「九偉人」という言葉を聞いたことはありますか?
アレクサンドロス大王やカエサル、アーサー王といった歴史的英雄たちを指す中世ヨーロッパの概念です。
実は彼らには「女性版」が存在するんです。
中世の人々は、男性だけでなく女性の英雄たちも讃えていました。
この記事では、あまり知られていない「女性版 九偉人」について詳しく解説していきます。
九偉人とは?まずは男性版を簡単におさらい

本題に入る前に、元祖「九偉人」について軽く触れておきましょう。
九偉人(仏:Les Neuf Preux、英:Nine Worthies)は、1312年にフランスの詩人ジャック・ド・ロンギヨンが著した『孔雀の誓い』で初めて登場しました。
騎士道の理想を体現する9人の英雄として選ばれたのは、以下の面々です。
異教徒(古代の英雄)
- ヘクトール(トロイア戦争の英雄)
- アレクサンドロス大王
- ユリウス・カエサル
ユダヤ人(旧約聖書)
- ヨシュア
- ダビデ
- ユダ・マカバイ
キリスト教徒(中世)
- アーサー王
- シャルルマーニュ(カール大帝)
- ゴドフロワ・ド・ブイヨン
中世ヨーロッパでは、この9人が絵画やタペストリー、彫刻のモチーフとして大人気でした。
トランプの絵札のモデルになった人物もいるほどなんですよ。
女性版 九偉人の誕生
さて、ここからが本題。
中世の人々は「対称性」が大好きでした。
男性に9人の偉人がいるなら、女性にもいるべきだ——そんな発想から14世紀後半に生まれたのが「女性版 九偉人」です。
フランス語では「Les Neuf Preuses(レ・ヌフ・プルーズ)」と呼ばれます。
面白いのは、男性版が地域を問わずほぼ同じメンバーだったのに対し、女性版は作者や時代によってメンバーがバラバラだったこと。
これは当時の社会が「女性の偉大さ」をどう定義すべきか、まだ模索中だったことを示しているのかもしれません。
代表的な「女性版 九偉人」のリスト
ハンス・ブルクマイアー版(1516年)
ドイツの版画家ハンス・ブルクマイアーが制作した木版画シリーズは、男性版と同じく「異教徒・ユダヤ人・キリスト教徒」の3つに分類された、最も体系的なリストとして知られています。
異教徒(古代ローマ)
- ルクレティア — 暴君に辱められた後、自ら命を絶ち、その死がローマの王政打倒のきっかけに
- ウェトゥリア — 息子コリオラヌスを説得してローマを救った母
- ウィルギニア — 貞節を守るため父の手で命を落とし、その死が民衆蜂起を引き起こした
ユダヤ人(旧約聖書)
- エステル — ペルシャ王妃となり、ユダヤ人絶滅の陰謀を阻止
- ユディト — 敵将ホロフェルネスの首を斬り、イスラエルを救った未亡人
- ヤエル — カナン人の将軍シセラを天幕の杭で殺害した女戦士
キリスト教徒(聖女)
- 聖ヘレナ — コンスタンティヌス大帝の母、聖地で「真の十字架」を発見
- 聖ビルギッタ(スウェーデンの聖ブリジット) — ビルギット修道会の創設者
- 聖エリーザベト(ハンガリーの聖エルジェーベト) — 貧しい人々への奉仕で知られる王女
興味深いのは、この3グループの「偉大さの基準」がまったく違うこと。
異教徒の女性たちは「貞節」で讃えられ、ユダヤ人の女性たちは「敵を倒した勇気」で、キリスト教徒の女性たちは「信仰と慈善」で選ばれています。
ウスタシュ・デシャン版(14世紀後半)
フランスの詩人デシャンは、より「戦士的」な女性たちを選びました。
- ペンテシレイア — アマゾネスの女王、トロイア戦争でアキレウスと戦った
- トミュリス — マッサゲタイ族の女王、ペルシャ王キュロス2世を討ち取った
- セミラミス — 伝説のアッシリア女王、広大な帝国を築いた
このリストには聖書の人物が含まれておらず、全員が「武勇」で知られる女性たちです。
