古代ギリシャで最も輝いていた時代を知っていますか?
紀元前5世紀、アテネという都市国家は、芸術・文化・政治のすべてにおいて黄金期を迎えていました。
その中心にいたのが、ペリクレスという一人の政治家です。
彼は「アテネ第一の市民」と呼ばれ、民主政治を完成させ、あの有名なパルテノン神殿を建設した人物なんです。
この記事では、古代ギリシャの黄金時代を築いた英雄ペリクレスについて、その偉業から伝承まで詳しくご紹介します。
概要

ペリクレス(紀元前495年頃~紀元前429年)は、古代アテナイ(アテネ)の政治家であり将軍です。
古代ギリシャの歴史家トゥキディデスから「アテネ第一の市民」と称えられた人物で、アテナイの最盛期を築き上げた重要人物として知られています。
紀元前444年から紀元前430年までの約15年間、毎年連続で将軍職(ストラテゴス)に選出され、アテナイの政治を主導しました。彼が活躍した時代は「ペリクレスの時代」とも呼ばれ、古代ギリシャ文化の頂点とされています。
弁舌に優れた政治家でもあり、その格調高い演説は現代まで伝えられ、欧米の政治家たちの手本となっているほどです。
偉業・功績
ペリクレスが成し遂げた功績は、政治・文化・軍事の多方面にわたります。
民主政治の完成
ペリクレスは、市民の政治参加を促進するためにさまざまな改革を行いました。
主な民主化政策
- 役人の抽選制:くじ引きで役人を選ぶことで、一般市民にも政治参加の機会を与えた
- 陪審員への手当支給:それまで無給だった陪審員に給料を支払い、貧しい市民も裁判に参加できるようにした
- 観劇料の無料化:最も貧しい市民層でも演劇を観られるよう、国が費用を負担した
これらの政策により、アテナイの民主政は大きく発展しました。
パルテノン神殿の建設
ペリクレスの最も目に見える功績が、アクロポリスの大規模建設事業です。
現在も遺跡として残るパルテノン神殿をはじめ、プロピュライア(神殿への入口)など、壮大な建築物を建設しました。これらは古代ギリシャ文化の象徴として、今も世界中の人々を魅了しています。
文化の振興
ペリクレスは芸術や学問を奨励し、アテナイを古代ギリシャ世界の教育・文化の中心地へと発展させました。
彼自身も哲学者アナクサゴラスに学び、プロタゴラスやゼノンといった知識人たちと親しく交流していたんです。
デロス同盟の主導
アテナイを中心とする約200のポリス(都市国家)が加盟していたデロス同盟。もともとはペルシャの脅威に対抗するための軍事同盟でした。
ペリクレスは、ペルシャの脅威が薄れた後、この同盟の資金をアテナイの繁栄のために活用しました。同盟の金庫をデロス島からアテナイに移し、パルテノン神殿などの建設費用に充てたのです。
この政策はアテナイを繁栄させましたが、同盟国からの反発を招き、後のペロポネソス戦争の一因ともなりました。
系譜・出生
ペリクレスは、名門中の名門に生まれた人物でした。
家系
父方
- 父:クサンティッポス
- 紀元前479年のミュカレの戦いでアテナイ軍を指揮した将軍
母方
- 母:アガリステ
- アテナイの名門貴族アルクマイオニダイ家の出身
- 民主政改革で有名なクレイステネスの姪にあたる
つまりペリクレスは、軍人の家系と政治改革者の家系、両方の血を引いていたわけですね。
出生にまつわる伝承
ペリクレスの誕生には、不思議な言い伝えが残されています。
歴史家ヘロドトスとプルタルコスによると、母アガリステは出産の数日前に「獅子を産む夢」を見たそうです。
獅子は古来より偉大さの象徴とされており、この夢は生まれてくる子供が偉大な人物になることを暗示していると解釈されました。
面白いことに、マケドニア王フィリッポス2世も、息子アレクサンドロス大王が生まれる前に同じような夢を見たという伝説があります。
姿・見た目
ペリクレスの外見について、古代の記録にはいくつかの興味深い記述が残っています。
頭部の特徴
古代の資料によると、ペリクレスは頭が異常に大きかったとされています。
この特徴は当時の喜劇作家たちの格好のネタとなり、彼らはペリクレスを「海ネギ頭」(スキルヘッド)とあだ名して笑いものにしました。海ネギ(シラー)は球根が長く伸びる植物で、その形が彼の頭の形を連想させたようです。
兜をかぶった姿
ペリクレスの彫像や肖像は、ほとんどが兜をかぶった姿で描かれています。
プルタルコスは「頭の形を隠すために兜をかぶっていた」と記していますが、実際には兜は将軍職(ストラテゴス)の象徴でした。つまり、彼の公式な地位を示すものだったのです。
威厳ある雰囲気
弁舌に優れ、常に冷静沈着だったペリクレス。
古代の作家たちは彼を「オリュンポスの神」になぞらえ、「雷鳴を響かせ、ギリシャ全土を揺るがす」と表現しました。ゼウス神のように威厳に満ちた存在感を持っていたのでしょう。
特徴
ペリクレスには、政治家・軍人として際立った特徴がありました。
卓越した弁論術
ペリクレスの最大の武器は、その雄弁さでした。
歴史家ディオドロス・シクルスは「弁論の技術において全市民を凌駕していた」と評しています。
彼の演説スタイルには以下のような特徴がありました。
- 品格のある言葉遣い:大衆迎合的な表現を避け、格調高い言葉を選んだ
- 冷静沈着な態度:感情的にならず、常に落ち着いた口調で語った
- 徹底した準備:演説前には必ず神々に祈り、不適切な言葉を発しないよう心がけた
政敵トゥキディデス(歴史家とは別人)がスパルタ王に「あなたとペリクレス、どちらが優れた戦士か」と問われたとき、即座に「ペリクレスだ。彼は負けても、聴衆を勝ったと信じ込ませることができる」と答えたといいます。
清廉潔白な人格
古代の歴史家たちは、ペリクレスの人格を高く評価しています。
プルタルコスは「彼は金銭に無関心ではなかったが、腐敗には決して染まらなかった」と記しました。
また、質素な生活を心がけ、宴会などの派手な社交は避けていたそうです。
慎重な軍事戦略
将軍としてのペリクレスは、慎重な防御戦略を得意としました。
危険を冒して攻撃するよりも、敵の疲弊を待つ持久戦を好んだのです。この戦略は後に「ペリクレス戦略」と呼ばれるようになりました。
伝承

