夕暮れどきの校庭で、一人の少女がまりつきをして遊んでいる。
よく見ると、少女がついていたのはまりではなく――自分の首だった。
「まりつき少女」は、全国の学校で語り継がれてきた怪談都市伝説のひとつです。
この記事では、伝説の内容からバリエーション、手まり遊びの歴史的背景、そして「首なし」の怪異が日本で語られ続ける理由まで、詳しく解説していきます。
まりつき少女の都市伝説とは
「まりつき少女」は、日本の学校にまつわる怪談として広く知られている都市伝説です。
「学校の怪談」ジャンルの中でも、「トイレの花子さん」や「人体模型が動く」といった定番と並んで語られることが多い話になります。
伝説の基本的な内容
Wikipedia「怪談都市伝説」の記事には、「鞠(まり)」の項目として次のような内容が記載されています。
夕暮れの校庭で、少女が一人で鞠をついて遊んでいる。
近づいてみると、少女がついていたのは鞠ではなく自分の首だった――というものです。
一見すると、放課後の校庭でまりつきをしている少女の姿は、ごく日常的な光景に見えます。
しかし「近づいてみると」という行為をきっかけに、日常が一気に恐怖へと反転するのがこの伝説の特徴でしょう。
遠くから見ていれば何の変哲もない風景が、距離を詰めた瞬間に異様な光景へ変わるという構造は、聞き手にゾッとするような感覚を与えます。
目撃される場所とシチュエーション
まりつき少女が現れるとされるのは、主に次のような場所や状況です。
- 夕暮れ~夜の校庭:放課後や日が沈みかけた薄暗い時間帯
- 誰もいないはずの学校:他の生徒がすでに帰宅した後の校内
- 遠くから見ると普通に見える:近づくまで異常に気づけない
「逢魔時(おうまがとき)」とも呼ばれる夕暮れの時間帯は、昔から日本では「魔物に遭いやすい時間」とされてきました。
まりつき少女の伝説が夕暮れの校庭を舞台にしているのは、この日本古来の「境界の時間」に対する畏怖の感覚と深くつながっています。
バリエーション:生首ドリブルと首なしサッカー部員
まりつき少女の伝説には、さまざまな派生パターンが存在します。
時代や地域によって「まりつき」が現代のスポーツに置き換わり、多彩なバリエーションが生まれました。
サッカーボール版「生首ドリブル」
まりつき少女と似た都市伝説には「サッカーボールやバスケットボールの代わりに自分の頭をドリブルする首なし少年の話も存在する」という話があります。
こちらは一般に「生首ドリブル」と呼ばれ、放課後の校庭でサッカーの練習をしている少年に見えるものの、よく見るとボールではなく自分の頭を蹴っている――という内容です。
松山ひろし著『怖すぎる都市伝説』(イースト・プレス、2012年)では、第20夜「首なしサッカー部員」としてこの系統の話が取り上げられています。
バスケットボール版
体育館を舞台にしたバスケットボール版も広く語られています。
「夜の体育館に忍び込むと、首のないバスケット選手が現れて自分の頭をボールとしてドリブルしている」というもので、学校の七不思議のひとつとして語られることもあります。
Wikipedia「学校の怪談一覧」でも、「子供の霊が自分の首をボールのように使ってリフティングをしている」という類話が記載されています。
共通する「一緒に遊ぶと危険」という要素
これらのバリエーションに共通するのが、「一緒に遊んでしまうとあの世に連れて行かれる」という設定です。
見かけただけなら実害はないとされることが多いものの、うっかり声をかけてしまったり、一緒にボールを蹴ってしまったりすると危険だと語られます。
この「関わると巻き込まれる」という構造は、「トイレの花子さん」や「口裂け女」など、日本の都市伝説に広く見られるパターンです。
英語圏での類話「Headless Soccer」
この伝説は日本国内にとどまらず、英語圏でも「Headless Soccer」として知られています。
Urban Legends Wikiによれば、ある小学校で夜8時頃、遅くまで残っていた教師が校庭で少年たちがボールを蹴っているのを目撃し、近づいてみるとそれは子供の頭だった――という内容で語られています。
文化的背景①:日本の手まり遊びの歴史
まりつき少女の伝説を深く理解するためには、日本における「手まり(てまり)」遊びの歴史を知ることが欠かせません。
なぜ「まりつき」が恐怖の舞台装置として選ばれたのか、その背景を見ていきましょう。
手まりの起源と発展
Wikipediaの「手まり」の記事によると、手まりの起源は奈良時代にまでさかのぼります。