サルッツォ侯トマーゾ3世版(15世紀初頭)
イタリアの貴族トマーゾ3世のリストは、さらにユニーク。
アマゾネスの女王たちがずらりと並びます。
デイフィレ、シノペ、ヒッポリュテ、メラニッペ、セミラミス、ランペト、タミュリス、テウカ、ペンテシレイア——なんと9人中8人がアマゾネスに関係する女性でした。
人気の女傑たちをピックアップ

複数のリストに登場する人気の女傑たちを詳しく見ていきましょう。
ペンテシレイア — アマゾネスの女王
ギリシャ神話に登場するアマゾネスの女王です。
軍神アレスを父に持ち、女だけの戦士国家を率いていました。
トロイア戦争の末期、彼女はトロイア側の援軍として参戦。
ギリシャ軍の英雄たちを次々と打ち倒す活躍を見せますが、最終的には最強の戦士アキレウスとの一騎打ちに敗れます。
伝説によると、アキレウスは彼女を倒した瞬間、その美しさに心を奪われ、殺してしまったことを深く後悔したとか。
それを笑った味方の兵士を、怒りのあまり殺してしまったという話も残っています。
トミュリス — 大王を討った女王
紀元前6世紀、中央アジアの遊牧民族マッサゲタイを率いた女王です。
当時最大の帝国を築いたペルシャのキュロス2世から求婚されますが、「あなたが欲しいのは私ではなく、私の王国でしょう」と見抜いて拒否。
激怒したキュロスは軍を率いて侵攻してきました。
最初の戦いでは、ペルシャ軍の策略にはまり、息子を失うという悲劇に見舞われます。
しかしトミュリスは復讐を誓い、決戦でペルシャ軍を壊滅させ、キュロス自身も討ち取りました。
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスによれば、彼女はキュロスの首を切り落とし、血で満たした革袋に投げ込んでこう言ったそうです。
「血に飢えたお前に、たっぷり血を飲ませてやる」——なかなか壮絶ですね。
ユディト — 敵将を斬った未亡人
旧約聖書外典『ユディト記』の主人公です。
アッシリア軍に包囲され、降伏寸前だったイスラエルの町ベトリア。
美しい未亡人ユディトは「私に任せて」と単身で敵陣に乗り込みます。
敵将ホロフェルネスに取り入り、4日目の夜、酔いつぶれた彼の首を自分の剣で斬り落としました。
その首を持ち帰ったことで町は奮起し、指導者を失ったアッシリア軍は敗走——イスラエルは救われたのです。
ルネサンス期には、カラヴァッジョやアルテミジア・ジェンティレスキなど多くの画家がこの場面を描きました。
男性版との違い
女性版九偉人を見ていくと、男性版との興味深い違いが浮かび上がってきます。
選出基準の違い
男性版が全員「戦場での武勇」で選ばれているのに対し、女性版の選出理由はさまざま。
「貞節を守った」「知恵で敵を倒した」「信仰に生きた」など、時代や作者によって「女性の偉大さ」の定義が揺れていたことがわかります。
標準化の程度
男性版は地域を問わずほぼ同じ9人でしたが、女性版は作者ごとにメンバーが違います。
これは、当時の社会が女性の功績をどう評価すべきか、まだコンセンサスがなかったことを示しているのでしょう。
戦いとの関わり方
男性版が直接的な戦闘で活躍したのに対し、女性版では「説得で戦争を止めた」「暗殺で敵を倒した」など、間接的な関わり方が目立ちます。
ただし、アマゾネスの女王たちのように、男性と同等に戦場で戦った女性も選ばれています。
現代への影響
女性版九偉人は、現代でも様々な形で影響を与えています。
美術作品
フランスのピエールフォン城には、19世紀に復元された「九偉人」と「女性版九偉人」の彫像が並んでいます。
イタリアのマンタ城には、15世紀初頭に描かれた九偉人(男女両方)のフレスコ画が現存しています。
ゲーム・エンターテインメント
