毎年3月17日、世界中の街が緑色に染まります。
人々は緑の服を身にまとい、ビールを片手にパレードを楽しむ——そんな光景が年々、日本でも見られるようになってきました。
これが「聖パトリックの祝日(Saint Patrick’s Day)」、または「セント・パトリックス・デー」と呼ばれるお祭りです。
しかし、なぜアイルランドの守護聖人の命日がここまで世界的なお祭りになったのでしょうか。
その背景には、奴隷として連れ去られた少年の波乱の生涯と、19世紀のアイルランド移民の苦難の歴史が深く関わっています。
概要:聖パトリックの祝日とは?
聖パトリックの祝日は、アイルランドの守護聖人・聖パトリック(Saint Patrick)の命日である3月17日に毎年行われるキリスト教の祭日です。
アイルランドではもともと、宗教的な礼拝や祝宴を通じて聖パトリックを称える日として祝われていました。
17世紀初頭に正式なキリスト教の祭日として制定され、カトリック教会、聖公会、東方正教会、ルーテル教会などで記念されています。
公祝日となっているのは、アイルランド共和国・北アイルランド・カナダのニューファンドランド・ラブラドール州(州政府職員対象)・イギリス海外領土のモントセラトです。
聖パトリックとはどんな人物だったのか?
ブリテン島出身の少年が奴隷に
聖パトリックは、5世紀のブリテン島(現在のイギリス)に生まれたとされています。
正確な生没年は不明ですが、4世紀後半にローマ統治下のブリテン島で生まれ、16歳のとき誘拐されてアイルランドへ奴隷として連行されました。
彼自身の自伝的著作『告白録(Confessio)』には、16歳のときにアイルランドの海賊に故郷のブリテン島から拉致され、奴隷としてアイルランドへ連行されたと記されています。
その後6年間を動物の世話係として過ごし、その後脱出して家族のもとに帰還したと綴られています。
6年間の奴隷生活を経て、夢で脱出を示すお告げを受け、主人のもとを逃げ出しました。
迫害した相手に宣教するために戻る
帰国後、聖パトリックはキリスト教の司教として叙任されました。
帰国後に見た夢の中で、アイルランドの人々が「ふたたび私たちのところへ歩んできてください」と呼ぶ声を聞いたとされています。
彼はおよそ432年に、かつて自分が奴隷として働いた土地・アイルランドへ、今度は宣教師として戻ります。
461年(または493年頃とも伝えられる)3月17日に亡くなるまでの間に、修道院・教会・学校を各地に建設しました。
聖パトリックが残した著作は、精神的自伝である『告白録』と、ブリテン人によるアイルランド人キリスト教徒への虐待を非難した『コロティクスへの手紙』の2点だけです。
かつて自分を奴隷にした人々のもとへ自ら戻り、その民族全体にキリスト教を伝えたという生涯は、後世の人々に深く語り継がれることになります。
お祭りの歴史:宗教的な祭日から世界的なイベントへ
アイルランドでの始まり
聖パトリックの祭日が典礼暦に正式に加えられたのは17世紀初頭のことです。
ウォーターフォード出身のフランシスコ会の学者、ルーク・ワディング(Luke Wadding)の尽力によるものとされています。
アイルランドの人々はこの日を宗教的な祝日として千年以上にわたって守ってきました。
祭日は四旬節(レント)の期間中にあたり、伝統的に午前中は教会で礼拝を行い、午後は祝宴を楽しみました。
四旬節の断食・禁酒の戒律もこの日だけは免除されており、人々はダンスをしたり食事を楽しんだりしました。
なお、アイルランドでは1927年の法律によって3月17日のパブでのアルコール販売が禁止されており、この法律が廃止されたのは1961年のことです。
今日のような酒を飲んでにぎやかに祝う文化は、実はアイルランドではなくアメリカで育まれたものです。
アメリカで大きく花開いた
聖パトリックの祝日を現在のような世俗的なお祭りに変えたのは、主にアメリカへ渡ったアイルランド移民たちでした。
19世紀、ジャガイモ飢饉をはじめとする苦境により、大勢のアイルランド人がアメリカへ移住しました。
異国の地で故郷のアイデンティティを示すために、彼らが聖パトリックの祭日を大いに盛り上げていきます。
