「ゲゲゲの鬼太郎」を知らない日本人はほとんどいないでしょう。
でも、その生みの親である水木しげるがどれほど壮絶な人生を歩み、どれほど日本の妖怪文化に大きな影響を与えたか、知っている人は意外と少ないかもしれません。
戦争で左腕を失いながらも93歳まで描き続けた「妖怪漫画の第一人者」。
この記事では、水木しげるの生涯、代表作品、そして日本の妖怪文化への計り知れない貢献について詳しくご紹介します。
概要
水木しげる(本名:武良茂〈むらしげる〉、1922年3月8日〜2015年11月30日)は、日本を代表する漫画家であり、妖怪研究家です。
『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』といった代表作で知られ、妖怪漫画というジャンルを切り拓きました。
漫画家としての活動にとどまらず、日本各地の妖怪伝承を収集・研究し、世界妖怪協会の会長や日本民俗学会の会員としても活躍しました。
1991年に紫綬褒章、2010年には文化功労者に選ばれるなど、日本文化への貢献が高く評価されています。
水木しげるの生涯
幼少期:「のんのんばあ」との出会い
水木しげるは1922年(大正11年)、大阪府大阪市で生まれました。
幼い頃に家族で鳥取県境港市に移り住み、この海辺の町で少年時代を過ごしています。
水木少年の人生を大きく変えたのは、家に出入りしていた景山ふさという年配の女性との出会いでした。
水木は彼女を「のんのんばあ」と呼んで慕っていたんです。
のんのんばあは神仏に仕える拝み屋の妻で、幼い水木に妖怪や不思議な話をたくさん語り聞かせました。
この体験が、水木しげるの妖怪への深い関心の原点になったと言われています。
後に水木は、のんのんばあとの思い出を『のんのんばあとオレ』という自伝的作品にまとめ、2007年にフランスのアングレーム国際漫画祭で最優秀作品賞を受賞しています。
また、子どもの頃から絵が非常にうまく、一方でなかなかのガキ大将だったことでも知られています。
自分の名前「しげる」をうまく発音できず「げげる」と言っていたことから、「ゲゲ」というあだ名がつき、これが後の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のタイトルの由来になりました。
戦争体験:左腕を失う
太平洋戦争が始まると、水木は激戦地のニューブリテン島(ラバウル)に出征しました。
そこで爆撃を受け、左腕を失うという重い負傷を負います。
戦場での壮絶な体験は、水木の人生観と作品に決定的な影響を与えました。
興味深いのは、ラバウルで現地のトライ族の人々と親しくなったことです。
水木は現地の人々の素朴で穏やかな暮らしに深い感銘を受け、戦後も何度もラバウルを訪れています。
この体験は、目に見えないものを大切にする水木の世界観の形成に大きく関わっていたと考えられています。
苦難の下積み時代
1946年に復員した水木は、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学しますが中退。
その後、魚屋、輪タク屋、アパート経営者と、さまざまな職業を転々としました。
ちなみに「水木しげる」というペンネームは、神戸市兵庫区の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」に由来しています。
やがて紙芝居画家として活動を始め、その後、貸本漫画の世界へと転向しました。
1957年に単行本『ロケットマン』でデビューしますが、この時期は極貧生活が続き、質屋通いが日常だったそうです。
漫画家としての開花
転機が訪れたのは1964年のこと。
長井勝一が創刊した漫画雑誌『ガロ』の中心作家として活動を始め、白土三平やつげ義春らと共に注目を集めるようになりました。
1965年には『別冊少年マガジン』に掲載した『テレビくん』が第6回講談社児童漫画賞を受賞。
水木はこの時すでに43歳で、長い下積み時代を経てようやく人気作家の仲間入りを果たしたんです。
1966年には水木プロダクションを設立し、本格的な創作活動を展開。
1968年には『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメが放映開始され、一躍国民的な人気を獲得しました。
