を壺に隠し、囲炉裏で餅を焼きながら、何食わぬ顔で山姥を待ちました。

やがて山姥が寺に乗り込んできて、「小僧を出せ!」と迫ります。
すると和尚さんは、落ち着き払ってこう言いました。

「その前に、わしと術比べをしよう。山ほどに大きくなれるか?」

山姥は「できるとも!」と自慢げに言い、ぐんぐんと巨大な姿に変身してみせます。

「ほう、では今度は豆粒ほど小さくなれるか?」

山姥が得意満面で豆粒ほどの大きさになったところを、和尚さんはすかさず餅に挟んでパクリと食べてしまいました。

こうして山姥は退治され、小僧も以前より大人しく修行に励むようになったと伝えられています。

地域によるバリエーション

「三枚のお札」は口承文学であるため、語り手や地域によってさまざまなバリエーションが存在します。
以下に、主な違いをまとめました。

小僧が山へ行く理由

最もよく知られているのは「栗拾い」ですが、地域によって異なります。

  • 栗拾い(最も一般的なバージョン)
  • 山菜採り(秋田県のバージョンなど)
  • 杉の葉取り
  • 和尚さんに頼まれて行く場合もある

お札の入手方法

和尚さんから受け取るのが一般的ですが、便所の神(厠の神)からお札をもらうという派生バージョンも存在します。
トイレには神様がいるという「厠の神」信仰が反映されたもので、トイレが異界との境界と見なされていたことを示す興味深い変異です。

お札が生み出す障害物

お札によって出現する障害物にも、地域差が見られます。

お札の順番一般的なバージョン別のバージョン
1枚目身代わり(返事をする)便所の格子に貼ってあるお札
2枚目大きな川大きな砂山
3枚目火の海大きな砂山(川と入れ替え)

山姥の結末

山姥の最期にも、複数のパターンがあります。

  • 和尚さんの術比べで豆粒にされ、餅に挟まれて食べられる(最も有名)
  • 壺に閉じ込められ、お経で封印される
  • 寺の門に挟まれて死んでしまう
  • 小さな虫に化けさせられ、潰される
  • 井戸の水に映った自分の影を小僧と勘違いし、飛び込んで溺れる
  • ごく一部の話では、和尚さんが山姥に食い殺されてしまう

特に「餅に挟んで食べる」結末は、テレビアニメ『まんが日本昔ばなし』(1976年放送)で広く知られるようになりました。

「呪的逃走譚」としての三枚のお札

呪的逃走譚とは

「三枚のお札」は、民俗学で「呪的逃走譚(じゅてきとうそうたん)」と呼ばれるジャンルに分類されます。

これは、追手から逃げる際にものを後ろに投げ、それが障害物に変化して追手の行く手を阻むという物語パターンのことです。
世界中の神話・民話に広く分布しており、日本だけでなくヨーロッパ、アジア、アフリカなど各地に類似の物語が存在します。

『古事記』のイザナギの逃走

この呪的逃走のモチーフは、日本神話の中では『古事記』に記されたイザナギの黄泉国からの逃走にその原型を見ることができます。

亡くなった妻イザナミに会いたくて黄泉の国を訪れたイザナギは、変わり果てた妻の姿を見て恐怖に駆られ逃走します。
怒ったイザナミは、黄泉醜女(よもつしこめ)という鬼女たちを差し向けて追わせました。

イザナギは逃げながら、髪につけていた黒御鬘(くろみかづら)というつる草の飾りを投げると山葡萄が生え、追手の黄泉醜女がそれを食べている間に逃げ続けました。
さらに櫛の歯を折って投げると筍が生え、最後には黄泉比良坂で桃の実を投げつけて追手を退散させたのち、千引の岩を置いて黄泉の国の入り口を塞いだのです。

「三枚のお札」のお札を投げて障害物を出現させるモチーフは、まさにこの『古事記』の神話と重なります。
古代の神話が、時代を経て寺の和尚と小僧の物語へと姿を変えて語り継がれてきたと考えられています。

世界の類似した物語

呪的逃走のモチーフは世界各地に見られます。

古代エジプトの『二人兄弟の物語』では、追われた弟が太陽神ラーに祈ると、兄との間にワニだらけの水が出現します。
ヨーロッパの民話集『ペンタメローネ』にも、塔に幽閉された少女が3つのどんぐりを後ろへ投げて逃走する話が収録されており、投げたものが犬やライオンに変わって追手を妨げる展開は「三枚のお札」と驚くほど似ています。

こうした共通性は、人間が「異界から逃げ帰る」という根源的な恐怖を物語に込めてきた証と言えるでしょう。

山姥という存在の両面性

恐ろしい妖怪としての山姥

「三枚のお札」に登場する山姥は、人を食らう恐ろしい存在として描かれています。
最初は親切な老婆の姿で小僧を家に招き入れ、油断させたところで本性を現すという展開は、山姥が登場する多くの昔話に共通するパターンです。

