パチャママは、南米アンデス地域で古くから信仰される大地母神です。
先コロンブス期から現代まで、何千年にもわたって人々に崇拝されてきた女神なんです。
この記事では、パチャママの語源、神話上の役割、儀式の内容、そして現代における信仰の実態について詳しく解説します。
概要
パチャママ(Pachamama)は、ケチュア語・アイマラ語で「母なる大地」を意味するアンデス地域の女神です。
豊穣を司る大地の神であり、全てのものの母親とされています。
インカ帝国の崩壊後もその信仰は途絶えることなく、現代のペルー、ボリビア、エクアドル、アルゼンチン北部、チリ北部などで広く崇拝されています。
パチャママとは
パチャママは、アンデスの先住民が崇拝する大地母神です。
インカ神話における代表的な女神の一人で、先コロンブス期、つまりスペイン人がアメリカ大陸に到達する前から信仰されていました。
豊穣を司る大地の神であり、農作物や家畜の繁栄をもたらす力を持つとされています。
パチャママは山や川など大地のすべてを表すとされ、特定の姿や地域で示されることはありません。
あらゆる場所に存在する普遍的な女神なんです。
スペインによる征服後、キリスト教が深く浸透したためインカ時代の多くの神は信仰されなくなりましたが、パチャママだけは聖母マリアと重ね合わされる形で現在でも信仰されています。
語源と意味
パチャママという言葉は、ケチュア語とアイマラ語という先住民の言語に由来します。
「パチャ(Pacha)」は、大地・世界・宇宙・時間・空間といった広い意味を持つ言葉です。
「ママ(Mama)」は、母・魂・本質を意味します。
この二つを組み合わせた「パチャママ」は、「母なる大地」「世界の母」「宇宙の母」と訳されます。
ケチュア語では、パチャという言葉から派生した様々な表現があります。
例えば、「パチャ・クヌヌイ(pacha kununuy)」は「大きな音を伴う地震」を意味し、「パチャ・カンチャイ(pacha k’anchay)」は「宇宙の光」つまり太陽の光を表します。
このように、パチャという概念は単なる「土地」を超えて、時間と空間を含む壮大な宇宙観を示しているんです。
神話上の役割と家族関係
パチャママは、インカ神話において非常に重要な位置を占めています。
彼女は創造の根源であり、水・大地・太陽・月というケチュアの四大宇宙原理の起源とされています。
パチャママの夫については、伝承によって異なります。
一つの説では、天の神パチャカマック(Pachacamac)が夫とされています。
パチャカマックは創造神であり、しばしば太陽神インティ(Inti)と同一視されることがあります。
別の説では、パチャママは息子である太陽神インティと結婚したとされています。
この「母と息子の結婚」という関係は、生命の循環を象徴していると考えられています。
パチャママの子供としては、太陽神インティと月の女神ママ・キージャ(Mama Quilla)が挙げられます。
また、四大元素の女神たちとも関連があり、ママ・コチャ(水の女神)、ママ・ニーナ(火の女神)、ママ・ワイラ(風の女神)と共に、自然界を司る母なる女神たちの一柱とされています。
パチャママの特徴と性質
二面性を持つ女神
パチャママは通常、愛情深く寛大な女神として描かれます。
人々に食物を与え、家畜を増やし、豊かな収穫をもたらしてくれます。
しかし、彼女は同時に恐ろしい一面も持っています。
怒りを感じたり、傷つけられたと感じた時、人間や地上のあらゆるものを破壊する力を持っているんです。
特に、大地を粗末に扱ったり、供物を怠ったりすると、地震や災害を引き起こすと信じられています。
アンデスの人々は、「自然から取りすぎる」ことは「パチャママから取りすぎる」ことだと考えており、それが問題を引き起こすと信じています。
パチャママの姿
伝統的に、パチャママは地中または山の中に住む小柄な老女として表現されます。
非常に細いビクーニャ(南米のラクダ科動物)の繊維で織られたアンデスの伝統衣装をまとい、いつも紡錘でビクーニャの毛を紡いでいるとされています。
