クトゥルフ神話を知っている人なら、H.P.ラヴクラフトの名前を聞いたことがあるでしょう。
では、そのラヴクラフトが「私の小説を書くときの手本」と公言していた作家が誰か、ご存知ですか?
答えは、エドガー・アラン・ポー。「黒猫」「アッシャー家の崩壊」「モルグ街の殺人」などで知られる、19世紀アメリカの怪奇小説家です。
この記事では、約70年の時を隔てた二人の怪奇文学の巨匠、ポーとラヴクラフトの関係について詳しく解説していきます。
エドガー・アラン・ポーとは?

プロフィール
| 名前 | エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe) |
|---|---|
| 生没年 | 1809年〜1849年 |
| 出身 | アメリカ・マサチューセッツ州ボストン |
| ジャンル | 怪奇小説、推理小説、SF、詩 |
ポーは、アメリカ文学史において極めて重要な作家です。
推理小説の生みの親として、シャーロック・ホームズの生みの親コナン・ドイルに影響を与えました。また、SFの先駆者として、ジュール・ヴェルヌにインスピレーションを与えています。
そして何より、怪奇小説・ゴシック文学の分野で、後世の作家たちに計り知れない影響を及ぼしました。
代表作
- 『モルグ街の殺人』(1841年)──世界初の推理小説とされる
- 『アッシャー家の崩壊』(1839年)──ゴシック小説の傑作
- 『黒猫』(1843年)──心理的恐怖の極致
- 『告げ口心臓』(1843年)──狂気と罪悪感を描く
- 『大鴉』(1845年)──象徴派詩人に影響を与えた詩
ポーの革新性
それまでの怪奇小説は、幽霊や吸血鬼といった「外部からやってくる恐怖」を描くのが主流でした。
でもポーは違いました。彼が描いたのは、人間の内面に潜む恐怖です。
狂気に陥っていく主人公、罪悪感に苛まれる心理、理性では説明できない衝動……。ポーは「恐怖は外にあるのではなく、魂の中にある」と主張したんです。
H.P.ラヴクラフトとは?
プロフィール
| 名前 | ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(H.P. Lovecraft) |
|---|---|
| 生没年 | 1890年〜1937年 |
| 出身 | アメリカ・ロードアイランド州プロビデンス |
| ジャンル | 怪奇小説、コズミック・ホラー |
ラヴクラフトは、20世紀を代表する怪奇作家であり、クトゥルフ神話の創造者として知られています。
生前は『ウィアード・テイルズ』などのパルプ雑誌に作品を発表するだけで、ほとんど無名のままこの世を去りました。彼の死後、友人のオーガスト・ダーレスらの尽力によって作品が体系化され、世界的な名声を得るようになったんです。
代表作
- 『クトゥルフの呼び声』(1928年)──クトゥルフ神話の原点
- 『狂気の山脈にて』(1936年)──南極を舞台にした長編
- 『インスマスの影』(1936年)──退化と恐怖の物語
- 『ダンウィッチの怪』(1929年)──異形の存在との対決
- 『アウトサイダー』(1926年)──ポーへのオマージュ的作品
コズミック・ホラーという革新
ラヴクラフトは、従来の怪奇小説を一歩進めて、「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」という新しい概念を生み出しました。
これは、「人間は宇宙の中でちっぽけで無力な存在であり、宇宙の真理を知ってしまったら狂気に陥るしかない」という恐怖です。
従来のゴシック小説が「幽霊城」や「呪われた屋敷」を舞台にしていたのに対し、ラヴクラフトは宇宙規模のスケールで恐怖を描いたんです。
「ポーは私の神である」

ラヴクラフト自身の言葉
ラヴクラフトは、自分にとってポーがどれほど重要な存在だったか、たびたび手紙の中で語っています。
ラインハート・クライナー宛の手紙より(1916年)
「物語を書くとき、エドガー・アラン・ポーが私の手本です」
「しかし、ポーは私にとって小説の神でした」
クラーク・アシュトン・スミス宛の手紙より(1930年)
「ポーは誰よりも私に影響を与えた作家です。もし私が彼のような戦慄を読者に与えられているとすれば、それは彼自身が雰囲気と手法の全体を開拓してくれたからこそ、私のような劣った者でもついていけるのです」
このように、ラヴクラフトは自分をポーの後継者として位置づけ、彼への敬意を隠そうとしませんでした。
ラヴクラフトが学んだポーの技法
では具体的に、ラヴクラフトはポーから何を学んだのでしょうか?
