「同じ穴の狢(むじな)」ということわざ、聞いたことはありますか?
実はこの「狢」、ただの動物の別名ではありません。
古くから日本で恐れられてきた、れっきとした妖怪なんです。
しかも「狐の七変化、狸の八変化、狢の九化け」と言われるほどの化かし上手。
狐や狸より一枚上手とされる、なかなかの実力派です。
この記事では、狢の正体から化かし方、有名な怪談「むじな」や法律の世界を巻き込んだ珍事件まで、幅広く紹介していきます。
狢の正体|結局何の動物なの?
「狢って、タヌキ? アナグマ?」
この疑問、じつは昔から多くの人を悩ませてきました。
結論から言うと、地域や時代によって指す動物が違うんです。
一般的には、狢はアナグマ(穴熊)の別称とされています。
しかし、地方によってはタヌキを指したり、ハクビシンを含めたり。
さらに「タヌキもアナグマもハクビシンも、まとめて狢」という地域もありました。
例えば、関東地方では「ササムジ」と呼ばれるのがタヌキで、背中に黒い十字模様のある「本ムジ(十ムジ)」がアナグマを指していました。
長野県では、農作物を荒らすタヌキを「ムジナ」、毛が白く腹に毛がない「万福(バンプク)」を本当の狢と呼び分けていたそうです。
このややこしさが、後に大きな裁判沙汰を引き起こすことになるのですが……それは後ほど。
狢の姿|どんな見た目をしているのか
目撃談によると、狢の姿にはいくつかの特徴があります。
大きさは犬くらいで、後ろ足に比べて前足が短いのが特徴です。
毛の色は茶色で、若いうちは普通の獣とあまり変わりません。
しかし、歳をとると様子が変わってきます。
背中に白や黒の毛が十字に生えてくるんですね。
こうなると、いよいよ人を化かせるようになるんだとか。
この「十字の毛」が、「十ムジ」「十文字狢」といった呼び名の由来になっています。
狢の化かし方|狐や狸より上手?
狢の化かし方は、大きく分けて3つのパターンがあるとされています。
1. 道や田んぼを深い川に見せる
普通の道を歩いているはずなのに、急に目の前が川に見えてくる。
慌てて引き返すと、そこには何もない——というイタズラです。
2. 汚いものを美味しそうに見せる
馬糞をまんじゅうに見せたり、肥溜めを気持ちのいいお風呂に見せたり。
うっかり騙されると……想像したくないですね。
3. 方向感覚を狂わせる
真っ直ぐ歩いているつもりなのに、同じ場所をぐるぐる回ってしまう。
山道で迷わされるのは、狢の仕業かもしれません。
また、狐は人の前に立って導くように化かしますが、狢は後ろから追いかけてくるというのも特徴です。
逃げ惑ううちに危険な目に遭うこともあったとか。
地域によっては人の3倍の速さで走れるとも言われ、雷獣(雷とともに現れる妖怪)として恐れられた場所もありました。
各地に残る狢の伝承
かぶきり小僧(下総地方)
千葉県や茨城県の下総地方には、「かぶきり小僧」と呼ばれる狢がいました。
短い着物を着たおかっぱ頭の小僧に化け、人気のない夜道で「水飲め、茶を飲め」と声をかけてくるそうです。
なんだか憎めない感じがしますね。
神奈川県の狢
神奈川県では、狢が「オーイ、オーイ」と人を呼ぶという伝承があります。
うっかり返事をしてしまうと、どちらか先に根気が尽きた方が死ぬとも言われていました。
夜道で声が聞こえても、無視するのが正解のようです。
狢追いの行事
関東から東北にかけての地域では、10月10日の「十日夜(とおかんや)」に「狢ばったき」という行事が行われていました。
藁鉄砲を使って狢を追い払う、農村の予祝行事です。
福井県の一部では、小正月に青年たちが「狢狩り」という行事をしていたとも伝えられています。
日本最古の記録|627年の日本書紀
狢が文献に登場する最も古い記録は、『日本書紀』の推古天皇35年(627年)の条です。
春2月、陸奥国に狢有り、人となりて歌う
「狢が人間に化けて歌った」という記録ですね。
約1400年前には、すでに狢は「人を化かす存在」として認識されていたということです。
江戸時代になると、妖怪絵師の鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』(1779年)に狢を描いています。
添えられた解説には「狢の化ける事をさをさ狐狸(きつねたぬき)におとらず」とあり、化かす能力の高さが強調されています。