別の伝承では、背が低く、頭と足が大きく、大きな帽子をかぶり、大きなサンダルを履いているとも描写されます。
近年では、人生の最盛期にある若く活発な女性として描かれることも一般的になってきました。
芸術作品では、ジャガイモやコカの葉の収穫物を抱えた成人女性として表現されることが多いです。
守護する領域
パチャママは、人間だけの母ではありません。
山々、太陽と月(双子の存在と考えられている)、家畜、農作物の母でもあるんです。
彼女の守護力は、機織り、糸紡ぎ、作陶といった多くの伝統的な作業にも及びます。
大地の神聖性を前提とするため、天然の資源を採取する時は必ず、パチャママの許しを求め、供物を捧げなければなりません。
例えば、陶器職人は粘土をその採取源から持ち去る時に必ず供物を捧げます。
種をまくために土地を耕す際は、パチャママへの供物として女性をかたどった小さな魔除けを埋めます。
崇拝の儀式と供物
チャジャ(ch’alla)の儀式
アンデスに住む人々は、祝い事や祭りの時に酒を飲む際、グラスから少量の酒を地面にこぼしてから飲む習慣があります。
これは、良い酒ができたことをパチャママに報告し感謝するための儀礼で、「チャジャ(challa)」と呼ばれています。
ケチュア語で「チャジャイ(ch’allay)」や「チャジャクイ(ch’allakuy)」という言葉は、「繰り返し振りかける」という意味があります。
現在の農民たちの言葉では、チャジャルは「大地に食物を与え、飲ませる」という意味で使われています。
特にトウモロコシを発酵させて作るチチャという酒は、飲む前にパチャママに捧げる(地面に少しこぼす)のが礼儀とされています。
室内で床が汚れるのを避けたい場合は、酒を指先に少しつけて1滴程度を床にたらすこともあります。
供物の種類
パチャママへの供物には様々なものがあります。
伝統的な供物としては、以下のようなものが挙げられます。
コカの葉は、アンデス地域で神聖視される植物で、パチャママへの主要な供物の一つです。
チチャ(トウモロコシの発酵酒)やワインなどの酒類も捧げられます。
リャマやアルパカなどの家畜を犠牲にし、その血を大地に流すこともあります。
リャマの胎児は、大地を肥沃にし、収穫が絶えないようにするための特別な供物とされています。
その他、香料、獣脂、果物、穀物、菓子類なども供物として使われます。
現代では、「デスパチョ(despacho)」と呼ばれる特別な供物の包みを作ることもあります。
これは、様々な象徴的な品物を色とりどりの布に包んだもので、シャーマンや「ヤティリ(yatiri)」と呼ばれるアイマラ族の司祭が準備します。
儀式の実施
儀式は通常、コミュニティの中で年長者や道徳的権威を持つ人々によって執り行われます。
アイマラ族の場合、この役割を担うのが「ヤティリ」と呼ばれる伝統的な司祭です。
儀式は特別な機会に行われます。
例えば、旅立ちの際、アパチェタ(石塚)を通過する時、種まきや収穫の時期などです。
儀式の際には、ケチュア語やアイマラ語で祈りが捧げられます。
「パチャママ、聖なる大地よ、あなたの豊かで寛大な子宮が、私たちのリャマのための牧草を与えてくださるように」といった祈りが唱えられます。
聖母マリアとの習合
スペインによる征服後、アンデス地域にカトリック教が強制的に導入されました。
スペイン人はカトリシズムを押し付け、現地の信仰を「異端」として暴力的に抑圧し、土着の宗教的シンボルを徹底的に破壊しました。
しかし、パチャママ信仰は完全には消滅しませんでした。
多くの先住民にとって、聖母マリアの姿はパチャママの姿と結びつきました。
この宗教的融合、つまりシンクレティズムにより、パチャママ信仰は形を変えながら生き延びたんです。
現在でも、パチャママと聖母マリアは多くのアンデスのコミュニティで重ね合わされています。
教会での聖母マリアへの祈りと、伝統的なパチャママへの供物が並行して行われることも珍しくありません。
この習合には、保守的なカトリック信者との間で対立が生じることもあります。
