パルティアンショットとは?古代ローマ軍を苦しめた騎馬弓術の真実

神話・歴史・伝承

「パルティアンショット」という言葉を聞いたことはありますか?これは古代の騎馬民族が使った弓術のテクニックで、逃げながら後ろ向きに矢を放つという驚くべき射法です。この技術は古代ローマ帝国を何度も苦しめ、歴史に名を刻みました。

現代では英語の慣用句として「捨て台詞」という意味でも使われるパルティアンショット。その起源と歴史、そして技術的な特徴について詳しく見ていきましょう。

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パルティアンショットとは

パルティアンショット(英語: Parthian shot)とは、弓騎兵が馬上で後方に体を捻り、追撃してくる敵に向かって矢を放つ射法のことです。日本語では「安息式射法(あんそくしきしゃほう)」とも呼ばれます。

この名称は、古代オリエント世界で繁栄したパルティア王国(紀元前247年頃〜226年)に由来します。

パルティアは現在のイラン周辺を支配した王国で、その騎兵部隊がこの戦法を得意としていたことから、ヨーロッパ人の間で「パルティアの射撃」として記憶されるようになりました。

パルティアンショットの起源

実は、パルティアンショットはパルティア王国で発明されたものではありません。

この射法の起源は、紀元前8世紀頃にまで遡り、中央アジアの遊牧民族であるスキタイ人が最初に使い始めたとされています。

スキタイ人は馬と弓を生活の中心に据えた騎馬遊牧民であり、狩猟や戦闘において騎射の技術を発展させました。この技術は中央アジアの遊牧民の間に急速に広まり、フン族、アヴァール人、マジャル人などにも取り入れられていきました。

では、なぜ「スキタイショット」ではなく「パルティアンショット」と呼ばれるようになったのでしょうか。

それは、ヨーロッパに古典文明を伝えた古代ローマが本格的に対峙した遊牧民勢力がパルティアだったからです。

ローマ人にとって、この恐るべき戦法は「パルティア人のやり方」として深く記憶に刻まれたのです。

パルティアンショットの技術的特徴

パルティアンショットは、単なる後ろ向き射撃ではありません。高度な騎乗技術と弓術の両方を必要とする、極めて難易度の高いテクニックです。

まず使用する弓について。パルティアの騎兵は複合弓(コンポジット・ボウ)を使用していました。

複合弓とは、木、角(つの)、腱(けん)などの異なる素材を貼り合わせて作られた弓で、短くても高い威力を発揮できるという特徴があります。
馬上で扱いやすいコンパクトさと、敵の鎧を貫通する威力を両立していました。

射撃の際、騎手は全速力で疾走する馬の上で上半身を後方に大きく捻ります。

この姿勢を維持しながら正確に狙いを定めて矢を放つには、卓越した平衡感覚と騎乗技術が必要です。
訓練なしにできる技ではなく、幼少期から馬と弓に親しんできた遊牧民だからこそ習得できた技術でした。

矢は軽量なものが使用され、素早い引きと放ちが可能でした。

また、特殊な形状の鏃(やじり)を使用することで、貫通力を高めていたとも言われています。

戦術としてのパルティアンショット

パルティアンショットは、単独の射撃技術としてではなく、より大きな戦術の一部として活用されました。その代表的な戦法が「偽装退却」です。

パルティアの軽騎兵は、敵と一定の距離を保ちながら弓矢で攻撃を仕掛けます。

敵が反撃しようと接近してくると、わざと退却を開始します。

これを見た敵は「勝った」と思い、追撃を始めます。しかし、退却するパルティア騎兵は振り返りざまに矢を放ち続け、追撃する敵に損害を与え続けるのです。

敵が疲弊し、隊列が乱れたところで、パルティア軍は踵を返して攻勢に転じます。

この一連の戦法は、歩兵主体の軍隊に対して極めて効果的でした。追
いかけても追いつけず、一方的に矢を浴びせられる敵軍は、次第に士気を失っていったのです。

歴史を変えた戦い:カルラエの戦い

パルティアンショットの威力が最も劇的に示されたのが、紀元前53年のカルラエの戦いです。この戦いは、古代ローマ史上最悪の敗北の一つとして記憶されています。

ローマの三頭政治の一人、マルクス・リキニウス・クラッススは、約3万5千の重装歩兵を率いてパルティア領に侵攻しました。
対するパルティア軍の将軍スレナスの軍勢は、1万人程度だったと言われています。
数の上ではローマ軍が圧倒的に有利でした。

