春の夜、ぼんやりと霞んだ月明かりの中で、どこからともなく車輪の軋む音が聞こえてきたら…あなたはどうしますか?
平安時代の京都では、そんな不気味な音とともに、恐ろしい姿の妖怪が現れたという伝説が残っています。
その名も「朧車(おぼろぐるま)」。牛車に巨大な顔がついた、なんとも奇妙な妖怪なんです。
この記事では、江戸時代の妖怪画集に描かれた不思議な妖怪「朧車」について、その姿や伝承を分かりやすくご紹介します。
概要

朧車は、江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕(とりやませきえん) が妖怪画集『今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)』に描いた日本の妖怪です。
その姿は、半透明の牛車の前面に巨大な顔がついているという、かなりインパクトのあるもの。本来なら簾(すだれ)がかかっている場所に、大きな顔がドンとあるんですね。
朧車の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』 |
| 分類 | 付喪神(器物の妖怪) |
| 出没場所 | 京都・賀茂の大路 |
| 出現時間 | 朧月夜(春のぼんやりした月夜) |
「朧(おぼろ)」というのは、春の夜に月や景色がぼんやり霞んで見える様子のこと。そんな幻想的な夜に現れるから「朧車」という名前がついたのでしょう。
では、なぜこんな妖怪が生まれたのでしょうか? その答えは、平安時代の貴族文化にありました。
伝承

石燕が記した原典の内容
鳥山石燕は『今昔百鬼拾遺』の中で、朧車についてこう記しています。
「むかし賀茂の大路をおぼろ夜に車のきしる音しけり。出でみれば異形のもの也。車争の遺恨にや」
現代語に訳すと、「昔、京都の賀茂の大路で、朧月夜に車の軋む音がした。外に出てみると、異形のものがいた。車争いの恨みが残ったものだろうか」という意味になります。
車争いとは?
車争い(くるまあらそい) というのは、平安時代に祭礼の見物席をめぐって、貴族たちの牛車が場所を取り合った出来事のことです。
今でいえば、人気イベントの駐車場争いや、花火大会の場所取りをイメージすると分かりやすいかもしれません。当時の貴族にとって、良い場所で祭りを見物できるかどうかは、メンツに関わる大問題だったんですね。
源氏物語との関係
車争いといえば、『源氏物語』に登場する有名なエピソードがあります。
葵祭の車争い事件
- 光源氏の正妻・葵の上と、元恋人・六条御息所の牛車が鉢合わせ
- 見物の場所をめぐって両者の従者が争いに
- 六条御息所の車が押しのけられ、大恥をかかされる
- この恨みが生霊となり、葵の上を苦しめる
この有名な話が朧車のもとになったという説があります。敗れた貴族の怨念が牛車に取り憑き、妖怪となったというわけですね。
百鬼夜行との関連
実は、朧車に似た姿の妖怪は、石燕より前の時代から描かれていました。
室町時代頃から制作されていた『百鬼夜行絵巻』には、牛車に天狗のような顔がついた化け物が登場します。石燕はこの絵巻を参考に、「朧車」という名前と物語を与えたのではないかと考えられています。
また、『宇治拾遺物語』には、賀茂祭りの見物のために作られた桟敷屋(さじきや)に泊まった男が怪異に遭遇する話があり、これも朧車のイメージに影響を与えたとされています。
現代にも通じる怨念の形
人間の怨みが場所に留まったり、物に宿ったりするという考え方は、日本では古くから信じられてきました。
現代でも「事故多発地帯で誰も乗っていない車を見た」なんて怪談がありますよね。これも朧車と同じ発想といえるでしょう。
時代が変わっても、人の怨みというものは変わらない——朧車は、そんな普遍的な感情を象徴する妖怪なのかもしれません。
まとめ
朧車は、平安時代の貴族社会に渦巻いていた怨念を象徴する妖怪です。
重要なポイント
- 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれた牛車の妖怪
- 牛車の前面に巨大な顔がついた不気味な姿
- 京都・賀茂の大路に朧月夜に現れたとされる
- 車争いの遺恨が妖怪化したもの(付喪神の一種)
- 『源氏物語』の六条御息所のエピソードが元になったという説も
- 室町時代の『百鬼夜行絵巻』にも類似の姿が描かれている
春の朧月夜、どこからか車輪の軋む音が聞こえてきたら…それは遠い昔の恨みが、今もさまよっているのかもしれませんね。
参考文献
- 鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』
- 鳥山石燕『画図百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編
- 『宇治拾遺物語』
- 『源氏物語』


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