もともとは中国から「蹴鞠(けまり)」として伝わったものが、日本で独自の発展を遂げました。
16世紀末頃からは芯にぜんまい綿を巻いて弾力性のある球体が作られるようになり、手でついて遊ぶ「手まり」のスタイルが確立していきます。
江戸時代中期以降には正月の遊びとして全国的に流行し、俳句では新年の季語にもなりました。
明治時代中期にゴムまりが普及すると、遊具としての手まりは徐々に姿を消していきます。
代わりに装飾品・工芸品としての価値が見出され、讃岐かがり手まり(香川県)、本荘ごてんまり(秋田県)、野州てんまり(栃木県)など、各地の伝統工芸として現在も受け継がれています。
手まり歌とわらべうた
手まり遊びに欠かせないのが「手まり歌」です。
中でも有名なのが「あんたがたどこさ」で、正式には「肥後手まり唄」と呼ばれています。
Wikipediaの記事によれば、この歌は幕末から明治初期に成立した問答歌形式のわらべうたで、歌詞の中の「さ」のタイミングでまりを足の下にくぐらせるという遊び方が特徴的です。
手まり歌は子供たちの遊びの中で歌い継がれてきましたが、独特のリズムと繰り返しの旋律には、どこか不思議な雰囲気が漂っています。
夕暮れ時にひとりで手まり歌を歌いながらまりをつく少女の姿――それ自体が、ある種の「怖さ」を感じさせる光景だったのかもしれません。
「消えゆく遊び」が持つノスタルジーと不気味さ
明治以降、手まり遊びは子供たちの日常から徐々に姿を消していきました。
現代の子供たちにとって、まりつきは「自分たちの遊び」ではなく、「昔の子供がやっていた遊び」という認識でしょう。
この「すでに失われた遊びをしている子供」というイメージが、まりつき少女の怪談に独特の不気味さを加えています。
現代の校庭で、今どきの子供がやらないはずの古い遊びをしている少女がいる。
その時点でもう「この世のものではない」感覚が生まれるわけです。
文化的背景②:「首なしの怪異」の系譜
まりつき少女の恐怖の核心は、「自分の首をまりとしてついている」という点にあります。
実は「首が胴体から離れる」というモチーフは、日本だけでなくアジア全域に長い歴史を持つ怪異の系譜に連なるものです。
中国の飛頭蛮(ひとうばん)
「首が胴体から離れる」怪異の最古の記録のひとつが、中国の「飛頭蛮(ひとうばん)」です。
Wikipediaによれば、飛頭蛮は東晋時代(4世紀)の奇譚集『捜神記』にまで遡る妖怪です。
夜になると頭部だけが胴体から離れて空中を飛び回り、耳を翼のように使って飛行するとされています。
唐代の『南方異物誌』では嶺南(中国南部からベトナムにかけての地方)の洞穴に住むとされ、首筋に赤い傷跡があることが特徴だと記されました。
日本のろくろ首との関連
この飛頭蛮が日本に伝わり、「ろくろ首」の原型になったと考えられています。
日本のろくろ首には「首が長く伸びるタイプ」と「首が胴体から完全に離れて飛ぶタイプ(抜け首)」の二種類がありますが、後者は中国の飛頭蛮が由来とされています。
江戸時代の妖怪画集『画図百鬼夜行』では、ろくろ首の漢字表記として「飛頭蛮」が使われている例も見られます。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』にも、首が胴体から離れて飛び回るろくろ首の話が収録されており、この系統の怪異が日本の怪談文化に深く根づいていたことがわかります。
首なしライダーとの共通点
現代の都市伝説では、「首なしライダー」がこの系譜に連なる存在として知られています。
Wikipediaによれば、首なしライダーは「暴走族に対する住民のあてつけで道路にピアノ線を張った結果、ライダーの首が切断されてしまい、その亡霊が夜道をさまよっている」という内容で語られます。
まりつき少女が「校庭」という子供の世界を舞台にしているのに対し、首なしライダーは「夜の道路」という大人の世界を舞台にしているのが対照的です。
しかし「首を失った者が、それを探して(あるいはそれで遊んで)さまよう」という核心部分は共通しています。
なぜこの伝説は語り継がれるのか
まりつき少女をはじめとする「学校の怪談」は、なぜ何十年にもわたって子供たちの間で語り継がれてきたのでしょうか。
「学校の怪談」というジャンルの力
民俗学者・常光徹氏は、「学校の怪談」ジャンルの研究で知られる第一人者です。
常光氏は国立歴史民俗博物館の名誉教授であり、講談社KK文庫から刊行された『学校の怪談』シリーズの著者でもあります。
常光氏の研究によれば、学校のトイレや校庭で語られる妖怪話は「均質的な集団の緊張を束の間ときほぐす」役割を持ち、「子どもたちが創出したたくまざる文化装置」として機能しているとされています。
