ゲームや漫画で「青龍偃月刀」「方天画戟」という名前を見たことはありませんか?
これらはすべて、三国志に登場する武器の名前です。
関羽の大刀、張飛の蛇矛、呂布の戟など、武将たちを象徴する武器は物語の魅力を何倍にも高めてくれます。
でも、「どんな武器なの?」「本当に使われていたの?」と疑問に思う方も多いのではないでしょうか。
実は、三国志演義に登場する武器の多くは後世の創作で、実際の三国時代には存在しなかったものもあるんです。
この記事では、三国志に登場する武器・兵器を、武将の個人武器から大型攻城兵器まで、史実と創作の違いも含めて詳しくご紹介します。
三国志の武器とは?

三国時代の戦いの特徴
三国時代(220年〜280年)は、魏・呉・蜀の三国が覇権を争った乱世でした。
この時代の戦いは、弓や弩(いしゆみ)などの遠距離攻撃から始まり、最終的には接近戦で決着をつけるのが一般的でした。
そのため、様々な種類の武器が発達したのです。
武器の三分類
三国時代の武器は、大きく以下の3つに分類されます。
長兵(ちょうへい)
- 槍、矛、戟など長い柄を持つ武器
- 中距離攻撃に適していた
- 騎兵・歩兵ともに使用
短兵(たんへい)
- 刀、剣など携帯しやすい武器
- 近距離での接近戦に使用
- 基本装備として多くの兵士が携帯
射兵(しゃへい)
- 弓、弩など遠距離攻撃用の武器
- 戦闘開始時に使用
- 実は最も死傷者を出した武器
武将たちの象徴的な武器
関羽の青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 別名 | 冷艶鋸(れいえんきょ) |
| 重さ | 82斤(約18〜48kg) |
| 使用者 | 関羽 |
| 特徴 | 刃に青龍の装飾 |
どんな武器?
長い柄の先に、三日月のように湾曲した大きな刃がついた大刀です。
「青龍」の名は、刃の部分に施された青龍の装飾に由来しています。
三国志演義では、劉備・関羽・張飛が義兄弟の契りを結んだ「桃園の誓い」の直後に作られたとされています。
商人の張世平から資金援助を受け、村の鍛冶屋で鍛えられました。
史実との違い
実は、青龍偃月刀が登場したのは宋代以降(11世紀以降)のこと。
三国時代には存在しなかった武器なんです。
正史『三国志』には関羽の武器についての具体的な記述がなく、おそらく一般的な矛を使用していたと考えられています。
青龍偃月刀は、三国志演義が成立した明代に、関羽をより印象的に描くために創作されました。
張飛の蛇矛(だぼう)
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 別名 | 丈八蛇矛(じょうはちだぼう) |
| 長さ | 一丈八尺(約5.6m) |
| 使用者 | 張飛、程普 |
| 特徴 | 蛇のように波打つ刃 |
どんな武器?
柄が長く、先端の刃が蛇のようにくねくねと波打っている矛です。
波打った刃には理由があります。
敵を刺したとき、傷口がより大きく広がり、治りにくくなる効果があったのです。
三国志演義では、張飛が虎牢関の戦いで呂布と一騎打ちをする場面が有名ですね。
「燕人張飛ここにあり!」と叫びながら蛇矛を振り回す姿は、多くの読者の心に刻まれています。
史実との違い
蛇矛も、実際に登場したのは明代(16世紀以降)とされています。
三国時代どころか、水滸伝の舞台である宋代にも存在しませんでした。
ただし、前漢時代の墳墓から類似した形状の武器が出土しており、完全な創作とは言い切れない部分もあります。
呂布の方天画戟(ほうてんがげき)
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 別名 | なし |
| 長さ | 2〜3m |
| 重さ | 約12kg |
| 使用者 | 呂布 |
| 特徴 | 月牙と呼ばれる三日月状の横刃 |
どんな武器?
槍のような穂先の両側に、「月牙(げつが)」と呼ばれる三日月状の刃が水平についた長柄武器です。
西洋のハルバードに似た形状をしています。
突き刺す攻撃と、月牙による斬撃の両方が可能な万能武器でした。
「三国志最強」と称される呂布にふさわしい、威圧感のある武器です。
有名なエピソード:轅門射戟
袁術軍と劉備軍の争いを仲裁しようとした呂布が、150歩(約200m以上)離れた場所に立てた方天画戟の月牙部分を一矢で射抜いたという伝説があります。
これは正史にも「戟を射て」という記述があり、呂布が戟を使っていた可能性は高いとされています。
史実との違い
方天画戟という形状の武器が登場したのは宋代以降(11世紀以降)。
呂布が戟を使っていたのは事実ですが、方天画戟の形状ではなかったでしょう。
劉備の雌雄一対の剣(しゆういっついのけん)
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 別名 | 双股剣(そうこうけん) |
| 使用者 | 劉備 |
| 特徴 | 二本一組の双剣 |
どんな武器?
