「日本って、いつ開国したの?」「不平等条約ってなんで不平等なの?」
こんな疑問を持ったことはありませんか? 実は日本の近現代史は、「条約」を追いかけるだけでその流れがスッキリ見えてくるんです。
黒船来航から始まった開国、苦難の条約改正、戦争を終わらせた講和条約、そして戦後の国際社会への復帰——。この記事では、日本史に登場する重要な条約を時代順に一覧で紹介し、それぞれのポイントをわかりやすく解説していきます。
条約で見る日本近現代史の流れ

日本史における条約は、大きく4つの時期に分けられます。
【幕末・開国期】
黒船来航をきっかけに、約200年続いた鎖国が終わります。しかし、ここで結ばれた条約は日本に不利な「不平等条約」ばかりでした。
【明治・大正期】
富国強兵を進めた日本は、不平等条約の改正に取り組む一方、日清・日露戦争を経て列強の仲間入りを果たします。
【昭和(戦前)】
国際連盟脱退や日独伊三国同盟など、日本は国際社会から孤立していきます。
【戦後】
敗戦後、サンフランシスコ平和条約で主権を回復。日米安保体制のもとで復興と高度経済成長を遂げました。
それでは、時代ごとに重要な条約を見ていきましょう。
【幕末・開国期】すべてはペリーから始まった
日米和親条約(1854年)──日本開国の第一歩
1853年、マシュー・ペリー率いる黒船4隻が浦賀沖に現れました。「泰平の眠りをさます上喜撰、たった四杯で夜も寝られず」という狂歌が詠まれるほど、日本中が大騒ぎになったんですね。
翌年、幕府はペリーの要求に屈し、日米和親条約(神奈川条約)を締結。これにより下田と箱館(函館)の2港を開き、約200年続いた鎖国に終止符が打たれました。
ただし、この時点ではまだ「貿易」は認められていません。あくまで船への燃料・水・食料の補給と、遭難船員の保護が目的でした。
日米修好通商条約(1858年)──不平等の始まり
本格的な「貿易」を認めたのが、この条約です。初代駐日アメリカ総領事ハリスと幕府が交渉し、大老・井伊直弼が天皇の許可(勅許)なしで調印に踏み切りました。
この条約の問題点は2つ。
- 領事裁判権(治外法権):日本で罪を犯した外国人を、日本の法律で裁けない
- 関税自主権の欠如:輸入品にかける税率を日本が自由に決められない
つまり、日本にとって圧倒的に不利な条約だったんです。しかもこの年、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約を締結。これらをまとめて「安政の五カ国条約」と呼びます。
この条約を押し通した井伊直弼は、反対派を弾圧した「安政の大獄」を断行しましたが、1860年に桜田門外の変で暗殺されてしまいました。不平等条約の改正は、その後50年以上にわたる日本の悲願となります。
日露和親条約(1855年)──北方領土問題の原点
ペリー来航の2年後、ロシアとの間でも条約が結ばれました。重要なのは、この条約で日露間の国境が初めて定められたこと。
択捉島と得撫島(ウルップ島)の間を国境とし、択捉島以南の千島列島は日本領、得撫島以北はロシア領と決まりました。樺太(サハリン)については国境を定めず、両国民の混住地とされました。
現在の北方領土問題を考える上で、この条約は重要な出発点になっています。
【明治・大正期】条約改正と戦争の時代
樺太千島交換条約(1875年)──領土の画定
明治政府は、曖昧だった樺太の帰属を明確にするため、ロシアと交渉。その結果、樺太全島をロシアに譲る代わりに、千島列島全島を日本領とすることで合意しました。
当時は「得したか損したか」の評価が分かれましたが、資源豊富な樺太を手放したことを悔やむ声も多かったようです。
日英通商航海条約(1894年)──陸奥宗光の大仕事
幕末以来の悲願だった条約改正。外務大臣・陸奥宗光はイギリスとの粘り強い交渉の末、ついに画期的な条約を締結しました。
この条約で、領事裁判権(治外法権)の撤廃に成功。日本で罪を犯した外国人を日本の法律で裁けるようになったのです。ただし、関税自主権は一部回復にとどまりました。
イギリスが譲歩した背景には、ロシアの南下政策に対抗するため、日本と良好な関係を築きたいという思惑がありました。この改正条約は1899年から施行され、他の欧米諸国とも同様の条約が結ばれていきます。
