古代メソポタミアの都市で、戦の勝利と豊作を同時に祈る人々がいました。
彼らが崇めていたのは、戦場では敵を打ち破る強力な戦士、平時には恵みの雨をもたらす農耕の守護者という二つの顔を持つ神でした。
その神の名は「ニンギルス」。シュメール最古の神々の一人として、数千年もの間、人々の信仰を集め続けた存在です。
この記事では、戦と農耕という一見相反する力を併せ持つ神ニンギルスについて、その姿や特徴、興味深い神話を分かりやすくご紹介します。
概要

ニンギルスは、古代メソポタミア南部の都市国家ラガシュの守護神として崇められた神様です。
シュメール語で「ギルスの主人」という意味の名前を持ち、紀元前3千年紀(約5000年前)にはすでに信仰されていた、メソポタミア最古の神々の一柱なんです。
ニンギルスの最大の特徴は、戦争の神でありながら同時に農耕と豊穣の神でもあるという二面性。戦場では勇猛な戦士として敵を打ち破り、平和な時には雨をもたらして作物を育てる存在として崇拝されました。
特に有名なのは、ラガシュ王グデア(在位:紀元前2143年〜前2124年)による篤い信仰です。グデアはニンギルスのために「エニンヌ(50の”メ”の家)」という壮大な神殿を建設し、その功績は粘土板に詳しく記録されています。
系譜
ニンギルスの家系図は、まさに神々の名門といえるものです。
両親
- 父親:エンリル(大気と嵐の主神)またはアヌ(天空神)
- 母親:ガトゥムドゥ(地母神)、ニンマフ、またはニンリル
兄弟姉妹
ニンギルスには優れた兄弟姉妹がいます。
- ニサバ:書記術の女神(文字や記録を司る)
- ナンシェ:河川・魚・鳥の女神(ラガシュの二市の守護女神でもある)
- ナンナ:月の神
- ネルガル:冥界の神
配偶者と子供
- 妻:バウ(医療と治癒の女神)
- 息子:シュルシナガナ、イグ・アリマ
バウとの間に生まれた子供たちは、両親の神聖な血筋を受け継いでいます。ラガシュでは、ニンギルスとバウのカップルが豊穣儀式の中心的存在として祀られていました。
姿・見た目

ニンギルスの姿は、まさに強大な戦士そのものです。
基本的な外見
- 人間の姿をした男性神として描かれる
- 筋骨隆々とした戦士の体格
- 時には鷲の頭を持つ姿で表現される(アッシリア時代)
- 神々しい光を放つ存在
シンボルと持ち物
ニンギルスには特徴的なシンボルがいくつもあります。
主要なシンボル
- 鋤(すき):農耕神としての側面を表す
- 止まり木の鳥:神の使いとしての鳥
- ライオン:戦いの勇猛さの象徴
- イムドゥグド(怪鳥アンズーと同一視される聖なる鳥)
特に有名なのは、喋る棍棒「シャルル」という武器。これは意志を持った武器で、ニンギルスと会話しながら敵を打ち破ったとされています。
特徴
ニンギルスの性格と能力は、まさに文武両道の極みです。
戦神としての側面
- 敵を圧倒する無敵の戦士
- 正義のために戦う神々の擁護者
- 悪魔や怪物を退治する英雄
農耕神としての側面
- 雨と嵐を司り、大地に恵みをもたらす
- 農民に農業の知恵を授ける
- 川の流れを整えて灌漑を可能にする
特別な能力
ニンギルスには他の神にはない特徴があります。それは、個人的な願いを聞かないということ。王であっても、ニンギルスへの祈願は国家的な事柄に限られていました。戦争の勝利、豊作、国の繁栄といった公的な願いだけを聞き入れたんです。
また、夢を通じて宣託を与えることでも知られていました。ラガシュの王たちは、重要な決定をする前に必ずニンギルスの夢占いを受けたといわれています。
伝承