晩年と死去
晩年に至るまで水木の創作意欲は衰えず、90歳を超えてからも『ビッグコミック』誌で新連載『わたしの日々』を開始するなど、異例の活躍を見せました。
2010年にはNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で、妻・布枝との生活が描かれ、改めて水木の人生に注目が集まりました。
2015年11月30日、多臓器不全のため93歳で逝去。
その訃報は国内外で大きく報じられ、天皇陛下から弔花が贈られました。
代表作品
水木しげるの創作ジャンルは驚くほど幅広いんです。
妖怪漫画だけでなく、戦記物、自伝、歴史漫画、妖怪図鑑まで、その著作は膨大な数に上ります。
『ゲゲゲの鬼太郎』
水木しげるの代名詞ともいえる作品です。
もともとは1930年代の紙芝居作品『墓場奇太郎』を原案としており、水木はこれを自分なりにアレンジして発展させました。
墓場で生まれた片目の妖怪少年・鬼太郎が、目玉おやじ、ねずみ男、ねこ娘、一反木綿、ぬりかべ、砂かけ婆、子泣き爺といった仲間たちと共に、悪い妖怪と戦う物語です。
1968年のアニメ化以降、約10年ごとに新しいアニメシリーズが制作され、世代を超えて日本の子どもたちに愛され続けています。
2023年には映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』が公開され、大きな話題を呼びました。
『悪魔くん』
悪魔を召喚する力を持つ少年「悪魔くん」が、「万人が幸せに暮らせる世界」を目指して冒険する物語です。
1966年にテレビドラマ化され、水木作品のメディア展開の先駆けとなりました。
『河童の三平』
カッパの世界に迷い込んだ少年・三平の冒険を描いた作品です。
牧歌的な雰囲気の中に社会風刺が込められており、水木の作風の幅広さがよく表れています。
『総員玉砕せよ!』
1973年に執筆された戦記漫画で、水木自身のラバウルでの戦争体験に基づいた作品です。
「90パーセント以上は事実」と水木自身が語っており、戦争の悲惨さと理不尽さを赤裸々に描いています。
この作品はフランスのアングレーム国際漫画祭で遺産賞、アメリカのアイズナー賞で最優秀アジア作品賞を受賞するなど、海外でも極めて高い評価を得ました。
『コミック昭和史』(昭和史)
激動の昭和という時代と自分自身の経歴を重ね合わせて描いた壮大な自伝的歴史漫画です。
1989年に第13回講談社漫画賞を受賞し、2015年にはアイズナー賞最優秀アジア作品賞も受賞しています。
妖怪関連の著作
漫画作品とは別に、水木は妖怪研究の成果をまとめた著作も数多く手がけています。
『水木しげるの妖怪事典』(正・続)、『水木しげるの世界妖怪事典』、1992年に岩波書店から出版されたカラー版『妖怪画談』は大ベストセラーとなり、1990年代の「水木ブーム」の火付け役になりました。
また『日本妖怪大全』は、日本の妖怪を網羅的にまとめた事典として、現在でも妖怪好きの間で広く読まれています。
水木しげるの妖怪研究と画風
伝承の「伝道師」としての姿勢
水木しげるの妖怪画の最大の特徴は、先人たちの遺産を尊重する姿勢にあります。
水木は妖怪を描く際のポイントとして、「妖怪は昔の人の残した遺産だから、その型を尊重し、後世に伝えるのがよい」と述べています。
つまり、自分の好みで自由にデザインするのではなく、古い文献や絵巻に残された妖怪の姿をなるべく忠実に描き起こすことを重視していたんです。
水木は江戸時代の絵師・鳥山石燕(1712〜1788年)の『画図百鬼夜行』をはじめ、古い絵巻物、版本、瓦版などに描かれた妖怪を丹念に研究し、次々と描き起こしました。
立体物として残っているお面や郷土玩具なども参考にするなど、あらゆる素材から妖怪の姿を掘り起こそうとしていたのです。
この姿勢は民俗学の方法論に通じるもので、妖怪研究者の小松和彦も水木を「伝承の伝道師」として高く評価しています。
文字だけだった妖怪に姿を与えた
水木の仕事の中でも特に重要なのは、それまで名前と言い伝えだけしか残っていなかった妖怪に、初めて「絵」としての姿を与えたことです。