文字通り、雄と雌で一対になった二本の剣です。
関羽の青龍偃月刀、張飛の蛇矛と同時に作られたとされています。
劉備は関羽や張飛ほど武勇で知られていないため、武器のイメージは薄いかもしれません。
しかし、指揮官として前線に立つことも多かった劉備には、取り回しの良い双剣が適していたのでしょう。
史実との違い
正史には劉備の武器についての記述がなく、雌雄一対の剣は創作と考えられています。
曹操の倚天剣と青釭剣(いてんけん・せいこうけん)
基本情報
| 武器名 | 意味 | 後の所有者 |
|---|---|---|
| 倚天剣 | 天をも貫く | 曹操が所持 |
| 青釭剣 | 青く輝く刃 | 趙雲が奪取 |
どんな武器?
曹操が作らせた一対の名剣で、「岩をも泥のように斬る」と言われた伝説の武器です。
長坂の戦いで、趙雲が夏侯恩を討ち取った際に青釭剣を奪い、以後は趙雲の愛剣となりました。
史実との違い
これらの剣も正史には登場せず、三国志演義の創作とされています。
実際に使われていた武器

ここまで紹介した武器の多くは後世の創作でした。
では、三国時代に実際に使われていた武器は何だったのでしょうか?
戟(げき)
三国時代で最もポピュラーだった長柄武器です。
矛(突く)と戈(ひっかける)を組み合わせた形状で、多様な攻撃が可能でした。
特に、戈の部分で敵の武器を絡め取ったり、馬上の敵を落馬させたりする使い方が有効だったのです。
ただし、機能が多い分、決定力に欠けるという欠点もありました。
そのため、後の時代には槍や大刀に取って代わられていきます。
矛(ほこ)
槍の前身となった武器で、長い柄の先に尖った穂先がついたシンプルな構造です。
正史によれば、関羽も張飛も実際には矛を使っていたとされています。
「普通の矛」では物語として面白くないため、演義では特別な武器に置き換えられたのでしょう。
刀(とう)と剣(けん)
刀:片刃の刀剣で、斬ることに特化
剣:両刃の刀剣で、突き刺すことも可能
三国時代の終わりごろには、より丈夫な刀が剣に取って代わり、主流の近接武器となっていきました。
剣は次第に儀式用や権威の象徴として使われるようになります。
弓と弩(ど)
実は、三国時代の戦闘で最も多くの死傷者を出したのは弓矢でした。
特に弩(いしゆみ、ボウガンの原型)は、訓練を受けていない農民兵でも扱えたため重宝されました。
引き金を引くだけで矢を放てるので、弓のような高い技術は必要なかったのです。
弓の名手として知られる武将
- 呂布:轅門射戟で神業を披露
- 黄忠:老将ながら百発百中
- 太史慈:正史で弓の名手と記録
大型兵器・攻城兵器
三国時代には、個人の武器だけでなく、城を攻めるための大型兵器も発達しました。
霹靂車(へきれきしゃ)
発明者:曹操軍の劉曄(りゅうよう)
投石機の一種で、巨大な石を城壁に向けて投げつける攻城兵器です。
官渡の戦い(200年)で袁紹軍に対して使用され、大きな効果を上げました。
人力で引っ張った腕が跳ね上がり、その反動で石を飛ばす仕組み。
「霹靂(へきれき)」とは雷のことで、石が飛んでいく轟音から名付けられました。
諸葛亮の連弩(れんど)
発明者:諸葛亮(孔明)
別名:元戎(げんじゅう)
一度に複数の矢を連射できる画期的な武器です。
約20cmの短い矢を10本まで同時に発射でき、通常の弩よりはるかに効率的でした。
諸葛亮は連弩部隊を編成し、北伐で活用したとされています。
連射式弩の概念自体は紀元前5世紀ごろからありましたが、個人携帯サイズに小型化したのは諸葛亮が初めてでした。
後の明代には「諸葛弩」として復元され、実戦で使用されています。
木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)
発明者:諸葛亮
北伐における兵糧輸送のために考案された運搬車です。
蜀の地形は山岳地帯が多く、通常の輸送手段では効率が悪かったため、特殊な運搬車が必要でした。
「木牛」と「流馬」は別々の乗り物で、地形に応じて使い分けられたようです。