小泉八雲の怪談「むじな」|のっぺらぼうの正体
狢を語る上で外せないのが、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談「むじな」です。
1904年に出版された『怪談』に収録されており、現在でも広く親しまれています。
あらすじ
舞台は東京・赤坂の紀伊国坂。
日が暮れると人気がなくなる寂しい道で、「むじながでる」と噂されていました。
ある夜、京橋の商人が紀伊国坂を急いで上っていると、濠端にうずくまって泣く女を見つけます。
心配になって声をかけると、女はゆっくりと振り向き——その顔には目も鼻も口もありませんでした。
腰を抜かすほど驚いた商人は、一目散に逃げ出します。
やがて見つけた蕎麦屋の屋台に駆け込み、今あったことを話そうとすると、蕎麦屋の主人が振り向いて言いました。
「それは怖ろしゅうございましたな。ところで、おまえさんが見たというのは——こんな顔かい?」
蕎麦屋の顔も、卵のようにつるりとしていたのでした。
創作の可能性も
小泉八雲の曾孫・小泉凡によると、この話は日本の伝承をヒントに、八雲自身の幼少期の体験と結びつけて創作された可能性があるそうです。
実際、八雲は来日前から「顔のない女」の話を作品で取り上げていました。
ただ、のっぺらぼうが狢の化けた姿として広く知られるようになったのは、この怪談の影響が大きいでしょう。
たぬき・むじな事件|法廷を揺るがした珍判例
法学部の学生なら必ず習うという「たぬき・むじな事件」をご存知でしょうか。
事件の概要
1924年(大正13年)、栃木県の猟師がタヌキの禁猟期間中に獣を2頭捕獲しました。
狩猟法違反として起訴されると、猟師はこう主張しました。
「自分が捕まえたのはタヌキではなく狢だ」
当時の栃木県では、タヌキとムジナは別の動物だと考えられていたのです。
裁判の結果
動物学者や判事を巻き込んだ大論争の末、1925年に大審院(現在の最高裁判所)は無罪判決を下しました。
判決文には、「狸、貉の名称は古来併存し、我国の習俗此の二者を区別し毫も怪まざる」とあります。
つまり、動物学的には同じでも、一般的にタヌキとムジナが別物だと信じられていた以上、「タヌキを捕る」という故意がなかったというわけです。
この判例は「事実の錯誤」の重要な例として、現在でも刑法の教科書で紹介されています。
「同じ穴の狢」の本当の意味
最後に、ことわざ「同じ穴の狢」について触れておきましょう。
このことわざの意味は「一見違うように見えても、実は同類である」こと。
特に、悪事を働く仲間について使われることが多いです。
興味深いのは、このことわざがタヌキとムジナは別の動物であるという認識を前提にしていること。
「狢はタヌキと違う生き物だけど、タヌキと同じ巣穴で暮らしていることがある」というのが由来なんですね。
裁判で「タヌキと狢は別物」と認められたのも、このことわざの存在が一因だったのかもしれません。
まとめ
狢(むじな)について、ポイントを整理しておきましょう。
- 狢は主にアナグマを指すが、地域によってタヌキやハクビシンを指すこともある
- 「狐の七変化、狸の八変化、狢の九化け」と言われるほどの化かし上手
- 日本書紀(627年)に「人となりて歌う」と記録された、歴史ある妖怪
- 小泉八雲の怪談「むじな」では、のっぺらぼうの正体として描かれた
- 1924年の「たぬき・むじな事件」は、法学部で必ず習う有名判例
- 「同じ穴の狢」ということわざは、タヌキとムジナが別物という認識が前提
狐や狸に比べると地味な存在ですが、日本の妖怪文化の中でしっかりと存在感を放っている狢。
夜道を歩くとき、背後から「オーイ」と声が聞こえても——返事はしないほうがよさそうです。
参考情報
- 『日本書紀』推古天皇35年(627年)条
- 小泉八雲『怪談』(1904年)収録「狢(MUJINA)」
- 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(1779年)
- 大審院判決 大正14年6月9日(たぬき・むじな事件)


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