夜道を歩いていると、どこからともなく「ジャラジャラ」と鏡を引きずる音が聞こえてくる…。
振り返ると、そこには顔一面に白粉を厚く塗りたくった老婆が立っていたとしたら、あなたはどうしますか?
奈良県の山深い地域には、そんな不気味な妖怪「白粉婆(おしろいばばあ)」の伝承が残っているんです。
この記事では、白粉の神に仕えるとも言われる謎めいた妖怪「白粉婆」について、その姿や伝承を詳しくご紹介します。
概要

白粉婆は、奈良県吉野郡の十津川流域で語り継がれてきた老婆の姿をした妖怪です。
「白粉婆さん」とも呼ばれるこの妖怪は、江戸時代の妖怪絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)の『今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)』にもその姿が描かれています。
姿・見た目
石燕が描いた白粉婆の姿は、こんな特徴を持っているんです。
白粉婆の外見的特徴
- 体格:ひどく腰の曲がった老婆
- 頭:大きな破れ傘をかぶっている
- 右手:杖をついている
- 左手:酒徳利(さかどっくり)を持っている
- 服装:白い衣を身にまとっている
- 顔:白粉を分厚く、乱雑に塗りたくっている
十津川流域の伝承では、鏡をジャラジャラと引きずりながら現れるとされており、夜中に出くわすと非常に恐ろしく感じるものだといいます。
正体は白粉の神に仕える侍女?
石燕は『今昔百鬼拾遺』の中で、白粉婆についてこう解説しています。
「紅おしろいの神を脂粉仙娘(しふんせんじょう)と云う。おしろいばばは此の神の侍女なるべし」
つまり、白粉婆は「脂粉仙娘」という白粉(おしろい)の女神に仕える侍女だというわけなんですね。
酒徳利を持っているのは、寒さをしのぐためか、あるいは女神に捧げる酒を運んでいるのかもしれません。
伝承

白粉婆にまつわる伝承は、大きく分けて二つあります。
十津川流域の伝承
奈良県の十津川流域では、白粉婆は山中に棲む老婆の妖怪として語られてきました。
鏡を引きずる音とともに現れるという点が特徴的で、その不気味な姿から人々に恐れられていたようです。
面白いことに、山中の妖怪である山姥(やまんば)や山女(やまおんな)にも、旅人に白粉をねだったり、里に下りて酒を買ったりする話が残っています。
白粉婆も酒徳利を持っていることから、これらの山の妖怪と何らかの関係があるのではないかと指摘されているんです。
長谷寺の白粉婆伝説
一方、同じ奈良県には全く異なる「白粉婆」の伝説も残っています。
こちらは室町時代の長谷寺(はせでら)を舞台にした、感動的な物語なんです。
長谷寺の白粉婆伝説のあらすじ
- 発端:天文6年(1537年)、長谷寺の座主・弘深上人が戦乱の世を良くするため、本堂いっぱいの大きさの観音菩薩の絵を描くことを発案
- 困難:全国から画僧たちが集まったが、足利将軍家の軍勢に穀物を徴発されてしまう
- 奇跡:井戸端で米を研ぐ娘が現れ、1粒の米を水につけると桶いっぱいに増やすという不思議な力で画僧たちを養う
- 真実:娘の顔は白粉を塗っていたが、苦労のせいで皺だらけの老婆のようになっていた。実は観音菩薩の化身だった
- 結末:画僧たちは仕事に打ち込み、見事な大画像を完成させた
この伝説の「白粉婆」は、妖怪ではなく観音菩薩の化身として描かれています。
現在でも長谷寺の境内には白粉婆を祀る堂があり、明治時代頃までは毎年正月に、この像に白粉を塗る行事が行われていたそうです。
能登の伝承について
民俗学者・藤沢衛彦の著書『図説民俗学全集』には、石川県能登地方でも雪の夜に酒を求めて現れる白粉婆がいると記されています。
ただし、実際には能登地方にそのような伝承の存在は確認されておらず、藤沢が『今昔百鬼拾遺』の絵から連想して創作したものではないかと指摘されているんです。
まとめ
白粉婆は、奈良県十津川流域に伝わる不思議な老婆の妖怪です。
重要なポイント
- 奈良県吉野郡十津川流域で語り継がれる妖怪
- 鏡をジャラジャラ引きずりながら現れる
- 顔には白粉を厚く塗っている
- 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれている
- 白粉の神「脂粉仙娘」に仕える侍女とされる
- 山姥や山女との関連が指摘されている
- 長谷寺には観音菩薩の化身としての別伝説がある
同じ「白粉婆」という名前でも、山中の妖怪と観音菩薩の化身という、全く異なる二つの姿が伝わっているのは興味深いですね。
白粉を塗った老婆という共通点だけで結びついたのか、それとも何か深い関係があるのか…その謎は今も解き明かされていません。
参考文献
- 鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』(高田衛監修・稲田篤信編)
- 藤沢衛彦『図説日本民俗学全集』(民俗学研究所編)

コメント