夜の寺で眠っていると、突然誰かに名前を呼ばれる…。
目を開けると、そこには黒い鳥のような何かが羽ばたいていた。
これは江戸時代の怪談集に残る、ある男の恐ろしい体験談なんです。
その正体は「陰摩羅鬼(おんもらき)」という、死者の気から生まれる怪鳥でした。
この記事では、中国と日本の古書に登場する不気味な妖怪「陰摩羅鬼」について、その姿や特徴、恐ろしい伝承を詳しくご紹介します。
概要

陰摩羅鬼(おんもらき)は、中国や日本の古い書物に登場する怪鳥の妖怪です。
仏教の経典『大蔵経(だいぞうきょう)』によると、新しい死体から立ち込める「気」が変化して生まれた存在だとされています。
つまり、人が亡くなった直後に発生する霊気のようなものが、鳥の姿をとって現れるということなんですね。
特に、十分な供養を受けていない死体がある場所や、お経を読むことを怠っている僧侶のもとに現れるとも伝えられています。
江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)も、妖怪画集『今昔画図続百鬼(こんじゃくがずぞくひゃっき)』にこの陰摩羅鬼を描いており、古くから人々に知られた妖怪だったことが分かります。
姿・見た目
陰摩羅鬼の外見は、とにかく不気味で薄暗い印象を与えるものなんです。
古い文献によると、その姿はこのように描写されています。
陰摩羅鬼の外見的特徴
- 体の形:鶴や鷺(さぎ)に似た鳥の姿
- 体の色:全身が黒い羽毛で覆われている
- 目:灯火のように赤く光っている
- 顔:人面鳥のように人間のような顔立ち
- 特殊能力:口から青い炎を吐くこともある
水辺にいる大型の鳥を想像してもらうと分かりやすいかもしれません。
ただし、その色は真っ黒で、目だけがギラギラと光っているという、なんとも恐ろしい姿をしているわけです。
特徴
陰摩羅鬼には、普通の鳥とは明らかに違う不思議な特徴があります。
陰摩羅鬼の主な特徴
- 人の言葉のように鳴く:鳴き声が人間の声に聞こえる
- 名前を呼ぶ:近くにいる人の名前を呼んで驚かせる
- けたたましい声:羽を震わせながら甲高く鳴く
- 青い炎:口から蒼い焔を吐くことがある
特に恐ろしいのは、眠っている人の名前を呼ぶという点でしょう。
「宅兵衛、宅兵衛…」と、まるで誰かが呼びかけているような声で人を起こすのです。
夜中に自分の名前を呼ばれて目を覚ましたら、そこに黒い怪鳥がいる…想像するだけでぞっとしますよね。
名前の由来
「陰摩羅鬼」という名前には、いくつかの説があります。
名前の由来として考えられる説
- 摩羅(まら)説:仏教で悟りを妨げる魔物「摩羅」に、「陰」と「鬼」の字を加えて魔物としての意味を強調したもの
- 混合説:障害を意味する「陰摩」と、恐ろしい鬼神「羅刹鬼(らせつき)」が組み合わさったもの
どちらの説にしても、仏教的な「魔」や「鬼」のイメージが込められているのは間違いありません。
「陰魔羅鬼」と表記されることもあり、死や闇に関わる不吉な存在であることを名前からも感じ取れます。
伝承

陰摩羅鬼の伝承は、中国と日本の両方に残されています。
どちらの話も、寺で仮置きされた死体が原因で怪鳥が現れるという共通点を持っているのが興味深いところです。
中国の伝承:崔嗣復の体験
中国の古書『清尊録(せいそんろく)』には、宋の時代の話が記録されています。
鄭州(ていしゅう)に崔嗣復(さいしふく)という人物がいました。
ある時、彼は都の外にある寺の宝堂の上で眠っていたところ、突然自分を叱りつけるような声で目を覚ましたのです。
見ると、そこには鶴のような姿で体が黒く、目が灯火のように光る怪鳥がいました。
崔が慌てて逃げ出すと、その怪鳥は姿を消してしまいます。
後で寺の僧侶に事情を尋ねると、「ここにそのような妖怪はいないが、数日前に死人を仮置きした」とのこと。
都に戻って詳しい人に聞くと、それは新しい死体の気が変化して生まれた「陰摩羅鬼」だと教えられたそうです。
日本の伝承:宅兵衛の体験
日本では、江戸時代の怪談集『太平百物語(たいへいひゃくものがたり)』に、陰摩羅鬼の話が収録されています。
山城国(やましろのくに)、現在の京都府にあたる西の京に、宅兵衛(たくべえ)という男が住んでいました。
ある夏の夜、宅兵衛は近くの寺の縁側でうたた寝をしていたのです。
すると、誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきます。
「宅兵衛、宅兵衛…」
驚いて目を覚ますと、羽をばたつかせている鳥がいました。
その鳥は鷺に似ているものの色は黒く、目は灯火のように光っている。そして鳴き声は、まるで人の言葉のようだったのです。
宅兵衛は恐ろしくなって急いでその場を離れ、すぐに寺の長老にこのことを伝えました。
長老はこう答えたそうです。
「ここにはそのような化け物はいないはずだが、最近、寺に死人が持ち込まれて仮置きしてある。おそらくそれが原因だろう。新しい死の気が変じて陰摩羅鬼になると、『蔵経』に書いてある」
中国の話と日本の話、時代も場所も違うのに、驚くほど似た内容になっているのが分かりますね。
なぜ寺に現れるのか?
陰摩羅鬼が寺に現れやすい理由は、当時の風習と関係しています。
昔は人が亡くなると、埋葬や火葬の前に寺で遺体を一時的に安置することがありました。
この「仮置き」された新しい死体から立ち込める気、いわゆる積屍気(せきしき)が凝り固まって妖怪になるというわけです。
特に、きちんとした供養が行われていない場合や、僧侶がお経を読むことを怠っている場合に現れやすいとされています。
つまり陰摩羅鬼は、死者への供養の大切さを教える存在でもあったのかもしれません。
まとめ
陰摩羅鬼は、死者の気から生まれる不気味な怪鳥として、中国と日本の両方で語り継がれてきた妖怪です。
重要なポイント
- 新しい死体から発生する「気」が変化して生まれる
- 鶴や鷺に似た黒い鳥の姿で、目が赤く光る
- 人の言葉のように鳴き、名前を呼んで驚かせる
- 口から青い炎を吐くこともある
- 供養が不十分な死体がある寺に現れやすい
- 中国の『清尊録』と日本の『太平百物語』に類似した伝承が残る
現代では火葬が一般的になり、遺体を長く安置することも少なくなりました。
そのため、陰摩羅鬼に出会う機会はほとんどないでしょう。
しかし、もし夜の寺で誰かに名前を呼ばれたら…それは死者の気が生み出した怪鳥かもしれません。
出典:
- 『太平百物語』太田翔校訂『百物語怪談集成』
- 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』稲田篤信・田中直日編
- 『清尊録』
- 『大蔵経』


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