「リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力を発見した」——このエピソード、聞いたことがありませんか?
これはアイザック・ニュートンという科学者にまつわる有名な逸話です。
ニュートンは17世紀のイギリスに生まれ、物理学・数学・天文学の世界を根本から変えてしまった人物。
彼の発見した法則は、300年以上経った今でも高校の教科書に載っていて、私たちの生活を支える科学技術の土台になっています。
この記事では、ニュートンの主な業績から知られざるエピソードまで、わかりやすく紹介していきます。
ニュートンの基本情報
アイザック・ニュートン(Isaac Newton)は、1642年12月25日にイングランドのリンカンシャー州ウールスソープで生まれました。
ただし、これは当時イギリスで使われていたユリウス暦での日付。現在使われているグレゴリオ暦に換算すると、1643年1月4日が誕生日になります。
生まれたときは未熟児で、「1リットルのマグカップに入るほど小さかった」と言われ、周囲からは長生きしないだろうと思われていました。
ところが実際には84歳まで生き、死ぬ直前まで歯は1本しか抜けず、髪もほとんど残っていたというから驚きです。
ニュートンは生涯独身を貫き、1727年3月20日にロンドンで亡くなりました。
イギリス初の「知的功績を理由にした国葬」が行われ、ウェストミンスター寺院に埋葬されています。
ニュートンの三大発見
ニュートンの業績で特に有名なのが「三大発見」と呼ばれるものです。
驚くべきことに、これらはほぼ同時期——1665年から1666年にかけてのわずか1年半ほどで着想を得たとされています。
万有引力の法則
「すべての物体は互いに引き合う力を持っている」という法則です。
リンゴが地面に落ちるのも、月が地球の周りを回っているのも、実は同じ「引力」が原因だとニュートンは考えました。
それまで、「地上の物体の運動」と「天体の運動」はまったく別のものだと考えられていたんです。
ニュートンはこの2つを統一し、宇宙のあらゆる物体に働く力として「万有引力」の概念を打ち立てました。
この発見によって、惑星の軌道も計算で予測できるようになったんですね。
微分積分法
数学の分野では、「微分積分法」を独自に開発しました。
微分は「変化の瞬間」を捉える計算方法、積分は「変化の積み重ね」を求める計算方法です。
物体の動きを正確に計算するには、この微分積分が欠かせません。
ちなみに、ドイツの数学者ライプニッツもほぼ同時期に微分積分法を発見しています。
現在使われている記号(∫やdy/dxなど)はライプニッツが考案したものですが、発見自体はニュートンも独立して行っていました。
光学
ニュートンはプリズムを使った実験で、白い光が実は7色の光の集まりであることを発見しました。
虹が7色に見えるのは、白い光(太陽光)がプリズムのような役割をする水滴で分解されるから。
ニュートンはこの現象を「スペクトル分解」として科学的に説明したんです。
また、彼は「光は粒子でできている」という粒子説を主張しました。
現在では光は「波でもあり粒子でもある」と考えられていますが、ニュートンの研究は光学の発展に大きく貢献しています。
運動の三法則
ニュートンは1687年に出版した『プリンキピア』(自然哲学の数学的諸原理)で、運動に関する3つの基本法則を発表しました。
これらは「ニュートン力学」の基礎となり、現在の高校物理でも必ず習う内容です。
第一法則(慣性の法則)
外から力が加わらない限り、静止している物体は静止し続け、動いている物体は同じ速度で動き続ける。
第二法則(運動方程式)
物体に加わる力は、質量と加速度の積に等しい(F=ma)。
第三法則(作用・反作用の法則)
あらゆる作用には、大きさが等しく向きが反対の反作用がある。
これらの法則は、自動車のブレーキからロケットの打ち上げまで、現代の科学技術のあらゆる場面で使われています。
ニュートンの生涯
幼少期から大学時代
ニュートンが生まれる3か月前に、同名の父アイザック・ニュートンは亡くなっていました。
母ハナは3歳のときに裕福な牧師と再婚し、ニュートンは祖母に預けられて育ちます。
8年後に継父が亡くなると母は戻ってきましたが、幼いニュートンは母との別離に深く傷ついていたようです。
彼は19歳のときに書いた「これまでに犯した罪のリスト」に、「父と母を焼き殺すと脅した」と記しています。
12歳からグランサムのグラマースクールに通い、下宿先の薬屋で化学実験に興味を持ちました。
母は農家を継がせようとしましたが、あまりに向いていなかったため、周囲の説得で1661年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学します。
「創造的休暇」と三大発見
1665年に学士号を取得したニュートンですが、同年ヨーロッパでペストが大流行。
ケンブリッジ大学は閉鎖され、ニュートンは故郷に戻ることになります。
この約1年半の期間が、後に「創造的休暇」と呼ばれる時期です。
孤独な環境で思索に没頭したニュートンは、万有引力・微分積分法・光学という三大発見の着想を得ました。
リンゴのエピソードも、この時期のこととされています。
ニュートン自身が晩年に4回ほどこの話をしており、完全な作り話というわけではないようです。
大学教授から造幣局長官へ