ボストンでは1737年、ニューヨークでは1762年に最初の記念集会が行われました。
当初はいずれも礼拝や夕食会といった集まりであり、現在のようなパレード形式ではありませんでした。
1851年、ニューヨークの複数のアイルランド系互助組合がパレードを合同で開催することを決定し、公式のニューヨーク市パレードが誕生しました。
現在、このパレードは世界最古級の市民パレードとして知られており、15万人以上が参加するアメリカ最大のパレードとなっています。
シカゴ川が緑色に染まる日
1962年からシカゴでは毎年、祝日を記念してシカゴ川を緑色に染めるようになりました。
このアイデアは、パレードの主催者スティーブ・ベイリーが、水質汚染を検知するために使われる染料が同僚の作業着を鮮やかな緑色に染めているのを見て思いついたとされています。
現在も3月17日前後のシカゴ川は、毎年恒例の「グリーニング」で川全体が緑色に輝きます。
アイルランドでも国を挙げた祝祭に
1995年からアイルランド政府は、聖パトリックの祝日への関心を観光振興に活かす国家的なキャンペーンを開始しました。
これを機に、アイルランド本国でもパレードやフェスティバルが一気に拡大し、現在ではダブリンをはじめ全国各地で数日間にわたるお祭りが開催されています。
緑色とシャムロック:シンボルの由来
なぜ「緑」なのか
聖パトリックを象徴する伝統的な色は、実は青でした。
1783年に設立されたアングロ・アイリッシュの騎士団「聖パトリック勲章」は青を採用しており、これが青とパトリックの結びつきの由来のひとつです。
緑色が正式にこの祝日と結びつけられたのは1798年のアイルランド反乱のときです。
イギリス軍が赤を身に着けていたのに対し、アイルランド人は緑を選び、「グリーンを身につけて」(The Wearing of the Green)という歌を反乱中に歌ったことで、緑がアイルランドのシンボルカラーとして定着しました。
シャムロック(三つ葉のクローバー)の意味
聖パトリックの祝日には、シャムロック(Shamrock)——三つ葉のクローバー——があちらこちらに飾られています。
聖パトリックがシャムロックの三つ葉を使い、キリスト教の「三位一体(父・子・聖霊)」の教義を異教のアイルランド人たちに説いたという伝説があります。
この話が初めて文字に記録されたのは1726年のことです。
ただし、これはあくまで後世に広まった伝説で、聖パトリック自身の著作にはシャムロックに関する記述は登場しません。
シャムロックと聖パトリックを結びつける最初の書き記録は、1681年にイギリスの旅行家トーマス・ダインリー(Thomas Dineley)がアイルランドを訪れた際の記述です。
ヘビ退治の伝説は本当か?
聖パトリックに関してよく語られる「アイルランドからすべてのヘビを追い払った」という伝説があります。
しかし、ヘビはそもそもアイルランドに生息したことがありません。
アイルランドの国立博物館の自然史学者ナイジェル・モナハン氏は「アイルランドにヘビがいたことを示す証拠は、化石記録にも全く存在しない」と述べています。
この伝説は文字通りの話ではなく、異教(ドルイド信仰)を「ヘビ」になぞらえてキリスト教を広めたことを象徴的に表現したものと一般的に解釈されています。
世界各地の聖パトリックの祝日
アメリカ・カナダ
アメリカは聖パトリックの祝日を世界で最もにぎやかに祝う国のひとつです。
ニューヨーク、ボストン、シカゴではとくに大規模なパレードが開催されます。
シカゴ川の「グリーニング」のほか、ボストンの野球チームが緑のユニフォームを着用したり、警察がシャムロック入りバッジを使用したりするなど、街全体がお祭りムードに染まります。
カナダのモントリオールでも北米最大級のパレードのひとつが開催されます。
モントリオールでのパレードは1824年から続いており、カナダで最も長い歴史を誇ります。
イギリス・ヨーロッパ
イギリスではバーミンガムのパレードが国内最大規模で、主催者によればニューヨークとダブリンに次ぐ世界第3位の規模とされています。
日本での広がり
日本でも年々、聖パトリックの祝日のイベントが増えています。
1992年にアイリッシュ・ネットワーク・ジャパン(INJ)の主催で東京において最初のパレードが開催され、やがて表参道を会場として以来、全国各地に広がりました。