雰囲気の構築
ポーの怪奇小説の特徴は、じわじわと恐怖を積み上げていく構成にあります。
『アッシャー家の崩壊』を読んでみてください。物語は、荒廃した屋敷に近づく語り手の描写から始まります。屋敷の様子、池に映る影、不気味な空気……。具体的な怪異が起こるずっと前から、読者は不安を感じ始めるんです。
ラヴクラフトはこの技法を徹底的に学びました。彼の作品でも、恐怖の対象が登場するまでに、非常に丁寧な雰囲気作りが行われています。
ポーの作品から(『アッシャー家の崩壊』)
書斎に並ぶ本のタイトルを一つ一つ列挙したり、屋敷の建築様式を細かく描写したり……。一見すると物語が停滞しているようにも見えますが、これこそが恐怖を高める仕掛けなんです。
ラヴクラフトの作品にも、同様の特徴が見られます。古文書の引用、建築物の詳細な描写、学術的な語り口。これらはすべて、ポーから受け継いだ技法といえるでしょう。
一人称の語り
ポーもラヴクラフトも、一人称視点を好んで使いました。
一人称で語ることで、読者は主人公の恐怖を直接体験することになります。何が起きているのか完全には分からない、でも確実に何かが近づいている……。その不安感は、三人称では出せないものです。
知性的な恐怖
二人に共通するのは、知的な語り口です。
どちらも主人公は教養ある人物として設定されることが多く、彼らが理性的に状況を分析しながらも、どうにもならない恐怖に飲み込まれていく様子が描かれます。
「頭では分かっているのに、止められない」──この恐怖は、単純な怪物との対決よりもずっと深く読者の心に刺さります。
直接的なオマージュ
ラヴクラフトの作品には、ポーへの直接的なオマージュがいくつも見られます。
『アウトサイダー』──ポーの未発表作品?
ラヴクラフトの短編『アウトサイダー』(1926年)は、ポーとの類似性がよく指摘される作品です。
友人のオーガスト・ダーレスは、この作品について「ポーの未発表作品だと言っても通るだろう」と評しています。
暗い城から抜け出そうとする語り手、不気味な鏡のシーン、そして最後に明かされる衝撃の真実……。文体も雰囲気も、まるでポーの作品を読んでいるかのようです。
『狂気の山脈にて』──「テケリ・リ!」の叫び
ラヴクラフトの代表作『狂気の山脈にて』(1936年)には、ポーの長編小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』への直接的な言及があります。
物語の中で、謎の生物が「テケリ・リ!テケリ・リ!」と叫ぶシーンがありますが、これはポーの『アーサー・ゴードン・ピム』の終盤に登場する奇妙な叫び声をそのまま引用したものなんです。
両作品とも南極を舞台としており、ラヴクラフトは自分の作品をポーの続編として位置づけていたと考えられています。
詩「かつてポオの歩みしとこ」
1936年、ラヴクラフトは「Where Once Poe Walked」(かつてポオの歩みしとこ)という詩を書いています。
ポーが暮らしたプロビデンスの街を歩きながら、先人への敬意を詠んだ作品です。ラヴクラフト自身もプロビデンスに生まれ育っており、同じ街で創作活動をしていたことに特別な思いを抱いていたようです。
『怪奇小説の超自然的恐怖』──ラヴクラフトによるポー論
ラヴクラフトは小説家であると同時に、優れた評論家でもありました。
彼が1927年に発表した評論『怪奇小説の超自然的恐怖』(Supernatural Horror in Literature)は、ゴシック小説から現代の怪奇作家までを体系的に論じた名著として知られています。
ポーへの最高の賛辞
この評論の中で、ラヴクラフトはポーに丸々一章を割いています。
ラヴクラフトの評価
「エドガー・アラン・ポー(1809-1849)の仕事は、超自然的(そして心理的)恐怖小説を非常に深く多面的に革命し、変革したので、このジャンルが文学として真剣に取り組む価値のあるものとして始まったのは、彼からだと言っても過言ではない」
つまりラヴクラフトは、ポーこそが近代怪奇文学の創始者だと認めているんです。