ニンギルスにまつわる神話は、メソポタミア文学の中でも特に壮大で面白いものばかりです。
悪魔アサグとの戦い(ルガル・エ神話)
ニンギルスの最も有名な冒険譚がこれです。
アサグという恐ろしい悪魔が現れ、病気を広め、川を毒で汚染していました。アサグは石の戦士たちの軍隊を率いて、世界を混乱に陥れていたんです。
ニンギルスは喋る棍棒シャルルと共にアサグに立ち向かいます。
激しい戦いの末、ニンギルスは勝利を収めました。そして素晴らしいことに、倒した石の戦士たちを使って山を築き、川の流れを整えてティグリス川とユーフラテス川を灌漑に適したものに作り変えたんです。
つまり、戦いの勝利が直接的に農業の発展につながったという、ニンギルスの二面性を完璧に表現した神話なんですね。
怪鳥アンズーとの対決
もう一つの有名な神話が、天命の書板を盗んだ怪鳥アンズーとの戦いです。
アンズーは父エンリルから主神権を与える聖なる粘土板「天命の書板」を盗み出しました。この書板の力で、ニンギルスの矢は空中で分解され、元の材料に戻ってしまいます。
苦戦するニンギルスでしたが、エンキ神の助言を受けて南風を味方につけ、アンズーの翼を切り落として勝利。最終的に天命の書板を父エンリルに返還し、神々の英雄として讃えられました。
グデア王への宣託
歴史的な記録として残る伝承もあります。
ラガシュ王グデアは、夢の中でニンギルスから神殿建設の指示を受けました。その夢は非常に詳細で、神殿の設計図から建設方法まで、すべてが示されていたといいます。グデアはその指示通りにエニンヌ神殿を建設し、ラガシュは大いに繁栄しました。
この出来事は「グデアの円筒印章」という粘土の文書に詳しく記録されており、現在でも読むことができます。
起源・出典
ニヌルタとの関係
実は、ニンギルスには「ニヌルタ」という別名があります。
もともとニンギルスはラガシュの地方神でしたが、時代が下るにつれて、ニップルで崇拝されていた戦神ニヌルタと同一視されるようになったんです。特にアッシリア時代になると、ほぼ完全に「ニヌルタ」として知られるようになりました。
主要な聖地
- ラガシュのエニンヌ神殿:グデア王が建設した最も重要な聖地
- ギルス:ニンギルスの名前の由来となった都市
- カルフ:アッシリア時代の主要な崇拝地
文献資料
ニンギルスに関する記録は豊富に残されています。
主要な文献
- グデアの円筒印章:神殿建設の詳細な記録
- ルガル・エ:アサグ退治の叙事詩
- アンギム・ディンマ:ニップルへの凱旋を描いた詩
- 各種の粘土板文書:ラガシュで発見された多数の碑文
後世への影響
興味深いことに、ニンギルス(ニヌルタ)は旧約聖書の「ニムロド」のモデルになった可能性が指摘されています。「勇敢な狩人」として描かれるニムロドとニヌルタには、多くの共通点があるんです。
また、列王記に登場する「ニスロク」という神も、実はニヌルタの誤記ではないかという説があります。
19世紀にカルフで発見された鷲頭人身の彫刻が「ニスロク」と呼ばれたこともありました。
まとめ
ニンギルスは、戦争と農耕という相反する力を併せ持つ、古代メソポタミアの偉大な守護神です。
重要なポイント
- ラガシュの都市神として5000年前から崇拝された
- 戦神でありながら農耕神でもある二面性を持つ
- エンリルの息子として神々の系譜に連なる
- 鋤とライオンをシンボルとし、聖鳥イムドゥグドを従える
- 悪魔アサグや怪鳥アンズーを退治した英雄神
- グデア王に夢で宣託を与えた預言の神
- 後にニヌルタと同一視され、アッシリアで広く信仰された
- 個人的願いは聞かず、国家の繁栄のみを司った
戦いに勝利することで平和をもたらし、その平和の中で農業を発展させる。ニンギルスは、古代メソポタミアの人々が理想とした、強さと恵みを併せ持つ完璧な守護神だったのかもしれませんね。


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