1667年に大学に戻り、1669年には恩師アイザック・バローの後を継いで、弱冠26歳でルーカス教授職に就任。
ただし、彼の講義は難解すぎて学生がほとんど来なかったとか。
1687年に『プリンキピア』を出版すると、その名声は一気に高まりました。
1696年には王立造幣局の監事、1699年には長官に昇進し、偽造通貨の取り締まりに力を入れます。
1703年からは王立協会の会長を務め、1705年にはアン女王からナイトの爵位を授与されました。
科学者として初めて爵位を受けた人物です。
ニュートンの意外な一面
錬金術と神学への情熱
実はニュートンは、科学研究と同じくらい錬金術と神学に没頭していました。
彼の死後に残された蔵書のうち、神学や錬金術の本は科学書の2倍もあったそうです。
また、キリスト教の三位一体説を否定し、「神は唯一である」というユニテリアニズムを支持していました。
当時のイギリスでは異端とみなされる立場でしたが、国王が特別に許可を出してケンブリッジの職を続けることができたんです。
激しい気性と長い確執
ニュートンは人付き合いが苦手で、批判されると激しく反発する性格でした。
特に有名なのが、同時代の科学者ロバート・フックとの確執です。
光学の研究をめぐって論争になり、ニュートンは精神的に追い詰められて一時期引きこもりになったほど。
ライプニッツとの「微分積分法の発見者はどちらか」という優先権争いも、ニュートンが死ぬまで続きました。
王立協会会長の立場を使って、自分に有利な報告書を出させたという話もあります。
晩年の水銀中毒?
ニュートンの遺髪を分析したところ、高濃度の水銀が検出されています。
これは長年の錬金術実験が原因と考えられており、晩年の奇行(精神不安定や記憶障害)は水銀中毒の症状だった可能性があります。
ニュートンの名言
ニュートンは印象的な言葉もいくつか残しています。
「もし私が遠くを見渡せたとしたら、それは巨人たちの肩の上に立っていたからだ」
これは謙遜の言葉として有名ですが、一説にはフックへの皮肉だったとも言われています。
フックは背が低かったので、「巨人じゃないあなたの肩には乗らなかった」という意味だったのかもしれません。
「私は自分が世界にどう見えているかわからない。しかし自分自身には、海辺で遊ぶ子供のようなものに思える。時々、普通よりなめらかな小石や美しい貝殻を見つけて喜んでいる——その間も、真理の大海原は目の前に広がり、まったく未発見のまま残されているのだ」
晩年のニュートンが自らの業績を振り返って語った言葉です。
これだけの功績を残しながら、「まだ何も知らない」という姿勢を持ち続けていたんですね。
現代への影響
ニュートンの業績は、現代の科学技術のあらゆる場面で活きています。
自動車のブレーキやエアバッグの設計には運動の法則が使われていますし、ロケットの軌道計算には万有引力の法則が欠かせません。
GPSの精度を上げるにはアインシュタインの相対性理論が必要ですが、基本的な軌道計算は今でもニュートン力学で行われています。
また、「ニュートン(N)」という力の単位は、彼の名前に由来しています。
1ニュートンは「1kgの物体に1m/s²の加速度を生じさせる力」と定義されており、物理学を学ぶ人なら必ず目にする単位ですね。
科学雑誌『Newton』も、もちろん彼の名前から取られています。
ニュートン年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1642年(ユリウス暦)/ 1643年(グレゴリオ暦) | リンカンシャー州ウールスソープで誕生 |
| 1661年 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学 |
| 1665年 | 学士号取得、ペスト流行で大学閉鎖 |
| 1665〜1666年 | 「創造的休暇」——三大発見の着想を得る |
| 1668年 | 反射望遠鏡を製作 |
| 1669年 | ルーカス教授職に就任(26歳) |
| 1672年 | 王立協会会員に選出 |
| 1687年 | 『プリンキピア』出版 |
| 1689年 | ケンブリッジ大学選出の下院議員となる |
| 1696年 | 王立造幣局監事に就任 |
| 1699年 | 王立造幣局長官に昇進 |
| 1703年 | 王立協会会長に就任 |
| 1704年 | 『光学』出版 |
| 1705年 | アン女王よりナイトの爵位を授与 |
| 1727年 | ロンドンで死去(84歳)、ウェストミンスター寺院に埋葬 |
まとめ
アイザック・ニュートンについて紹介してきました。
- 三大発見:万有引力の法則、微分積分法、光学(光のスペクトル分解)
- 運動の三法則:慣性の法則、運動方程式(F=ma)、作用・反作用の法則
- 「創造的休暇」:ペスト流行中の約1年半で、主要な発見の着想を得た
- 科学以外の顔:錬金術・神学研究に没頭、造幣局長官・王立協会会長も務めた
- 激しい気性:フックやライプニッツとの確執は生涯続いた
ニュートンは「近代科学の父」とも呼ばれ、その業績は300年以上経った今も私たちの生活を支えています。
天才でありながら人間味あふれるエピソードも多く、知れば知るほど興味深い人物ですね。


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