13世紀のイタリアで、石に命を吹き込んだ天才彫刻家がいました。
彼の名はジョヴァンニ・ピサーノ。父から受け継いだ技術を独自に発展させ、ゴシック芸術と古典芸術を融合させた革新的な作品を生み出した人物です。
20世紀を代表する彫刻家ヘンリー・ムーアは、彼を「最初の近代彫刻家」と呼びました。
この記事では、イタリア中世彫刻の巨匠ジョヴァンニ・ピサーノについて、その生涯と功績を分かりやすくご紹介します。
概要

ジョヴァンニ・ピサーノ(Giovanni Pisano、1250年頃〜1315年頃)は、13世紀後半から14世紀初頭にかけて活躍したイタリアの彫刻家・建築家です。
父親は同じく著名な彫刻家であるニコラ・ピサーノで、ジョヴァンニは父の工房で修行を積みました。ピサ、シエナ、ピストイアといったイタリアの主要都市で活動し、数々の傑作を残しています。
彼の作品の最大の特徴は、フランスのゴシック様式と古代ローマの古典様式を見事に融合させた点にあります。父ニコラの静謐な作風から離れ、より動きのある劇的な表現を追求したことで、後のルネサンス彫刻に大きな影響を与えました。
偉業・功績
ジョヴァンニ・ピサーノは、数々の記念碑的作品を残しました。
主要作品一覧
| 作品名 | 制作年 | 場所 |
|---|---|---|
| シエナ大聖堂説教壇 | 1265〜1268年 | シエナ |
| フォンターナ・マッジョーレ(大噴水) | 〜1278年 | ペルージャ |
| ピサ洗礼堂外装彫刻 | 1277〜1284年 | ピサ |
| シエナ大聖堂ファサード | 1287〜1296年 | シエナ |
| サンタンドレア教会説教壇 | 1297〜1301年 | ピストイア |
| ピサ大聖堂説教壇 | 1302〜1310年 | ピサ |
代表作:ピサ大聖堂説教壇

彼の最高傑作とされるのが、ピサ大聖堂の説教壇です。
この作品では、8枚の大理石パネルを6本の円柱と5本の人物像柱が支える構造になっています。
中央の柱には「信仰」「希望」「慈愛」を象徴する擬人像が彫られており、パネルには新約聖書の9つの場面が明暗法(キアロスクーロ)を用いて表現されているんですね。
特筆すべきは、裸体のヘラクレス像が大胆かつ自然主義的に描かれている点。
中世の宗教芸術において、このような表現は極めて革新的でした。
この説教壇は1591年の火災後、倉庫にしまわれたまま忘れ去られていましたが、1926年に再発見され、ようやく元の場所に戻されました。
シエナ大聖堂ファサード
1287年から1296年にかけて、ジョヴァンニはシエナ大聖堂の工匠頭に任命されています。
彼が手がけたファサード(建物正面)の彫刻群は、イタリアのみならずヨーロッパのゴシック彫刻を代表する傑作として高く評価されています。
ゴシック様式とローマ美術の要素を巧みに混合させた、彼の芸術的傾向がよく表れた作品といえるでしょう。
系譜・出生

出生と家系
ジョヴァンニは1250年頃、イタリアのピサで生まれたとされています。
父親のニコラ・ピサーノ(1220年代〜1280年代頃)は、イタリア中世後期を代表する彫刻家でした。ニコラは「真にイタリア的な彫刻を創始した革新的な天才」として、文学におけるダンテと並び称される存在だったんです。
父ニコラの出自
ニコラの出身地については諸説あります。
- 南イタリア説:プッリャ(アプーリア)地方出身という通説
- トスカーナ説:もともとトスカーナ地方の出身という反対説
- 折衷説:プッリャ出身のピエトロという人物の子としてピサで生まれたという説
いずれにせよ、ニコラは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の時代に南イタリアで起きた「古代復興」の影響を強く受けていたと考えられています。
修行時代
ジョヴァンニは父ニコラの工房で修行を積みました。
最初の共同作業は1265年から1268年にかけてのシエナ大聖堂説教壇の制作。次いで、ペルージャのフォンターナ・マッジョーレ(大噴水)を父とともに手がけています。この噴水が1278年に完成した頃、父ニコラはすでに亡くなっていたという説もあれば、1284年まで存命だったという説もあり、正確なところは分かっていません。
姿・見た目(作風について)
ジョヴァンニの「姿」として、ここでは彼の芸術的スタイルについて解説します。
父からの独立
初期の作品は父ニコラの様式を踏襲していましたが、次第に独自の作風を確立していきます。
ピサ洗礼堂の外装彫刻(1277〜1284年)では、彫像に生き生きとした躍動感が現れ始めました。これは、父の静謐で落ち着いた作風から離れ始めた証拠といえるでしょう。
ジョヴァンニの芸術的特徴
彼の作品には以下のような特徴が見られます。
- 動きの強調:人物像に躍動感と劇的な表現を与える
- 深い彫り込み:明暗のコントラストを際立たせる技法
- 感情表現:人物の内面を豊かに描写
- 様式の融合:ゴシックと古典主義の巧みな調和
父との違い
父ニコラが古代ローマ彫刻の影響を受けた理想主義的表現を追求したのに対し、ジョヴァンニは自然観察に基づく写実的表現へと向かいました。
彼の作品では、浮彫り全体にわたる動きの強調、物語の劇的表現、深い彫り込みによる明暗の際立つ対比が特色となっています。
特徴