ストラテジーゲーム『シヴィライゼーション6』では、トミュリスがスキタイ文明の指導者として登場。
2019年にはカザフスタンで映画『トミリス』が製作され、彼女の生涯が描かれました。
フェミニズムの文脈で
「女性も偉大な業績を残してきた」という歴史的証拠として、現代のフェミニズム研究で取り上げられることもあります。
女性版 九偉人 一覧表
複数の文献に登場する「女性版九偉人」の候補者たちをまとめました。
| 名前 | 分類 | 概要 | 主な出典 |
|---|---|---|---|
| ペンテシレイア | 異教徒 | アマゾネスの女王。トロイア戦争でアキレウスと戦い敗死 | デシャン版、サルッツォ版、マンタ城フレスコ画 |
| トミュリス | 異教徒 | マッサゲタイ族の女王。ペルシャ王キュロス2世を討ち取った | デシャン版、サルッツォ版、マンタ城フレスコ画 |
| セミラミス | 異教徒 | 伝説のアッシリア女王。広大な帝国を築いたとされる | デシャン版、サルッツォ版、マンタ城フレスコ画 |
| ヒッポリュテ | 異教徒 | アマゾネスの女王。ヘラクレスの12の功業に関わる | サルッツォ版 |
| ランペト | 異教徒 | アマゾネスの女王。アジアとヨーロッパを征服したとされる | サルッツォ版、マンタ城フレスコ画 |
| テウカ(テウタ) | 異教徒 | イリュリアの女王。ローマと戦った | サルッツォ版、マンタ城フレスコ画 |
| ルクレティア | 異教徒 | 古代ローマの貴婦人。暴行を受けた後自害し、王政打倒のきっかけに | ブルクマイアー版、『九偉人の勝利』 |
| ウェトゥリア | 異教徒 | コリオラヌスの母。息子を説得してローマを救った | ブルクマイアー版 |
| ウィルギニア | 異教徒 | 古代ローマの少女。貞節を守り、父の手で命を絶った | ブルクマイアー版 |
| エステル | ユダヤ人 | ペルシャ王妃。ユダヤ人絶滅の陰謀を阻止 | ブルクマイアー版、『九偉人の勝利』 |
| ユディト | ユダヤ人 | ベトリアの未亡人。敵将ホロフェルネスを斬首 | ブルクマイアー版、『九偉人の勝利』、ほぼ全てのリスト |
| ヤエル | ユダヤ人 | カナン人の将軍シセラを天幕の杭で殺害 | ブルクマイアー版 |
| デボラ | ユダヤ人 | イスラエルの女士師。バラクと共にカナン軍を破った | 一部のイングランド版 |
| 聖ヘレナ | キリスト教徒 | コンスタンティヌス大帝の母。聖地で「真の十字架」を発見 | ブルクマイアー版 |
| 聖ビルギッタ | キリスト教徒 | スウェーデンの聖女。ビルギット修道会の創設者 | ブルクマイアー版 |
| 聖エリーザベト | キリスト教徒 | ハンガリーの聖女。慈善活動で知られる王女 | ブルクマイアー版 |
| ブーディカ | キリスト教徒(異教徒とも) | ブリタニアの女王。ローマに対する反乱を指導 | 『九偉人の勝利』、一部のイングランド版 |
| 聖クロティルド | キリスト教徒 | フランク王クローヴィス1世の王妃。夫をキリスト教に改宗させた | 『九偉人の勝利』 |
まとめ
- 「女性版 九偉人」は14世紀後半、男性版に対応する形で生まれた
- 男性版と違い、メンバーは標準化されておらず、作者によって異なる
- 代表的な人物には、ペンテシレイア、トミュリス、ユディトなどがいる
- ハンス・ブルクマイアー版(1516年)が最も体系的なリストとして知られる
- 現代でも美術やゲームなど、様々な形で影響を与え続けている
中世の人々が「女性の偉大さ」をどう捉えていたのか——女性版九偉人は、その興味深い窓口になっています。
武勇、知恵、貞節、信仰……様々な形で讃えられた女傑たちの物語、ぜひ覚えておいてくださいね。


コメント