「耳なし芳一」は、日本の怪談のなかでも特に有名な物語のひとつです。
盲目の琵琶法師が平家の亡霊に見初められ、その演奏の才ゆえに恐ろしい運命に巻き込まれていく――。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』によって世界的に知られるようになったこの物語ですが、実はその原型は江戸時代初期にまでさかのぼります。
この記事では、「耳なし芳一」のあらすじから原典の変遷、歴史的背景、そして現代への影響まで、詳しく解説していきます。
耳なし芳一の概要
「耳なし芳一」は、下関(現在の山口県下関市)の阿弥陀寺を舞台にした怪談です。
盲目の琵琶法師・芳一が、壇ノ浦の戦いで滅んだ平家一門の亡霊に毎夜呼び出され、琵琶を弾くよう求められます。
住職が芳一の身体に般若心経を書いて亡霊から守ろうとしますが、耳にだけ経文を書き忘れてしまったため、亡霊に耳をもぎ取られてしまうという筋書きになっています。
「怪談」というジャンルを代表する作品であり、琵琶法師の伝統や平家物語の世界観と深く結びついた物語です。
耳なし芳一のあらすじ
芳一と阿弥陀寺
物語の舞台は、長門国赤間関(現在の下関市)にある阿弥陀寺です。
この寺には壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇と平家一門の墓があり、平家の怨霊が出るという噂が絶えませんでした。
阿弥陀寺には、芳一という盲目の琵琶法師が身を寄せていました。
芳一は幼い頃から琵琶の修行を積み、特に「平家物語」の弾き語りにおいては師匠をも凌ぐ腕前を持っていたとされています。
亡霊の来訪
ある夏の夜、住職が外出中に芳一がひとり琵琶の稽古をしていると、何者かが訪れます。
重々しい武士の声で「高貴なお方がお前の琵琶を聴きたいと仰せである」と告げられ、芳一は導かれるまま屋敷へと連れていかれました。
そこには多くの貴人が集い、芳一は壇ノ浦の合戦の段を語るよう求められます。
芳一が渾身の演奏を披露すると、聴衆は涙を流して感動し、七晩にわたって語るよう命じられました。
このことは誰にも口外してはならないとも言い渡されます。
住職の気づきと般若心経
芳一が毎晩姿を消すことに気づいた住職は、寺男に後を追わせます。
すると芳一は、なんと平家一門の墓の前で、無数の鬼火に囲まれながら琵琶を弾いていたのです。
事態の深刻さを悟った住職は、このまま放置すれば芳一が亡霊に殺されると判断しました。
住職と弟子の僧は、芳一の全身にくまなく般若心経の経文を書き記し、「何があっても動くな、声を出すな」と厳しく言い含めます。
耳をもがれる
その夜、いつものように武士の亡霊がやって来ますが、経文の力により芳一の姿は見えません。
しかし、暗闇の中に耳だけが浮かんでいるのが見えました。
住職が経文を書き忘れた、ただ一箇所――それが耳だったのです。
亡霊は「耳だけでも持ち帰らねば申し訳が立たぬ」と言い、芳一の両耳を引きちぎって持ち去りました。
芳一は激しい痛みに耐え、声も出さずじっとしていたため、命だけは助かったといいます。
その後の芳一
この一件の後、芳一は「耳なし芳一」の名で広く知られるようになりました。
小泉八雲の『怪談』(1904年)では、芳一はこの事件をきっかけにかえって名声を得て、多くの人々がその琵琶を聴きに訪れるようになったと記されています。
原典と物語の変遷
「耳なし芳一」の物語は、一夜にして生まれたものではありません。
江戸時代の複数の文献に類話が確認されており、長い年月をかけて現在の形に発展してきました。
最古の類話:『曽呂利物語』(1663年)
確認されている最も古い類話は、寛文3年(1663年)に刊行された『曽呂利物語』の巻四の九「耳切れうん市が事」です。
この話の主人公は「うん市」という名前の琵琶弾きで、舞台も赤間関ではなく別の場所に設定されています。
物語の骨格――盲目の琵琶弾きが亡霊に演奏を求められ、身体に経文を書いたが一部を書き忘れたために、その箇所を亡霊に奪われる――はすでにこの段階で確立していました。
『宿直草』の変奏(1677年)