たとえば子泣き爺、砂かけ婆、ぬりかべ、一反木綿などは、古い文献に名前と伝承は記録されていましたが、絵として描かれたことはありませんでした。
これらの妖怪の姿を初めて視覚化したのが、水木しげるだったんです。
面白いことに、水木が想像で描いたぬりかべについて、2007年になって江戸時代の絵巻から「四角い犬のような妖怪」としてのぬりかべの絵が発見されるという出来事もありました。
水木が描いた時点では未発見だった古い妖怪絵が、後から見つかるケースもあるわけです。
独自の画風:漫画的キャラと点描の背景
水木しげるの画風は非常に独特です。
鬼太郎やねずみ男といった主要キャラクターはデフォルメされた漫画的なタッチで描かれる一方、背景は点描技法を駆使した驚くほど緻密で写実的なものになっています。
この「漫画的なキャラクター+絵画的な背景」という組み合わせは、水木独自の作風であり、妖怪が存在する世界のリアリティを見事に表現しています。
東京新聞のインタビューで小松和彦は、水木の妖怪画について「ああ、こんな時代があったんだなあ」というノスタルジーを感じさせる力があると語っています。
水木プロダクションではアシスタントに点描の背景を担当させており、つげ義春や池上遼一といった後に名を馳せる漫画家たちもアシスタントとして参加していました。
水木しげるが日本の妖怪文化に与えた影響
忘れられかけていた妖怪文化の復活
水木しげるが活動を始めた1960年代、日本の妖怪文化は消えかけていました。
明治維新以降の近代化の中で、妖怪の伝承や民間信仰は「迷信」として排斥される傾向にありました。
水木の英語版著作の翻訳者であるザック・デイヴィソンは、「政府は地方の民間信仰を一掃し、国家統制の天皇崇拝に置き換えるキャンペーンを行った」と指摘しています。
こうした中で、水木は古い文献から妖怪を掘り起こし、漫画という大衆的なメディアを通じて子どもたちに紹介しました。
これによって、大衆の中で失われかけていた多くの妖怪が「救われた」とも評されています。
特に鳥山石燕が描いた江戸時代の妖怪たちを『ゲゲゲの鬼太郎』の敵キャラクターとして登場させたことは画期的でした。
水木のこの取り組みによって、江戸時代の妖怪文化は昭和の子どもたちへと橋渡しされたのです。
現代の「妖怪イメージ」の形成
現在、私たちが「妖怪」と聞いて思い浮かべるイメージの多くは、実は水木しげるの作品によって作られたものです。
子泣き爺や砂かけ婆、ぬりかべ、一反木綿といった妖怪の姿は、水木が初めてビジュアル化したものがそのまま定着しています。
水木の影響力は妖怪の「見た目」だけにとどまらず、妖怪の性格や行動パターンにまで及んでいるんです。
また、1970年代に都市伝説として広まった「口裂け女」が妖怪として正式に認知されたのも、水木が自身の妖怪事典に収録したことがきっかけだったと言われています。
つまり、水木は新しい妖怪の「お墨付き」を与える権威でもあったわけです。
ただし、小松和彦も指摘するように、水木の影響力があまりに大きいため「水木作品に描かれた姿がその妖怪のスタンダードだと思い込んでしまう」という問題もあります。
水木自身が想像で創り出したビジュアルが伝承そのものと混同されてしまうリスクは、妖怪研究においてしばしば議論の対象になっています。
後世のクリエイターへの影響
水木しげるの影響は、その後の日本のポップカルチャー全体に波及しています。
『PLUTO』や『MONSTER』の浦沢直樹、『うずまき』の伊藤潤二、『BLEACH』の久保帯人、『鋼の錬金術師』の荒川弘といった国際的に著名な漫画家たちが、水木を影響を受けた作家として挙げています。
現代美術家の村上隆も、水木を形成期の影響源として言及しています。
さらに、『ポケットモンスター』『デジモン』『千と千尋の神隠し』『となりのトトロ』といった世界的に知られる日本のコンテンツにも、水木が大衆に広めた妖怪文化の影響が見てとれます。
『妖怪ウォッチ』や『鬼滅の刃』といった近年の大ヒット作品が生まれる土壌を作ったのも、水木が妖怪文化を現代に繋いだからこそだと言えるでしょう。
主な受賞歴と栄誉
水木しげるは生涯を通じて、数多くの賞と栄誉を受けています。
| 年 | 受賞・栄誉 |
|---|---|
| 1965年 | 第6回講談社児童漫画賞(『テレビくん』) |
