南米の山岳地帯に栄えた壮大なインカ帝国。
その始まりを告げる伝説の主人公が、マンコ・カパックです。
太陽神の子として地上に降り、文明を人々に授けたとされるこの神話的人物は、歴史と伝説のあいだにいる謎めいた存在なんです。
概要
マンコ・カパック(Manco Cápac)は、インカ神話に登場するクスコ王国の初代統治者です。
ケチュア語でマンク・カパック(Manqu Qhapaq)と呼ばれ、「素晴らしき礎」を意味します。
13世紀初頭に実在したとされますが、その生涯は神話的な要素に彩られており、歴史的実在性については議論が続いています。
マンコ・カパックの基本情報
マンコ・カパックの生涯については、スペイン征服後に記録されたクロニカ(年代記)が主な情報源となっています。
基本データ:
- 在位年代: 1200年前後(諸説あり)
- 別名: アヤル・マンコ(Ayar Manco)
- 名前の意味: 「素晴らしき礎」(ケチュア語)
- 称号: カパック(将軍、あるいは「最高にして権力のある族長」の意)
- 妻: ママ・オクリョ(Mama Ocllo)、ママ・ワコ(Mama Waqu)
- 子: シンチ・ロカ(Sinchi Roca)
マンコ・カパックの在位期間については、およそ40年間クスコ王国を統治したと考えられています。
一説では1107年に死亡したとされますが、一般的には1230年頃まで支配したとされています。
起源神話:二つの伝説
マンコ・カパックの出自については、複数の伝承が存在します。
代表的なものが「インティ伝説」と「アヤル兄弟伝説」です。
インティ伝説:太陽神の子
太陽神インティ(Inti)を父とする伝説です。
太陽神インティは、地上で野蛮な暮らしをする人々を哀れに思いました。
人々は洞穴に住み、葉や動物の皮をまとい、木の実を拾って暮らしていたのです。
そこでインティは、息子マンコ・カパックと娘ママ・オクリョをチチカカ湖から地上に遣わしました。
二人には金の杖(タパク・ヤウリ)が授けられ、「この杖が地面に沈む場所に都を築くように」と命じられたのです。
マンコ・カパックとママ・オクリョは北へ向かって旅を続けました。
クスコ盆地のワナカウリの丘に着いたとき、金の杖が地中深く沈み込みました。
ここが聖なる都を築く場所だったのです。
マンコ・カパックは男たちに農業、建築、法律を教え、ママ・オクリョは女たちに機織りや家事を教えました。
こうして文明が生まれ、クスコ王国が建国されたと伝えられています。
アヤル兄弟伝説:ビラコチャの子
創造神ビラコチャ(Wiracocha)の子とする伝説です。
クスコの南25kmにあるパカリタンボ(Paqariq Tanpu)という場所に、タンプ・トッコ(Tampu T’oqo)と呼ばれる洞窟がありました。
この洞窟には三つの窓があり、中央の窓カパク・トッコから四人の兄弟と四人の姉妹が現れました。
兄弟:
- アヤル・マンコ(Ayar Manco、後のマンコ・カパック)
- アヤ・カチ(Ayar Kachi)
- アヤ・ウチュ(Ayar Uchu)
- アヤ・アンカ(Ayar Anca)
姉妹:
- ママ・オクリョ(Mama Ocllo)
- ママ・ワコ(Mama Waqu)
- ママ・ラウア(Mama Rawa)
- ママ・クラ(Mama Cura)
兄弟たちは金の杖を手に、肥沃な土地を求めて旅に出ました。
旅の途中、兄弟たちは次々と姿を消していきます。
アヤ・カチは嫉妬した兄弟たちによって洞窟に閉じ込められ、アヤ・ウチュとアヤ・アンカは石になったり鳥になったりして、聖なる存在(ワカ)となりました。
最後に残ったアヤル・マンコがクスコの谷に到達し、金の杖が地面に沈むのを確認しました。
彼はマンコ・カパックを名乗り、クスコ王国を建国したのです。
クスコの建国と文明の礎
マンコ・カパックがクスコに到着したとき、そこには先住民が暮らしていました。
伝承によれば、ママ・ワコが投げた石で敵兵を倒し、先住民を征服したとされています。
クスコを手に入れたマンコ・カパックは、都市の基礎を築きました。
マンコ・カパックの功績:
- インティカンチャ(Inticancha)の建設:太陽神インティを祀る神殿で、後にパチャクテクによってコリカンチャ(Coricancha)として再建されました
- クスコの4地区への分割:キンティカンチャ、チュンビカンチャ、サイリカンチャ、ヤランブイカンチャ
- 上クスコ(ハナン・クスコ)と下クスコ(フリン・クスコ)の二分割:アンデスの二元論に基づく統治
- 法の整備:人身御供の廃止、社会規範の確立
- 農業技術の普及:灌漑システムの導入、作物栽培の指導
マンコ・カパックは姉妹であるママ・オクリョと結婚し、息子シンチ・ロカをもうけました。
法律では姉妹との結婚を禁じていましたが、王族には適用されなかったとされています。
実在性をめぐる議論
マンコ・カパックが実在したかどうかは、歴史学者の間で長く議論されてきました。