2024年には日本各地で40か所以上のパレードやイベントが予定されるなど、着実に根付いてきています。
東京・表参道のパレードをはじめ、横浜・大阪・名古屋・熊本など各都市でアイリッシュ音楽やダンスを楽しめるイベントが開かれています。
聖パトリックの祝日の主な伝統・文化
| 習慣 | 内容 |
|---|---|
| グリーンを身につける | 緑の服・帽子・アクセサリーを着用する |
| シャムロックを飾る | 三つ葉のクローバーを胸元や帽子に |
| パレード | 音楽隊・ダンサー・地元団体が行進する |
| ケイリ(céilí) | アイルランドの伝統的な音楽セッションや民族舞踊 |
| シャムロックを「溺らす」 | ウイスキーやビールのグラスにシャムロックを入れ飲み干す伝統的な儀式 |
| コンビーフとキャベツ | アメリカのアイルランド系移民が定着させた祝日料理 |
| グリーンビール | 緑色に染めたビールを飲む(20世紀後半からの習慣) |
「シャムロックを溺らす」(drowning the shamrock)という習慣は、グラスの底にシャムロックを置き、ウイスキー・ビール・サイダーで満たして聖パトリックへの乾杯とする伝統的な慣習です。
飲んだ後、シャムロックを飲み込むか肩越しに捨てることで幸運を祈るとされています。
コンビーフとキャベツはアイルランドではなくアメリカで生まれた料理です。
アイルランド系アメリカ人が購入できる食材の中で最も安価だったコンビーフとキャベツが、祝日の定番料理として定着しました。
現代の聖パトリックの祝日をめぐる議論
一方で、聖パトリックの祝日については、公共での飲酒・騒乱などとの結びつきや、過度な商業化への批判もあります。
本来の守護聖人・アイルランドの文化を称えるという意味から外れているという指摘も少なくありません。
また、レプラコーンの衣装などは19世紀のアイルランド人を揶揄した風刺画に基づくものとされており、アイルランドや Irish の人々に対するネガティブなステレオタイプを助長するとして批判されることがあります。
宗教的な祭日として始まったこの祝日は、現在では世界中で親しまれる文化的なお祭りへと進化しています。
その変化をどう捉えるかは、人によってさまざまです。
まとめ
聖パトリックの祝日は、5世紀のアイルランドに生きた一人の宣教師の命日に始まります。
奴隷として連行された少年が、その土地の人々のために生涯を捧げたという物語は、千年以上を経た今も語り継がれています。
宗教的な祝日として守り続けてきたアイルランドの伝統は、19世紀の移民たちの手によってアメリカで大きく花開き、現在では日本を含む世界各地に広まりました。
3月17日に緑色を身に着けて街を歩くとき、その背景にある歴史と文化に思いを馳せてみるのも良いかもしれません。
参考情報
この記事で参照した情報源
一次資料
- 聖パトリック著『告白録(Confessio)』(5世紀)——聖パトリック自身による自伝的著作
学術・権威ある情報源
- Encyclopaedia Britannica「Saint Patrick’s Day」
- Encyclopaedia Britannica「Saint Patrick」
- Wikipedia「Saint Patrick’s Day」
- Wikipedia「Saint Patrick」
- Wikipedia「Shamrock」
- Wikipedia「聖パトリックの祝日」
- Wikipedia「パトリキウス(聖パトリック)」
- HISTORY.com「History of St. Patrick’s Day」
- TIME「St. Patrick’s Day and the True Story of Saint Patrick」
- Confessio.ie(聖パトリック研究機関)
参考になる外部サイト
- Wikipedia「聖パトリックの祝日」 — 日本語での基本情報
- アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン(INJ) — 日本でのイベント情報


コメント