ただし、具体的な構造については諸説あり、一輪車説、四輪車説など様々な推測がされています。
その他の攻城兵器
衝車(しょうしゃ)
- 巨大な丸太を台車に載せた破城槌
- 城門を打ち破るために使用
- 火をつけて突撃させることも
井闘・呂公車(せいとう・りょこうしゃ)
- 移動式の攻城塔
- 兵士を城壁の高さまで運ぶ
- 三国時代にも使用された記録あり
雲梯(うんてい)
- 折りたたみ式の攻城はしご
- 城壁を乗り越えるために使用
- 下部に防護用の覆いがついたタイプも
鉤車(こうしゃ)
- 長い棒の先に刃がついた兵器
- 城壁の上の敵を攻撃
- 不安定な城壁を引き倒すことも可能
武器にまつわる逸話

典韋の双戟(てんいのそうげき)
曹操の護衛を務めた猛将・典韋は、一対の大戟を愛用していました。
その重さは何と20kg。
正史にも記録が残る、数少ない史実に基づいた個人武器です。
宛城の戦いで曹操を逃がすため、典韋は両手に戟を持って敵を迎え撃ちました。
10人以上を討ち取った後、戟が折れると敵兵を素手で掴んで武器として振り回したと伝えられています。
公孫瓚の両刃矛
正史には、公孫瓚が「両方に刃がある珍しい武器」を使っていたと記録されています。
歴史書『三国志』を書いた陳寿は、珍しい武器についてはきちんと記録を残す人物でした。
逆に言えば、関羽や張飛の武器について特別な記述がないということは、彼らが一般的な武器を使っていた証拠かもしれません。
創作と史実の違いまとめ
| 武器名 | 使用者(演義) | 史実での存在 | 登場時期 |
|---|---|---|---|
| 青龍偃月刀 | 関羽 | なし | 宋代以降 |
| 蛇矛 | 張飛 | 類似品は前漢にあり | 明代以降 |
| 方天画戟 | 呂布 | 戟は使用(形状は異なる) | 宋代以降 |
| 雌雄一対の剣 | 劉備 | 不明 | 創作 |
| 倚天剣・青釭剣 | 曹操 | なし | 創作 |
| 双戟 | 典韋 | あり(正史に記録) | 三国時代 |
なぜ後世の武器が登場するの?
三国志演義が成立したのは、三国時代から約1000年以上後の明代(14世紀)です。
作者たちは、自分たちの時代に存在する最新・最強の武器を、英雄たちに持たせることで物語を盛り上げました。
現代でいえば、戦国武将にマシンガンを持たせるようなもの。
時代考証よりも、エンターテインメント性を重視したのです。
現代文化への影響
三国志の武器は、現代のゲームやアニメにも大きな影響を与えています。
ゲームでの登場
- 真・三國無双シリーズ:各武将の象徴的な武器を忠実に再現
- 三國志(コーエー):武器のレアリティや能力値をシステム化
- パズドラ・モンスト:キャラクターデザインに武器を反映
その他の影響
- 中国の関帝廟では、青龍偃月刀を持った関羽像が祀られている
- 武器のレプリカが商品化されている
創作であっても、1000年以上にわたって人々に愛され続けてきた武器たち。
それ自体が、三国志という物語の魅力を証明しているのかもしれません。
まとめ
三国志に登場する武器は、大きく分けて以下の3種類があります。
武将の個人武器
- 青龍偃月刀、蛇矛、方天画戟など
- 多くは後世の創作だが、物語の魅力を高めている
- 典韋の双戟など、史実に基づくものも存在
実際に使われた一般的な武器
- 戟、矛、刀、剣、弓、弩など
- 弓矢が最も多くの死傷者を出した
- 戟から槍・大刀への移行が進んだ時代
大型攻城兵器
- 霹靂車、連弩、木牛流馬など
- 諸葛亮の発明品が有名
- 攻城戦では様々な兵器が活躍
三国志演義の武器は、確かに史実とは異なるものが多いです。
しかし、それらの武器があったからこそ、関羽は「軍神」に、張飛は「万夫不当」に、呂布は「最強の武将」になれました。
史実を知った上で創作を楽しむ。
それこそが、三国志という1800年の物語を味わう醍醐味なのかもしれません。


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