実在を支持する証拠
考古学的証拠:
- インティカンチャ(後のコリカンチャ)の遺構
- キルケ(Killke)陶器文化との関連:12〜13世紀のクスコ周辺で栄えた文化
- クスコ周辺の古い遺構
記録上の証拠:
- チマ・パナカ(Chima Panaca):マンコ・カパックの子孫とされる王族の家系が、スペイン征服まで実在した
- インティカンチャ:スペイン人が到着した時に実在した建造物で、マンコ・カパックが建てたとされる
ペルーの歴史家マリア・ロストワロフスキは、「すべての民族は、その叙事詩や伝説の中に、遠い記憶の真実を比喩的な形で保存している」と指摘しています。
伝説的人物とする見解
一方で、マンコ・カパックを神話的な存在とする見解も根強くあります。
主な論拠:
- 第7代皇帝までは伝説的人物とされている
- 複数の矛盾する出自伝説が存在する
- 具体的な年代の記録がない
- 神話的要素が強すぎる
インカ帝国第9代皇帝パチャクテク(Pachacuti、在位1438-1471年)が、帝国の統一と支配を正当化するために起源神話を創作または改変したという説もあります。
現代の学術的見解
多くの歴史学者は、マンコ・カパックを「実在した可能性のある指導者が、後に神格化された」と考えています。
つまり、13世紀頃にクスコ周辺を統一した強力な指導者が実在し、その功績が時とともに神話化されて、現在伝わる伝説になったという解釈です。
死後の扱いと信仰
マンコ・カパックの死後、その遺体はミイラ化され、インティカンチャに安置されました。
インカ帝国では、歴代の皇帝の遺体をミイラとして保存し、祭事の際に担ぎ出して崇拝する習慣がありました。
マンコ・カパックのミイラも、重要な儀式の際には人々の前に姿を現したとされています。
後にパチャクテクの命令により、マンコ・カパックのミイラはチチカカ湖の太陽の島(Isla del Sol)にある神殿に移されました。
これは、マンコ・カパックの出生地とされる聖地への帰還を意味していたのです。
クスコには、マンコ・カパックを記念する像が残されました。
マンコ・カパックの遺産
マンコ・カパックが築いた王朝は、13代にわたって続きました。
インカ帝国は、初代マンコ・カパックから始まり、最後の皇帝マンコ・インカ・ユパンキ(マンコ・カパック2世とも呼ばれる)で終わりを迎えます。
マンコ・インカ・ユパンキは、スペイン人に対抗して抵抗運動を率いた人物で、1544年に暗殺されました。
「インカ帝国はマンコに始まり、マンコに終わった」と言われるのは、この歴史的な偶然によるものです。
インカ帝国の系譜:
- 初代:マンコ・カパック(伝説的創始者)
- 第2代:シンチ・ロカ
- 第3代〜第7代:伝説的人物
- 第8代:ビラコチャ
- 第9代:パチャクテク(実質的な帝国建設者)
- 第10代〜第13代:帝国の拡大
- 第15代:マンコ・インカ・ユパンキ(最後の抵抗者)
文化的影響と現代への遺産
マンコ・カパックは、現代のペルーでも重要な文化的象徴として扱われています。
現代における影響:
- インカ・マンコ・カパック国際空港:ペルー・プーノ県フリアカにある空港の名称
- 記念碑:1921年、在ペルー日本人社会がペルー独立100周年を記念して、マンコ・カパックの記念碑を寄贈しました
- インティ・ライミ(太陽の祭り):クスコで毎年6月に行われる祭りで、マンコ・カパックの建国神話が再現されます
- 観光資源:クスコの観光案内では、マンコ・カパックの伝説が中心的な役割を果たしています
ペルーの先住民運動にとって、マンコ・カパックは、スペイン征服以前の偉大な文明の象徴として、誇りの源となっています。
まとめ
マンコ・カパックは、インカ神話におけるクスコ王国の創始者です。
太陽神インティの子として、あるいは創造神ビラコチャの子として、地上に降り立ち、文明を人々に授けたと伝えられています。
マンコ・カパックの重要なポイント:
- インカ帝国の伝説的創始者で、クスコ王国の初代統治者
- 太陽神インティの子としてチチカカ湖から出現、または創造神ビラコチャの子としてパカリタンボの洞窟から出現
- クスコを建国し、インティカンチャを建設、法律や農業技術を普及させた
- 実在性については議論があるが、神格化された歴史的指導者だった可能性が高い
- 死後ミイラ化され、後にチチカカ湖の太陽の島に移された
- 現代のペルーでも文化的・歴史的象徴として重要な存在
マンコ・カパックが実在したかどうかにかかわらず、その伝説はインカ文明の理想と価値観を体現しています。
太陽神の子として地上に降り、人々に文明を授けるという物語は、インカの王権が神聖なものであることを示すとともに、統治者の役割が人々の生活を向上させることにあるという思想を表現しているのです。


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