下関条約(1895年)──日清戦争の講和
日清戦争(1894〜95年)に勝利した日本は、下関(山口県)で清との講和交渉に臨みました。日本側全権は伊藤博文首相と陸奥宗光外相、清側全権は李鴻章でした。
条約の主な内容は次の通り。
- 清が朝鮮の独立を認める
- 遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に割譲
- 賠償金2億両(約3億円)を支払う
しかし、条約締結直後にロシア・フランス・ドイツが「三国干渉」を行い、遼東半島を清に返還するよう要求。日本はこれを受け入れざるを得ず、国民の間に「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん=いつか必ず仕返しを)の気運が高まりました。
日英同盟(1902年)──栄光ある孤立を破る
ロシアの南下政策に対抗するため、日本とイギリスは同盟を締結しました。当時のイギリスは「栄光ある孤立」政策をとっていましたが、アジア情勢の変化から方針を転換したのです。
この同盟により、日本は日露戦争を戦う上で大きな後ろ盾を得ました。同盟は1905年、1911年に改訂され、第一次世界大戦では日本は連合国側として参戦する根拠となりました。しかし1923年、四カ国条約の成立により失効しています。
ポーツマス条約(1905年)──日露戦争の講和
日露戦争(1904〜05年)は、日本海海戦での劇的勝利などもあり、日本有利の展開で進みました。しかし、日本も戦力的・財政的に限界を迎えていたため、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲介で講和に臨みます。
日本全権の小村寿太郎外相とロシア全権のウィッテが、アメリカのポーツマスで交渉。その結果、以下の内容で合意しました。
- ロシアは韓国における日本の優越権を認める
- 遼東半島南部(旅順・大連)の租借権を日本に譲渡
- 長春以南の東清鉄道(のちの南満州鉄道)を日本に譲渡
- 樺太の北緯50度以南を日本に割譲
しかし、賠償金は一切得られませんでした。戦争中の重税に耐えてきた国民は激怒し、日比谷公園での集会から暴動に発展(日比谷焼き討ち事件)。「戦争に勝ったのになぜ賠償金がないんだ」という怒りの声が渦巻きました。
日米通商航海条約(1911年)──条約改正の完成
小村寿太郎外相は、幕末以来の課題だった関税自主権の完全回復を達成しました。まずアメリカと新条約を締結し、続いて他の欧米諸国とも改正に成功。
開国から約50年、ようやく日本は列強諸国と対等な立場を得たのです。
【戦後】主権回復と国際社会への復帰

サンフランシスコ平和条約(1951年)──7年ぶりの独立
1945年の敗戦後、日本は連合国軍(実質的にアメリカ軍)の占領下に置かれていました。この状態を終わらせ、日本に主権を回復させたのがサンフランシスコ平和条約です。
1951年9月8日、吉田茂首相を全権とする日本と48カ国が調印。翌1952年4月28日に発効し、約7年間の占領が終結しました。
条約の主な内容は次の通り。
- 朝鮮の独立を承認
- 台湾・澎湖諸島・千島列島・南樺太の領有を放棄
- 沖縄・小笠原諸島はアメリカの施政権下に
ただし、ソ連は調印を拒否。また中国(中華人民共和国・中華民国のどちらも)と韓国・北朝鮮は会議に招かれませんでした。
日米安全保障条約(1951年)──日米同盟の始まり
サンフランシスコ平和条約と同じ日に締結されたのが、日米安全保障条約です。日本の安全を守るため、アメリカ軍が日本に駐留し続けることを認めた条約で、現在の日米同盟の基盤となっています。
1960年に改定され(新安保条約)、アメリカによる日本防衛義務が明確化されました。このとき、大規模な反対運動(安保闘争)が起こり、岸信介内閣は総辞職に追い込まれています。
日ソ共同宣言(1956年)──国連加盟への道
サンフランシスコ平和条約に調印しなかったソ連との国交回復は、日本外交の重要課題でした。鳩山一郎首相はソ連との交渉を進め、1956年に日ソ共同宣言を発表。
これにより両国の戦争状態は終結し、国交が回復。ソ連が拒否権を行使しなくなったため、日本は同年、念願の国際連合加盟を果たしました。