| 1989年 | 第13回講談社漫画賞(『コミック昭和史』) |
| 1991年 | 紫綬褒章 |
| 1996年 | 第25回日本漫画家協会賞文部大臣賞 |
| 1998年 | 第37回児童文化功労賞 |
| 2003年 | 旭日小綬章 |
| 2007年 | アングレーム国際漫画祭 最優秀作品賞(『のんのんばあとオレ』、日本人初) |
| 2008年 | 朝日賞 |
| 2009年 | アングレーム国際漫画祭 遺産賞(『総員玉砕せよ!』) |
| 2010年 | 文化功労者 |
| 2012年 | アイズナー賞 最優秀アジア作品賞(『総員玉砕せよ!』) |
| 2015年 | アイズナー賞 最優秀アジア作品賞(『昭和史』) |
| 2025年 | アイズナー賞 殿堂入り(死後) |
このほか、調布市名誉市民、東京都名誉都民、鳥取県名誉県民にも選ばれています。
水木しげるゆかりの地
水木しげるロード(鳥取県境港市)
水木の故郷・境港市には、1993年に「水木しげるロード」が整備されました。
商店街の通り沿いに177体もの妖怪ブロンズ像が設置されており、『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターや日本各地の妖怪たちが並んでいます。
JR境線の列車にも鬼太郎のキャラクターが描かれており、駅名にも妖怪の名前が使われるなど、街全体が水木ワールドに包まれています。
水木しげる記念館(鳥取県境港市)
2003年に開館した記念館で、水木の原画や収集した妖怪資料などが展示されています。
調布市(東京都)
水木が長年暮らし、水木プロダクションを構えた東京都調布市にも、水木ゆかりのスポットが点在しています。
水木の墓所は調布市の覺證寺(かくしょうじ)にあります。
まとめ
水木しげるは、単なる漫画家の枠を超えた存在でした。
- 幼少期に「のんのんばあ」から聞いた妖怪話が創作の原点
- 戦争で左腕を失うという壮絶な体験が、反戦作品や独自の人生哲学につながった
- 43歳で講談社児童漫画賞を受賞し、遅咲きながら大きな成功を収めた
- 古い文献や絵巻から妖怪を掘り起こし、忘れられかけていた妖怪文化を現代に橋渡しした
- 文字でしか伝わっていなかった妖怪に初めて「姿」を与え、現代の妖怪イメージの多くを形作った
- 妖怪研究家としても第一人者であり、学術的な妖怪研究の発展にも貢献した
- その影響は『鬼滅の刃』『妖怪ウォッチ』など現代の作品にまで及んでいる
水木しげるがいなければ、今日の日本の妖怪文化はまったく違ったものになっていたかもしれません。
妖怪を愛し、妖怪に愛された93年の生涯。
その功績は、これからも日本文化の中で語り継がれていくことでしょう。
参考情報
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この記事で参照した情報源
公的機関・公式サイト
- 鳥取県公式サイト「水木しげる先生」 – 鳥取県による水木しげるの公式プロフィール
- 兵庫県立美術館 ネットミュージアム兵庫文学館「水木しげる」 – 兵庫県ゆかりの作家としての紹介
学術・専門メディア
- メディア芸術カレントコンテンツ「妖怪とデザイン 前編 妖怪伝承とマンガ家・水木しげる」 – 文化庁メディア芸術関連の解説記事
- CINRA「水木しげるが人生を通じて描き続けた妖怪たちは、現代に何を伝える? 妖怪研究者・小松和彦に聞く」 – 小松和彦へのインタビュー記事
信頼できる二次資料として参照した著作
- 小松和彦『妖怪学新考 妖怪からみる日本人の心』小学館、1994年 – 国際日本文化研究センター所長による妖怪研究の基礎的著作
- 柳田國男『妖怪談義』 – 水木が参考にした民俗学の古典
- 水木しげる『のんのんばあとオレ』 – 幼少期の体験に基づく自伝的作品
- 水木しげる『総員玉砕せよ!』 – 戦争体験に基づく戦記漫画
参考になる外部サイト
- Wikipedia「水木しげる」 – 基本情報の確認
- コミックナタリー 水木しげるプロフィール – 作品情報・最新ニュース


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