延宝5年(1677年)刊行の怪談集『宿直草』巻二第十一には、主人公が「団都」という名前で登場する類話が収録されています。
細部の異同はあるものの、基本的な筋立ては『曽呂利物語』と共通しており、この怪談が当時すでに広く流布していたことがうかがえます。
『臥遊奇談』と小泉八雲への橋渡し(1782年)
天明2年(1782年)に一夕散人が編纂した『臥遊奇談』巻二「琵琶秘曲泣幽霊」は、小泉八雲が直接の典拠としたとされる作品です。
この版では舞台が赤間関の阿弥陀寺に固定され、壇ノ浦の合戦と平家の怨霊という要素が明確に組み込まれています。
主人公の名前もここで「芳一」に近い形へと変化しており、物語としての完成度が大きく高まりました。
小泉八雲『怪談』(1904年)
明治37年(1904年)、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が英語で出版した『Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things(怪談)』に「The Story of Mimi-Nashi-Hōïchi(耳無芳一の話)」として収録されたことで、この物語は世界的な知名度を獲得しました。
八雲は『臥遊奇談』を主な典拠としつつ、文学的な筆致で物語を再構成しており、情景描写や心理描写を大幅に加筆しています。
現在「耳なし芳一」として語られる物語の多くは、この八雲版がもとになっているといえるでしょう。
主人公の名前の変遷
各版における主人公の名前をまとめると、以下のとおりです。
| 文献 | 成立年 | 主人公の名前 |
|---|---|---|
| 『曽呂利物語』 | 1663年(寛文3年) | うん市 |
| 『宿直草』 | 1677年(延宝5年) | 団都 |
| 『臥遊奇談』 | 1782年(天明2年) | 芳一(鶴都とも) |
| 小泉八雲『怪談』 | 1904年(明治37年) | 芳一 |
このように、物語の核となる構造は保たれながらも、主人公の名前や舞台設定は版を重ねるごとに変化しています。
歴史的背景:壇ノ浦の戦いと平家滅亡
「耳なし芳一」を深く理解するためには、物語の背景にある壇ノ浦の戦いについて知っておく必要があります。
壇ノ浦の戦い
元暦2年(1185年)3月24日(旧暦)、長門国壇ノ浦(現在の山口県下関市)で源氏と平家の最終決戦が行われました。
源義経率いる源氏軍が圧倒的勝利を収め、平家一門は壇ノ浦の海に次々と身を投じます。
わずか6歳(数え年8歳)の安徳天皇も、外祖母の二位尼(平時子)に抱かれて入水し、短い生涯を閉じました。
阿弥陀寺と赤間神宮
壇ノ浦の戦いの後、安徳天皇の霊を弔うために建立されたのが阿弥陀寺です。
この寺は後に「赤間神宮」として再編され、現在も下関市に鎮座しています。
境内には安徳天皇の御陵のほか、平家一門の墓とされる「七盛塚」も残っており、芳一が琵琶を弾いていたのがまさにこの場所だと伝えられてきました。
赤間神宮には「芳一堂」と呼ばれるお堂も建てられ、耳なし芳一の伝承を今に伝える場となっています。
平家の怨霊と怪異伝承
壇ノ浦で滅亡した平家の怨霊にまつわる怪異譚は数多く残っています。
関門海峡付近では、平家の亡霊が海上に現れるという伝承が古くから語り継がれてきました。
「耳なし芳一」もまた、こうした平家怨霊譚の系譜に連なる物語だといえるでしょう。
琵琶法師と平家物語
琵琶法師とは
琵琶法師とは、琵琶を弾きながら語り物を行った盲目の芸能者を指します。
平安時代末期から室町時代にかけて活躍し、寺社に属しながら各地を巡って物語を語り聞かせることを生業としていました。
彼らの語りの演目として最も重要だったのが「平家物語」であり、琵琶の伴奏とともに平家の栄華と滅亡を語る「平曲」は、中世日本の代表的な芸能のひとつです。
芳一と平曲の伝統
芳一が平家の亡霊を感動させるほどの名手であったという設定は、琵琶法師の伝統と深く結びついています。
琵琶法師たちは単なる芸人ではなく、亡者の鎮魂や供養という宗教的な役割も担っていたとされています。