ただし、北方領土問題は解決せず、平和条約締結後に歯舞群島・色丹島を引き渡すとされたまま、現在に至っています。
日韓基本条約(1965年)──韓国との国交正常化
朴正煕政権下の韓国と、佐藤栄作内閣のもとで締結。韓国併合条約の失効を確認し、韓国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と認めました。
同時に締結された請求権協定で、日本は韓国に対して無償3億ドル・有償2億ドルの経済協力を行うことで合意。戦後の賠償問題に区切りをつけました。
日中共同声明(1972年)──台湾から中国へ
田中角栄首相は中国を訪問し、周恩来首相と会談。日中共同声明を発表し、中華人民共和国との国交を正常化しました。同時に、それまで国交のあった中華民国(台湾)とは断交しています。
日中平和友好条約(1978年)──国交正常化の仕上げ
1972年の共同声明を踏まえ、福田赳夫内閣のもとで正式な平和友好条約が締結されました。「覇権条項」(どちらの国も覇権を求めないという条項)の扱いで難航しましたが、最終的に合意に達しています。
日本史の主要条約一覧表
| 条約名 | 年 | 相手国 | 主な内容 |
|---|---|---|---|
| 日米和親条約 | 1854 | アメリカ | 下田・箱館開港、開国の第一歩 |
| 日露和親条約 | 1855 | ロシア | 国境画定(択捉〜得撫間)、樺太は混住地 |
| 日米修好通商条約 | 1858 | アメリカ | 通商開始、不平等条約(治外法権・関税自主権なし) |
| 安政の五カ国条約 | 1858 | 米・蘭・露・英・仏 | 上記と同様の不平等条約を5カ国と締結 |
| 樺太千島交換条約 | 1875 | ロシア | 樺太をロシアに、千島列島を日本に |
| 日英通商航海条約 | 1894 | イギリス | 領事裁判権撤廃、関税自主権一部回復 |
| 下関条約 | 1895 | 清 | 朝鮮独立承認、台湾・遼東半島割譲、賠償金2億両 |
| 日英同盟 | 1902 | イギリス | 対ロシアを念頭に置いた軍事同盟 |
| ポーツマス条約 | 1905 | ロシア | 韓国の優越権、南樺太割譲、賠償金なし |
| 日韓併合条約 | 1910 | 韓国 | 大韓帝国を日本に併合 |
| 日米通商航海条約 | 1911 | アメリカ | 関税自主権の完全回復、条約改正達成 |
| ヴェルサイユ条約 | 1919 | 連合国 | 第一次大戦後の講和、国際連盟加盟 |
| 四カ国条約 | 1921 | 米・英・仏 | 日英同盟に代わる太平洋地域の安全保障 |
| 日独伊三国同盟 | 1940 | 独・伊 | 枢軸国としての軍事同盟 |
| サンフランシスコ平和条約 | 1951 | 連合国48カ国 | 第二次大戦終結、主権回復 |
| 日米安全保障条約 | 1951 | アメリカ | 米軍駐留の根拠、日米同盟の基盤 |
| 日ソ共同宣言 | 1956 | ソ連 | 国交回復、国連加盟実現 |
| 新日米安全保障条約 | 1960 | アメリカ | 米国の日本防衛義務を明確化 |
| 日韓基本条約 | 1965 | 韓国 | 国交正常化、請求権問題の解決 |
| 沖縄返還協定 | 1971 | アメリカ | 沖縄の施政権返還(1972年発効) |
| 日中共同声明 | 1972 | 中国 | 国交正常化、台湾と断交 |
| 日中平和友好条約 | 1978 | 中国 | 平和友好関係の確立 |
まとめ
日本史の条約をたどると、近現代の日本がどのような道を歩んできたかが見えてきます。
この記事のポイント
- 1854年の日米和親条約で約200年の鎖国が終了
- 安政の五カ国条約は不平等条約で、改正に50年以上かかった
- 陸奥宗光が領事裁判権撤廃、小村寿太郎が関税自主権回復を達成
- 日清・日露戦争の講和条約(下関条約・ポーツマス条約)で日本は列強入り
- 敗戦後、サンフランシスコ平和条約で主権を回復
- 日米安保条約は現在も続く日米同盟の基盤
条約は、その時代の国際情勢と日本の立場を映す鏡のようなもの。歴史の流れを理解する上で、ぜひ覚えておきたい知識ですね。


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