しかし、戦いの結果は予想外のものでした。

パルティアの弓騎兵は、ローマ軍の周囲を縦横無尽に駆け回り、矢の雨を降らせました。
ローマ兵が密集陣形(テストゥド)を組んで防御すると、今度は重装騎兵(カタフラクト)が突撃して陣形を崩します。

そして再び弓騎兵が矢を浴びせる、という繰り返しでした。

ローマ軍は「矢が尽きるまで耐えよう」と考えましたが、スレナスは大量のラクダを使って戦場に矢を補給し続けました。

結果、ローマ軍は壊滅的な打撃を受け、クラッスス自身も戦死。約2万人が死亡し、1万人が捕虜になったとされています。
この大敗北は、ローマ人の心にパルティアンショットへの恐怖を深く刻み込みました。

日本にもあった類似技術「押し捻り」

興味深いことに、日本の騎射にもパルティアンショットに似た技術が存在しました。

「押し捻り(おしひねり)」または「押し捩り(おしもじり)」と呼ばれる技法です。

日本の騎射は基本的に前方への射撃が主体でしたが、後方から追撃された場合の対処法として、この後方射撃の技術が伝えられていました。

ただし、日本では騎馬弓兵としての活動が日常的ではなかったため、パルティアの騎兵のように自在に使いこなすことは難しかったと考えられています。

なお、日本の流鏑馬(やぶさめ)は左横への射撃ですが、実戦では前方への射撃が基本でした。絵巻物に描かれた合戦図を見ても、『蒙古襲来絵詞』や『前九年合戦絵巻』では、騎馬武者は前方に向かって矢を射る姿が描かれています。

後世への影響

パルティア王国は226年にサーサーン朝ペルシアに滅ぼされましたが、パルティアンショットの戦術は後世の騎馬民族に受け継がれました。

フン族、モンゴル帝国、セルジュク朝トルコ、オスマン帝国など、ユーラシア大陸の騎馬民族は皆、この戦法を駆使しました。

1071年のマンジケルトの戦いではセルジュク朝がビザンツ帝国を、1241年のレグニツァの戦いではモンゴル軍がポーランド騎士団を、この戦術で打ち破っています。

機動力と射撃力を組み合わせた一撃離脱戦法という概念は、現代の軍事戦術にも通じるものがあります。

騎馬弓兵の時代は終わりましたが、その戦術思想は形を変えて生き続けているのです。

現代英語での意味

現代英語では「Parthian shot」という表現は、「捨て台詞」や「去り際の一撃」という比喩的な意味で使われます。
会議や議論の場を去る際に、最後に痛烈な一言を残していくような状況を指します。

これと同じ意味で「parting shot(パーティングショット)」という表現もよく使われます。
「parting」は「別れ」を意味しますが、実は「Parthian」が訛って変化したものだと考えられています。

退却しながら最後の一撃を放つパルティアの弓騎兵の姿が、2000年以上の時を超えて現代の日常会話に残っているのは、実に興味深いことです。

まとめ

パルティアンショットは、古代の騎馬民族が生み出した卓越した戦闘技術でした。

スキタイに起源を持ち、パルティア王国によって有名になったこの射法は、古代ローマという大帝国をも苦しめる威力を持っていました。

カルラエの戦いでの劇的な勝利は、歩兵中心の軍隊に対する騎馬弓兵の優位性を証明しました。

その戦術思想はフン族、モンゴル帝国へと受け継がれ、世界史に大きな影響を与え続けました。

そして現代では、「捨て台詞」という意味の慣用句として、日常会話の中に生き続けています。

古代の戦場から現代のオフィスまで、パルティアンショットは時代を超えて人々の記憶に刻まれているのです。

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