ペリクレスにまつわる逸話や伝承は数多く残されています。
日食の逸話
紀元前430年、アテナイの艦隊が出航しようとしたとき、日食が起こりました。
当時の人々は日食を不吉な前兆と考え、船員たちは恐怖で動けなくなってしまいます。
このとき、ペリクレスは自分のマントを船長の目の前にかざして尋ねました。
「これは何か恐ろしいことの前兆か?」
船長が「いいえ」と答えると、ペリクレスは言いました。
「日食も同じことだ。マントよりも大きなものが太陽を遮っているだけだ」
哲学者アナクサゴラスから学んだ天文学の知識を活かし、合理的な説明で船員たちを落ち着かせたのです。
最期の言葉
紀元前429年、ペリクレスは疫病に倒れ、死の床についていました。
友人たちが枕元に集まり、平和時の功績や9つの戦勝記念碑について語り合っていると、瀕死のペリクレスがそれを遮って言いました。
「私の最も誇るべきことを忘れている。私のせいで喪服を着たアテナイ市民は一人もいないのだ」
市民の命を大切にした彼らしい最期の言葉として伝えられています。
アスパシアとの関係
ペリクレスは最初の妻と離婚後、ミレトス出身のアスパシアと長く連れ添いました。
アスパシアは知性と会話術に優れた女性で、アテナイの知識人たちから高く評価されていました。しかし、アテナイ人ではなかったため、二人の関係は批判の的となることも。
プラトンの対話篇では、ペリクレスの有名な葬送演説さえアスパシアが書いたと冗談めかして語られています。
名言の数々
ペリクレスは演説の中で多くの印象的な言葉を残しました。
「我々の政体は他国を真似たものではない。むしろ我々こそが他国の手本なのだ」
「貧しいことは恥ではない。しかし、貧しさから抜け出そうと努力しないことは恥である」
「アテナイでは、政治に関心を持たない者は市民として意味を持たないとされる」
これらの言葉は、民主政治の理念を力強く表現したものとして、現代でも引用され続けています。
出典・起源
ペリクレスに関する情報は、複数の古代文献から伝えられています。
主要な古代資料
トゥキディデス『歴史』
ペロポネソス戦争を記録した歴史書で、ペリクレスの演説が3つ収録されています。トゥキディデスはペリクレスの同時代人であり、彼を深く敬愛していました。
プルタルコス『対比列伝』
1世紀のギリシャ人伝記作家プルタルコスが書いた偉人伝。ペリクレスの生涯を詳細に記録しており、多くの逸話の出典となっています。
アリストテレス『アテナイ人の国制』
ペリクレスの民主政改革について記述があります。
歴史的評価の変遷
ペリクレスの評価は時代によって異なります。
古代では、民主政の完成者として称えられる一方、大衆迎合主義者(ポピュリスト)として批判されることもありました。
プラトンは「ペリクレスはアテナイ人を怠惰で、おしゃべりで、金銭欲の強い者にした」と辛辣に評しています。
しかし現代では、民主政治の理想を体現した偉大な政治家として、広く尊敬を集めています。
まとめ
ペリクレスは、古代アテナイの黄金時代を築いた偉大な政治家であり将軍でした。
重要なポイント
- 紀元前5世紀のアテナイで約15年間、最高権力者として君臨した
- 民主政治を完成させ、市民の政治参加を促進した
- パルテノン神殿をはじめとする壮大な建築事業を主導した
- 卓越した弁論術で「アテネ第一の市民」と称えられた
- 出生時に母が「獅子を産む夢」を見たという伝承がある
- デロス同盟の資金を活用してアテナイを繁栄させた
- ペロポネソス戦争中の疫病により紀元前429年に死去
- その演説と理念は現代の民主主義にも影響を与え続けている
アクロポリスに今も残るパルテノン神殿は、ペリクレスが残した最も輝かしい遺産です。廃墟となった今でも、世界中の人々がその美しさに魅了されています。
2500年の時を超えて、ペリクレスの遺産は私たちに民主主義の原点を語りかけているのかもしれません。


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