合戦で命を落とした武者たちの物語を語ることで、その霊を慰めるという意味があったのです。
芳一の琵琶に平家の亡霊たちが涙したのも、こうした鎮魂の機能を反映しているといえるでしょう。
般若心経と経文による守護
物語のクライマックスで登場する「全身に般若心経を書く」という場面は、日本の仏教文化における経文の霊力を示す重要なモチーフです。
般若心経は、大乗仏教の根本経典のひとつであり、わずか262文字のなかに「空」の思想を凝縮した経典として知られています。
古来より、般若心経には悪霊や災厄を退ける力があると信じられてきました。
住職が芳一の全身に経文を書き記したのは、経文の力で芳一の身体を「見えない存在」にしようとしたためです。
しかし耳にだけ経文を書き忘れたことで、耳だけが亡霊の目に映ってしまった――この「書き忘れ」の一点が物語を悲劇へと転じさせる構成は、怪談としてきわめて巧みな仕掛けだといえます。
現代における「耳なし芳一」
映画『怪談』(1964年)
「耳なし芳一」を映像化した作品のなかで最も有名なのが、小林正樹監督の映画『怪談』(1964年)です。
この映画は小泉八雲の『怪談』から4つの物語をオムニバス形式で映像化したもので、「耳なし芳一の話」はその一篇として収録されています。
1965年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされるなど、国際的にも高く評価されました。
まんが日本昔ばなし(1976年)
テレビアニメ『まんが日本昔ばなし』でも「耳なし芳一」は取り上げられており、多くの日本人がこの番組を通じて物語に親しんでいます。
子ども向けの番組でありながら、亡霊に耳をもがれるという衝撃的な展開は、視聴者に強い印象を残しました。
怪談文化への影響
「耳なし芳一」は、日本の怪談文化において不動の地位を占めています。
小泉八雲の『怪談』に収録された雪女などとともに、「日本の怪談」を代表する作品として国内外で広く知られており、怪談をテーマにした書籍やイベントでは必ずといってよいほど取り上げられる存在です。
「身体に経文を書いて身を守る」「書き忘れた箇所だけが狙われる」というモチーフは、後世の怪談やホラー作品にも大きな影響を与えました。
まとめ
「耳なし芳一」は、江戸時代初期の『曽呂利物語』(1663年)に最古の類話が確認される、歴史の長い怪談です。
『宿直草』『臥遊奇談』と版を重ねるなかで物語は洗練され、小泉八雲の『怪談』(1904年)によって現在広く知られる形が完成しました。
壇ノ浦の戦いで滅びた平家の怨霊、琵琶法師による鎮魂の伝統、般若心経の霊力――この物語にはさまざまな日本文化の要素が凝縮されています。
単なる恐怖譚にとどまらず、歴史的・文化的な奥行きを持った作品だからこそ、何百年もの間語り継がれてきたのでしょう。
参考情報
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この記事で参照した情報源
一次資料(原典)
- 『曽呂利物語』(寛文3年/1663年)巻四の九「耳切れうん市が事」 – 確認されている最古の類話
- 『宿直草』(延宝5年/1677年)巻二第十一 – 主人公「団都」による類話
- 『臥遊奇談』(天明2年/1782年)一夕散人 編、巻二「琵琶秘曲泣幽霊」 – 小泉八雲の直接の典拠とされる作品
- 小泉八雲『Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things』(1904年)「The Story of Mimi-Nashi-Hōïchi」 – 青空文庫で原文公開
学術資料・参考文献
- 小泉八雲記念館 – 小泉八雲の生涯と作品に関する公式情報
- 赤間神宮 公式サイト – 阿弥陀寺(現・赤間神宮)の歴史と芳一堂に関する情報
- Wikipedia「耳なし芳一」 – 基本情報と原典一覧の確認

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