革新性
ジョヴァンニの最大の特徴は、その革新性にあります。
彼は中世の宗教芸術の枠にとらわれず、人体表現や感情描写において大胆な試みを行いました。
ピサ大聖堂説教壇に彫られた「抜け目なさ(プルデンティア)」という擬人像は、後のマサッチオによる『楽園追放』(1424〜1427年頃)のイヴにインスピレーションを与えた可能性があるとされています。
多才な芸術家
ジョヴァンニは彫刻家としてだけでなく、建築家としても活躍しました。
- シエナ大聖堂の工匠頭として建築設計を担当
- ピサのサン・ニコラ教会の設計に関与した可能性
- サン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会のファサードを制作
最晩年の仕事
彼の最後の大作は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の依頼による、皇帝の亡き妻マルガレーテ・フォン・ブラバント(1311年没)の墓碑でした。
おそらく1313年頃から制作を始めたと考えられています。
伝承

「最初の近代彫刻家」
20世紀イギリスを代表する彫刻家ヘンリー・ムーアは、シエナ大聖堂ファサードの彫像群を見て、ジョヴァンニのことを「最初の近代彫刻家(the first modern sculptor)」と呼びました。
この評価は、ジョヴァンニが中世の伝統的な宗教彫刻から脱却し、人体の自然な表現や感情の描写に新たな地平を切り開いたことを示しています。
後世への影響
ジョヴァンニの芸術は、多くの芸術家に影響を与えました。
- ピエトロ・ロレンツェッティ:シエナ派を代表する画家
- ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ:弟子として著名な彫刻家に成長
- アゴスティーノ・ダ・シエナ:建築家・彫刻家として活躍
天体への命名
ジョヴァンニと父ニコラの功績を称え、小惑星7313番には「ピサーノ」という名前が付けられています。これは、彼らの芸術が人類の文化遺産として永遠に記憶されるべきものであることを示す、象徴的な栄誉といえるでしょう。
出典・起源
ヴァザーリの記録
ジョヴァンニ・ピサーノに関する重要な文献資料として、ジョルジョ・ヴァザーリ(1511〜1574年)の著書『画家・彫刻家・建築家列伝』があります。
ヴァザーリはルネサンス期の画家・建築家であり、美術史家としても知られています。彼の『列伝』にはピサーノ父子の伝記が含まれており、当時の芸術家たちがどのように評価していたかを知る貴重な資料となっています。
作品そのものが語る歴史
ジョヴァンニの生涯については、文献上の記録が限られています。
しかし、ピサ、シエナ、ピストイア、ペルージャなど各地に残る彼の作品そのものが、彼の芸術的発展と業績を雄弁に物語っています。特に説教壇の浮彫りに刻まれた聖書の場面は、中世イタリアの宗教観や美意識を今に伝える貴重な文化遺産です。
まとめ
ジョヴァンニ・ピサーノは、中世イタリア彫刻の頂点を極めた芸術家です。
重要なポイント
- 1250年頃〜1315年頃に活躍したイタリアの彫刻家・建築家
- 父ニコラ・ピサーノの工房で修行し、独自の作風を確立
- ゴシック様式と古典様式の融合が最大の特徴
- 代表作はピサ大聖堂説教壇、シエナ大聖堂ファサードなど
- ヘンリー・ムーアから「最初の近代彫刻家」と称される
- 後のルネサンス彫刻に大きな影響を与えた先駆者
父ニコラが切り開いた道を、ジョヴァンニはさらに発展させ、中世彫刻を新たな高みへと導きました。
彼の作品は、約700年の時を経た今もなお、イタリア各地で私たちを魅了し続けています。


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