2019年には、ローマのバチカンで開催された「アマゾン・シノドス」という会議の際、サンタ・マリア・イン・トランスポンティーナ教会でパチャママ像が展示され、儀式が行われました。
これに対し、保守派の男性がパチャママ像を盗み出し、テヴェレ川に投げ込むという事件が起きました。
このような事件は、カトリック信仰と土着の信仰との間の緊張関係を示しています。
しかし、バチカン側もヨハネ・パウロ2世以降、宗教間対話を推進しており、パチャママ信仰を含む土着の信仰への理解を深めようとしています。
現代における信仰
継続する伝統
スペインの植民地支配以降、信教の自由が認められるようになってからも、インカ神話の他の神々への信仰は目立たなくなりました。
しかし、パチャママへの信仰は広い地域で存続しています。
特にペルー、ボリビア、エクアドル、アルゼンチン北部、チリ北部のアンデス地域では、今でも多くの人々がパチャママを崇拝しています。
ケチュア族、アイマラ族、そしてその子孫たちは、伝統的なパチャママ信仰とカトリックの宗教を組み合わせることが一般的になっています。
母なる大地への儀式や供物は、キリスト教の祭事や行為と並行して行われることも多いんです。
都市部への広がり
近代化の波とともに、都市部の若者たちは宗教に関心を抱かなくなり、伝統的な信仰は徐々に薄れつつあるという側面もあります。
しかし、移住によって多くの先住民が都市部に移り住んだことで、パチャママ信仰は都市部にも広がりました。
ブエノスアイレスのような大都市でも、パチャママへの供物の習慣が見られることがあります。
例えば、飲み物を飲む前に少量を地面にこぼすことを「パチャのために(antes para la pacha)」と言いながら行う人もいます。
ニューエイジ運動との結びつき
20世紀後半以降、アンデスの白人やメスティーソ(混血)の人々の間で、ニューエイジ運動の一環としてパチャママ崇拝が発展しました。
これは「女神ムーブメント(Goddess movement)」と呼ばれる信仰で、毎週日曜にケチュア語でパチャママに祈りを捧げます。
祈りはスペイン語で表されることもあります。
彼らは寺院を持ち、その中には大きな石にメダリオンがついたものがあり、ニューエイジグループとその信念を象徴しています。
石の右側には土を入れた椀が置かれ、母なる大地としてのパチャママの地位を表しています。
環境保護のシンボル
現代では、パチャママは環境保護や持続可能な開発のシンボルとしても注目されています。
多くの先住民コミュニティは、環境問題への懸念をパチャママへの敬意と結びつけています。
気候変動、環境破壊、生物多様性の喪失といった課題に直面する現代において、パチャママが象徴する「人間と自然の密接な関係」という価値観は、アンデス地域を超えて広く共感を呼んでいます。
パチャママは、私たちが地球の一部であり、地球を大切にしなければならないという考え方を体現しているんです。
パチャママの日(8月1日)
8月の重要性
8月1日はパチャママの日とされ、アンデスの人々にとって最も重要な祭日の一つです。
8月は、アルティプラノ高原における最大の苦難の月とされています。
冬の終わりにあたるこの時期は、風が強く乾燥した気候と凍えるような寒さのため、生活条件が最も困難になるんです。
8月は「母なる大地パチャママに食物を捧げる」時であり、農耕と牧畜における新たな年の始まりとされています。
アンデスの世界観では、この時期にパチャママは空腹で喉が渇いていると考えられており、それがこの祭りの主な理由です。
儀式の内容
パチャママの日の儀式は地域によって多少の違いがありますが、基本的な流れは共通しています。
7月31日の準備
7月31日は「召喚の日」とされ、家、畑、家畜小屋を煙でいぶして悪霊を追い払います。
人々は白と黒の糸を編んだリャマの毛のコードを身につけます。
これらのコードは足首、手首、首に巻きつけられ、パチャママの罰を避けるためのものです。
8月1日の儀式
8月1日の朝は非常に忙しい日です。
馬に蹄鉄を打ったり、家畜に焼印を押したり、羊に色のついた毛糸で印をつけたりします。
