はじめに:「オキナガタラシヒメ」って誰?
「オキナガタラシヒメ(息長帯比売命)」は、歴史と神話のあいだにいる、日本最強クラスの女性リーダーです。
別名は「神功皇后(じんぐうこうごう)」。
実在したとされるけれど、神話のようなエピソードもたくさん残っています。
神に選ばれた聖母のような存在でありながら、国を動かし、戦を指揮し、武勲に秀でた存在
―― それがオキナガタラシヒメなんです。
系譜:皇后であり、母でもあり、かみでもある

オキナガタラシヒメは、第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后です。
- 夫:仲哀天皇(ちゅうあい)
- 子:応神天皇(おうじんてんのう)
ただし、現代の歴史学では仲哀天皇と神功皇后の実在性については議論があります。
『古事記』や『日本書紀』に記された彼女の活躍は、後世に作られた物語である可能性もあるとされています。
伝承によれば、応神天皇は、ホンダワケのちの八幡神(はちまんしん)としても有名!
つまり、オキナガタラシヒメは「神の母」という立場でもあるんですね。
神格:信仰されまつられる女帝
オキナガタラシヒメは、「息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)」として神格化され、全国の神社にまつられるようになります。
- 武芸
- 聖母
武の力と母の力、そして神の声を聞く巫女的存在であったとされています。
神話:三韓征伐と神託の物語

オキナガタラシヒメといえば、やはり有名なのが「三韓征伐(さんかんせいばつ)」という伝説。
伝説の流れ
- 仲哀天皇が新羅を討つために筑紫(九州北部)へ行ったとき、神から「新羅ではなく、西の海の向こうの金銀財宝の豊かな国を取りなさい」というお告げがあった
- 仲哀天皇はこれを信じず、まもなく急死
- 妊娠中のオキナガタラシヒメが、神託を受けて軍を率いることに
- お腹に石を巻いて(出産を遅らせるための呪い)、船で朝鮮半島(当時の三韓)へ向かう
- 朝鮮半島の平定
- 帰国後、応神天皇を出産
妊婦でありながら、自ら戦を率い、遠征してして勝ってくるという偉業の伝説。
神社とご利益:オキナガタラシヒメをまつる場所

オキナガタラシヒメは、全国に多くの神社でまつられています。とくに有名な場所はこちらです!
- 宇美八幡宮(うみはちまんぐう)|大分県
- 香椎宮(かしいぐう)|福岡県
- 住吉大社(すみよしたいしゃ)|大阪府
以下は、彼女のご利益。
- 安産・育児
- 戦い・仕事での勝利
- 家内安全
勝ち運や聖母に関したご利益がある」。
番外編:卑弥呼と同一人物説って本当?
一部の研究者の間では、「オキナガタラシヒメ=卑弥呼では?」という説もあります。
その理由は…
- 神託を受ける巫女的な立場
- 男性がいない間に国を治めた
- 朝鮮半島との外交・軍事的つながり
- 実在と神話の間にいる不思議な存在
あくまで仮説ですが、卑弥呼との共通点がいくつかあります。
歴史と神話の間で
オキナガタラシヒメの物語は、歴史的事実と神話的要素が混ざり合っています。
- 歴史的側面: 古代の日本と朝鮮半島の交流を示す記録がある
- 神話的側面: 長期間(数年)の妊娠、神の声を聞くなど超自然的な要素が多い
現代の歴史学では、『古事記』や『日本書紀』に書かれた内容をそのまま史実とは考えませんが、それでも彼女の物語には驚きの事実が隠されているかもしれません。
まとめ:オキナガタラシヒメは”神にも愛された最強の女性リーダー”
最後に、この記事のまとめをどうぞ!
- 仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母
- 神託を受けて軍を率い、「三韓征伐」を成功させた
- 全国の神社で「聖母・勝運」の神として信仰されている
- 卑弥呼との関連性も指摘される
“ただの女帝”ではなく、”神とつながる女帝”だった。
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