ポーの革新性についての分析
ラヴクラフトは、ポーが以下の点で革新的だったと指摘しています。
- 恐怖の心理学的分析──外部の怪物ではなく、内面の恐怖を描いた
- 構成の巧みさ──最初の一行から最後の一語まで、一つの効果を目指して構成
- 主題の斬新さ──従来のゴシック小説の決まり文句(幽霊、鎖の音など)を超えた
二人の違い──ポーからラヴクラフトへの進化

ラヴクラフトはポーから多くを学びましたが、単なる模倣者ではありませんでした。彼はポーの技法を土台にして、新しい恐怖の形を生み出したんです。
恐怖のスケール
ポー:個人の心理、閉ざされた空間
ラヴクラフト:宇宙規模、時間と空間を超越した存在
ポーの恐怖は基本的に「個人的」なものです。罪悪感、狂気、死への恐怖……。舞台も古い屋敷や地下室など、限られた空間が多い。
一方、ラヴクラフトの恐怖は「宇宙的」です。人間の理解を超えた太古の神々、何百万年も前に地球にやってきた異星人、時間そのものを超越する存在……。スケールがまったく違います。
科学との関係
ポー:科学を物語の装飾として使用
ラヴクラフト:最新の科学知識を恐怖の源泉として活用
ポーの時代、科学はまだロマンチックなものでした。彼の作品にも科学的な要素は登場しますが、それは物語を彩る道具という側面が強い。
ラヴクラフトは違います。彼は天文学、地質学、生物学といった最新の科学知識を貪欲に吸収し、それを恐怖に変換しました。
「宇宙は人間のために存在しているのではない」「地球の歴史の中で人類はほんの一瞬の存在に過ぎない」──こうした科学的な世界観が、コズミック・ホラーの基盤になっています。
神話体系の構築
ポー:独立した短編
ラヴクラフト:相互に関連した神話世界
ポーの作品は、それぞれが独立した短編として完結しています。
ラヴクラフトは、自分の作品群に共通する神話体系を構築しました。クトゥルフ、ニャルラトホテプ、アザトース……これらの神々は複数の作品に登場し、一つの宇宙観を形成しています。
しかもこの神話体系は、ラヴクラフトの友人作家たちにも開放され、共有の創作世界として発展していきました。
現代への影響
ポーとラヴクラフトの系譜は、現代の怪奇文学やホラー作品に今も脈々と受け継がれています。
怪奇文学の巨匠たち
- スティーヴン・キング──現代ホラーの帝王。ポーとラヴクラフト両方の影響を公言
- クライヴ・バーカー──肉体的恐怖とラヴクラフト的宇宙観の融合
- トーマス・リゴッティ──哲学的ホラーの旗手
日本のクリエイターへの影響
- 江戸川乱歩──名前からして「エドガー・アラン・ポー」のもじり
- 菊地秀行──「吸血鬼ハンターD」など、ラヴクラフト的世界観を日本風にアレンジ
- 伊藤潤二──ラヴクラフト的な「理解不能の恐怖」を漫画で表現
ゲーム・映画
- 『ブラッドボーン』──ラヴクラフト的な宇宙的恐怖をゲーム化
- 『Dead Space』シリーズ──宇宙を舞台にしたコズミック・ホラー
- ギレルモ・デル・トロ監督作品──ラヴクラフトへの敬意を随所に
まとめ
ポーとラヴクラフトの関係は、師弟関係という言葉で表すことができるでしょう。
ただし、二人は直接会ったことはありません。ポーが亡くなってから41年後にラヴクラフトが生まれているからです。
それでも、ラヴクラフトはポーの作品を通じて、怪奇小説の本質を学び取りました。
- 雰囲気の構築
- 一人称による没入感
- 知性と恐怖の融合
- 人間の内面に潜む闘
ポーから受け継いだこれらの技法を土台に、ラヴクラフトはコズミック・ホラーという新しいジャンルを切り開いたのです。
現代のホラー作品を楽しむとき、その背後にポーとラヴクラフトの影を感じ取ってみてください。200年近い時を超えて、彼らの創造した恐怖は今も私たちの心を揺さぶり続けています。
「人類の最も古く、最も強い感情は恐怖であり、最も古く最も強い恐怖は未知への恐怖である」
──H.P.ラヴクラフト『怪奇小説の超自然的恐怖』


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