この日、農民たちは大地を休ませるために土地を耕しません。
代わりに、支払いの儀式が行われます。
儀式は、大地に穴を掘ることから始まります。
そこに、パチャママが人々に与えてくれた産物、つまり調理された食物、コカの葉、ワイルロの種子、チチャ・デ・ホラ(トウモロコシの発酵酒)、その他の飲み物を捧げます。
供物は調理されたものでなければならず、これは大地への敬意の印とされています。
すべての供物が穴に入れられると、それを覆い、コミュニティはその周りで踊り始めます。
この儀式は通常、年長者によって導かれます。
現在では、「パコ(Pako)」と呼ばれるアンデスの司祭が、色とりどりのマントの上で「ハイワスカ(haywasqa)」(大地への支払い)を行います。
祭りと祝宴
儀式の後、明け方まで続く祝宴、歌、踊りが行われます。
食事、音楽、ダンスを通じて、コミュニティの絆が強化され、自然への敬意が再確認されます。
ペルーのクスコでは、「パチャママ・ライミ(Pachamama Raymi)」、つまり「母なる大地の祭り」として8月の最初の週に盛大に祝われます。
人々は、一年を通して家族を支えてくれる作物への祝福に感謝して、母なる大地に敬意を表します。
地域ごとの習慣
地域によって独自の習慣もあります。
ボリビアのカチャリでは、「塩が大地を乾かさないように」豊穣を祈るために、一年の何日かは塩の入っていない食事をとる習慣があります。
これは、パチャママが豊穣だけでなく塩害をもたらす存在という見方を反映しています。
ボリビアのノルテポトシ地方で行われるティンクという祭りでは、殴り合って出た血をパチャママに捧げて(地面に吸わせて)豊穣を祈願するという伝統もあります。
崇拝の場所
パチャママを礼拝する場所は、自然の中にあります。
神聖な岩の配置、山々、「アパチェタ(apacheta)」と呼ばれる石塚が主な崇拝の場所です。
高地の雪山、最高峰、火山は特に神聖なものとされています。
なぜなら、アンデスの伝統宗教では、人間はもともと大地としてのパチャママから出現したとされているからです。
大地はパチャママの居る場所でもあるため、ここにパチャママの「大地」であり「神」であるという二元性が示されています。
これらの聖域は通常高い山々にあり、山々を旅することで自然の神聖性も高まっていくと考えられています。
洞窟などの山中の場所は崇拝の対象となっており、山から生まれる湧水や川も同様に神聖視されています。
家庭内でも、パチャママへの崇拝が行われます。
神聖な石、通常は赤い毛糸の輪で飾られた白い石英が家に置かれ、パチャママの保護を示しています。
全体として、自然こそがパチャママの神殿なんです。
他の神々との関係
パチャママは単独で崇拝されるだけでなく、他の神々とも結びついています。
母性を持つ大地の神パチャママに対して、父性を持つ天の神は「パチャカマック(Pachacamac)」と呼ばれます。
パチャカマックはしばしば太陽の神「インティ(Inti)」と同一視されることがあります。
パチャカマックやインティはインカの伝承の中では重要な神ですが、現在はパチャママほど信仰されているとは言えません。
アイマラ族の宇宙観では、パチャママは「マジュク(Mallku)」と「アマル(Amaru)」という二つの神と共に、社会と自然の認識における三位一体を形成しています。
これらの崇拝は、アイマラ族が行う最も古い形式の祭祀です。
また、パチャママは雷の神「イジャパ(Illapa)」や、野生動物や家畜の守護者である「アプス(Apus)」とも結びつくことがあります。
アプスは個々の重要な山々の精霊で、ポンチョを着た老人として表現されます。
ビクーニャの牧羊者である「コケナ(Coquena)」は、ビクーニャの世話と管理を行い、彼らを殺す者を罰します。
コケナはビクーニャのポンチョと衣服を着た小人として描かれます。
これらの神々は、パチャママを補佐し、特定の任務を担当したり、特定の地形の主人であったりします。


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