民俗学者・柳田國男の『山の人生』によると、伝承上の山姥は「足が速く大食い」という特徴を持ちます。
「三枚のお札」でも、大河を飲み干すほどの恐ろしい力が描かれており、この伝承上の性質が色濃く反映されていることが分かります。

福の神としての一面

一方で、山姥は恐ろしいだけの存在ではありません。

「糠福と米福」などの別の昔話では、栗や米を増やしたり、無尽蔵に糸を紡いでくれたりする山の神・福の神としても語られています。
つまり山姥は、人に災いをもたらす面と恵みをもたらす面の両方を持つ、自然の両義性を象徴する存在なんです。

山の神に仕える巫女が妖怪化したものという解釈もあり、人々が山から離れて暮らすようになるにつれ、山の神への信仰が薄れ、かつての聖なる存在が恐怖の対象へと変化していったとも考えられています。

物語に込められた意味

「異界」と「境界」の象徴

「三枚のお札」には、日本の伝統的な世界観における「境界」の概念が随所に表れています。

物語の舞台となるは、人の住む里と対照的な「異界」として描かれています。
小僧が山に入る行為は、日常から非日常の世界への越境を意味しているんですね。

また、小僧が逃走のきっかけを作る便所も、古来より異界との境界と見なされていた場所です。
現代の都市伝説でトイレが怪異の舞台になることが多いのも、この伝統的な「境界」の観念と無縁ではないでしょう。

そして、小僧が逃げ帰るは、仏の力によって守られた安全な聖域として機能しています。
山姥という自然の脅威に対して、仏教の力(和尚さんの知恵と法力)が最終的に勝利するという構図は、仏教文化が深く根付いた日本の世界観を反映したものと言えます。

子どもの成長の物語として

物語の構造に目を向けると、「三枚のお札」は小僧の成長譚としても読むことができます。

最初はわがままで言いつけを聞かない小僧が、山姥という恐怖を体験し、和尚さんに助けてもらうことで、最後には「大人しく修行に励むようになった」と語られます。
子どもが危険を知り、目上の人の教えの大切さを学ぶという教訓が、物語の底流にあるわけです。

絵本・アニメでの展開

「三枚のお札」は、数多くの絵本やアニメで親しまれてきました。

松谷みよ子による絵本『さんまいのおふだ』(童心社「松谷みよ子むかしむかし」シリーズ)は、同作の代表的な絵本として長年読み継がれています。
福音館書店からも水沢謙一・再話による『さんまいのおふだ』(1985年、こどものとも傑作集)が出版されるなど、複数の絵本が存在します。

テレビアニメ『まんが日本昔ばなし』では、1976年3月27日に放送されたのをはじめ、複数回にわたってアニメ化されました。
そのうちの一つでは、山姥がモーターボートのようなものに乗って追いかけてくるというユーモラスな演出もあり、視聴者の間で話題になっています。

まとめ

  • 「三枚のお札」は、和尚さんからもらったお札で山姥から逃げる小僧の物語で、全国各地に伝承が残る日本の代表的な昔話
  • 民俗学では「呪的逃走譚」に分類され、『古事記』のイザナギの黄泉国からの逃走と同じモチーフを持つ
  • 地域によって、小僧が山へ行く理由・お札が生む障害物・山姥の結末などに多様なバリエーションがある
  • 山姥は恐ろしい妖怪であると同時に、山の恵みをもたらす福の神としての一面も持つ両義的な存在
  • 「山=異界」「便所=境界」「寺=聖域」という日本の伝統的な世界観が物語に反映されている

古代の神話から現代の絵本やアニメまで、形を変えながら語り継がれてきた「三枚のお札」。
そのスリリングな展開の裏には、自然への畏れや境界の観念、仏教文化への信頼といった、日本人の深い精神性が息づいています。

参考情報

関連記事

この記事で参照した情報源

信頼できる二次資料(専門家による研究・編纂)

  • 柳田國男『山の人生』(1925年「アサヒグラフ」連載、1926年単行本刊行) – 山姥の伝承上の性質(足が速い・大食い)に関する記述を参照
  • 笠原政雄・中村とも子『雪の夜に語り継ぐ』福音館書店、2004年 – 新潟県における昔話の分布に関する水沢謙一の記述を参照
  • 松谷みよ子『さんまいのおふだ』童心社「松谷みよ子むかしむかし」シリーズ – 「三枚のお札」の代表的な絵本版

一次資料(原典)

  • 『古事記』(712年成立) – イザナギの黄泉国からの逃走譚。呪的逃走モチーフの日本最古の記録

参考になる外部サイト

コメント

タイトルとURLをコピーしました