つまり、学校という規律やルールで管理された空間の中で、怪談を語り合うことは一種のガス抜き、あるいは仲間同士の結束を強める行為でもあったということです。
無邪気さと恐怖の対比
まりつき少女の伝説が特に印象的なのは、「子供の遊び」と「死」という、本来結びつくはずのない二つの要素が直結している点にあります。
まりつきという無邪気な行為。
しかしその「まり」が自分の首だったという衝撃。
この落差が大きいからこそ、聞いた人の心に強く刻まれるのでしょう。
しかも舞台が学校の校庭という、聞き手である子供たちにとって身近すぎる場所です。
「明日学校に行ったとき、夕方の校庭を見たらどうしよう」という恐怖は、遠い場所の話とは比べものにならないリアリティを持っています。
都市伝説の伝播と変容
民俗学者の飯倉義之氏はnippon.comのインタビューで、都市伝説の広がり方について語っています。
かつての都市伝説は塾や学校を通じて口伝えで広まりましたが、現代ではインターネットやSNSが伝播の主な手段になっています。
まりつき少女の伝説も、口伝えの時代からインターネット時代へと移り変わる中で、「生首ドリブル」「首なしサッカー部員」といった現代的なバリエーションを生み出しながら、形を変えて語り継がれてきました。
現代のポップカルチャーでの扱い
まりつき少女や生首ドリブルの都市伝説は、漫画やアニメなどの現代のポップカルチャー作品にも取り入れられています。
漫画作品での登場例
龍幸伸による人気漫画『ダンダダン』(少年ジャンプ+連載)では、第184話で「生首ドリブル」が怪異として登場しました。
本作では体育館を舞台としたバスケットボール版として描かれ、「夜の体育館に忍び込んで遊ぼうとすると首の無いバスケット選手が現れて”頭(ボール)”を探し始める」という設定になっています。
また、藤やすふみによる漫画『都市伝説に求める女』では第50話で「生首ドリブル」が題材として扱われています。
北野棃也の読み切り漫画『生首☆シュート!』(少年ジャンプ+)は、サッカー少年と侍の幽霊が繰り広げるコメディ作品として、この都市伝説をユーモラスにアレンジした作品です。
恐怖からエンタメへの変化
こうした作品群を見ると、まりつき少女や生首ドリブルの都市伝説が、純粋な恐怖の対象から徐々にエンターテインメントの素材へと変化してきていることがわかります。
『ダンダダン』ではバトルの敵として登場し、『生首☆シュート!』ではコメディの題材になるなど、恐怖をベースにしながらも多様な表現が生まれています。
都市伝説が怖いだけの存在にとどまらず、創作の豊かなインスピレーション源として機能しているのは興味深い現象です。
まとめ
まりつき少女は、日本の「学校の怪談」を代表する都市伝説のひとつです。
夕暮れの校庭でまりをつく少女、しかしそのまりは自分の首だった――このシンプルな恐怖は、手まり遊びという日本の伝統文化、飛頭蛮やろくろ首に連なる「首が離れる怪異」の長い系譜、そして学校という子供たちの日常空間が交差する地点に生まれたものでした。
生首ドリブルや首なしサッカー部員といった現代的なバリエーションを生み出しながら、さらには漫画やアニメの題材にもなりながら、この伝説は今もなお語り継がれています。
もし夕暮れの校庭で、一人でまりつきをしている子供の姿を見かけたら――あまり近づきすぎないほうがいいかもしれません。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報を参考にしました。
- 怪談都市伝説 – Wikipedia(「鞠」の項目)
- 学校の怪談一覧 – Wikipedia
- 手まり – Wikipedia
- あんたがたどこさ – Wikipedia
- 飛頭蛮 – Wikipedia
- 首なしライダー – Wikipedia
- 「口裂け女」から「きさらぎ駅」まで―都市伝説の変容から振り返る昭和・平成の日本社会 – nippon.com
- Headless Soccer – Urban Legends Wiki
- 松山ひろし『怖すぎる都市伝説』イースト・プレス、2012年(第20夜「首なしサッカー部員」)
- 常光徹『学校の怪談―口承文芸の展開と諸相』ミネルヴァ書房、1993年
- 常光徹『学校の怪談』シリーズ(講談社KK文庫、1990年~1997年)



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